ムーディ・ブルース『ディセンバー』

 クリスマス・アルバム?何考えてんだ。

 そんな風に思った、2003年に発表されたムーディ・ブルースの通算16枚目のスタジオ・アルバム『ディセンバー(December)』。『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』からでは15枚目。そして、最後のオリジナル・アルバムである。

 しかし、オリジナル楽曲は、ジャスティン・ヘイワードが3曲、ジョン・ロッジが2曲の計5曲。クラシックに歌詞と曲を追加したものが1曲、残る5曲は有名クリスマス・ソングのカヴァーという内訳。

 確かに、日本でもそうだったが、20世紀末あたりから、欧米でもクリスマス・ソングが流行するようになった。古くは、本アルバムでも取り上げられている「ホワイト・クリスマス」が絶対的定番だったが、こちらも本作でカヴァーされたジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」あたりから、ポップ・ロック・アーティストがこぞってオリジナルのクリスマス・ソングをリリースするようになった。ワム!とかマライア・キャリーとか・・・。

 だからムーディ・ブルースもクリスマス・アルバムを、というのは、どういう了見なのか。「だから」じゃないだろう。プログレッシヴ・ロック・バンドがクリスマスって、ほのぼのしすぎだろ。もちろん、1970年代以降のムーディ・ブルースは、とっくにプログレッシヴ・ロック・バンドではなくなっていた。そもそも、そんなにプログレッシヴでもなかったし・・・。とはいえ、こんな企画ものが最後って、そりゃ、ないだろう。多くのムーディ・ブルースのファンがそう思ったのではないか。しかも、録音は、前作に続いてイタリア。もはや、イングランドではレコーディングもできないくらい落ちぶれたのか。ああ・・・。

 だが、実際に、ジャスティン・ヘイワードが、もうムーディ・ブルースのアルバムは出さない、と語った(2016年)[i]ことは、このクリスマス・アルバムが最後のアルバムでよい、という判断を示しており、その事実は、このアルバムがムーディ・ブルースにとって持つ意味を示唆している。

 今さら言うまでもないが、つまりは12月のアルバム。一年の最後の月であり、すなわちムーディ・ブルースの旅路の終わりでもある。『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』で、人の一生を一日で描いたように、ムーディ・ブルースのアルバムを一年に当てはめるとすれば、『ディセンバー』が最後の一枚ということである。

 思えば、『セヴンス・ソウジャーン』(1972年)で、ひとときの休息をとったあと、『オクターヴ』(1978年)で旅を再開させ、『ロング・ディスタンス・ヴォイジャー』(1981年)と『ザ・プレゼント』(1983年)で時間と空間を飛び越えると、『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』(1986年)では、人生の裏面もしくはアメリカ探索を試みた。『シュール・ラ・メール』(1988年)で、地中海リゾート地で一休みした後は、『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』(1991年)で、神秘の王国への冒険旅行。そして『ストレンジ・タイムズ』(1999年)で、21世紀という旅の終着点を展望した。

 そして、21世紀に入った今日、もはや旅を続けるには年を取り過ぎたムーディ・ブルースの面々。どうやら潮時のようだ。

 本アルバムは、ムーディ・ブルースの終焉を刻印する役割を担った作品であり、バンドに途中から加わったヘイワードとロッジが、創立メンバーに代わって告別の式典を執り行ったというところだろう。プロデュースも彼ら二人。グレアム・エッジが古参組から唯一参加して立会人を務めている。

 さらば、ムーディ・ブルース!彼らの音楽よ、永遠なれ!

 といっても、まだライヴ・パフォーマンスのほうは、『ラヴリー・トゥ・シー・ユー・ライヴ』[ii]とか『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』の50周年記念ライヴ[iii]とか、しつこくやってるけどね。

 

01 Don’t Need A Reindeer (Hayward)

 ヘイワードのクリスマス・ソング一曲目は「トナカイはもう必要ない」。子どものころから恋していた君と、今、こうしてともに過ごしている。だから「トナカイはいらない」というストレートなラヴ・ソング。確かにヘイワードはキャッチーな楽曲も書けるが、それにしても、いつも以上にポップで親しみやすい。中間部の「アー、アー」は、もろヘイワードで、サビの明るいメロディは「ネヴァー・カム・ザ・デイ」を思い出す。

 バックの演奏も陽気ではつらつとしているが、描くのは神秘の世界ではなく、日常のささやかな幸福。ありふれた一日だけれど、ひとつだけ特別なのはクリスマスであるということ。それがアルバム全体のコンセプトのようだ。

