ビー・ジーズ

ビー・ジーズ・トリビュート・アルバム2004

Maybe Someone Is Digging Underground: The Songs of the Bee Gees (Sanctuary Records, 2004) 2004年に久しぶりにリリースされたビー・ジーズのカヴァー曲集である。タイトルはもちろん「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」の一節で、「(ビー・ジーズのカヴァー…

ビー・ジーズ・トリビュート・アルバム1996-1998

Soul of the Bee Gees (US, 1996) 01 Al Green, How Can You Mend A Broken Heart (1972) 02 Rufus featuring Chaka Khan, Jive Talkin’ (1975) 03 Candi Staton, Nights on Broadway (1977) 04 Portrait, How Deep Is Your Love (1995) 05 Dionne Warwick, …

ビー・ジーズ1966(2)

. この項目で取り上げているアルバムは、どちらも1966年に発売されたものではない。それなのに、なぜ、ここに置くかといえば、他に入れるところがないからである。 ビー・ジーズ『ターン・アラウンド・・・ルック・アット・アス』(Turn Around …Look at Us, …

ビー・ジーズ1966

S10 ビー・ジーズ「おうちがほしい」(1966.3) A 「おうちがほしい」(I Want Home, B. Gibb) 「おうちがほしい」って、幼稚園児のおままごとか。 このカプリングは、どちらがA面なのか、はっきりしないようだが、こちらの曲のほうがレコード番号が若いらしい…

ビー・ジーズ1965

S06 トレヴァー・ゴードンとビー・ジーズ「ハウス・ウィズアウト・ウィンドウズ」(1965.1) A 「ハウス・ウィズアウト・ウィンドウズ」(House without Windows, B. Gibb) 「君たちの書いた曲じゃヒットは無理だね」と言い渡されたものの、「でも、他の歌手の…

ビー・ジーズ1963-1964

ビー・ジーズの3人、バリー・ギブ(1946-)、双子のロビン・ギブ(1949-2012)とモーリス・ギブ(1949-2003)は、イギリスのアイリッシュ海に浮かぶマン島に生まれ、マンチェスターに移り住んだ後、1958年に家族とともにオーストラリアに移住するが、それ以前か…

ビー・ジーズ2001

『ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン』は、通算20枚目(オーストラリア時代の3枚を除く)、21世紀になって最初の、そしてビー・ジーズにとって最後のオリジナル・アルバムとなった。 1967年の『ビー・ジーズ・ファースト』から実働35年。20枚という…

ビー・ジーズ・トリビュート・アルバム1993-1994

Bee Gees Songbook: The Gibb Brothers by Others (UK, 1993). 01 Adam Faith, Cowman Milk Your Cow (1967)(B. & R. Gibb). 02 Billy Fury, One Minute Woman (1968). 03 Nina Simone, I Can’t See Nobody (1969). 04 Jose Feliciano, First of May (1969).…

ビー・ジーズ1997

1997年は、ビー・ジーズにとっても、ファンにとっても、思い出深い年となった。 1月に「ジ・インターナショナル・アーティスト・アウォード」(アメリカ)、2月に「ザ・ブリティッシュ・フォノグラフィック・インダストリ・ライフタイム・アチーヴメント・ア…

ビー・ジーズ1993

ビー・ジーズ「ペイイング・ザ・プライス・オヴ・ラヴ」(Paying the Price of Love, 1993.8) 1 「ペイイング・ザ・プライス・オヴ・ラヴ」(B, R. & M. Gibb) アルバム参照。 2 「マイ・ディスティニー」(My Destiny, B, R. & M. Gibb) 1980年代以降、ビー・…

ビー・ジーズ1991

ビー・ジーズ「シークレット・ラヴ」(1991.3) A 「シークレット・ラヴ」(Secret Love) B 「トゥルー・コンフェッションズ」(True Confessions) アルバムを参照。 ビー・ジーズ『ハイ・シヴィライゼーション』(High Civilization, 1991.4). 1991年4月、1990年…

ビー・ジーズ1989

ビー・ジーズ『ONE』(Bee Gees, One, 1989.4) 『E・S・P』に続く二年ぶりのアルバム『ONE』は、アンディ・ギブの死によってもたらされた中断期間を挟んで1989年4月にイギリスで、7月にアメリカでリリースされた[i]。このアルバムから、CDでは恒例のボーナス…

ビー・ジーズ1988

1988年3月10日、アンディ・ギブ逝去。 この一事だけで、ビー・ジーズ・ファンにとって、この年は悲嘆にくれる年となってしまった。 思えば、アンディは30年前の1958年に生まれ、10年前の1978年3月11日には、「(ラヴ・イズ・)シッカー・ザン・ウォーター」…

ビー・ジーズ1987

1987年、ビー・ジーズは満を持して6年ぶりのアルバム『E・S・P』を発表した。 1986年10月にワーナー・ブラザースとレコード販売契約を結び、その第一弾だった。 しかし、満を持して、といっても、状況が整った、とは必ずしも言えなかった。ビッグ・アーティ…

ビー・ジーズ1985(1)

ダイアナ・ロス「イートゥン・アライヴ」(1985.9) 1 「イートゥン・アライヴ」(Eaten Alive, B. Gibb, M. Gibb and M. Jackson) バリーとモーリスにマイクル・ジャクソンが作曲に加わり、さらにプロデュースに参加するという、なんとも贅沢なシングルが出…

