エラリイ・クイーン『靴に棲む老婆』

(本書の推理やトリック、犯人のほかに、注で『Yの悲劇』のアイディアに言及しています。)

 

 ライツヴィル・シリーズが書かれた1940年代のエラリイ・クイーンの諸作品のなかで、『靴に棲む老婆』(1943年)は、ひときわ異彩を放っている。

 1942年の『災厄の町』以降のライツヴィルを舞台とした長編ミステリは、『九尾の猫』を含めて、1930年代の長編に特徴的だった、あまりに理詰めな推理が抑制され、新たな特徴となった夫婦や親子の間の愛憎のドラマと推理とのバランスが意図的に測られている。

 しかし、本書では、完全に30年代のパズルが復活して、とくに、決め手となる告白状の署名偽造に関する精妙な推理は、国名シリーズを彷彿とさせる。これは、クイーンにとって、書こうと思えば、いくらでもこうしたパズル・ミステリが書けたということを示しているのだろうか(だったら、もっと同タイプのミステリを書いてくれればよかったのに、と多くのクイーン・ファンが怨嗟の声をあげそうだ)。

 また、登場人物の設定でも、暴君である女当主コーネリア・ポッツと彼女に支配される奇矯で風変わりな子どもたち、という人物配置が、バーナビィ・ロス名義の『Yの悲劇』に似かよっており、二番煎じというより、むしろ『Y』をカリカチュアライズしたセルフ・パロディに見える(もっとも、『Yの悲劇』自体、パズル・ミステリのパロディっぽい特異な作品といえなくもない[i])。1943年といえば、ロス名義の四作もクイーン作品であることをすでに公開済みだから、ロスの真似だと言われる心配がなくなって、堂々と自作をパロディ化できるようになったのだろう。

 国名シリーズ作品にはあまり見られなかったユーモアが前面に現れているのも特徴で、むしろクレイグ・ライスのような、あるいはそれ以上の狂気に満ちたファース・ミステリといえる[ii]。本書がパロディとなるのも必然だったのかもしれない。

 さらに、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』(1929年)やアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』(1939年)のように、本格的にマザー・グースないし童謡殺人をテーマにした作品でもある。もっとも、上記二作に共通する童謡殺人の戦慄とスリルは微塵もなく、いささか調子の狂ったユーモアが生む黒い笑いが特徴なのは上述のとおりである。『僧正』では、いかれているのは犯人だけだが、本書は小説自体がいかれている。

 しかも、本書でもっともいかれた登場人物が実は犯人(実行犯)で、一方、殺人手段のトリックは極めて合理的、殺人動機も完全に常識的、というのは、フランシス・M・ネヴィンズが指摘しているように[iii]、プロットとキャラクターが水と油のように乖離していて、そのギャップはすごい。そうしたギャップも含めて、なんとも異様なパズル・ミステリである。

 しかし、その辺に目をつぶれば、完全なアリバイをもつ犯人が、空包にすり替えられたはずの拳銃を使って衆人環視のなかで被害者を射殺するという、一種の不可能犯罪がテーマとなって、そのトリックは、単純な手品に過ぎないが、単純なだけに盲点を突いている。さらに、すでに触れた犯人特定の推理では、一旦、コーネリアの告白状の署名が別のメモに書かれた署名を引き写した偽物と判明する。ところが、実は告白状の署名のほうが本物でメモの署名が偽筆だった、という逆説的推理が鮮やかで、かつての国名シリーズで見せた論理的でありながら意外な推理を思いださせて、ファンなら随喜の涙を流すところだろう。

 ただ、ちょっと気になるのは、この推理のポイントは、署名の偽造を行えるのが、遺言書とともに告白状が封入された封筒を保管していた人物、すなわち死んだコーネリアの手に握られていた封筒を、クイーン警視から手渡された弁護士以外にはない、というところにあるのだが、しかし、遺体が発見される前に、すでに偽造が行われていた可能性が検討されていない。

 確かに、遺体の発見は死亡時刻から1時間ほど[iv]と判明して、この短時間に、封筒を開封して告白状を発見したうえ、署名の偽造を思いついて実行するというのは、不可能に近い。しかし、不可能に近いが、不可能ではないのだから、その可能性をまったく検証しないのは、クイーンらしくないのではないか。そもそも、告白状の偽造を最初に検討した際には、偽造はコーネリアの遺体発見以前になされた、とエラリイは推理している[v]。それなのに、最後の謎解きになった途端、署名の偽造は遺体発見後だと決めつけているのはおかしくないか。犯人が、告白状自体も、遺言状も破棄することができなかったのは、エラリイが証明した通りで[vi]、だとすれば、遺体発見前でも、発見後でも、偽造が企てられた可能性は変わらないだろう。

 ただし、偽造に用いられたメモにコーネリアが署名するのを目撃したのは、クイーン親子のほかには、犯人と医師のみなので[vii]、そこから犯人は特定できるといいたいのかもしれない。だが、それならそれで、医師が犯人ではないことを証明してもらわなくてはならない。

 それとも、エラリイ自身、自分の推理の穴は承知していたが、とっさに推理を組み立てなければならず、あえてそこには触れなかったのだろうか。しかし、最初に偽造に関する議論が交わされたのは、犯人とエラリイの間の会話においてである。ちょっと冷静になれば、すぐ気がつくことで、やはりエラリイらしからぬ(それとも、らしい?)一か八かの賭けのように思える。

 まあ、その辺に目をつぶれば(さっきも書いたか)、本書は、クイーンのファンなら、久しぶりのパズル・ミステリの佳品として喝采をあげたくなる一編だろう。

 

 ここまで、実は、ほぼ記憶だけに頼って書いてきたのだが、思い立って再読してみた。何十年ぶりかで、今回で三、四回目である。それでも面白く読了したが、評価はだいぶ変わってしまった。一言で言うと、小説として大雑把すぎるのではないかと感じた。なんだか短時間で書き飛ばしたように見えるのだ。文章はわかりやすく、すらすらと読み終えて、もちろん、再読で筋がわかっているのだから当然でもあるし、読みやすいのが悪いというわけではない。

 本書のファース・ミステリとしての特色についてはすでに述べたが、実際読み返してみると、あまりユーモアは感じられない。登場人物の設定や行動が突飛なだけで、どうやら、プロットの非現実性を隠すために、滑稽な人物設定にしただけのようだ。決闘を利用した殺人のトリックも、同じ銃が複数あることを目立たなくさせるために大量の銃を購入するというトリックも、現実的なミステリにはそぐわない。グロテスクな人物造形は、ファンタスティックなミステリを書こうとしたからではなくて、非現実的なプロットをカヴァーするために、そうせざるを得なかったかららしい。もちろん、そうではなくて、ファンタスティックなミステリを書こうとして、それに相応しいトリックを考えていたら、ああなったということなのかもしれない。

 しかし、そうとも思えないのは、実行犯とその妹弟たちの風変わりな性格が上っ面だけのもので、ちょっと変な人たちという程度にしか見えないせいだろうか。これは、前世紀末にサイコ・スリラーが大流行りして、異常性格の登場人物に、こちらが慣れてしまった弊害なのかもしれないが、『チャイナ橙の謎』でもそうだったように、自分達に向いていない作風で、無理して不可思議なミステリを書こうとしているように思えてしまう。

 ちょっと脱線するが、本書を再読したあと、ジョン・サンドフォードの『冬の獲物』[viii]を読んだ。今頃になって、と言われるだろうが、サンドフォードは随分前に、二、三冊読んでいる。先日、ネットで安い古書を見かけて、同書の評判が良かったのを思い出したら、つい買う気になった。本が届いて、ぱらぱらとめくっていたら、止められなくなって、半日で読み終わってしまった。わざわざこんな話をするのは、『冬の獲物』にも、署名偽造のトリックが出てきて[ix]、偶然ながら面白いと思ったからである。しかも、『冬の獲物』は『靴に棲む老婆』のちょうど50年後の1993年に出版されている。結果、両者の間の五十年という時間と、その間のミステリの変化について考えこまされた。はっきりいって、『冬の獲物』のほうが断然面白い。正直、これではエラリイ・クイーンが読まれなくなったというのも無理はないなと思った。もちろん、同書はサイコ・スリラーであって、クイーン作品のような論理的推理が味わえるわけではない。上記の署名の偽造トリックも、クイーンの真似(というわけでもないのだろうが)で、そこは大したことはない。しかし、『冬の獲物』はパズル・ミステリとしても抜群に面白い。何章かが犯人の視点で書かれていて、登場人物の誰なのかを当てるミステリだが、犯人の独白で警察の動きを逐一知っているように描かれるので、警察関係者のなかに犯人がいるとしかみえない。その謎で引っ張っていきながら、都筑道夫が「古めかしいトリック」[x]を上手く使っていると評価した、目撃証言をめぐるトリック(都筑は、はっきり書いていないが、多分あのトリックのこと[xi]だろう)で、あっと言わせる。しかも、襲撃や追跡のスリリングなシーンが眼に浮かぶように描かれている。これに比べると、『靴に棲む老婆』は、残念ながら、炭酸の抜けたサイダーのようだ。

 本来、ミステリとしてのジャンルも書かれた時代も異なる二冊を比較して、優劣を論じてもフェアではないし、クイーンに気の毒ではあるが、書き込みの差は、やはり気になる。

 『靴に棲む老婆』に戻ると、パズルに直接結びつく以外のことが、ほぼ描かれていないのも、物足りなく感じる要因のようだ。ある意味余分な、しかし、小説をふくらませるための細部の描写というものが、まったくといっていいほど見られない。大雑把に感じてしまう原因は、その辺にあるのかもしれない。もちろん、クイーン嫌いの人たちにすれば、そんなことは昔から散々言われてきたことじゃないかと言うだろうが、それにしても、『災厄の町』や、国名シリーズなどと比べても、描写不足、書き込み不足が目立つような気がする。やはり、エラリイ・クイーンのような作家は若いときに読むに限るのだろうか。少なくとも、年を取ってから読み始めたのでは、感銘の度合いがだいぶ変わってきそうである。

 もしかしたら、『災厄の町』の執筆で、くたびれたリーのために、骨休めの一編としてダネイが意図的にライトなプロットを提供したのかもしれない。もっといえば、消耗したリーに代わって、ダネイが執筆したのだろうか。書き込み不足とかいっておいて、このような推測をするのは、ダネイに失礼だが、何となく、そんな気もしてきた。

 しかし、『災厄の町』でノヴェルに挑戦した以上、「不思議の国のミステリ」であっても、それなりの重みは必要だったのではないだろうか。1930年代のパズルに戻るにしても、40年代のノヴェルを経た、新しいクイーン流パズル・ミステリの姿を示すべきだったように思う。

 というわけで、印象は悪くなってしまったが、パズルの部分は充分面白いし、クイーン後期作品に恒例の「人形使い」テーマが本格的に取り上げられた長編でもあるので[xii]、そういった点からも注目に値する作品だろう(最後は取りつくろってみました)。

 ついでだが、本作は、ニッキー・ポーター誕生編としても知られている[xiii]。この女性、自分の結婚式の最中に、介添えの男(エラリイ)が、突然、新郎を殺人犯だと糾弾し始めて、動転し、とまどうはずなのに、あっさりエラリイの推理を受け入れる(そんなに頭脳明晰なのか、エラリイ並みに)。そのうえ、将来の伴侶となるはずだった相手をいきなり「嫌悪の情をこめて眺めた」[xiv]りして-それも、父親が引くくらいの眼つきで-、変わり身が早すぎやしないか(普通、「嘘でしょう、あなた。嘘だと言って」と縋りつきそうなものだが。ドラマの見過ぎか?)。エラリイ君、こういう女性といい仲になって[xv]大丈夫ですか?考え直したほうがいいのでは。

 

[i] エラリイ・クイーン『Yの悲劇』(宇野利奏訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1988年)、新保博久による解説、503-505頁を参照。

[ii] フランシス・M・ネヴィンズJr(秋津知子他訳)『エラリイ・クイーンの世界』(早川書房、1980年)、178-79頁、フランシス・M・ネヴィンズ(飯城勇三訳)『推理の芸術』(国書刊行会、2016年)、179-80頁。

[iii] 『エラリイ・クイーンの世界』、182頁、『推理の芸術』、182-83頁。

[iv] 『靴に棲む老婆』(井上 勇訳、創元推理文庫、1959年)、222頁。ところで、創元推理文庫版は、いつの間にか『生者と死者と』から改題されてしまったが、『靴に棲む老婆』もたいして魅力的な題名とは思えない。原題は、「むかし、おばあさんがおりました(There was an old woman)」、で、どちらにしても日本語ではあまり面白そうな題名にはならないようだ。