 

02 December Snow (Hayward)

 アルバムと同時にシングル発売された曲で、『ラヴリー・トゥ・シー・ユー・ライヴ』でも歌われている。

 1曲目とは対照的に、「10月の空とともに、君は愛を運んできた。けれど、11月が来て、ぼくのすべてをさらっていった」という失恋の歌。とくにクリスマスとは関係ないようで、季節は異なるが、サイモンとガーファンクルの「四月になれば彼女は」を思い出す。

 特別ヘイワードらしい曲調というわけでもないが、まさに「十二月の雪」が音もなく降り積もるのを眺めているような、感傷的だが感情的にはならないバラード(「音もなく」では困るか)。そこが一番ヘイワードらしいところかもしれない。

 シングルといっても、ヒットを狙ってのことではないのだろう。アルバムに少しでも関心をもってもらえれば、ということか(ちなみに、『ディセンバー』はビルボードの「ホリデイ・アルバム」のチャートで10位に入ったらしい[iv])。

 

03 In the Quiet of Christmas Morning (Bach 147, Additional music by Hayward and Lodge)

 バッハの教会カンタータ147番の終曲(「主よ、人の望みの喜びを」)をもとに、そこにヘイワードとロッジが詩と曲を付け加えたものらしい。

 この後、『ラヴリー・トゥ・シー・ユー・ライヴ』でもレイ・トーマスに代わって、フルートを演奏しているノルダ・ミューレンがバッハを吹いている。

 ヘイワードとロッジのコーラスは、もちろん、これまでにあったような能天気なロック・コーラスではない。クリスマスにふさわしい聖歌風で、オーケストラとコーラスが溶け合うアレンジは、『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』になるはずだったクラシックとロックの融合が、こんな感じだったのだろうか。

 

04 On this Christmas Day (Lodge)

 荘重なイントロで始まるロッジのクリスマス・ソングは、しかし、いかにも彼らしい、二重の意味でやさしいメロディの曲。弾き語りのようなバラードで、穏やかな歌唱は、ここ最近のロッジの持ち味といえる。『ストレンジ・タイムズ』(1999年)の延長上の楽曲といったところか。

 しかし、最後の”On this Christmas day”で、いかにものクリスマス・ソング風になる。09の“When A Child Is Born”もそうだが、こうしたフレーズで一気に聖夜の雰囲気になるのは不思議だ。

 

05 Happy Xmas (War Is Over)(John Lennon/Yoko Ono)

 説明不要のクリスマスの定番ソング。ヘイワードとロッジが、4小節ずつリード・ヴォーカルを取りながら、サビでデュエットする。とくに打ち合わせをしたふうでもなく(いや、そんなことはないだろ)、ただ歌っているだけなのだが、長きにわたってムーディーズを支えてきた二人が、仲良く声をそろえているのを聞くと、言葉にならない思いがこみ上げてくる。

 

06 A Winter’s Tale (Mike Batt/Tim Rice)

 「ア・ウィンターズ・テイル」というと、クイーンが有名らしいが、こちらはデイヴィッド・エセックスが1982年に発表した楽曲。翌年、イギリスで2位まで上昇する大ヒットになったという[v]。というわけで、これもイギリスでは大定番のクリスマス・ソングのようだ。

 ヘイワードは、いつものとおり、ときどき苦し気な、声を絞り出すような(?)歌唱で、なごやかで親しみやすいメロディを淡々と歌う。

 

07 The Spirit of Christmas (Lodge)

 こちらのロッジ作も、いつもどおりのスタイル。再びミューレンのフルートをフィーチャーしつつも、本作のなかではバンドっぽい楽曲で、ドラムはエッジなのだろうか。ムーディ・ブルースっぽいともいえそうだ。

 『ストレンジ・タイムズ』でのロッジの楽曲は、サビのフレーズを思いつくと、それを中心に前後をくっつけて一曲にまとめたような構成だったが、本作も、そんな印象の作品。

 

08 Yes, I Believe (Hayward)

 タイトルからして「ヘイワードな」曲だが、本アルバムのなかでは、もっとも、かつてのムーディ・ブルースを思い出させる作品。毅然としたヴォーカルと、どこか不安と焦燥を感じさせる切迫した空気が、そう感じさせるのかもしれない。

