横溝正史「車井戸はなぜ軋る」

(本作の真相、トリックのほか、高木彬光中井英夫の作品の内容に言及しています。)

 

 「車井戸はなぜ軋る」(1949年)[i]は、戦後、横溝正史が書いた中短編小説でベスト・ファイヴに入る傑作である、・・・などと仰々しく述べるまでもなく、恐らく、衆目の一致するところだろう。

 この時期の横溝作品らしく凝った構成で、作中作というか、書簡のかたちで一人称の手記が全体のほとんどを占めて、冒頭に、語り手(作者)による背景事情の説明が置かれている。『本陣殺人事件』のような聞き書き形式ではなく、書簡のみで事件を物語るという「あしながおじさん」スタイルで、もちろん、この形式そのものにミステリ的技巧が隠されている。

 著者疎開先の岡山県を思わせる地方の村落を舞台に、対立する旧家に生まれた異母兄弟の本位田大助と秋月伍一が、ひとりは戦争で死に、ひとりは復員する。ところが、瓜二つだった彼らを見分けるすべが失われ、跡取りの大助を取り戻したはずの本位田家の人々は、彼が、実は当主大三郎の不義の子である秋月伍一ではないか、と疑いを募らせる。本位田によって財を失った恨みに凝り固まる秋月家には、ただ一人生き残った、おりんという伍一の姉がいるが、彼女もまた生還したのは弟であるかのような態度を取り、益々ただならぬ緊張が本位田家を包んでいく。そのさなかに、大助の妻である梨枝が日本刀で切り殺され、次いで同じく殺害された大助の死体が、庭の車井戸から発見されるという二重殺人事件が起こる。

 まさに、横溝正史の独壇場ともいうべき深讐綿々たる愛憎のドラマが展開されるわけだが、この事件の顛末を、本位田家の長女である鶴代が、大助の弟で、胸を患って療養所で暮らす兄の愼吉に書き送った手紙で綴る、というのが本作の第一の特色である。書簡体のミステリは珍しくないが、本作のさらなるアイディアは、差出人の鶴代が探偵役で、受け取り手の愼吉が犯人である、という構成の妙にある[ii]。言い換えれば、「作者(記述者)」が探偵で、「読者」が犯人、という超絶技巧のミステリである。

 「あしながおじさん、あなたが犯人だったなんて!」、と、思わずジュディは叫んだのでした、なんちゃって。しかし、横溝の発想も、案外そこらあたりからだったのかもしれない。

 記述者が探偵といえば、同年に発表された高木彬光の『能面殺人事件』が同様のアイディアを用いている[iii]。また、書簡体小説の読み手が犯人というアイディアでは、中井英夫にトリッキーな短編がある[iv]。本作はこうした技巧的ミステリの系譜に連なっている。

 また、本作は、1955年になって、金田一耕助の登場するシリーズ作品に書き改められた[v]。おかげで、金田一耕助ものとして、より広く読まれるようになった反面、作品の一貫性を考えると、金田一が活躍するわけでもなく、構成をいたずらに複雑にさせただけのようにも見える。しかし、原型作品では、最初の語り手である(本当の)作者が、鶴代の書簡と愼吉による補遺文をどのようにして入手したのかが述べられておらず、読んでいて、何やら座りの悪さを感じさせるが、金田一を登場させたことによって、書簡と小説の間の間隙がうまく架橋され-金田一が愼吉から書簡を渡され、それを作者に提供したと説明される-、全体のおさまりが良くなったといえるだろう。その意味では、金田一ものに改稿した甲斐があった。

 作中で描かれる事件も、著者得意の「顔のない死体」テーマの変形でストーリーを進めながら、こちらも作者十八番の「死体移動トリック」をうまくアレンジして使用しており、表題が謎かけとも、伏線ともなっているのも、作者らしい稚気を感じさせる。その一方で、読み終えた後には、鶴代を始めとする登場人物たちの運命の過酷さが深い余韻となって残る。

 もっとも、この鶴代という少女は、しんねりむっつりと陰湿で、何を企んでいるのかわからない陰険さを感じて、読んでいる間は、あまり好感を持てない。全部、裏で糸を引いているのはこいつなんじゃないのか、とさえ思うのだが、最後に語り手が愼吉に変わると、その印象は一変する。愼吉の視点から語られることで、陰キャの探偵少女は、可憐なヒロインへと変貌を遂げるのである。

 長編小説に負けないコクと読みごたえを備えた傑作中編小説といえるだろう。

 

[i] 「車井戸はなぜ軋る」、横溝正史『聖女の首(横溝正史探偵小説コレクション③』(出版芸術社、2004年)、103-53頁。

[ii] 二上洋一横溝正史作品事典」『幻影城 横溝正史の世界』(5月増刊号、1976年)、230頁。

[iii] 高木彬光『能面殺人事件』(角川文庫、1979年)、6-7、9頁。無論、記述者が探偵というのは、同作の過剰なほどの趣向のひとつに過ぎない。

[iv] 中井英夫「蘇るオルフェウス」『幻想博物館』(平凡社、1972年、第二版1975年)、123-36頁。本文には、あえて挙げなかったが、もちろん、中井には「読者=犯人」のアイディアを用いた超有名作がある。

[v] 「車井戸はなぜ軋る」、横溝正史『本陣殺人事件』(角川文庫、1973年)、201-78頁。