[v] 同、271-72頁。

[vi] 同、366頁。

[vii] 同、140、275頁。

[viii] ジョン・サンドフォード『冬の獲物』(真崎義博訳、ハヤカワ・ノヴェルズ、1996年)。

[ix] 同、199-200頁。

[x] 都筑道夫都筑道夫の読ホリデイ 下巻』(古森 収編、フリースタイル、2009年)、56頁。

[xi] 都筑は、E・S・ガードナー他の有名作家が使用している、と述べている。同。

[xii] このテーマの最初の例として、『Yの悲劇』が挙げられることがあるが、『Y』の場合は、操り手は、そう意図していたわけではないし、事件発生時にはすでに死亡している。クイーンの「人形使い」テーマの最大の特徴は、操り手が意図して他人を操ろうとする点にある。

[xiii] 『靴に棲む老婆』、390-91頁(塚田よしとによる解説)。

[xiv] 同、359頁。

[xv] 同、382頁。飯城勇三編著『エラリー・クイーンPerfect Guide』(ぶんか社、2004年)、35頁、同『エラリー・クイーン パーフェクト・ガイド』(ぶんか社、2005年)、63頁、によれば、創元推理文庫の旧訳は、最後の場面の訳が間違っていたらしい。となると、正しい訳が意味するのは、つまり、エラリイもうかつにニッキーを恋人にする気はなくて、お友達から始めて、しばらく様子を見るつもりだった、という解釈でいいのだろうか。

E・クイーン『十日間の不思議』から『ダブル・ダブル』へ

(『十日間の不思議』のトリックと『ダブル・ダブル』の犯人を明かしていますが、『十日間の不思議』の犯人と『ダブル・ダブル』のトリックには触れていません。)

(追記。すいません。『十日間の不思議』の犯人にも触れていました。)

 

 『ダブル・ダブル』(1950年)は、エラリイ・クイーンのライツヴィル・シリーズの完結編である。

 ライツヴィル・シリーズは、エラリイ・クイーンが、1930年代までの都市(ニュー・ヨーク)を舞台としたパズル・ミステリから脱して、アメリカの地方社会における人間関係の軋轢や葛藤から生まれる謎をテーマとした、新たな方向を切り開いた作品群と捉えられている。1942年の『災厄の町』で、地方都市ライツヴィルが紹介されると、『フォックス家の殺人』(1945年)、『十日間の不思議』(1948年)を経て、1950年の『ダブル・ダブル』まで、一連の長編が発表されるが、全四作でひとまず完結したと考えられる。

 この後、1952年の『帝王死す』でライツヴィルが登場するが、事件の背景調査にエラリイが短期間訪れるのみである。その後、1970年の『最後の女』に至るまで、ライツヴィルものの長編は書かれない。ただし、中短編小説では、「ライツヴィルの盗賊」(1953年)、「GI物語」(1954年)、「ライツヴィルの遺産」(1956年)、「ドン・ファンの死」(1962年)、「菊花殺人事件」(1966年)と定期的に執筆され、作者のこの架空の地方都市への愛着がうかがえる。

 とはいえ、ライツヴィル・シリーズがエラリイ・クイーンの創作活動において重要な意味をもっていたのは、やはり1940年代の十年間のことだったといえるだろう。小説のかたちを取った推理パズルから、人間性の謎を解き明かす小説への転換がライツヴィル・シリーズの具体的目標だったとされるが、これは、それまでのエラリイ・クイーンのミステリが単なるパズル小説に過ぎない、という批判にこたえ、ミステリが時代とともに、よりシリアスに、より社会性を深めていく趨勢に対応すべく選択された方向だったと理解されている。

 ライツヴィル・シリーズの、とりわけ『災厄の町』と『フォックス家の殺人』は、日本でも江戸川乱歩中島河太郎らによって高く評価され、クイーンの新たな代表作と見なされてきた。その後、フランシス・M・ネヴィンズ・ジュニアのクイーン評伝[i]が翻訳されたあたりから、第二次大戦後のクイーン長編の(再)評価が進み、『十日間の不思議』などもクイーンの傑作として挙げられるようになった。さらに、『十日間の不思議』以上に評価が高まったのが1949年の『九尾の猫』だが、この長編はライツヴィル・シリーズのある意味番外編のような位置づけになっている。いわば、ポーカーのフォー・カーズにジョーカーが加わったような関係である。

 そもそも1940年代には、クイーンの長編小説はわずか五冊しか書かれていない。1943年に『靴に住む老婆(生者と死者と)』が刊行されているが、それを加えた五冊である。年表を眺めると、『災厄の町』、『フォックス家の殺人』、『十日間の不思議』の執筆に時間をかけた(かかった)様子がうかがえるが、『九尾の猫』以降になると、1954年の『ガラスの村』まで年一冊のペースが順調に守られている。

 『十日間の不思議』の完成に時間を要したのは、フレデリック・ダネイが便概の書き直しをするなどの事情があったと伝えられているが、それだけ、ライツヴィル・シリーズにおける同作の意味が大きかったことを示唆する。すなわち、『災厄の町』と『フォックス家の殺人』における探偵クイーンは、本質的に従来の傍観者の立場を変えていない。もちろん、「国名シリーズ」の諸作にはほとんど感じられなかった登場人物への共感や人間性への洞察力を見せ、事件で関わった人々との関係性に深くコミットしていく。それがライツヴィル・シリーズのテーマでもあったわけだが、しかし、あくまで外部の観察者としてであって、探偵クイーンは依然としてドラマの外側から俯瞰する立場だった。その意味で、エラリイの位置づけは1930年代の長編におけるものと変わっていない。

 しかし、『十日間の不思議』では、犯人がエラリイ・クイーンを自身の犯罪計画の駒のひとつとみなしたため、否応なく事件そのものを自らの問題として捉えるよう強いられるに至った。名探偵としてのエラリイ・クイーンという問題を、である。『ギリシア棺の謎』も同様のプロットを持つが、1940年代のクイーンは30年代と小説への姿勢が異なる。結果、名探偵としての存在意義を見失ったエラリイは、探偵としてのアイデンティティを放棄する。このことでエラリイ・クイーンのミステリ自体も崩壊した。作中探偵が作者を務めるというクイーン小説の枠組みも成り立たなくなってしまった。

 それを解決したのが『九尾の猫』である。再び事件の解明に失敗して、探偵失格の烙印を自ら押したエラリイに対し、メンターのセリグマン博士が探偵としてのアイデンティティを取り戻すためのアドヴァイスを与える。『九尾の猫』がライツヴィル・シリーズのジョーカー的役割をもつ所以である。

 かくして、『十日間の不思議』と『九尾の猫』は、探偵エラリイ・クイーンが自己を喪失し、自己を再生する、彼自身の物語となった。

 しかし、シリーズにはもう一冊『ダブル・ダブル』が存在する。作者が、『九尾の猫』で、エラリイ・クイーンのアイデンティティの回復を描いたのち、あえてライツヴィルものを書き、そしてそれでシリーズを事実上終わらせたことには恐らく意味があるのだろう。『ダブル・ダブル』でシリーズが完結したとするならば、それでは実際に何が完結したのだろう。

 『ダブル・ダブル』のラストは、シリーズの最後に相応しい、明るい希望を滲ませる結びとなっている。

 

  「(エラリイは)・・・古めかしい形容だが、暗い世界に太陽が照り始めたよう 

 だ、と思いつづけていた。」[ii]

 

 その前の犯人暴露のあとでは、しかし、次のような自虐的な回想が綴られている。

 

  「・・・エラリイは、今まで彼がライツヴィルで成功したときは、いつも必ず唇を 

 自嘲にゆがめて立ち去ったことを思い起こしていた。」[iii]

 

 つまり、エラリイは、まだライツヴィルにおいては、名探偵としての自己を取り戻していない(『九尾の猫』はニュー・ヨークを舞台とした物語だった)。『十日間の不思議』で直面した問題にようやく決着をつけたのが『ダブル・ダブル』だった、という風に解釈することができる。しかし、そのように単純な話かというと、疑問も残る。エラリイは『ダブル・ダブル』の事件の解決に失敗したわけではない。にもかかわらず、彼の自己否定癖は治っていない。ヒロインのリーマをあざむいて犯人逮捕にこぎつけたことで、かつてと同じ、人間の感情より事件の解決を優先する「非人間的な」自分に幻滅した、ということだろうか。だが、そうなると小説のラストの述懐は、リーマが案外機嫌よく相手してくれたので嬉しくなった、という彼の手前勝手な自己満足による感慨に過ぎなくなる。随分、薄っぺらい話だ。それで、何かエラリイ・クイーンにとっての問題が解決したのだろうか。

 そもそも『ダブル・ダブル』とは、どのような話だったのだろうか。(以下、犯人に触れる。)

 ミステリの部分を除けば、それはエラリイ・クイーンとリーマ・アンダーソンの物語である。エラリイは事件を通じてリーマと出会い、その天真爛漫な魅力の虜になる。しかし、リーマは医師のケネス・ウィンシップに魅かれ、彼と結婚してしまう。苦闘の末、エラリイは、ケネスが真犯人であることを突き止める。エラリイは、リーマが犯人であるかのような推理を披瀝して、ケネスから告白を引き出す。事件は解決するが、ショックを受けたリーマになすすべもなく、エラリイは立ち去る。最後に、リーマと再会したエラリイは淡い希望を感じながら、ライツヴィルを去る。

 以上から、『ダブル・ダブル』は、自分が気に入っていた女性を横から搔っさらっていった男の犯罪を暴き、溜飲をさげる小説だといえよう。

 

 失礼なことを言うな?

 

 作品の半ばで、リーマとケネスが結婚を決めて、エラリイに付添い役を依頼する場面がある。彼は、「冗談じゃない!」と叫ぶ。「・・・この僕も、この女性のために心臓の心室を二つほど破ったことのある男なんだぜ」[iv]

 もちろんこれは、エラリイがちょっとばかりリーマに魅かれたこともあった、女性の魅力に気づかないほどの朴念仁でもない、と匂わしているに過ぎないのだろう。

 しかし、エラリイが初めてリーマに出会った時の印象は次のように綴られている。

 

  「・・・彼は思わず知らず思索していた-小説の世界は女主人公で出来上がってい 

 る。彼らは、作者が苦心惨憺の末、実在の女には到底あり得ないような女性として作 

 り上げた女たちなのだ。それにもかかわらず、彼の眼の前には、本の中から歩み出て

 来たような女が、現実に肉と血をそなえて立っていたのだった。」[v]

 

 これはもう一目ぼれではないのだろうか。それとも、本作のヒロインの特別な魅力を伝えるためのやや誇張気味の表現に過ぎないのか。

 この後も、エラリイは、リーマが「信じ難いほど完成された女だった」、「彼は妖精か鳥を想像した」、「彼女は熟しきった小さな果実のようだった」[vi]、などと一頁に渡って賛美の言葉を並べる。クイーンの小説は作中のエラリイが実体験に基づいて書いた書物であるから、以上は彼自身の感じたままを表現した文章である。無論、小説のヒロインを際立たせるための過剰な表現に過ぎない、ともいえる。

 その後、疑惑の対象となったドッド医師を調査するため、リーマが彼の病院で雇われるように仕組むが、一日で彼女はエラリイの指令を拒否する。エラリイはむっとして、「ニュー・ヨークに帰る」と言い出し、そして本当に帰ってしまう(駄々っ子か)[vii]

 一週間後、リーマから(仲直りの)連絡を受けたエラリイは(ほくほくして)戻ってくるが、彼女がケネスのことをケンと呼ぶことに目ざとく気付く[viii]

 本書で異様な印象を与える箇所は、エラリイとドッドが釣りに出かけている間に、ケネスがリーマに愛を告白する場面である。異様なのは、この場面がエラリイの視点から書かれているのではない、ということである。ケネスの言葉に、リーマは「あなたを愛しています、ケン。あなたを愛しています。愛とは何かわかりませんが、何であっても、あたしは愛でいっぱいです」[ix]、と答える。

 繰り返すが、『ダブル・ダブル』は、作中探偵でもある作家エラリイ・クイーンが実体験に基づいて書いた小説だから、以上もエラリイの文章である。リーマに聞いたのか、想像して書いたのか。いずれにしても、・・・(いや、気持ち悪いとか言いませんが)[x]

 事件が急展開して、ドッドが亡くなり、相次いで死者が出るようになると、さすがにエラリイも色ボケ状態でいるわけにはいかなくなる。捜査が進むにつれ、あるいはリーマとケネスの結婚によって、リーマは(エラリイにとって)魅力を失い、ただの女になってしまっていくようだ。

 事件が終わり、ケネスが逮捕された後、言葉を失うリーマに、エラリイは慰めの言葉を連ねる。それでも黙り込むリーマに、最後にエラリイはおずおずと「ぼくに出来ることがあったら、いってくれないか?」[xi]と無神経極まりないセリフを吐き、墓穴を掘る(そもそも、黙ってさっさと立ち去るべきなのだ)。それで、上に引用した自虐的な感想を抱いて引き下がる。

 と、まあ、こんな具合である。作中のエラリイに恋愛を経験させようと、作者のクイーンが考えたのかどうか、確証はないが、そうとっても差し支えないだろう。

 そして、そうなると、前作の『十日間の不思議』はどうなのか、気になってくる。   『ダブル・ダブル』と『十日間の不思議』を比較すると、主要登場人物とエラリイ・クイーンとの関係性にはかなり相似があることがわかる。

 前者では、ケネスとリーマが結ばれるが、ケネスが犯人であることを、エラリイが明らかにする。

 後者では、ハワード・ヴァン・ホーンと義理の母であるサリー・ヴァン・ホーンが結ばれるが、ハワードが犯人である、とエラリイが断定する(ただし、誤っていた)。

 もっとも、『十日間の不思議』でサリーを奪われるのは、夫であるディードリッチ・ヴァン・ホーンであって、エラリイ・クイーンではない。

 だが、果たしてそうだろうか?

