横溝正史『白と黒』

(本書の犯人、トリック等のほか、「堕ちたる天女」、「渦の中の女」、「浄玻璃の鏡」、『壺中美人』などの作品の内容について述べていますので、ご注意ください。)

 

 横溝正史の最大長編は『病院坂の首縊りの家』(1975-77年)だが、あの未曽有の横溝正史ブームが到来する1970年代以前は、本書『白と黒』(1960-61年)が、もっとも長い長編ミステリだった。なにしろ、圧倒的代表作の『八つ墓村』(1949-51年)や『悪魔の手毬唄』(1957-59年)より、まだ長い。文庫本で500頁を越える、唯一の作品だった[i]

 これほどの大長編となったのは、新聞小説だったことが大きいのだろう[ii]。一年間の連載というのは、横溝にしてみれば、珍しいことではなかっただろうが、何といっても毎日掲載される新聞の連載である。一年半続いた『手毬唄』より長大になったのも無理はない。

 ただ、あまり評価は芳しくないようである。横溝作品は、どうしても岡山もののほうが高評価になるが、作者自身も、例えば『手毬唄』ほどの全力投球ではなかったように思われる。文章にも冗長なところが目につき、人物描写も類型的で、当時のマンモス団地を舞台としていることもあってか、時代を感じさせ、風俗味が強い。そのせいか、いわゆる「農村もの」よりも古びて見える。

 それでも健康問題を抱え、乗物恐怖症を患う身である横溝が、本格的に戦後の東京を書こうと意欲的に取り組んだものらしく、とくに若者世代の描写に力を注いだことが、大坪直行の証言から読み取れる[iii]。都会の新しい社会景観である団地とそこに住む人々を描き出すことが本書の狙いのひとつだったことは、著者自身が述べている[iv]

 しかし、パズル・ミステリで正面から社会や時代を描こうとすれば、謎解きとのバランスを取るのが難しいし、そもそも横溝は、文学的な意味での描写に長けているわけではないから、本書で描かれる様々な世代の人々もタイプの域を出ていない。ほぼ同時代の『悪魔の手毬唄』と比較しても見劣りするのは、舞台となる「世界」も関係していそうだ。団地という新しい地域コミュニティの場合、世代の厚みに乏しい。今や、古い団地は高齢化が進んで、逆の意味で年齢間のアンバランスがひどくなっているが、この当時は若い夫婦や親子が中心だったから、横溝の年代の作家には、理解の及びにくい部分も多かっただろう。『手毬唄』における人物描写の充実は、村の古老や祖父母世代がリアリティをもって描かれていたことが大きい。もちろん本書でも、物語作家の強みを存分に生かして、登場人物は見事に書き分けられており、某英米作家のように、キャラクターの見分けがつかないなどということはない(別に嫌味ではありませんが、JDCのことです)。

 もうひとつ、本書の特徴は、横溝十八番の「中短編の長編化」作品であることで、最初が人形佐七シリーズの「浄玻璃の鏡」(1948年)[v]だが、もちろん団地は出てこない(長屋は出てくる)。それを金田一シリーズに改稿したのが「渦の中の女」(1957年)[vi]なので、捕り物帖のほうが先というパターンである。基本的なあらすじは同じで、後者には、すでにマンモス団地が登場しているが、団地という言葉は使われておらず、「日の出町のアパート」[vii]と表記されている。まだ「団地」という用語は一般的ではなかったのだろうか。『白と黒』では、「日の出団地」[viii]と呼称されているから、本書執筆までの三年ほどの間に、横溝も勉強したのか、それとも「団地」という言葉が、広く浸透するようになったのだろう。

 「浄玻璃の鏡」と「渦の中の女」は、筋書きもそうだが、ミステリの基本構想も一緒で、中傷の手紙を主題としている。このテーマも横溝作品ではお馴染みで、近い時期では『毒の矢』(1956年)がある。同作は、作者の住まいのある成城の住宅街で悪意の手紙が横行するという内容だったが、「浄玻璃」を「渦」に書き直そうとしたときに、団地(という言葉は使っていなかったわけだが)という目新しい居住空間を舞台にすれば、「毒の手紙」テーマを活かせると思い至ったようだ[ix]