 「クリスマスへの思いは、愛への思い」とあるように、クリスマス・ソングなのだが、同時に「ぼくは信じている、よりよい世界がくることを」と、「きれいごと」の願望を込めたメッセージ・ソングでもある(皮肉ではない)。それはそのまま現代におけるクリスマス・ソングのかたちなのかもしれない。

 もうひとつ、歌詞を読むと、本アルバムがムーディ・ブルースのラスト・アルバムであることを暗示するような一節に出くわす。これも惜別の言葉なのだろう。

 「過ぎ去った未来の日々の物語とともに(With tales of the days of future passed)。」

 

09 When A Child Is Born (Zacar/Fred Jay)

 イタリア人作曲家のザカール(Zacar)が1974年に書いた「ソレアード(Soleado)」という曲がもとになっているという。フレッド・ジェイ(Fred Jay)が英語詩を付けて、1976年にジョニー・マティスのヴァージョンがイギリスのチャートで1位になる大ヒットを記録した[vi]

 そんな新しいクリスマス・ソングとは思えないほど、どこかで聞き覚えのあるような懐かしいメロディで、交互にリードを取るロッジとヘイワードが、コーラスでは息の合ったユニゾンを聞かせる。

 

10 White Christmas (Irving Berlin)

 こちらも説明不要のクリスマス・ソングの古典的作品。ビング・クロスビーのレコードは世界で最も売れたというのを聞いた覚えがあるが、今でもそうなのだろうか(どうも、そうらしい)[vii]

 オリジナル準拠の静かで「ムーディ」な歌い出しから、途中、突然アップ・テンポになると、ギターが入ってロック風、いや、むしろハワイアン風の陽気なクリスマスとなる。ここらで、少しパーティ気分を盛り上げようということか。

 

11 In the Bleak Midwinter (Gustav Horst/Christina Rosetti)

 イギリスの詩人クリスティナ・ロセッテイが1872年に発表した詩に、1906年、グスタフ・ホルストが曲をつけたクリスマス・キャロル[viii]。ロセッティの詩は、オクスフォード大学出版局から発行された賛美歌集に収録されたものだったので、本作の歌詞掲載も同出版局の許可を得ているようだ[ix](どうでもよい話だが)。

 ということで、ラストは(欧米では)誰もが知るクリスマス・キャロルで締めくくられる。ヘイワードのソロは、やや苦しげだが、エンディングを飾るのはオーソドックスな聖歌で、ということだろう。

 聖夜のざわめきが次第に遠ざかり、降り積もる雪が世界から音を奪っていくと、ムーディ・ブルースの十二月の歌もいつしか聞こえなくなる――。

 

[i] Wikipedia: December (The Moody Blues albums).

[ii] The Moody Blues, Lovely to See You Live (Threshold, 2005).

[iii] The Moody Blues, Days of Future Passed Live (Eagle Records, 2017).

[iv] Wikipedia: December (The Moody Blues albums).

[v] Wikipedia: A Winter‘s Tale (David Essex).

[vi] Wikipedia: When A Child Is Born.

[vii] ウィキペディアホワイト・クリスマス

[viii] Wikipedia: In the Bleak Midwinter.

[ix] The Moody Blues, December.

横溝正史『壺中美人』

(本書の犯人等に言及していますので、ご注意ください。)

 

 1960年は、横溝正史の書下ろし長編ミステリが三編も発表されている。いずれも東京文藝社から刊行されていた「続刊金田一耕助推理全集」に収録されたもので、第1巻が『スペードの女王』(6月)、第2巻が『支那扇の女』(7月)、第3巻が『壺中美人』(9月)と続いて、第4巻は『扉のかげの女』だったが、これは翌年1月の出版だった。

 この「全集」は第5巻が『霧の山荘/女の決闘』(1961年1月)で、この巻までは、新作長編または中編を目玉にしていたが、第6巻『悪魔の手毬唄』からは既刊長編に変わって第10巻『獄門島』(1961年5月)で終了したらしい[i]。完結したのかどうかはわからない、というか、私は一冊も所有していないので、知らない。いずれにしても、作者も新作の連投はしんどくて、書下ろしは5巻までで勘弁してちょ、ということだったのだろう。

 これより前、『蝋美人/毒の矢』、『死神の矢/黒い翼』(ともに1956年刊)も東京文藝社の「金田一耕助探偵小説選」として公刊されたものであるし、『不死蝶』、『悪魔の降誕祭/華やかな野獣/暗闇の中にひそむ猫』、『魔女の暦/鏡が浦の殺人』(すべて1958年刊)は、「金田一耕助推理全集」の第1巻から第3巻として刊行されている[ii]

