横溝正史『不死蝶』

(本書のトリック等について言及しています。)

 

 『不死蝶』[i]は、横溝正史の長編小説のなかでも、いろいろな意味で興味深い作品といえる。1953年に雑誌『平凡』に半年間連載され、1958年に長編化のうえ刊行されたが、『平凡』での連載というのがまず珍しい。しかも、連載途中から「犯人当ての懸賞」がかけられることになったらしい[ii]。当初からの予定ではなかったのかもしれないが、同じ1953年には中編の「湖泥」でも犯人当ての挑戦形式を取っている。こちらは広く読者に解答を募るのではなく、花森安治他の著名人三氏の解答を掲載するという方式であった[iii]

 横溝正史の戦後長編では、最初犯人を特定する推理にはさほど重きが置かれていなかった。『蝶々殺人事件』には、心理的ながら犯人を推測させる手がかりが考案されていたが、『本陣殺人事件』や『獄門島[iv]では、犯人推理のデータはほとんど提示されていない。むしろトリックの解明が中心だった。犯人を特定する推理が重視されるのは、『八つ墓村』(1949-51年)あたりからである。その後もすべての長編がそうであるわけではないが、『女王蜂』(1951-52年)には、犯人を指摘するかなり説得的な推理が展開されている。「湖泥」や「不死蝶」もそうした作風の変化があって、恐らく編集部からの提案ではあろうが、犯人当てミステリの中編として書かれることになったらしい。

 もう一つの特徴として、本作は美貌のヒロインをめぐって殺人事件が起こるというプロットだが、これは『犬神家の一族』(1950-51年)、『女王蜂』ですでにお馴染みのものである。家庭誌に掲載の両長編は、『宝石』掲載の『本陣殺人事件』や『獄門島』ほどミステリ・マニアを意識せず、一般読者へのサーヴィスを兼ねて[v]、サスペンス小説風の展開を心掛けたものである。「不死蝶」は、それをさらにマイルドにした印象で、横溝流の残虐無残な殺人はなく、口当たりのよいロマンティック・ミステリの趣がある。作品の目玉となる鍾乳洞内の殺人も、『八つ墓村』ほど、おどろおどろしくはなく、その意味で、横溝長編としてはやや薄味の感もある。

 23年前の鍾乳洞内での殺人事件が現在でも繰り返されるという、過去と現在とを結びつける構想も『女王蜂』を踏襲している。また、ヒロインがブラジルの大富豪の娘で、母の郷里に里帰りしたという華やかな設定は、掲載誌を考慮してのことだろうが、どことなく『悪魔の手毬唄』(1957-59年)に登場するスター歌手の郷里への凱旋を連想させる。こうした、それまでの長編やこの後の作品との関連性を感じさせるのも本作の興味深い点である。

 先に述べたように、本作は横溝の代表的長編に比べると、いささか毒気が抜けたイメージを与えるが、謎解きミステリとしても、『本陣』や『獄門島』はもとより、『犬神家の一族』や『女王蜂』に比べても、充実度は落ちる。メイン・トリックは一人二役ないし二人二役だが、とくに創意が感じられるものではない。あっと言わせるような伏線もない。もともと中編あるいは短めの長編という気持ちで取り組まれたものであろうから、あまり手の込んだ構想を立てて臨んだのではないのだろう。とすれば、肝心の犯人当ての出来はどうであろうか。

 本作での金田一の推理は、エラリイ・クイーン張りというわけにはいかない。ただ登場人物の行動から背後に隠された意味を推し量る、という横溝らしい推理が本作でも披露され、鍾乳洞内でのある人物の行動から推論を引き出す手際は悪くない。水も漏らさぬというものではないが、二人二役のトリックとも結びついて、なかなか読ませるものになっている。犯人当てとしては、もっと論理的にガッチリした推理が欲しいところではあるが、「湖泥」などとも共通して、ある程度意外性もある面白い推理と言えるだろう。