 もうひとつの主題は同性愛で、こちらも「堕ちたる天女」(1954年)や『壺中美人』(1960年)などの先行例がある。風俗味が強くなった昭和30年前後に、盛んに取り上げられるようになった題材である。とはいえ、まるで秘匿すべき大秘密であるかのような描き方がされているのは、同性の恋愛が普通に認知されるようになった現代では、いささか時代にそぐわなくなった。

 「浄玻璃」と「渦」をもとに長編化を試みた本書では、上記の二つの素材をそのままに、そこに、やはり横溝作品では恒例ともいえる「顔のない死体」と「事後工作者」トリックを加えて、プロットを組み立てている。つまり、すでに「使い尽くされた」ともいえる四つのアイディアを組み合わせることで長編小説に必要なヴォリュームを持たせているということになる。犯人や基本的な構想は変わっていないので、横溝がどのように付加的な要素をブレンドして、プロットをふくらませていったのかがよくわかる。長編化の過程を分析研究していくのに格好のサンプルといえるだろう。

 ただ、ミステリとしての出来栄えを考えると、既存のアイディアの組み合わせによって新味を出すのは『犬神家の一族』(1950-51年)あたりから見られる手法で、本書も、その点にそつはないが、ハッと思わせるほどの捻りもないので、手慣れた感じというよりは、マンネリ感のほうが強い。しかし、こうなったのも納得はいく。

 新聞の連載小説で謎解きミステリを書くのは至難の業とされてきた。浜尾四郎の『殺人鬼』(1931年)のような秀作がすでに戦前にあるが、書下ろしが通例となった現代では、パズル小説を新聞連載で書く意欲が、そもそも湧きにくいだろう。その理由は、言うまでもなく、論理的で複雑な推理を何回も日を分けて長々と解説するのは書きづらいし、読みづらい。新聞小説には不向きだからである。

 本書の場合も、金田一耕助の推理は、ごく断片的なものがほとんどで、『本陣殺人事件』(1946年)のような何十ページにもおよぶ長い解説はない。プロットの核となる殺人の真相自体、ごくごくシンプルなものである。激情による咄嗟の犯行で、犯人は何ら隠蔽工作も、読者を欺くトリックも弄していない。事件を複雑にしたのは、偶然犯行現場に迷い込んだ二番目の犠牲者の存在と、被害者サイドの人物から要請を受けた事後工作者の策動である。そこに中傷の手紙の書き手が絡むことで、一見複雑怪奇な事件へと発展したというのがプロットの特徴で、従って、事件は、終盤に向かうにつれて、自然に解きほぐされていく。後半、団地わきの池から第二の被害者の死体が発見されると(もちろん、金田一の示唆によるものである。あ、これは伏せておいた方がよかった?)[x]、事後工作者の正体も、匿名の手紙の書き手も判明する[xi]。きっかけとなるのが、死体とともに沈んでいた軍手と、雑誌の間に挟まれていたデッサン画の発見であるというのは、パズル小説としては、やや安易だが、その後も金田一の調査で、隠されていた重要人物の存在が明らかになると、告白によって「顔のない死体」の謎も、工作者の行動の意図も明白となり、被害者と犯人の秘密の関係も暴露される。そこからクライマックスの殺害未遂シーンへと急展開して、最後の金田一の謎解き(というより補足)は、わずか8ページに過ぎない。犯人特定の手がかりとなるのは、書名が示唆する隠語(?)(初読の時、このような業界用語があるとは知らなかったので、そんなのずるいよ、と思った)だけで、あとは金田一の憶測に過ぎない。はなはだ物足りないし、謎解きミステリとして、あまり評価されないのも当然である。ただ、関係者の自白によってではあるが、もつれていた事件の糸が次第にほぐれていき、徐々に謎が整理されて犯人逮捕に至る過程はわかりやすく、テンポもよい。