 さらに1962年には『悪魔の百唇譜』が、1964年には『夜の黒豹』が出版されていて[iii](ついでに1975年には『迷路荘の惨劇』も)、つまり「中短編の長編化」作品は、東京文藝社の独占事業(?)だった。同社のおかげで、私たちは横溝の長編ミステリを10冊以上楽しむことができたのである。ありがとう、東京文藝社。

 ところで、これらの「中短編の長編化」作品は、すべてが長編かというと微妙である。浜田知明は、『毒の矢』、『支那扇の女』、『悪魔の降誕祭』は「中編」とみなしている[iv]。確かに、これら諸作は分量的に中編と定義してもおかしくない。一方『魔女の暦』や『壺中美人』は「長編」となっている[v]のだが、(上記の三冊のなかで一番長い)『毒の矢』と比べて、さほど枚数に違いはないようだ。長編と中編の境は、どこにあるのだろう。あるいは、中編と短編の境界は?

 角川文庫でざっと比較すると、『毒の矢』は、200頁に満たない。『魔女の暦』と『壺中美人』は200頁を越えている。このあたりが一応の目安なのだろうか。私も、大体そのように考えてはいたのだが、困るのは『本陣殺人事件』が200頁以下なことである[vi]。同じ文庫でも、一頁当たりの字数の違いなどもあるだろうが、とはいえ『毒の矢』も『本陣』も分量にあまり差はない。さすがに『本陣』を中編とは呼びにくい。しかし、『毒の矢』を長編とするなら、『支那扇』や『降誕祭』も、やや短めだが長編に入れてもよさそうな気がする。さすがに「霧の山荘」[vii]などは150頁未満なので、中編だろうけれど。戦前の「幻の女」(1937年)などもそうだが、連載されていても、短期の場合、長編とすべきか、中編なのか、判断に迷うことがある。一体、客観的な基準はあるのだろうか。

 と、無駄話を続けてきたが(まあ、全部無駄話ではあるのだが)、本題に入ろう。『壺中美人』は、上記の通り、『スペードの女王』、『支那扇の女』(ひとまず長編として扱う)に続いて発表された書下ろし長編である。といっても、文庫本で実質202頁の短めの長編[viii]で、原型は1957年に雑誌に掲載された「壺の中の女」[ix]だから、いわゆる「女シリーズ」[x]の一編である。

 短編版は、いかにも枚数不足、説明不足で、長編版と読み比べると、その要約のようにみえる。あまり出来がいいと思えないが、長編版にしても、そもそも横溝の長編化作品は評判が芳しくないが、そのなかでも、面白くないことでは一、二を争う(?)。

 原型版は西荻窪が舞台だが、長編版では、『支那扇の女』に合わせてか、成城に移して、変わり者の画家のアトリエで奇妙な殺人事件が起こる。身の回りの世話をしていた中年婦人の目撃によると、アトリエの中で、中国服を着た娘が壺の中に入り込もうとしていた(!?)のだという。婦人がたてた音に驚いて、中国服の娘は逃走するが、そのあと、アトリエの中二階の寝室で、画家の井川謙造が刺殺されているのが見つかる。壺というのは、楊祭典という中国人(実は日本人)の芸人が奇術で使っていたのを、テレビでそれを見た井川が、楊に頼み込んで譲ってもらったものだった。中年婦人の宮武たけ(なんだか面白い名前だなあ)が目撃した中国服の娘は、楊の相棒の華嬢らしく、彼女は体を器用にたたんで壺に入る芸を得意としていたのである(だからって、なんで犯行後に壺に入るんだ?という疑問は、作中で警察も抱くが、そこは不問ということで[xi])。

 その華嬢と思しき女は、深夜の街を逃走中に巡羅中の警官に呼び止められたが、突如相手をナイフで刺して逃げ去る。しかし、警官が女を抱きかかえたことが、のちの金田一の推理にとって決定的な手がかりとなるという塩梅である。

 井川には妻があったが、彼のサディスティックな振る舞いに耐えかねて家を飛び出し、今は離婚調停中である。しかも、井川には男色の癖(へき)があり、そのことも妻のマリ子が家を出た要因のひとつだったらしい。井川の家は資産家で、彼自身親から譲られた土地を武蔵野一帯に所有している。従ってマリ子にも遺産相続という動機があるが、彼女は愛人の元ボクサーと一夜をともにして、アリバイに不審な点はないようにみえる。重要容疑者の楊華嬢の行方は一向に知れず、しかも彼女が犯人だとしても、動機がはっきりしない。さて、真相は?