 エラリイはサリーに魅かれていなかっただろうか?

 エラリイは、サリーに初めて会ったとき、どこかですでに会ったことがあるのではないか、と不思議に思う[xii]

 彼はサリーに向かって、なぜ、ハワードは美しい妹がいることを言わなかったのだろう、と話しかける。そして、彼女がディードリッチの妻であると知って驚く[xiii]

 一旦事件が終結した後、ハワードの日記の一部を発見したエラリイは、サリーが「モナ・リザの微笑」の持ち主だったことに気づく。

 

  「あれがこれだ。あれだった。あの微笑だ。あのなにごとかを知っている、悲しそ

 うな、謎めいた、ときどき顔に浮かぶ矛盾を含んだ微笑だ!彼はあのとき、以前どこ

 かでサリーに会ったような気がしたと思ったが、サリーに会ったことは一度もなかっ

 たのだ。サリーは、ラ・ジョコンダの代りに、ダ・ヴィンチのモデルになれるほど、

 すっかり同じのモナ・リザの微笑をもっていたのだ。そして・・・・・・

  そして、ディードリッチは、それに気づいていたのだろうか?

  勿論ディードリッチは気づいていたに違いない。ディードリッチは恋をしていたの 

 だ。」[xiv]

 

 恋をしていたのは、エラリイも同じだったのではないか。

 ハワードとサリーが不倫の関係を告白したとき、エラリイは愕然とする。

 そして自問自答する。

 エラリイは、ハワードがサリーを恋したのは、父親を奪った彼女に対する憎しみがすり替わった偽りの愛情からだ、と考える[xv]。サリーに関しては、「ハワードを愛して幸福になれるはずがないのだ」[xvi]、と。

 これは、不倫話を聞かされた第三者の冷静な分析である。

 しかし、それだけだろうか。

 エラリイは、二人から詳しい事情を聴きながら、心のなかで、「さあ、傷口が見えた。これからそれに塩を振りかけるのだ。」「おお、サリー。」「家を出てしまえばよかったのに。」「まずいことをしたものだ」[xvii]などとつぶやく。

 どうやら、動揺しているのは、エラリイ・クイーンのほうのようだ。

 ハワードは、サリーと寝て、彼女を汚すことでディードリッチを傷つけた。

 しかし、サリーを汚された、と思ったのはエラリイも同じではなかったか。

 最後、真犯人であるディードリッチに向かって、エラリイは、ミステリ史上に残る逆上っぷりを披露する。

 それは、ディードリッチの計画に踊らされ、ハワードを犯人と断罪して死に至らしめたから、ではない。

 サリーを汚し、あげく殺害したハワードを論理という剣で罰することができたと思ったのに、それがすべて誤りだったと知らされたからだ。

 思えば、エラリイがハワードを断罪した推理は、はなはだ頼りないものだった。ハワードが十戒を破った、という事実を並べ立てるだけで、あとは犯人の残した偽の証拠に惑わされた(警察もだが)。いつもの冷静なエラリイなら犯すはずのない、お粗末な失態だった。

 このトラウマは『九尾の猫』事件で、探偵としての存在意義を取り戻した後も、解消されることはなかった。

 

 そして、『ダブル・ダブル』の事件を迎える。

 またしても、エラリイは同じ事態に直面する。

 犯人は、(今回も)聖なる存在であるリーマを汚したケネスだった。

 彼を、論理の刃をふるって罰さねばならない。

 しかし、わたしの推理は正しいのか?

 

 いや、心配はいらない。『十日間の不思議』との決定的な違いは、今度は、エラリイは間違えなかった、ということである(少なくとも、小説の終わった時点では)。

 『ダブル・ダブル』のラスト、リーマとの関係を修復したエラリイは安堵するが、それは、今度こそ、彼の唯一の武器である論理によってリーマを取り戻した、という確信によるものである。

 

 自分が惚れた女性を取り戻すために、相手の男が犯人である推理を組み立てる、などというのはまったく名探偵らしからぬ下賤な話だが、人間らしくはある。

 エラリイ・クイーンは、『十日間の不思議』と『ダブル・ダブル』で、ついに非人間的な神の座を降りて、女性のことで嫉妬し、逆上する、卑小な、しかし人間らしい存在となった。

 これがライツヴィル・シリーズで完結したエラリイ・クイーンの物語である。

 

 とまあ、こんなところで、どうでしょう[xviii]

 

[i] フランシス・ネヴィンズ・ジュニア『エラリイ・クイーンの世界』(早川書房、1980年)。現在では、その増補版が刊行されている。フランシス・M・ネヴィンズ『エラリー・クイーン 推理の芸術』(飯城勇三訳、国書刊行会、2016年)。

[ii] 『ダブル・ダブル』(青田 勝訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1976年)、371頁。

[iii] 同、345頁。

[iv] 同、260-61頁。

[v] 同、26頁。

[vi] 同、27頁。

[vii] 同、179頁。

[viii] 同、181頁。

[ix] 同、189頁。

[x] それとも、この文章は、『ダブル・ダブル』がミステリ作家エラリイ・クイーンの小説に過ぎないことを示しているのだろうか。すなわち、国名シリーズは、名探偵兼作家のエラリイ・クイーンが実体験を小説化したものだが、ライツヴィル・シリーズは、探偵を廃業した作家エラリイ・クイーンが純粋に想像力のみで書いたフィクションということだろうか。

[xi] 『ダブル・ダブル』、345頁。

[xii] 「十日間の不思議」(青田 勝訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1976年)、47頁。

[xiii] 同、48頁。

[xiv] 同、335頁。

[xv] 同、114頁。

[xvi] 同、115頁。

[xvii] 同、118-121頁。

[xviii] 個人的意見だが、『十日間の不思議』で、エラリイがサリーに魅かれていたとも勘ぐれる描写を付け加えたのは、マンフレッド・リーの解釈によるのではないだろうか。フレデリック・ダネイは、そんなことは考えていなかっただろうが、リーは、エラリイがサリーに無意識のうちに恋心をいだいたことが、その後、彼が事件に深入りしていく動機の一端となった、そんな風に理解したのだろうと思う。

横溝正史「車井戸はなぜ軋る」

(本作の真相、トリックのほか、高木彬光中井英夫の作品の内容に言及しています。)

 

 「車井戸はなぜ軋る」(1949年)[i]は、戦後、横溝正史が書いた中短編小説でベスト・ファイヴに入る傑作である、・・・などと仰々しく述べるまでもなく、恐らく、衆目の一致するところだろう。

 この時期の横溝作品らしく凝った構成で、作中作というか、書簡のかたちで一人称の手記が全体のほとんどを占めて、冒頭に、語り手(作者)による背景事情の説明が置かれている。『本陣殺人事件』のような聞き書き形式ではなく、書簡のみで事件を物語るという「あしながおじさん」スタイルで、もちろん、この形式そのものにミステリ的技巧が隠されている。

 著者疎開先の岡山県を思わせる地方の村落を舞台に、対立する旧家に生まれた異母兄弟の本位田大助と秋月伍一が、ひとりは戦争で死に、ひとりは復員する。ところが、瓜二つだった彼らを見分けるすべが失われ、跡取りの大助を取り戻したはずの本位田家の人々は、彼が、実は当主大三郎の不義の子である秋月伍一ではないか、と疑いを募らせる。本位田によって財を失った恨みに凝り固まる秋月家には、ただ一人生き残った、おりんという伍一の姉がいるが、彼女もまた生還したのは弟であるかのような態度を取り、益々ただならぬ緊張が本位田家を包んでいく。そのさなかに、大助の妻である梨枝が日本刀で切り殺され、次いで同じく殺害された大助の死体が、庭の車井戸から発見されるという二重殺人事件が起こる。

 まさに、横溝正史の独壇場ともいうべき深讐綿々たる愛憎のドラマが展開されるわけだが、この事件の顛末を、本位田家の長女である鶴代が、大助の弟で、胸を患って療養所で暮らす兄の愼吉に書き送った手紙で綴る、というのが本作の第一の特色である。書簡体のミステリは珍しくないが、本作のさらなるアイディアは、差出人の鶴代が探偵役で、受け取り手の愼吉が犯人である、という構成の妙にある[ii]。言い換えれば、「作者(記述者)」が探偵で、「読者」が犯人、という超絶技巧のミステリである。

 「あしながおじさん、あなたが犯人だったなんて!」、と、思わずジュディは叫んだのでした、なんちゃって。しかし、横溝の発想も、案外そこらあたりからだったのかもしれない。

 記述者が探偵といえば、同年に発表された高木彬光の『能面殺人事件』が同様のアイディアを用いている[iii]。また、書簡体小説の読み手が犯人というアイディアでは、中井英夫にトリッキーな短編がある[iv]。本作はこうした技巧的ミステリの系譜に連なっている。

 また、本作は、1955年になって、金田一耕助の登場するシリーズ作品に書き改められた[v]。おかげで、金田一耕助ものとして、より広く読まれるようになった反面、作品の一貫性を考えると、金田一が活躍するわけでもなく、構成をいたずらに複雑にさせただけのようにも見える。しかし、原型作品では、最初の語り手である(本当の)作者が、鶴代の書簡と愼吉による補遺文をどのようにして入手したのかが述べられておらず、読んでいて、何やら座りの悪さを感じさせるが、金田一を登場させたことによって、書簡と小説の間の間隙がうまく架橋され-金田一が愼吉から書簡を渡され、それを作者に提供したと説明される-、全体のおさまりが良くなったといえるだろう。その意味では、金田一ものに改稿した甲斐があった。

 作中で描かれる事件も、著者得意の「顔のない死体」テーマの変形でストーリーを進めながら、こちらも作者十八番の「死体移動トリック」をうまくアレンジして使用しており、表題が謎かけとも、伏線ともなっているのも、作者らしい稚気を感じさせる。その一方で、読み終えた後には、鶴代を始めとする登場人物たちの運命の過酷さが深い余韻となって残る。

 もっとも、この鶴代という少女は、しんねりむっつりと陰湿で、何を企んでいるのかわからない陰険さを感じて、読んでいる間は、あまり好感を持てない。全部、裏で糸を引いているのはこいつなんじゃないのか、とさえ思うのだが、最後に語り手が愼吉に変わると、その印象は一変する。愼吉の視点から語られることで、陰キャの探偵少女は、可憐なヒロインへと変貌を遂げるのである。

 長編小説に負けないコクと読みごたえを備えた傑作中編小説といえるだろう。

 

[i] 「車井戸はなぜ軋る」、横溝正史『聖女の首(横溝正史探偵小説コレクション③』(出版芸術社、2004年)、103-53頁。

[ii] 二上洋一横溝正史作品事典」『幻影城 横溝正史の世界』(5月増刊号、1976年)、230頁。

[iii] 高木彬光『能面殺人事件』(角川文庫、1979年)、6-7、9頁。無論、記述者が探偵というのは、同作の過剰なほどの趣向のひとつに過ぎない。

[iv] 中井英夫「蘇るオルフェウス」『幻想博物館』(平凡社、1972年、第二版1975年)、123-36頁。本文には、あえて挙げなかったが、もちろん、中井には「読者=犯人」のアイディアを用いた超有名作がある。

[v] 「車井戸はなぜ軋る」、横溝正史『本陣殺人事件』(角川文庫、1973年)、201-78頁。

横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』

(本書のほか、J・D・カーの長編小説のトリックに言及しています。)

 

 『悪魔が来りて笛を吹く』は、横溝正史が代表作と自負する長編である。1976年頃のエッセイで、自作のベストを選定するにあたって、田中潤司の選んだ5作(『獄門島』『本陣殺人事件』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』)を妥当としたうえで、その次に本作を挙げている[i]。しかし、恐らくこの順位は作者の本意ではない。少なくとも、作者が愛着をもっていたのは、『犬神家の一族』よりも『悪魔が来りて笛を吹く』のほうだろう。それは、本作の連載に並々ならぬ意欲を見せていたことや、構想の段階で実に多くの素材-モンタージュ写真、旧貴族の退廃、動機となる男女関係、フルートの楽譜など-を組み合わせて全体を構想していること、そして何よりも『宝石』誌に二年余りに渡って連載したことに現れている[ii]。作者としては、『本陣殺人事件』や『獄門島』の路線を継承する本格ミステリ長編として位置付けていたのだろう。