 新聞連載といえば、横溝には、『女が見ていた』(1949年)、『迷路の花嫁』(1954年)がすでにあって、それら長編では、一回の枚数が少ないという制約の中で、いかに本格探偵小説の味を出すかに腐心したあとが見られた。しかし、どちらの作品も、結果的にはスリラーであって、論理的興味は薄く、ストーリー展開で読ませる小説になっている。それら二長編と並べてみると、『白と黒』は、単純な殺人の謎のまわりに金平糖のように付加的な謎をまぶしてコーティングし、解明のプロセスでは、逆に、一見複雑な外観から、少しずつ余分な薄皮を剥いでいって、最後に殺人の謎だけが残るように組み立てられている。この手法によって、先行する二作品と比べても、もっとも本格ミステリらしく仕上げられているといえる。作者なりに、新聞連載によるパズル・ミステリの完成形を目指したとすれば、横溝作品において本書がもつ意義が感得されるだろう。

 

 ちなみに、本書には、「プロローグ」、「インターバル」、「エピローグ」と、三回にわたって詩人のS・Y先生が登場する。金田一とも顔見知りということだから、当然、作者本人なのだが、なぜか探偵小説作家ではなく、「詩人」になっている。本文を読んでも、詩人らしさは一切なく、暇を持て余している野球好きのオヤジにしか見えないのだが、横溝には俳句の趣味があるらしいので[xii]、詩人と言えなくもない・・・、のかもしれない。

 インターバルでは、S・Y先生が、金田一との会話を回想しつつ、「顔のない死体」トリックについて考究する。つまり読者の代表のような顔をしながら、実際は、読者を誘導する役割を果たしている(なるほど、それで「探偵作家」横溝正史ではなく、ミステリ素人の「詩人」S・Y先生という設定にしたのか)。もっとも、そのあとすぐに新聞記事の引用というかたちで「顔のない死体」トリックは否定される[xiii]のだが、それでも、読者の多くは「被害者と犯人の入れ替わり」を予想するだろう。すると今度は、中盤を過ぎたあたりで、登場人物のひとりの口から、再び「入れ替わり」の可能性を指摘させている[xiv]。ミステリを読みなれた読者に対して、結局、定石どおりかもよ、と誘っているわけで、このあたりはさすがに老獪だ。さらに、この場面、登場人物のなかの若者世代四人の会話なのだが、顔のない死体トリックについて得意気にしゃべる姫野三太の発言に対する、ある人物の反応が、真相を知ってから読み直すと、二重の意味を持っていたことがわかる[xv]。こういった登場人物の何気ない仕草や言葉に暗示的な伏線を忍ばせるのは、横溝の必殺技だが、ここでも期待通りの効果をあげている。

 こうしてみると、一見冗漫に見える本作だが、無駄な場面はひとつもないことが実感できる。もちろん、それは優れたミステリなら、常に言えることだが、例えば、中盤に50ページほど費やして「渦」という章が置かれている。金田一を事件に巻き込んだ緒方順子、管理人の根津、高校教師の岡部、と次々に視点を変えながら、団地の人間模様を別角度から描いているのだが、それで「渦」というわけだろう(短編の「渦の中の女」も意識しているようだ)。まあ、こんなに、行く先々で知り合いに出くわすのは、どう考えてもおかしいが(東京は、そんなに狭くない)、登場人物の性格や生活ぶりを描写しながら、そこに、根津の秘密[xvi]や最初の怪文書[xvii]に関する重要な手がかりを織り込んでいる。やはり余計な個所ではないということで(こんなに長くなくともよいが)、どこで、どの手がかりを出すか、作者の綿密な計算が働いていることがわかる部分である。

 怪文書の扱い方にしてもそうで、順番や文体などを細かく考えたうえで、読者はここでこう推理するだろうと思えば、登場人物にも同様の推理をしゃべらせるなど[xviii]、読者との駆け引きにも工夫をこらしている。探偵小説は二度読むべし、とは横溝の持論[xix]だが、彼の著作も、無論、その例外ではない。いや、むしろ、横溝ミステリこそ二度読むべきである(もっと読んでも結構です)。

 ついでだが、プロローグで、S・Y先生は、プロ野球の日本シリーズをテレビ観戦している。昭和35年といえば、大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)と大毎オリオンズ(現千葉ロッテ・マリーンズ)の一戦で、初出場のホエールズが四連勝で日本一となった。ホエールズの監督は三原修、オリオンズは西本幸雄であった(どうでもいい?)。S・Y先生が川崎の空模様を心配するのは[xx]、第一戦が川崎球場で行われたからである(さらに、どうでもいい?いや、連載がスポーツ紙だから、重要なことなのだ)。