ビー・ジーズ1985(2)

ロビン・ギブ「ライク・ア・フール」(1985.11) 1 「ライク・ア・フール」(Like A Fool, R, B. and M. Gibb) 2枚のソロ・アルバムの延長線上にある作品。しかし、本来のロビンらしい哀愁を帯びた歌声が戻ってきた感がある。彼らしい絶叫も一部聞かれる。 曲…

ビー・ジーズ1984(2)

バリー・ギブ「シャイン・シャイン」(1984.9) 1 「シャイン・シャイン」(Shine, Shine, B. Gibb, M. Gibb and G. Bitzer) バリー・ギブの14年ぶりのソロ・シングルは、ハーブ・アルバートもびっくりのカリビアン風ポップ・ナンバー。マイアミでレコーディン…

ビー・ジーズ1984(1)

1984年は、ある意味記念すべき年となった。この年、バリーとロビンが初めて同じ年にソロ・アルバムをリリースし、モーリスもソロ・シングルを発表した。 1970年に、ロビンが初のソロ・アルバムをリリースしたとき、バリーとモーリスもソロ・アルバムを準備し…

ビー・ジーズ1983(2)

ケニー・ロジャース/ドリー・パートン「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」(1983.8) 1 「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」(Islands in the Stream, B, R. and M. Gibb) 最初はデュエット曲ではなかったらしい。経緯はわからないが、最終的にケニー・ロ…

ビー・ジーズ1983(1)

1983年は、ビー・ジーズにとって非常に活発な活動が見られた年だった。 ロビン・ギブの『ハウ・オールド・アー・ユー』、サウンドトラック『ステイン・アライヴ』、ケニー・ロジャース『愛のまなざし』と3枚もの関連アルバムがリリースされた。これだけのア…

ビー・ジーズ1982

1982年になると、ギブ兄弟は様々なプロジェクトを並行して進めるようになる。 『リヴィング・アイズ』の失敗で、当面グループでの活動には見切りをつけた、とも見ることができる。ディオンヌ・ウォーリク、ケニー・ロジャースのアルバム制作、ロビンのソロ・…

ビー・ジーズ1981

「愛はトライアングル」(1981.9) 1 「愛はトライアングル」(He’s A Liar, B, R. & M. Gibb) アメリカでは「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」以来のリリースとなった「愛はトライアングル」は、ビー・ジーズの王座からの失墜を証明する作品となってしまった…

ビー・ジーズ1980

1980年の幕開けは、ビー・ジーズにとって最高のものとなった。1月12日付けで『ビー・ジーズ・グレイテスト』がビルボード・アルバム・チャートの1位に輝いた。1978年の『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』、1979年の『スピリッツ・ハヴィング・フロウン』に…

ビー・ジーズ1979

『失われた愛の世界』(Spirits Having Flown, 1979.2) 1978年の3月から11月まで、ビー・ジーズによるアメリカン・チャートの制圧が続くさなか、ニュー・アルバムのレコーディングが続けられた。具体的な日付けは、未だに不明なままだが、これだけ長期間のレ…

ビー・ジーズ1978

1978年は、ビー・ジーズ関連のアルバム、シングルがチャートのトップを約半年間独占する記録的な年となったが、反面、皮肉なことに、ビー・ジーズの新曲を含むアルバムが発表されない初めての年ともなった(1967年以降)。 アルバム・チャートでは、『サタデ…

ビー・ジーズ1977(2)

『グレイテスト・ライヴ』(Here At Last … Bee Gees … Live, 1977.5) ビー・ジーズ初の公式ライヴ・アルバムは、ようやく1977年になって登場した。 本来、ビー・ジーズのようなポップ・バラードを得意とするグループはライヴに不向きだと思われているし、実…

ビー・ジーズ1977(1)

英米デビューから10年たった1977年、ビー・ジーズ、とりわけバリー・ギブはソング・ライターとしての絶頂期を迎えた。マイダス王のごとく、彼が触れる、いや、書く楽曲は次々にゴールド(・ディスク)に変わった。黄金どころか、プラチナ(・ディスク)に変…

ビー・ジーズ1975

1970年代後半は、ビー・ジーズがバリー・ギブの主導体制、あえて言えば、ワン・マン体制に移行した時期である。ほとんどの曲でバリーがリード・ヴォーカルを取り、コーラスもバリーの多重コーラスではないかと思えるような曲が増えた。曲作りは、他のアーテ…

ビー・ジーズ1974

「ミスター・ナチュラル」(1974.3) 1 「ミスター・ナチュラル」(Mr. Natural, B. & R. Gibb) 「ひとりぼっちの夏」以来のシングルは、案の定惨敗に終わった。それでもビルボードでは93位となり、1967年から8年連続で全米シングル・チャートにランク・インす…

ビー・ジーズ1972

「マイ・ワールド」(1972.1) 1 「マイ・ワールド」(My World, B. & R. Gibb) ビー・ジーズのシングル・レコードは、「トゥ・ラヴ・サムバディ」が典型のように、メロディアスなイントロが特徴であることが多いが、「マイ・ワールド」はまるでリハーサルの音…