 しかし、作者が「組み立てのガッチリした、本格的な探偵小説」[iii]を目指しながら、江戸川乱歩高木彬光による評価が、必ずしも作者の意図に呼応していないことは、『横溝正史自選集』解説の浜田知明によっても指摘されている[iv]。その一方で、浜田は、作者のいう「細部にいきわたった・・・緻密さ」[v]、すなわち細かな謎が事件が起こるたびに提示されることで、「論理的緊張感が持続している」、「本格探偵小説の妙味を感じさせる」、と評価している[vi]

 確かに、本作のパズル・ミステリとしての魅力の一端は、三重殺人事件[vii]のそれぞれについて、細かな謎やトリックが配置されている点にあるだろう。そのあたりの手の込み方は、『犬神家の一族』や『女王蜂』を上回っており、作者が自負するだけのことはある。その割に、本作のメイン・トリックである密室の謎は、あまり言及されない[viii]。『僕たちの好きな金田一耕助』では、「小粒ながら『密室』というおまけつき」[ix]、と「おまけ」扱いされている。

 しかし、本作の密室トリックはなかなかよく考えられている。完璧な密室ではなく、江戸川乱歩の『魔術師』のような、扉の上に腕が通せるぐらいの隙間のある部屋で、その隙間を使って外からドアを施錠することが可能である。それを蓋然性が低い、という理由で一旦否定したうえで、最終的には、その隙間を利用した殺害方法を提示している。なかなか巧妙である。不可能興味が薄いため、印象は強くないが、『本陣殺人事件』や『蝶々殺人事件』を経て到達した、考え抜いたトリックだったのだろう。トリック分類としては、「犯人が密室内にいなかった」、あるいは「密室外から被害者を殺害する」という類型で、横溝がジョン・ディクスン・カーの虜になるきっかけとなった有名作も同じタイプである[x]

 この解法では、犯人が密室内にいたように見せかける必要があるが、作者は、砂占いの砂に残された血染めの文様の出現について、かなり手の込んだ手順を考えることで、この課題をクリアしている。さらに、本作の場合、被害者は絞殺されているが、その前に額を殴打された形跡が残っている。この犯人の被害者に対する襲撃と殺人が一連のものと思わせ、しかし、実際には、その間に時間差があるというのがトリックの要になっている[xi]。室内で乱闘があった後、一旦、犯人は被害者を残して立ち去ろうとする。被害者が内側から鍵をかけて密室が成立するが、その後、犯人が室外から内部の被害者を殺害し、室内に乱闘のあとが残っているために、殺人もそこで起こったように見えるというものである。何段構えかのトリックであるので、かなり細かく組み立てられているが、逆にトリックの説明が複雑になりすぎて、読者をあっと言わせる単純明快さに欠ける結果になってしまったようだ。そのうえ、せっかく張った伏線が回収されていないのは、どうしたことか。うっかり忘れたのだろうか。それとも、解説しなくとも、読者はちゃんと読みとって感心してくれると買いかぶったのか[xii]。ともあれ、本作の密室トリックは、分類好きのマニアにとっては興味深いが、トリックそのものの効果は今一つだったということになりそうである。

 といっても、本作の構想の中心は動機の解明にある。そして乱歩や高木が、パズル・ミステリの本道から、ややはずれたものと本作を見なしているのも、この中心テーマに原因があった、と考えられる。その点で、「本格探偵小説の枠組みと道具立てを備えながら、しかしその中核はスリラーである」という浜田の評言は本質を突いている[xiii]。本作はパズル・ミステリになりにくい、もしくは、なりえないテーマを力技でパズル・ミステリに仕立てようとした作品なのである。

 中心テーマは、近親相姦による「血の悲劇」で、デュ・モーリアの『レベッカ』のようなゴシック・ロマンスにこそふさわしい。しかし、このような特異な人間関係は、物的データによって論証できるものではないので、結局目撃証言や当該人物による告白によって明らかにするほかはない。犯人の動機も、わかったような、わからないような、複雑な心理によっており、いくら復讐欲に駆られていたにしても、実の両親と祖父をこうもあっさり殺害する気になるものだろうか。そもそも復讐といっても、見方を変えれば、八つ当たりのようなもので、動機から、この犯人を推理するのは難しそうだ。どちらにしても、このような秘密の関係も犯人の動機も、推理で解明できるものではないので、金田一の推理も暗示やほのめかしにとどまってしまっている。本作半ばで、金田一が同行の刑事と関西方面に出張捜査に出かける珍しい場面が描かれるが、ここだけ見れば、足で調べる(金田一はあまり歩かないが)私立探偵小説のようである。つまり本作の中心となる殺人動機の謎は、本来サスペンス・ノヴェルか、よりミステリらしい形式で書くのであれば、ハードボイルド・ミステリのほうに適合する。動機の解明が犯人の告白によらなければならなかったのも、探偵の説明では、犯人の殺人動機に説得力をもたせられないからだろう。

 もっとも、この犯人の告白こそが、作者が書きたかったものであったろうし、本作の読みどころであるのは事実である。犯人による秘密の暴露から告白文に移り、事件が落着した後の登場人物達のその後を語った後、再び犯人の最後の独白に戻るという段取りは、恐らく考え抜いた挙句、あのような順序になったものだろう。もちろん、作者としては、もっとも自信をもっていたフルートの謎解きで、小説を締めくくらせたかったのだろうし、その狙いは充分に果たされている。

 『悪魔が来りて笛を吹く』は、パズル・ミステリの技巧で天才を発揮していた著者が、物語作家としての本質を生かして、ゴシック・ロマンスとのハイブリッドとしてまとめあげた長編であるが、作者本人はその異色さに気づかなかったかに見える特異な小説である。とすれば、本書の本格ミステリとしての異質性は偶然の産物だったことになるが、いずれにしても、本作は『八つ墓村』と並び、日本ミステリ史上、稀有な作品のひとつに数えられるだろう。

 

[i] 横溝正史『真説金田一耕助』(毎日新聞社、1977年)、96-97頁。金田一耕助ものに限定したベストで、それ以外の作品を入れるのであれば、『蝶々殺人事件』も入る、と断っている。同、183頁。

[ii]横溝正史自選集5 悪魔が来りて笛を吹く』(出版芸術社、2007年)、331-42頁、横溝正史「探偵小説の構想」『横溝正史探偵小説選Ⅲ』(論創社、2008年)、588-94頁。

[iii]横溝正史自選集5 悪魔が来りて笛を吹く』、331頁、「探偵小説の構想」、588頁。

[iv]横溝正史自選集5 悪魔が来りて笛を吹く』、361-62頁。

[v] 同、334頁、「探偵小説の構想」、590頁。

[vi]横溝正史自選集5 悪魔が来りて笛を吹く』、363頁。

[vii] 中心となる椿子爵邸における連続殺人。このほかに、淡路島における尼殺し、増上寺における顔をつぶされた死体が加わるので、かなりの大量殺人である。

[viii] 作者は、本作の「一番大きな」トリックを、フルートの楽譜を使ったそれと見ているようだが、これはトリックというよりアイディア、もしくは最後のオチのようなものだろう。手がかりとなる楽譜が示されていないから、なおさらそのように見える。同、335、338、342頁。

[ix]別冊宝島1375号 僕たちの好きな金田一耕助』(宝島社、2007年)、32頁。

[x] 『プレーグ・コートの殺人』(1934年)。

[xi] この点では、ガストン・ルルーの古典、『黄色い部屋の謎』を連想させる。

[xii] 最初に密室内に入った人物が、「とたんに椅子につまずいてひっくりかえった」、と証言しているのは、殺人方法を推理するのに必要な重大な手掛かりのはずだが、金田一探偵はまったく触れていない。また被害者の顔の血をふき取ったハンカチが現場に残されており、これも重要な手掛かりだが、そして金田一もその理由を問うているにもかかわらず、解決の際には、「そんな血だらけの姿でこちら・・・・・・のそばへかえっていくことを、憚る気持ちもあったのでしょう」、としか語らず、ハンカチに言及していない。ここは、「ハンカチに血がついていたのは、被害者が、自ら血を拭きとったことを暗示しています。すなわち、格闘後もまだ被害者は生きていたのです」、という金田一の説明が欲しいところだ。『悪魔が来りて笛を吹く』(角川文庫、1973年)、101-102、118、405-406頁。

[xiii]横溝正史自選集5 悪魔が来りて笛を吹く』、365頁。

ビー・ジーズ1966(2)

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 この項目で取り上げているアルバムは、どちらも1966年に発売されたものではない。それなのに、なぜ、ここに置くかといえば、他に入れるところがないからである。

 

ビー・ジーズ『ターン・アラウンド・・・ルック・アット・アス』(Turn Around …Look at Us, 1967)

A1 Turn Around Look at Me/2 The Battle of the Blue and the Grey/3 Three Kisses of Love/4 Theme From Jamie McPheeters/5 Every Day I Have to Cry/6 I Want Home

B1 Cherry Red/2 All of My Life/3 I Am the World/4 I Was A Lover, A Leader of Men/5 Wine and Women/6 Peace of Mind

 1967年になってフェスティバル・レコードが出したアルバム。もちろん、ビー・ジーズがイギリスとアメリカ(その他)でヒット・レコードを出すようになったので、そのお相伴にあずかるためである。

 タイトルは、「オーストラリア時代のぼくらのレコードも買ってくれ」というギブ兄弟(とフェスティヴァル・レコード)の気持ちを表現しているのだろうか。それとも、「ビー・ジーズよ、ぼくたちのことも忘れないでくれ」というオーストラリアの(少数の)ファンの心境を代弁しているのか?

 曲目をみると、あからさまに前の二枚のアルバムに入れそびれた残り物を詰め込んだとわかる。デビュー・シングル両面に、他のライターのカヴァー曲、それにアルバムに収録漏れのシングルAB面。それでもまだ曲が足りないので、既に以前のアルバムに入っている3曲を最後に付け足して、ようやく12曲にこぎつけたという、涙ぐましい努力のあとがうかがえる。

 とはいえ、これがビー・ジーズがオーストラリアに残した3枚目のオリジナル・アルバムということになる。そして、この時代に発表した楽曲がすべてアルバムで聞けるようになった(オーストラリアのみ。トレヴァー・ゴードンとのレコードを除く)。全35曲で、そのうちギブ兄弟のオリジナル曲は32曲。このあと、『ビー・ジーズ、バリー・ギブの14曲を歌う』、『スピックス・アンド・スペックス』、『ターン・アラウンド、ルック・アット・アス』の三枚[i]は再度編集されて、Rare, Precious and Beautifulの通しタイトルでヴォリューム1から3までが1968年から翌年にかけて世界的に発売されている。日本でも、『スピックス・アンド・スペックス』[ii]、『若き日の想い出』、『オーストラリアの想い出』というタイトルでリリースされた[iii]

 

ビー・ジーズノスタルジア』(Inception/Nostalgia, 1970)

 1970年になって突如登場した(日本は1972年)レア・コレクション。

 『スピックス・アンド・スペックス』アルバムの制作前後に録音されたとみられる[iv]正体不明の怪しいアルバム。本人達からの詳しい説明もない模様で、当人らもよく覚えていないらしい。しかも二枚組と無駄に長く(いや、そんなこともないが)、何だか変な曲がいっぱい入っているなあ、と初めて聞いときに、そう思った。ビートルズのカヴァーが3曲もあるのは、なるほどと納得したが、一番驚いたのは「サムホェア」だったかな。

 それまでタイトルのみ聞いていた「ライク・ノウバディ・エルス」のような曲が入っているのには、ほおっ、と思ったし、「イン・ザ・モーニング」は、あれ、これオーストラリアにいた頃の曲だったのか、とびっくりした[v]ことも、今思い出した。

 日本盤のフロント・カヴァーは、『トゥー・イヤーズ・オン』のジャケット写真の別ヴァージョンを流用していて[vi]、オーストラリア時代のアルバムとなると、オリジナル盤のジャケット・デザインを執拗に拒否しているのはなぜだったのか、と改めて思う。Rare, Precious and Beautifulの3枚はすべて毒々しい色合いの蝶の写真(イラスト?)がジャケットいっぱいに写し出されて、結構気持ち悪いからか。Inception/Nostalgiaは、さらに輪をかけて不気味な、羽の生えた鳥のような魚のような奇妙な生物と花が描かれて、サイキデリックというか、シュールリアリスティックなジャケットなので、大人しい日本人向きではない、そういうことだろうか。(以下、太字はオリジナル曲。)

 