 

(付記)

 本文では、しつこく「冗漫だ」、「冗長だ」と書いているが、1965年(昭和40年)の作者の日記を読むと、単行本にする際、冗漫なところを削るつもりだったが、その前に出版されてしまった。ところが、この年再刊が決まったので、手を入れることにした、と書かれている[xxi]。つまり、現行版は、これでも冗漫な個所を削ったものだったらしいのだ(嫌味だなあ)。

 書誌を見ると、『白と黒』は、1961年12月に東都書房から刊行されたが、1965年4月に同じ東都書房から「横溝正史傑作選集」第5巻として再刊されている。もちろん単純な比較はできないが、61年版は399頁だったのに対し、65年版は308頁(価格は、前者が290円、後者が300円と、10円アップ)[xxii]。なるほど、だいぶ縮めたみたいですね。熱心なファンや研究家なら、どちらも蒐集していることだろうし、次は、『白と黒』のオリジナル版復刻を期待してしまいますね(作者は、余計なことをするなよ、と思っているだろうが)。

 

[i] 『白と黒』(角川文庫、1974年)。

[ii] 文庫版の解説者、中島河太郎によれば、「共同通信系」新聞、その後、作者自身の口から、具体的に『日刊スポーツ』と判明している。連載期間も、中島は、1960年11月から翌年12月までと記していたが、実際は1961年10月までの一年間だったらしい。『白と黒』、(中島河太郎)「解説」、531頁、小林信彦編『横溝正史読本』(角川書店、1976年)、68頁、『僕たちの好きな金田一耕助』(『別冊宝島』1375号、2007年)、110頁。

[iii] 『三つ首塔』(角川文庫、1972年)、(大坪直行)「解説」、347頁。

[iv] 『白と黒』、「解説」、531頁。

[v]浄玻璃の鏡」『定本 人形佐七捕物帳 六』(春陽堂書店、2020年)、183-200頁。

[vi] 「渦の中の女」『金田一耕助の帰還』(出版芸術社、1996年)、156-74頁。

[vii] 同、159頁。

[viii] 『白と黒』、10頁。

[ix] 同、「解説」、531頁。

[x] 同、378頁。

[xi] 同、373-74、380頁。

[xii] 横溝正史「白浪始末記」『探偵小説五十年』(講談社、1977年)、275頁、同「しかも私は飲む」『探偵小説昔話』(「新版横溝正史全集18」、講談社、1975年)、126頁、同「むささび悲歌」『探偵小説昔話』、138-43頁等を参照。江戸川乱歩、西田政治と連句の歌仙(三十六句を連ねるそうだ)を仕上げた話は有名(?)である。江戸川乱歩『探偵小説四十年』(下巻、光文社、2006年)、280頁を参照。

[xiii] 『白と黒』、198-99頁。

[xiv] 同、295-99頁。

[xv] 同、297-99頁。

[xvi] 同、215-16頁。

[xvii] 同、244-48頁。

[xviii] 同、349-51頁。

[xix] 横溝正史「クリスティと私」(1976年)『横溝正史の世界』(徳間書店、1976年)、223-24頁、『横溝正史読本』、119頁、『真説金田一耕助』(毎日新聞社、1977年)、「Yの悲劇」、247頁。

[xx] 『白と黒』、4頁。もちろん、横溝のご贔屓は近鉄バファローズ(球団の統合により、現オリックス・バファローズ)であった。横溝正史「余暇善用」(1959年)『探偵小説昔話』、73-75頁、対談「野球 このスリルとミステリィ VS佐野洋有馬頼義」(1961年)『横溝正史の世界』、45-50頁、横溝正史「善き哉、プロ野球」(1976年)、同、51-54頁。横溝が新聞連載を引き受けたのも、野球好きが理由だったのかもしれない。いや、そうに違いない!

[xxi]横溝正史読本』、「日記(昭和40年)」、188頁。

[xxii] 島崎博編「横溝正史書誌」『別冊幻影城 横溝正史 本陣殺人事件・獄門島』(1975年9月)、340、342頁。