 本作は、この時期の作者に特徴的な風俗味の強いミステリで、同性愛および女装がテーマになっている。被害者の設定や事件など、数年前の短編「生ける死仮面」(1953年)に似たところもあるが、要するに昭和20年代末あたりから顕著になる、横溝のエロ・グロB級ミステリの一編である。

 同年の『スペードの女王』や『支那扇の女』には、まだトリッキーな仕掛けやトウィストが見られたが、本作の場合、上記のごときテーマなので、のぞき趣味の扇情的なスリラーという印象で、トリックらしいトリックもない。横溝長編小説全体のなかでも、最低クラスの一作とみなされそうだが、再読すると、細かな証拠や手がかりを丹念に拾っていく金田一の推理には、それなりの面白さがあることを認識した。何気ない事実や人物の言動をとらえて推理を組み立てるのは、エルキュール・ポアロやフェル博士のお得意の技だが、本書でも、金田一が等々力警部らとの会話でみせる、打てば響くようなテンポのよい応酬と推論の積み重ねは見もので、正史の文章も弾んでいる[xii]。どうやら、本作では、トリックよりも手がかりとなる物的データや伏線を細かく配置することで謎解きミステリとしての首尾を整えようとしたらしい。

 もう一つの工夫は、これも横溝らしく、登場人物を右往左往させ、得意の共犯関係のトリックでパズルの複雑化を図っていることである。組み合わせ方は、スワッピングというか、夫婦交換というか、井川と華嬢がくっつくと、残った楊とマリ子が共闘するという具合で、しかも、上記のように同性愛と女装が絡むので、入り組んだ謎の解決と相応に意外な真相が特色となっているといえるだろう。

 さらに特徴的な手がかりとして、女装の男性の正体を見抜くそれがあるが、浜田知明によれば、このアイディアは、マーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』やトマス・ハンショーの『四十面相のクリーク』に出てくるものだという[xiii]。『壺中美人』では、金田一が、探偵小説で読んだ[xiv]、と言っているので、横溝自身は『四十面相のクリーク』で知ったのかもしれない[xv]。短編版では、テレビで華嬢ののどぼとけに気がついたと種明かしするのだ[xvi]が、さすがに、それはない、と考えたのだろう(女装しておいて、のどぼとけを隠さないというのは、ありえないから)。金田一の説明は、なかなかどうして際どくて(何が、とは聞かないで)、最初読んだときは十代だったので、けっこうドキドキしましたね。

 

[i] 島崎 博編「横溝正史書誌」『本陣殺人事件・獄門島』(『別冊幻影城』、1975年9月)、338-39頁。

[ii] 第4巻は『火の十字架/貸しボート十三号』(1958年9月)、第5巻は『迷路荘の怪人/トランプ台上の首』(1959年2月)。同、336-37頁。やはり、新作は5巻までというのが約束だったらしい。

[iii] 同、340-41頁。

[iv] 浜田知明金田一耕助の探偵事務所 『悪魔の降誕祭』を中心に」『横溝正史研究 創刊号』(江藤茂博・山口直孝浜田知明編、戎光祥出版、2009年)、105-106頁。

[v] 同、105、107頁。

[vi] 『本陣殺人事件』(角川文庫、1973年)、5-199頁。

[vii] 『悪魔の降誕祭』(角川文庫、1974年)、223-363頁。

[viii] 『壺中美人』(角川文庫、1976年)、5-207頁。細かいことだが、5ページ目はタイトルのみ。

[ix] 「壺の中の女」『金田一耕助の帰還』(出版芸術社、1996年)、137-55頁。

[x] 同、「作品解説」(浜田知明)、252頁参照。正確には『週刊東京』誌上に掲載された「ミステリーシリーズ」。

[xi] ひとつ思いついたのは、江戸川乱歩の『孤島の鬼』(1929-30年)のトリックを意識していたのだろうか(未読の方は、すいません)。

[xii] 『壺中美人』、175-79頁。

[xiii] 浜田知明金田一耕助の探偵事務所 『悪魔の降誕祭』を中心に」、102頁。

[xiv] 『壺中美人』、197頁。

[xv] しかし、横溝の長男の亮一氏によれば、子ども時代に正史に買ってもらった多数の世界文学のなかに、『ハックルベリ・フィンの冒険』も含まれていたらしい。「インタビュー 横溝亮一氏 岡山疎開時代の思いで」、江藤茂博・山口直孝浜田知明編『横溝正史研究3』(戎光祥出版、2010年)、24-25頁。