Ⅰ                                                    

A1 「イン・ザ・モーニング」(In the Morning, B. Gibb)

 オーストラリア時代の楽曲のうち最もカヴァーされた曲で、この時代のバリーの最高傑作のひとつ[vii]。この評価には、ほぼ異論は出ないだろう。

 曲ももちろん素晴らしいが、本作ではとくにバリーの瑞々しい詩作が際立っている。「朝。月が眠りにつくころに、君を待っている。太陽の光とたわむれる虹を眺めながら。・・・午後には、海辺の流れ去る砂で城をつくって。・・・」19歳の青年らしい無邪気で飾り気のない言葉を選びながら、しかし、19歳とは思えないほど巧みにメロディと溶け合う、その響きは、まさに、この時代のバリーにしか作れない傑作といってよいだろう。

 無論、1971年のリメイク・ヴァージョンのほうが完成度は高いが、バリーの声に寄り添うようにロビンが声を重ねる素朴なこのオリジナル・ヴァージョンも、依然として捨てがたい魅力を放っている。

 

A2 「ライク・ノーバディ・エルス」(Like Nobody Else, B, R. & M. Gibb)

 この曲は、ビー・ジーズのデビュー当時、オーストラリア時代からソング・ライターとして活躍していた実例として、ロス・ブラヴォウズというバンドがカヴァーしている[viii]、と紹介されていた記憶がある。

 リズム・アンド・ブルース風ロックといった作品で、サビのタイトルを繰り返すパートなど、シンプルこの上ないが、単純にコーラスを重ねていくだけでどんどん気持ちが高ぶっていく、それなりにツボを心得た曲作りが心憎い。

 そして曲作りといえば、ついにバリー、ロビン、モーリス三人による共作が始まる。三十年余に及ぶ「魔の三角地帯」、じゃない、「最強のトライアングル」のスタートである。

 

A3 「デイドリーム」(Daydream, J. B. Sebastian)

 ここから、当時のヒット曲のカヴァーが入ってくる。「デイドリーム」は、モンキーズではなく(あちらは、「デイドリーム・ビリーヴァー」)、ラヴィン・スプーンフル英米での大ヒット曲。

 バリーのヴォーカルは、とくに目立った特徴もなく、まあ、普通?口笛があんまりうまくないなあと思ったが、これはバッキング・トラックに元から入っていたのだそうだ[ix]

 

A4 「淋しい冬」(Lonely Winter, C. Keats)

 いかにもギブ兄弟が書きそうな曲だが、実はカール・キーツというライターの書いた曲だった。それを知って、何だか裏切られた気分になったのは、どういうファン心理なのか。

 キーツは、ビー・ジーズと長年親交のあったスティーヴ・アンド・ザ・ボード(Steve & the Board)のメンバーで、後年オリヴィア・ニュートン=ジョンらにも曲を提供したのだという[x]。この曲もマイナー調のメロディが美しく、アルバムのなかでも上位に入る曲だろう。珍しくモーリスがリード・ヴォーカルを取っている。

 

A5 「ユア・ザ・リーズン」(You’re the Reason I’m Living, B. Darin)

 この曲は、本アルバムが初めてリリースされたときから「ユア・ザ・リーズン(You‘re the Reason)」(1961年、ボビー・エドワーズ他作)と間違われてきたのだという。本当のタイトルは「ユア・ザ・リーズン・アイム・リヴィング」で大物シンガーのボビー・ダーリンの作なのだ、と[xi]

 しかし、そんなことより(といっては失礼だが)、驚くのは、バックにオーケストラが使われていることだ。しかも、同じようにビッグ・オーケストラが演奏する曲がこの後も次々に出てくる(Ⅰ:B4、B6、Ⅱ:A4、A6、B1、B4)。どうやら、既成のバッキング・トラックを使って、ただヴォーカルを加えただけらしい[xii]。何でそんなことをしたのかも、よくわからないようで[xiii]、『1960年代のビー・ジーズ』でもいろいろと憶測が並べられている(TVショウ用、あるいは単に暇つぶし?)[xiv]

 曲はリズム・アンド・ブルース調のバラードなので、バリーの声には合っている。

 

A6 「コールマン」(Coalman, B. Gibb)

 「オール・オヴ・マイ・ライフ」などと同様、ビートルズ・スタイルの楽曲。

 「石炭掘り」?これも、何でこんなタイトルというか、テーマなのか意味不明な曲。セカンド・ヴァースをロビンが、サビをバリーが歌う。なかなかコマーシャルでポップなメロディで、「オール・オヴ・マイ・ライフ」と異なるのは、どこかユーモラスなところだが、この手のタイプの曲は、さすがに少々聞き飽きてきた?

 

B1 「バタフライ」(Butterfly, B, R. & M. Gibb)

 本アルバムでは、「イン・ザ・モーニング」と並ぶ代表作のひとつ。

 こちらは三人の共作だが、実に若々しく、朝露が滴るような清々しいハーモニーが胸を打つ。「グリーンフィ~ルズ」の冒頭のコーラスから、過ぎた日々の初恋を歌う、後年の「ファースト・オヴ・メイ」を先取りしたような、アルバム・タイトル通りのノスタルジックな作品。傑作云々をいう以前に、無垢で無防備な少年の感性が共感を呼ぶ。

 といっても、マーマレイドによる出色のカヴァーがある[xv]ので、ビー・ジーズのヴァージョンは、厚みとスケールで若干物足りなくもある。今聞き返して無性に感動するのは、その後の彼らの歩みを知っているからかもしれない[xvi]

 

B2 「嵐」(Storm, B, R. & M. Gibb)

 「嵐」って、なんだか「柔」とか「仁義」とか、演歌みたいだが。

 本作も、いかにもビー・ジーズらしい、あるいはロビン好みのメロディアスなポップ・バラード。ヴァースは単調なフレーズの繰り返しで淡々と進むが、サビで突然高音になると、そのまま天井を突き破って大気圏にまで飛び出しそうになる。この素人臭い無茶な展開と、それでも耳に残るシンプルながら印象的なメロディが何とも言えない感動を呼ぶ。

 しかし、エンディングは尻つぼみで、ホーンの響きもダサい。この曲も、ファミリー・ドッグというグループの洗練されたカヴァーがあって、自在に声が飛び交うコーラスは、この単純極まりない楽曲を実にスマートにブラッシュ・アップしている[xvii]。(なんだか、ビー・ジーズのヴァージョンをくさしているだけになってしまった。)

 

B3 「ラム・デ・ルー」(Lum-De-Loo, R. Gibb)

 ロビンの単独作で、これもある意味彼らしいノヴェルティ・ソング風駄曲。

 「クレイズ・フィントン・カーク」とか「インディアン・ジンとウィスキー・ドライ」のような飄々としたとぼけた個性が表れた、一回聞けばあとは一生聞かなくなる類の曲(誇張ですので、ロビン・ファンは怒らないでください)。

 しかし、この頃から、こうした斜め上をいく楽曲を書いてレコーディングするロビン・ギブとは、やはりただものではない。

 

B4 「サムバディ・ラヴズ・ユー」(You’re Nobody Till Somebody Loves You, R. Morgan, L. Stock & J. Cavanaugh)

 1944年に書かれて、1946年にアメリカのチャートで14位になるヒットとなったそうだ[xviii]。しかし、一番有名なのはディーン・マーティンのカヴァーだといい[xix]、1965年にビルボードで25位になっているので、こちらが、バリーが手本にしたヴァージョンなのだろう。

 いずれにしても、何とも古くさい。最初聞いた時には、何じゃこれ、と思い、その後一度も聞き返さなかった(のではないかと思う)。しかし幾星霜を重ねて、『ブリリアント・フロム・バース』[xx]で久しぶりに耳にして、その後はすっかり気に入ってしまった(年を取って、ようやくこういった曲のよさがわかってきたようです)。やはり、よいものはよいということで、このセピア色の楽曲を若かりしバリーの声で21世紀に聴くというのも、なかなか乙なものです。

 

B5 「ユー・ウォント・シー・ミー」(You Won’t See Me, J. Lennon & P. McCartney)

 ・・・などと言ってると、次に出てくるのはビートルズで、1965年に出た『ラバー・ソウル』収録の新作のコピー。ビートルズの物まねコンテストに出られそうな、実に達者なコーラスと歌いまわしで、お見事です。もとの曲がよいのだから、このビー・ジーズのカヴァーも気持ちよく聞けます。ビー・ジーズがやる必要あるのか、という話はおいといて。

 ところで、ジェフ・アプターという人の『悲劇:ビー・ジーズのバラッド』のなかに、オーストラリアにおけるビートルズ熱は、1964年6月の公演で爆発した、と書いてあった。ギブ兄弟が、多くのオーストラリアの若者と同様にビートルマニアになったのも、この時からで、その直後のセッションで「フロム・ミー・トゥ・ユー」をレコーディングしたのだという[xxi]。そうすると、「ピース・オヴ・マインド」は、ビートルズの影響を受けて書かれたものではないのだろうか。どうもよくわからない。それとも、イギリスで人気のバンドらしいので、とりあえず、真似してみたのだろうか。とすれば、ビー・ジーズの先見の明をほめておけばいいのか?

                                                                                                                         

B6 「ジ・エンド」(The End, S. Jacobson & J. Krondes)

 一枚目のラストは、またまた、アール・グラントという歌手が1958年に発表して全米で7位になった古いヒット曲。それ以上に、オーストラリアでは1位になったのだそうで[xxii]、それで、ここで登場ということらしい。

 さらに、本曲のバッキング・トラックの出所も謎だが、多分、スタジオの棚に置いてあって、それを見つけたバリーがお遊びで録音したのだろう、という[xxiii]。そんなものを引っ張り出してきて販売するレコード会社の魂胆も嘆かわしいが、例によって、曲は悪くない。バリーのヴォーカルは確かにカラオケ・ボックスで歌っている歌の上手い人のようなところはあるが、ここで聞かなければ一生聞くこともなかった曲かもしれないので、その点は感謝しておこう。

 

A1 「僕は知っている」(I’ll Know What to Do, B, R. & M. Gibb)

 いきなり「アーアアーアー」の騒々しい雄叫びから始まるロック・ナンバー。

 あまり印象に残るメロディではなく、これといった特徴がない。『ブリリアント・フロム・バース』のCDを聞いた時に、こんな曲(『ノスタルジア』に)入ってたんだ、と思ったくらいで、まったく記憶に残っていなかった。オリジナルなのか、カヴァーなのかさえ、まったく覚えていなかった。

 悪口ばかり並べたが、聞き直すと、これがやはりビートルズ風なのだった。それも『リヴォルヴァー』のジョン・レノンを思わせる、「シー・セッド・シー・セッド」あたりを。タイトルを歌う箇所などがそうで、要するにサイキデリック風なのだ。『ビー・ジーズ・ファースト』の同系統の曲に繋がるとすれば、そこが興味深いところだ。

 

A2 「僕のすべて」(All By Myself, M. Gibb)

 モーリスのソロ作だが、こちらもまたビートルズ風。

 サビのあたりのメロディや歌い方がとくにそう感じるが、むしろ一番ビートルズのスタイルをうまく吸収して、器用にこなしているのはモーリスではないか、と推測させるようなナンバーである。

 

A3 「涙の乗車券」(Ticket to Ride, J. Lennon & P. McCartney)

 続いて、正真正銘ビートルズの完コピ作品。

 ドラム・ロールからセクシーなため息の「ハーッ、ベイビー・ドント・ケア」まで、忠実に再現(ただし、レノンほどセクシーではない。バリーでさえ十代なのだから、無理もない、という以前に、あの色気を出せというのは、そりゃあ、無理だろう)。これでは、オリジナルをやってもビートルズ風になってしまうのも仕方ないと思わせる。

 

A4 「アイ・ラヴ・ユー・ビコーズ」(I Love You Because, L. Payne)

 またしてもオーケストラを従えて、ではなく、単にカラオケで歌うオールド・ヒット。

 カントリー・シンガーのレオン・ペインが1949年に書いて、レコーディングしたものがオリジナルだが、もっともヒットしたのは1963年のアル・マルティーノのヴァージョンでビルボードの3位にランクしたという[xxiv]

 どうも聞いたことのない名前ばかりで、書き写すだけなのが恥ずかしいが、曲はどこかで聞いたことのあるような、懐かしいメロディ。しかし、バックの女性コーラスとバリーの声とが、どうにもマッチしていなくて水と油のようだ。まあ、オーケストラ付きの作品は皆そうなのだが。

 

A5 「ペイパーバック・ライター」(Paperback Writer, J. Lennon & P. McCartney)

 今度のビートルズは、1966年5月に出たばかりのシングルのカヴァー。

 本作もビートルズのオリジナルと聞き間違えそうな再現度の高さで、若干歌い方が丁寧でおとなしめなところが違いか。

 『1960年代のビー・ジーズ』によると、オリジナルが発売された二日後には、もうカヴァーしていたという[xxv]が、ほんまかいな?