 しかし、本作の推理が興味をそそるのは、長編版『不死蝶』で、この部分が加筆されていることである。

 すなわち、金田一は、鍾乳洞内で出くわしたある人物(共犯者)の不自然な行動から、その目的が秘密の同伴者(犯人)を逃がすため、と推理するが、それを裏付ける手がかりとして、上記共犯者は鍾乳洞内から外部に通じる新しく発見された通路に不案内だった、という前提を挙げている。同人物は鍾乳洞内の通路に不案内だった、従って彼を案内した同伴者がいた[vi]、というわけである。

 ところが、長編版では、この前提が否定されている。23年前の事件の犯人が現在の事件の犯人と同じという設定は『女王蜂』や『悪魔の手毬唄』とも共通するが、本作では、共犯者も同一である。23年前の殺人で鍾乳洞から脱出した際、犯人と共犯者は、その時点で公には知られていなかった秘密の通路をすでに知っており、それを利用したのではないか、と推論することで、原型版の推理を修正している[vii]

 この修正がいかなる理由によるのかは、作者の説明が聞けない以上、推測するほかはないが、恐らく、こうではないか。原型版では、23年前の殺人について、金田一は詳しい説明をせずに済ませてしまっている[viii]。しかし、長編化するに当たって、やはり、もっと細密な解説が必要であると判断したのだろう。とくに、23年前の事件で、犯人と共犯者がどのようにして鍾乳洞から脱出したのか、原型版ではまったく触れられていなかった。彼らが気づかれずに鍾乳洞を出るには、秘密の通路をすでに知っていて、それを利用したとするのが適当と考えたのだろう。犯人当ての懸賞解答のなかに、そのことを問題にしたものがあったのかもしれない。本作を改稿するに当たって、この点の説明不足を補って加筆するとともに、金田一の推理自体も修正したものと思われる。

 その結果、原型版のほうが理路整然とした推理の展開を見せていたのに対し、長編版は、ややわかりづらくなり、原型版のような明快さが薄れてしまったといえる。しかしその代わり、金田一の推理はより目配りのきいた緻密な内容になったともいえよう。

 原型版から長編化まで5年以上かかったのは、他の長編化作品に比しても異例だが、これはそもそも長編化が東京文藝社『金田一耕助推理全集』[ix]の刊行の目玉となる長編書下ろし企画に応えたものであったからだろう。いずれにしても、『不死蝶』は、横溝による中短編の長編化が、単なる水増しではなく、ミステリの結構の研磨にまで及んでいたことを示す、格好の例と言えるだろう。

 

[i] 横溝正史『不死蝶』(角川文庫、1975年)。

[ii]横溝正史探偵小説選Ⅴ』(論創社、2016年)、470-71頁。同編集本に『不死蝶』の原型版が収録されて、比較が容易になった。

[iii] 横溝正史『貸しボート十三号』(角川文庫、1976年)、「解説」、360-61頁。

[iv] 『獄門島』では、金田一が持参した、了然和尚ほか三名に宛てられた手紙が、「真の」犯人が誰かを暗示する手がかりになっている。『獄門島』(角川文庫、1971年)、12、317-19頁。

[v]犬神家の一族』で、ヒロインが襲われて貞操の危機(表現が古いですな)に陥ったり、『女王蜂』でヒロインの入浴シーンが描かれるのも、作者なりの読者サーヴィスだったのだろう。もちろん、これらの場面は単なるお色気シーン(またまた表現が古いですな)ではなく、プロットや手がかりの提示などのために必要だった。

[vi] 「不死蝶」『横溝正史探偵小説選Ⅴ』、318-19頁。

[vii] 『不死蝶』(角川文庫)、276-77頁。

[viii] 「不死蝶」『横溝正史探偵小説選Ⅴ』、319頁。

[ix] 『不死蝶』は、「金田一耕助推理全集」の第1巻に収録されたので、同全集の目玉となる新作長編という売り文句だったのだろう。ちなみに長編化の最初は、同じ東京文藝社刊行の「金田一耕助探偵小説選」の『蠟美人』(1956年3月)に収録の『毒の矢』、次いで『死神の矢』(1956年5月)の同名長編のようだ。同じ出版社からの同じような傑作集だったが、1956年には「探偵小説選」、それが、1958年には「推理全集」になるのは、時代の変遷を感じさせる。島崎 博編「横溝正史書誌」『別冊幻影城 横溝正史 本陣殺人事件・獄門島』(絃映社、1975年)、336頁。