 

A6 「サムホェア」(Somewhere, L. Bernstein & S. Sondheim)

 本カヴァーもオーケストラを使ったものだが、この手の曲では唯一ロビンが歌っている。

 原曲は言うまでもない「ウェストサイド・ストーリー」からの一曲。ロビンは、ヴェテラン・シンガーのような落ち着きで低音を聞かせた堂々たる歌いっぷりを披露している・・・ようにも聞こえるが、むしろ音を外さない用心なのか、やけに、たどたどしい歌い方で、要するに、まだこの時期の彼には、この難曲は少々荷が重かったようだ。

 

B1 「ザ・トエルフス・オブ・ネヴァー」(The Twelfth of Never, J. Livingstone & P. Webster)

 1956年に書かれて、ジョニー・マティスが翌年全米9位に押し上げたヒット曲。その後、1964年にクリフ・リチャードがイギリスで8位に入るヒットにしている[xxvi]。クリフのヴァージョンがバリーのカヴァーのきっかけになったようだ。

 これもオーケストラを使ったカヴァーだが、「アイ・ラヴ・ユー・ビコーズ」などのような、わかりやすいはっきりしたメロディでなく、なんだか聞かせどころが難しそうな楽曲で、バリーも歌いにくそうに聞こえるが、こういった曲も好みなのだろうか。確かに、こうしてオーケストラを使ったオールド・ソングを何曲も聞いていると、初のソロ・シングルが「アイル・キス・ユア・メモリィ」だったのも納得がいく。

 

B2 「フォーエヴァー」(Forever, B, R. & M. Gibb)

 ギブ兄弟三人の共作だが、バックにオーケストラが付いている。どうやら、他のオリジナル曲とは異なる成り立ちをもっているらしい。例えば、TVショウ用のレコーディングであるとか、つまり、彼らの乏しい収入ではオーケストラを入れたレコーディングなど難しかっただろうというのである[xxvii]。余計なお世話だ!(と当人たちに代わって申し述べておきます。)

 それにしても、もしTVショウの音楽だったとしたら、キッズ向けの番組だったに違いない。童謡のようなというか、幼稚というか、大の大人が聞くような歌ではない。

 しかし、これがまた一度聞くと耳に憑りついて離れない、危ない薬のような中毒性のある曲なのだ。「マイ・カインド・オヴ・ラヴ、ユア・カインド・・・ディス・カインド・オヴ・ラヴ・ウィ・キャン・ラスト・フォーエヴァー」。いけない、また気づかないうちに口ずさんでしまっている。どうすればよいのだ、いつまでもやめられないではないか。

 

B3 「トップ・ハット」(Top Hat, B. Gibb)

 「ラム・デ・ルー」のような、ロビンがリード・ヴォーカルを取る面白ソング。ただし、こちらはバリー作。「お前、こういうの好きだろ」といって渡したら、ロビンも「歌う、歌う」と応じたのか。どちらにせよ、大した曲ではない。

 しかし、なかなかポップなメロディで調子が良い。結構カヴァーもされていて[xxviii]、彼らの楽曲の幅の広さを立証する作品のひとつだ。

 

B4 「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」(Hallelujah, I Love Her So, R. Charles)

 カラオケ・シリーズの最後は、レイ・チャールズ作のリズム・アンド・ブルース。1956年の作品[xxix]

 オリジナルと比べては分が悪いが、こういうタイプの楽曲はバリーの得意とするところなので、達者にこなしている。まあ、こんなもんでしょう、というところか。

 

B5 「扱いにくいベイビー」(Terrible Way to Treat Your Baby, B, R. & M. Gibb)

 最後の二曲は三兄弟共作のオリジナル。

 「テリブル・ウェイ・トゥ・トリート・ユア・ベイビー」もリズム・アンド・ブルースのバラード。バリーとロビンのヴォーカルは、やや大げさでわざとらしいが、コーラスのメロディはドラマティックで聴き手の耳を惹きつけて離さない。英米デビュー後の楽曲にもひけをとらない、本アルバムのなかでもトップ・クラスの完成度を誇る佳作といえるだろう。

 

B6 「エギジット・ステイジ・ライト」(Exit Stage Right, B, R. & M. Gibb)

 ビートルズ・スタイルのロック・ナンバーでフィニッシュ。長々とお疲れさまでした。

 メロディアスというより、ややハードでパワフルな、オーストラリア時代の彼らのロック・タイプの楽曲の集大成的な作品といえるかもしれない。

 

[i] オリジナル盤は、以下のコレクションに入っている。Bee Gees, The Festival Albums Collection 1165-67 (Festival Records, 2013).

[ii] 原盤は、A面1曲目が“Where Are You”で2曲目が“Spicks and Specks”になっているが、日本盤は、「スピックス・アンド・スペックス」が1969年1月になって発売されたこともあってか、順序が逆になっていた。A. Môn Hughs & A. Sparke, The Bee Gees: Complete Recordings Illustrated (APS Publications, 2022), Rare, Precious & Beautiful (1968). 「スピックス・アンド・スペックス」は、日本では最高56位、2万枚の売り上げ。結構ヒットしている。『1968-1997 オリコン チャート・ブック アーティスト編全シングル作品』(オリコン、1997年)、276頁。

[iii] 日本盤の3枚は、皆オリジナル盤とはジャケットが異なっていて、なかなか凝ったデザインだった。『スピックス・アンド・スペックス』が昆虫採集、『若き日の想い出』が室内小物、『オーストラリアの想い出』が理科実験、といったテーマか。

[iv] A. M. Hughes, G. Walters & M. Crohan, Decades: The Bee Gees in the 1960s (Sonicbond, UK, 2021), p.111.

[v] 1971年発表の『小さな恋のメロディ』のサウンドトラック盤で初めて聞いたので、てっきり一曲だけ新曲を書いたのだと思っていたのだ。

[vi] ザ・ビージーズノスタルジア』(ポリドール・レコード)。ちなみに定価は3000円。帯には、「ザ・ビー・ジーズの初心と郷愁を伝えるオーストラリア時代のベスト作品集。ビートルズラヴィン・スプーンフルの曲もやっています」、とある。「ベスト作品集」って、また噓を書いて。それにしても、「やっています」って、「冷やし中華やっています」じゃないんだから。

[vii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.112.

[viii] Los Bravos, Like Nobody Else, in To Love Somebody: The Songs of the Bee Gees 1966-1970 (Ace, 2017).

[ix] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.115.

[x] Ibid.

[xi] Ibid., p.116.

[xii] Ibid., p.113.

[xiii] イギリスに渡った後のインタヴュー記事で「このグループがスタートしたときから、ビッグ・オーケストラでやりたいというのが全員の一致した意見だった」という発言が紹介されているのを見たりすると、やはり単純にオーケストラをバックに歌いたかった、というのが当たっていそうだ。平山よりこ「ヒット曲物語」『ヤング・ミュージック』(1968年2月号)、123-24頁。

[xiv] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.113.

[xv] The Marmalade, Butterfly, in Maybe Someone Is Digging Underground: Songs of the Bee Gees (Sanctuary Records, 2004); also in Words … A Bee Gees Songbook (Playbach Records, 2016)(『オムニバス/ワーズ:ア・ビー・ジーズ・ソングブック』、2020年).

[xvi] Barry Gibb, Butterfly, in Greenfields: The Gibb Brothers’ Songbook, Vol.1 (Capitol Records, 2021)も参照。

[xvii] Family Dogg, The Storm, in Maybe Someone Is Digging Underground: Songs of the Bee Gees.

[xviii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.117.

[xix] Ibid.

[xx] The Bee Gees, Brilliant from Birth (Festival Records, 1998).

[xxi] Jeff Apter, Tragedy – The Ballad of the Bee Gees (Jawbone Press, UK, 2016), pp.45-47.

[xxii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.118.

[xxiii] Ibid.

[xxiv] Ibid., p.119.

[xxv] Ibid.

[xxvi] Ibid., p.120.

[xxvii] Ibid.

[xxviii] The Montanas, Top Hat, in Maybe Someone Is Digging Underground: Songs of the Bee Gees.

[xxix] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.120.

ビー・ジーズ1966

S10 ビー・ジーズ「おうちがほしい」(1966.3)

A 「おうちがほしい」(I Want Home, B. Gibb)

 「おうちがほしい」って、幼稚園児のおままごとか。

 このカプリングは、どちらがA面なのか、はっきりしないようだが、こちらの曲のほうがレコード番号が若いらしい(19819番、「チェリイ・レッド」が19820)[i]。・・・そんなことはどうでもいい。

 「ピース・オヴ・マインド」や「閉所恐怖症」のようなビート・ナンバーで、それも、こっちがA面の可能性が高い理由だろうか。ただ、これまでの、みんなでわいわいやっているような賑やかなリヴァプールサウンドというより、もっと陰りのあるハードなサウンドを目指しているようだ。ローリング・ストーンズあたりの影響が入り込んでいるのかもしれない。ギターはモーリス、ドラムスは、なんと、コリン・ピーターセンが担当しているらしい[ii]

 ビー・ジーズのシングルとしては、また新境地を開いたともいえるが、結果は凶と出て、さらに屍を晒すことになった(時代劇ではないが)。

 

B 「チェリイ・レッド」(Cherry Red, B. Gibb)

 「ホェア・アー・ユー」で始まるスロー・バラード。このところ多かったフォーク調というより、オールド・スタイルのポップ・コーラス・ナンバー[iii]といえそうだ。

 チェリイ・レッドは、女の子の名前としては、メロディ・フェアなどと比べると、響きがちょっとけばけばしく感じるが、英語ではそうでもないのだろうか。なんか、はすっぱな(表現が古い)イメージが浮かぶ。しかし、それはそれとして、「チェ~リ~・レ~ッド」のハイ・トーン・コーラスは比類ない美しさで、ロビンのふるえるようなヴォーカルも密かな恋心を見事に表現している。

 A面候補になったのも当然に思えるし、1966年以前のビー・ジーズのバラードでは最高傑作ではないだろうか。

 

S11 ビー・ジーズ「月曜の雨」(1966.6)

A 「月曜の雨」(Monday’s Rain, B. Gibb)

 1966年6月発売だが、オーストラリアにも梅雨があるのだろうか。「マンデイズ・レイン」という題名からして(月曜のうえに、雨って)、すでにブルーな気分になるが、セールスも晴天とはいかなかったようだ。

 まだまだ続くビー・ジーズのチャレンジ企画で、今度はこれまででもっともスローなバラード。むしろ、日本のムード歌謡のような雰囲気で、間奏のギターの暗い音色はお通夜のようだ。ロビンとバリーが交互にリード・ヴォーカルを取るビー・ジーズのスタイルが固まりつつあるが、ロビンの歌い方はいささかオーヴァー・アクション気味、バリーのほうは少々軽いだろうか。二人ともソウルフルな歌唱を意識しているようで、リズム・アンド・ブルースのバラードというのが狙いだったらしい。

 曲は悪くないが、やはり、シングル向きではないだろう。ハードなロックが駄目なら、ソウル・バラードならどうだ、ということなのかもしれないが、少々やけ気味?

 

B 「オール・オヴ・マイ・ライフ」(All of My Life, B. Gibb)

 こちらは、完全にビートルズを真似たアップ・テンポのロック・コーラス。あまりにビートルズに似すぎていて、ラジオ局もこれでは曲をかける気にならなかっただろう、と『1960年代のビー・ジーズ』では分析されている[iv]が、さもありなん、と実感する。

 とはいえ、なかなか快調な出来で、「オール・オヴ・マイ・ラ~イフ」のコーラスは、ビートルズよりビートルズらしいキャッチーなコーラスで楽しませてくれる。

 

S12 ビー・ジーズ「スピックス・アンド・スペックス」(1966.9)

A 「スピックス・アンド・スペックス」(Spicks and Specks, B. Gibb)

 もちろん、オーストラリア時代を通じて、もっとも知られた曲。1位になったとか、いや、ならなかったとか[v]、よくわからないが、最初にして最後の大ヒットだったことは確かなようだ。

 世界デビュー後も、ライヴなどで演奏され続け、最新ベストの『タイムレス』[vi]にまで収録されている。

 無骨なピアノの弾奏から始まる、8小節を際限なく繰り返すだけのシンプル極まりない曲だが、一度聞けば耳に残る強いメロディをもっている。バリーの張りのある力強いヴォーカルに、バックの薄いがスリリングなコーラスが呼応して、最後、かなたへと消え去る「スピックス・アンド・スペ~~ックス」まで、過去のシングルにはなかった強烈なインパクトを残す一曲となった。

 

B 「アイ・アム・ザ・ワールド」(I Am the World, R. Gibb)

 ギターの荘重な、あるいは大げさなイントロから、ゆるやかな、もしくは、どっしりとしたテンポで始まるロビンの初のソロ作品。タイトルからして大仰だが、「ぼくは世界、ぼくは空、ぼくは海、あるいは君がぼくに望むすべて」という歌詞は、いかにもロビンらしい。

 どこかクラシカルなヴァースに、サビではトップから段々と下降してくるコーラス、と、ロビンのソング・ライティングの特徴がすでにこの曲に現れている。彼にとっても思い入れの強い作品なのだろう。『ミソロジー』では、ロビンのパートの最初に選ばれている[vii]

 

A02 ビー・ジーズ『スピックス・アンド・スペックス』(Spicks and Specks, 1966.11)

 「おうちがほしい」/「チェリイ・レッド」のリリース後、ビー・ジーズは、スピン・レコードに移籍した。ただし、フェスティヴァル・レコードがスピンから発売されるレコードの配給権を保持する契約だったという(おかげで、フェスティヴァルはその後もビー・ジーズのレコードで大いに儲けた)[viii]。新しいアルバムは、セント・クレア・スタジオでレコーディングされ、スタジオ・オーナーのオジー・バーンがエンジニアを務めた。バーンは、言うまでもなく『ビー・ジーズ・ファースト』のプロデューサーである[ix]。ただ、本アルバムのプロデュースはナット・キプナー[x]が担当した(ビル・シェパードは1966年初頭に、ビー・ジーズより一足先にイギリスに戻っていた)[xi]。さらに、演奏には、コリン・ピーターセンのほかに、ヴィンス・メロウニィも参加しているらしい[xii]

 本アルバムは、本当の意味でビー・ジーズ初のオリジナル・アルバムといえるだろう。前作は、ほぼシングルの寄せ集めだったが、今回はアルバム用の新曲が中心で、シングル用の曲とは一味違った楽曲が含まれている。全体の統一感はないが、彼ららしい多彩なスタイルと深みを増したメロディ、そしてコーラスがアルバムのグレードを格段に高めている。

 

A1 「月曜の雨」(Monday’s Rain, B. Gibb)

A2 「小鳥がいっぱい」(How Many Birds, B. Gibb)

 軽快なリズムのポップ・ロック・コーラス・ナンバー。バリーのヴォーカルも軽妙だ。「ハウ・メニー・バ~ド」のキャッチーなメロディもいい。

 『1960年代のビー・ジーズ』では、「他には聞かれないような曲を書き始めた」[xiii]と評されているが、タイトルと曲調は、ビートルズの「アンド・ユア・バード・キャン・シング」(『リヴォルヴァー』)を思わせないでもない。

 

A3 「プレイダウン」(Play Down, B. Gibb)

 いかにもアルバムの穴埋め用につくられた楽曲という体。完全にコーラス主体の曲で、その点がビー・ジーズらしいとはいえる。メロディはシンプルで、ヴァースもサビもあまり区別がつかない、単調な作品というほかはない。

 しかし、別ヴァージョンが発見されたとか、バリーが2013年のオーストラリア・ツアーで、この曲を演奏したとか、結構話題が出てきて[xiv]、バリー自身は気に入っているのかもしれない。

 

A4 「セカンド・ハンド・ピープル」(Second Hand People, B. Gibb)

 ノスタルジアをかき立てる、転がるようなギターのイントロから、さらに郷愁に満ちたメロディが心を揺さぶるカントリー・タイプのバラード。

 「閉所恐怖症」とか、本作とか、この頃のバリーの曲名における言語センスはどうかと思うところもあるが、天性のメロディ・メイカーぶりがいよいよ本格的に発揮され始めた感が強い。

 日本盤の解説でも、アルバム随一の佳曲と評価されていた[xv]

 

A5 「ぼくは気にしない」(I Don’t Know Why I Bother with Myself, R. Gibb)

 「アイ・アム・ザ・ワールド」に続くロビンの第二作。イントロからして憂鬱だが、歌が始まると、何とも物憂げなメロディを、ロビンがあの沈んだ声で淡々と歌い紡いでいく。サビでは、ダブル・トラックで二人のロビンが声をそろえてデュエットするが、それでも一層孤独が深まるような暗~い気分にさせてくれる。(邦題は「ぼくは気にしない」だが、原題のほうは、「僕は気にしてる」んじゃないの?)

 しかし、ある意味、これこそがロビンであり、「アイ・スターテッド・ア・ジョーク」の原型がここにあったことを教えてくれる。個人的には、ロビンの全作品中でも上位に来そうな、忘れがたい名曲といいたい。

 それにしても、二番を歌い終わらないうちにフェイド・アウトしてしまうラスト[xvi]は、一体全体どうなっているのか?(長すぎるというほどでもないだろう。)

 

A6 「ビッグ・チャンス」(Big Chance, B. Gibb)

 リズミカルなフォーク・ロック・スタイルの作品。バリーとロビンのヴォーカルだが、軽く流すような感じで、メロディにもあまり魅力がない。全体として印象が薄く、いかにもA面の最後に置かれるような楽曲といったところ。・・・少しは誉めろや!

 

B1 「スピックス・アンド・スペックス」(Spicks and Specks, B. Gibb)

B2 「ジングル・ジャングル」(Jingle Jangle, B. Gibb)

 三拍子のマイナーなナンバー。えらく湿っぽい曲で、雨の日に傘をささずに出かけてどぶにはまって腕を骨折したような(?)情けない気分になる。

 しかしメロディは美しい。フォーク・グループが歌うトラディショナル・ソングのような哀愁に満ちた旋律は、バリーが自在に曲を作る能力を駆使し始めたことを物語る。こうした楽曲にうまく適合するロビンというシンガーを得たことも大きかったのだろう。  

 1971年のツアーでも演奏されたという[xvii]が、確かに、翌年の日本でのコンサートにおいても演奏リストに入っていたようだ[xviii]

 

B3 「ブルーの色調」(Tint of Blue, B. & R. Gibb)

 ついにバリーとロビンの共作ナンバーが登場した。「トゥ・ラヴ・サムバディ」や「傷心の日々」、「エモーション」などを産み出した(仲が良いのか悪いのかわからない)最強コンビによる最初の楽曲である。しかし、その割には、年末大掃除で掃いて捨てられそうな凡作にしか見えない。途中のハーモニカのような音が、ロビンが演奏するメロディカで、彼が書いたメロディだったということなのだろうか。

 あるいは、タイトルの“Tint of blue”。歌詞には対比的に“Tint of red”という言葉も出てくるが、この言葉選びのセンスがロビンがもたらしたものだったのか。調子はよいが、やはりその他大勢の一曲のようだ。

 

B4 「君はどこに」(Where Are You, M. Gibb)

 こちらも初物で、モーリスがビー・ジーズに提供した初めての曲。

 いかにも初心者っぽいシンプルそのものといった作品で、恐ろしいほど単調だ。

 しかし、サビの最後の「ウォウォウォウォ」にかけ合いのコーラスがかぶさる展開は、さすがハーモニー・マニアの彼らしい、さりげないセンスを見せつける。モーリス抜きではビー・ジーズのコーラスも完璧ではないと思い知らせてくれるナンバーだ。

 

B5 「ボーン・ア・マン」(Born A Man, B. Gibb)

 バリーとロビンがリード・ヴォーカルを分けあうリズム・アンド・ブルース調の作品。

 そのこと自体は珍しくないが、ジェイムズ・ブラウンもどきの大熱演で、しかも、あまりさまになっていないような、ぎこちない歌いっぷりで、なんか騒いでいるだけのような・・・。

 こういった曲をこなすには、まだ若すぎた、というよりも、そもそも彼らには向いていないのではないか、と思いたくなる。

 ところが、この曲がオーストラリア時代のビー・ジーズ最後のシングルだったという[xix]。何と無茶な。彼らも知らないうちにリリースされていたようだが、あとから知ったとすれば、果たしてどう思ったのだろう。彼らのことだから、別に気にしないか。

 

B6 「ガラスの家」(Glass House, B. & R. Gibb)

 アルバム・ラストは、またしてもマイナー調のバラード。バリーとロビンの共作第二弾で、ロビンのヴォーカルということは、彼の好みが表われているのだろう。いかにもロビンが好きそうなタイプの曲で、メロディは『ビー・ジーズ・ファースト』に入っていてもおかしくない魅力に富んでいる(コーラスは同じ繰り返しで、やや落ちるか)。

 ズンズチャチャ、ズンズチャチャというもっさりしたリズムが、むしろ哀愁を深めて、フェイド・アウトしていくラストは余韻を残すが、アルバムの締めくくりとしては賛否が分かれるかもしれない。陰気な「月曜の雨」で始まり、哀れっぽい「ガラスの家」で終わるのは、収まりがよいともいえるが。

 

[i] A. M. Hughes, G. Walters & M. Crohan, Decades: The Bee Gees in the 1960s (Sonicbond, UK, 2021), p.91.

[ii] J. Brennan, Gibb Songs, Version 2; 1966.

[iii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.91.

[iv] Ibid., p.96.

[v] Ibid., p.99. 当時のナショナル・チャートに相当した『ゴー・セット』という雑誌のチャートで4位、というのが正しいらしい。しかし、1967年にニュー・ジーランドで1位になっているという。

[vi] Bee Gees, Timeless: The All-Time Greatest Hits (Capitol, 2017).

[vii] Bee Gees, Mythology (Reprise Records, 2010), Disc 2.

[viii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.92.

[ix] Ibid., p.93.

[x] 息子のスティーヴ・キプナーは、後にティン・ティンを結成して、モーリスがレコーディングに参加、その後も一緒に活動している。Melinda Bilyeu, Hector Cook and Andrew Môn Hughes, The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb (New edition, Omnibus Press, 2001), pp.263-64; Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.230.

[xi] Decades: The Bee Gees in the 1960s, pp.91, 103.

[xii] Ibid., p.103.

[xiii] Ibid., p.105.

[xiv] Ibid.

[xv] ザ・ビー・ジーズ『スピックス・アンド・スペックス』(ポリドールレコード)。亀淵昭信氏による解説。ついでに、曲順は、「スピックス・アンド・スペックス/君はどこに/プレイダウン/ビッグ・チャンス/ガラスの家/小鳥がいっぱい/セカンド・ハンド・ピープル/僕は気にしない/月曜の雨/ブルーの色調/ジングル・ジャングル/ボーン・ナ・マン」だった。

[xvi] Ibid., p.106.

[xvii] Ibid; Bee Gees, Melbourne 1971 (Gossip, 2020).

[xviii] 『ミュージック・ライフ』1972年5月号、102頁。

[xix] Decades: The Bee Gees in the 1960s, pp.106-107. 1967年2月発売で、Bサイドは「ビッグ・チャンス」。あまり大チャンスだったようには見えない。

ビー・ジーズ1965

S06 トレヴァー・ゴードンとビー・ジーズ「ハウス・ウィズアウト・ウィンドウズ」(1965.1)

A 「ハウス・ウィズアウト・ウィンドウズ」(House without Windows, B. Gibb)

 「君たちの書いた曲じゃヒットは無理だね」と言い渡されたものの、「でも、他の歌手のバックで歌うなら、書いてもいいよ」と言われたのか。どういう理屈かわからないが、トレヴァー・ゴードンとの共演で発表したのが本作である。ゴードンは、いうまでもなく、3年後にマーブルズとしてギブ兄弟作の「オンリー・ワン・ウーマン」をイギリスでリリースしている[i]

 それにしても、オーストラリア時代のレコードが日本でも発売されるようになった1968~1970年頃は、こんな曲があったことは知らなかった。もっとも、当時のバリーはビー・ジーズ以外にも、というより、ビー・ジーズのレコードはほんの一部というぐらい、大量に曲を書いて他のアーティストに提供していたのだが、そのことは、なんとなく聞いてはいた。まさに息をするように曲を書くのがバリー・ギブ。ソング・ライティング・マシーンなどという生易しいものではなく、メロディ・モンスターといったほうがよいくらい化け物じみている(メロディがつくと、なんだか可愛らしいが)。

 それはともかく、この曲の入ったCDはもっていないので、ユー・チューブで初めて耳にした(つくづく良い時代になったものだ)。そして、聞いて驚いた。これほど巧みに、当時のポップなバンド・ソング風の曲が書けるとは。ゴードンの声に合わせたのだろうが、『1960年代のビー・ジーズ』では、ピーターとゴードン(こっちもゴードン?)の「愛なき世界(A World Without Love)」(レノン/マッカートニー作)とのタイトルの相似について述べている[ii]。「窓なき家」。確かに、いまどきウィンドウズが使えない家では生活も不便ですね。でもマックが使えれば(え、違う?)。気を取り直して、なるほど、ビートルズが書くポップ・ソングを連想させる。「ラーラララララララー」や「ウー・ワー」のかけ合いも楽しく、達者な出来栄えだ。なんで、これでヒットしないの、と思うくらいだが、やっぱり本当にヒットしなかったらしい。

 

B 「アンド・アイル・ビー・ハッピー」(And I’ll Be Happy, B. Gibb)

 B面のこちらもユー・チューブで試聴。ギターをバックにしたフォークっぽい軽いタッチの曲。何ということもない、いかにものB面にふさわしいナンバー。

 しかし、何度か聞き返したら、すっかり感心した。なんとなく聞き続けていると、脳にじわじわと沁み込んでくるメロディで、否応なく虜になってしまう。といっても、それほどオリジナリティがあるわけではない。ビートルズの初期のアルバムに入っているポップな曲を忠実に真似たような楽曲で、たとえば「ノット・ア・セカンド・タイム」(『ウィズ・ザ・ビートルズ』)などを思わせる。あるいは、むしろタイトルからして「アンド・アイ・ラヴ・ハー」(『ア・ハード・デイズ・ナイト』)を意識しているのかもしれない。

 そうだとしても、実にチャーミングなメロディで、この時点までのビー・ジーズの楽曲のなかでも一、二を争う出来だ。なんで、これが既発のアルバムに入っていないのだ!さあ、入れろ、すぐさま、入れろ。・・・え、もう出てるって?[iii]

 どうも、バリーは他人が歌うのを想定したときのほうが、自由に傑作が書けるらしい。この調子では、オーストラリア時代にも、まだまだ素敵な曲が眠っていそうで、むしろ憂鬱になる(探すのが大変だ)。やっぱり、もう一度、新しい編集版を出してくれ!

 

S07 ビー・ジーズ「悲しみはいつの日も」(1965.3)

A 「悲しみはいつの日も」(Every Day I Have to Cry, A. Alexander)

 「なんだね、バリー。また、ビー・ジーズの曲を書きたい?駄目だね、君のじゃだめだ」などと言われたのか、またしても、他人の曲を歌わされるギブ兄弟。「悲しみはいつの日も」、って、どうです、これ。えっ、ふざけるな?

 原曲は、アメリカのリズム・アンド・ブルース・シンガーのアーサー・アレグザンダー(すごい強そうな名前ですね)が1962年に書いて、同じ1965年に他のシンガーが歌って、全米チャート46位にランクされたという[iv]。なかなかキャッチーなメロディで、こっちのほうがヒットするはずだ、と考えたレコード会社は、あながち間違っていない。バリーのヴォーカルも曲に合っていて、生き生きしているし、何よりも、ロビンが後年得意とするようになった、エンディングでのアド・リブ風シャウトを聞かせて[v]、彩りを添えている。

 それでもヒットしなかったのだから、やっぱり「ぼくは毎日泣かずにいられない」?

 

B 「知っちゃいない」(You Wouldn’t Know, B. Gibb)             

 A面で他人の曲を歌わされたバリーの憤懣を邦題にするとは、日本のレコード会社もなかなかやりますね。

 で、その「知ったことか」じゃない、「知っちゃいない」は、再びバリーのオリジナル。B面なら、と、しぶしぶ認められたのか。しかし、『1960年代のビー・ジーズ』によれば、A面より、はるかにコンテンポラリーでジョン・レノンの影響がある、という[vi]

 確かに、リヴァプールサウンドといっても、初期のビートルズより、『フォー・セール』(1964年)あたりの、フォークの影響を取り入れ始めたころのレノンの楽曲を思わせる。

 軽快ななかにも、しゃれたメロディ展開がみられるバリーの意欲作だ。

 

S08 ビー・ジーズ「ワインと女」(1965.9)

A 「ワインと女」(Wine and Women, B. Gibb)

 自分たちで書いた曲でも駄目、他人の曲を歌っても駄目。いよいよ廃棄処分が近づいてきたギブ兄弟の前に現れたのがビル・シェパード。そうです、あのシェパード大先生です。ビルをプロデューサーに迎えて、ビー・ジーズが放った起死回生の一曲[vii]、それが「ワインと女」だった。やはり、シェパードの存在は60年代のビー・ジーズにとって、何よりも大きな力となったようだ。

 「ワインと女」は、ビー・ジーズのシングルで初めての三拍子の楽曲だが、優雅なワルツではない。性急な前のめりのテンポで、歌詞に「車とバスとトラムと・・・」とあるように、ガタンゴトンと路面電車が転がるような勢いですすむ。日本盤『オーストラリアの想い出』(1969年)[viii]の解説では、ビートルズの「ベイビーズ・イン・ブラック」(『フォー・セール』)のようだ、と書かれていた(ビートルズの曲も三拍子)[ix]が、発表当時のオーストラリアの批評でも、ビートルズの影響が指摘されていた模様だ[x]

 本作はビー・ジーズの初のヒットとなったが、実はギブ兄弟が(数少ない)ファンを動員して、レコードの買い占めを実行したらしい。そのかいあって、シドニーのラジオ局のチャートに入り、小ヒットとなったという[xi]。これなどまさに、「今でこそ言える話」ですね。

 とはいえ、「ワインと女と・・・」という冒頭の爽快なコーラスに、後半のロビンのソロ・ヴォーカルが、これまでのシングルに欠けていた陰影を与えて、曲の個性がはっきりしてきた。バリーの作曲とヴォーカル、ロビンのヴォーカルにモーリスのハーモニー、と、ビー・ジーズ陣営の戦力がついに整ったことを実感させる。

 

B 「風にまかせて」(Follow the Wind, B. Gibb)

 B面は、これまでで、もっとも典型的なフォーク・ソング・タイプの楽曲。シーカーズの影響という指摘[xii]も、なるほどと思える。

 だが、そんなことはどうでもよいくらい、素晴らしいメロディをもったナンバーで、A面以上に、バリーのメロディ・メイカーとしての飛躍を感じさせる。「ぼくは風を追いかけていく、風はぼくを故郷に届けてくれる、冬が訪れる前に」というコーラスは、数あるフォーク・ソングの名曲に負けないメロディの魅力をそなえている。

 

S09 ビー・ジーズ「アイ・ウォズ・ア・ラヴァー」(1965.12)

A 「アイ・ウォズ・ア・ラヴァー」(I Was A Lover, A Leader of Men, B. Gibb)

 ビー・ジーズ初のオリジナル・アルバムからのシングル・カット。

 明らかに「ワインと女」の二番煎じを狙った曲で、三拍子でダンダンダン、ダンダンダンと、さらに重量感を増したサウンドは、まるでオートマティック工場で瓶にビールを詰めている工程を見せられているようだ(何という例えだ)。

 しかし、演奏時間は3分半を越えて、自己最長記録を更新、それなりに大作で、サビのコーラスは、奥行きと広がりで既にあのビー・ジーズのコーラスに近づいている。途中、かき鳴らされるギターはモーリスだという。

 曲自体はさほどの出来でもないし、前作ほどのヒットにさえならなかったようだが、サウンドとコーラスのクォリティは加速度的に上昇していることがわかる。

 

B 「子供たちの笑顔」(And the Children Laughing, B. Gibb)

 いきなりの「アーアーアー」のコーラスから、バリーの落ち着いた内省的なヴォーカルが聞こえてくる冒頭が、まず素晴らしい。

 次第に言葉があふれて字余りになる歌詞といい、ギターを中心としたリズミカルな演奏といい、明らかにボブ・ディラン以降のフォーク・ロックを模倣した楽曲[xiii]だが、それを彼らしいメロディで巧みに自分のものにしてしまう才覚は、さすがバリー・ギブと思わせる。

 ここまで彼の書いた楽曲のなかでも、最上位に来る曲のひとつだろう。

 

A01 バリー・ギブとビー・ジーズビー・ジーズ、バリー・ギブが書いた14曲を歌う』(Barry Gibb and the Bee Gees, The Bee Gee’s Sing and Play 14 Barry Gibb Songs, 1965.11)

 苦節3年、ついにビー・ジーズのデビュー・アルバムが発売された。全14曲、すべてバリー・ギブのオリジナル。しかし、9曲はすでに発表済みのシングルAB面曲。まあ、ビートルズ以前は、これが普通だったのだろう。日本でも、かつては、LPレコードといえば、ヒット曲が出ると、それまでの既発のシングル曲や他人のカヴァー曲などを織り交ぜて制作するのが常だった。

 とはいっても、本作でヒット曲と呼べるのは「ワインと女」ぐらいで、それなら、もっと新曲を入れても(あるいは全曲新作でも)よかった。それでも、すべてバリーの楽曲で、他人の曲を含めていないのは、バリーの気持ちを尊重しているようにも見える。それとも、このアルバム・タイトルを思いついたので、全曲バリーのオリジナルでよし、としたのだろうか。「バリー・ギブとビー・ジーズ」というグループ名と「ビー・ジーズ、バリー・ギブを唄う」というアルバム・タイトルを並べると、なかなかしゃれてるじゃないか、とレコード会社が思ったのだろうか。それにしては、タイトルの「ビー・ジーズ(Bee Gee’s)」にアポストロフィが付いているという意味不明さだが。

 アルバムの構成は、AB面1曲目に最新シングル両面をそのまま配し、A2からは新曲3曲を続け、あとは、既発のシングル曲をアト・ランダムに並べるというもの。デビュー・シングル両面(とトレヴァー・ゴードンとのシングル)を除くバリーのオリジナル作品がすべて網羅されている。「ワインと女」で初めてビー・ジーズに興味をもったリスナーにも、これ一枚だけ買えばいいよ、という、なるほど、大変親切なレコードになっている。

 

A1 「アイ・ウォズ・ア・ラヴァー」(I Was A Lover, A Leader of Men)

A2 「おかしいなんて思わない」(I Don’t Think It’s Funny, B. Gibb)

 ギターの弾き語りによるフォーク・バラード。感傷的な美しいメロディをもった佳曲で、ロビンの初めてのソロ・ヴォーカル・ナンバー。これほど素朴なアレンジで、しかもロビン一人に歌わせるというシンプルさは、逆に、楽曲に対するバリーの自信とも読める。

 この曲でのロビンは、低い音がやや苦しげだが、まだ十分高音が出なかったのだろうか。しかし、それを埋め合わせるだけの魅力をもった作品で、バリーが書くフォーク調の一連の作品は、彼のメロディ・メイカーとしての優れた資質を証明する作品が並ぶ。

 

A3 「恋は真実」(How Love Was True, B. Gibb)

 コーラス主体のスロー・テンポのムーディなバラード。日本盤『オーストラリアの想い出』では、ビートルズの「ミスター・ムーンライト」との相似が指摘されていた[xiv]が、確かに、サビのロビンのヴォーカル・パートは雰囲気がよく似ている。もっとも、「ミスター・ムーンライト」はビートルズのオリジルではない。

 そうした元ネタはあるにしても、この曲でもメロディの美しさは際立っている。サビでロビンの声を使ったのも正解だった。

 

A4 「トゥ・ビー・オア・ノット・トゥ・ビー」(To Be or Not To Be, B. Gibb)

 新曲のうち、唯一のロックン・ロールだが、これまでで一番というほどの激しいビート・ナンバーになっている。途中に入る「ウェーエーエーエー」や「イェー」のかけ声も、いかにものビートルズ風。ピアノが使われているのも特徴だが、モーリスかどうかは不明なようだ[xv]

 

A5 「ティンバー」(Timber!)

A6 「閉所恐怖症」(Claustrophobia)

A7 「クッド・イット・ビー」(Could It Be)

B1 「子供たちの笑顔」(And the Children Laughing)

B2 「ワインと女」(Wine and Women)

B3 「さよならは言わないで」(Don’t Say Goodbye)

B4 「ピース・オヴ・マインド」(Peace of Mind)

B5 「あの星をつかもう」(Take Hold of That Star)

B6 「知っちゃいない」(You Wouldn’t Know)

B7 「風にまかせて」(Follow the Wind)

 

[i] The Marbles (Repertoire Records, UK, 2003)。

[ii] A. M. Hughes, G. Walters & M. Crohan, Decades: The Bee Gees in the 1960s (Sonicbond, UK, 2021), p.75.

[iii] Assault the Vaults: Rare Australian Cover Versions of the Brothers Gibb (Festival, 1998)がありました。見たことないけど。

[iv] Decades: The Bee Gees in the 1960s, pp.76-77.

[v] Ibid., p.77.

[vi] Ibid.

[vii] Ibid., p.81.

[viii] Rare, Precious and Beautiful 3 (1969).

[ix] ザ・ビー・ジーズ『オーストラリアの想い出』(ポリドール・レコード)、うちがいと・よしこ氏による解説。

[x] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.82.

[xi] Ibid., pp.82-83.

[xii] Ibid., p.82.

[xiii] 『1960年代のビー・ジーズ』では、バリー・マクガイヤの「イヴ・オヴ・デストラクション(Eve of Destruction)」(1965年)の影響が指摘されている。Ibid., p.88.

[xiv] 『オーストラリアの想い出』解説。

[xv] J. Brennan, Gibb Songs, Version 2; 1965.