[xvi] 「壺の中の女」、154頁。

江戸川乱歩『蜘蛛男』

(本書の犯人のほか、モーリス・ルブランの『813』、E・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』の内容を部分的に明らかにしています。)

 

 久しぶりに『蜘蛛男』(1929-30年)を読んだ。創元推理文庫から出た、連載時の挿絵入りの本[i]で、買ったものの、そのままほったらかしていた。

 いやあ~、面白い。無論、筋は熟知しているのだが、それでも面白い。巻頭、いきなり稲垣平造こと「蜘蛛男」が登場する場面からして、来た来た、とわくわくさせる。いったい、この尋常でない面白さは、何によるのか。よく言われるのは、あの、なんとも独特な江戸川乱歩の文体である。確かに、落語のようにわかりきった話を、それでも面白く聞かせるのは噺家の語り口で、小説なら、すなわち文体だろう。

 第一の被害者である里見芳枝を、まんまと怪しい根城に誘い込んだ蜘蛛男は、芳枝に向かって「すてきっ。君はやっぱり利口な方ですね」[ii]とか「私の名前はなんというのでしょう。誰も知らないのですよ。稲垣ですか。ハハハハハ、稲垣って一体誰のことでしょう」[iii]などとほざくのだが、なんて気持ち悪いんだ、蜘蛛男。気持ち悪すぎて、ページを繰る手がもどかしいぞ。そもそも、全国雑誌に、こんな気持ち悪い変なヤツを登場させてよかったのだろうか。いったい、ぶっ飛んでいるのは蜘蛛男なのか、それとも乱歩なのか。

 それに改めて実感するのは、乱歩のいわゆる通俗長編は「少年探偵団」もしくは「怪人二十面相」のシリーズと、基本的に同じ文章のリズムで書かれているということである。もちろん、少年ミステリは、読み手に合わせてやさしい言葉で綴られているが、執筆のノリは一貫している。かといって、大人の読者を舐めているわけではなくて(多少は舐めていたものと思われる)、それが乱歩自身が面白いと思える語りの芸風だったのだろう。

 しかし、ミステリとしての組み立てのほうは、発表当時から評価はされてこなかった。何しろ、作者自身が「探偵小説読者にはバカバカしいような」[iv]作品に過ぎなかったと認めている。現代の若い読者に、素晴らしいトリック小説ですよ、などと勧められる作品でないことは、さすがに弁えている。しかし、新興出版社の娯楽雑誌(『講談俱楽部』)に三顧の礼で迎えられ執筆した連載長篇ミステリであるから、乱歩も、それなりに案を練って準備して臨んだものと思われる。『蜘蛛男』のミステリ構造分析など試みる人は、もはや、いそうもないが、それらしいことをやってみよう。

 『蜘蛛男』は、明智小五郎シリーズの一作で、怪人対名探偵ものの一編である。この構図自体、少年ミステリと同じで、怪人二十面相ならぬ蜘蛛男が明智小五郎に奇怪な殺人ページェントを演出して挑戦する(実際は、二十面相のほうが蜘蛛男の後輩だが)。こうした「決闘小説」は、そもそも乱歩の好みで、犯人と探偵の知的駆け引きを描くのが、初期短篇の特色のひとつでもあった。処女作の「二銭銅貨」(1923年)からして、一種の「決闘小説」だったことを見ても、乱歩の生来の嗜好がどこにあったのかがわかる[v]

 ただし、『蜘蛛男』の場合、明智が登場するのは終盤になってからで、そこまでは犯罪学者である畔柳勇助が探偵を務める。この構成は、『孤島の鬼』(1929-30年)もそうなのだが、イーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』(1922年)に類似している。『レドメイン家』でも、真の名探偵ピーター・ガンスが登場するのは作品の後半になってからで、それまではブレンドン探偵が、殺人事件捜査に、恋愛にと奮闘(?)する。

 『蜘蛛男』の構成は、『レドメイン家』のこうした趣向に影響されたものと思い込んでいたのだが、乱歩が同書を読んだのは昭和10年(1935年)になってからだったらしい[vi]。とすると、二人の探偵を配する二段構えの構成の相似は偶然の産物だったようだ。それに『蜘蛛男』の最大のミステリ的仕掛けは、探偵が実は犯人だったという意外性にあるのだが、『レドメイン家』のブレンドン探偵は犯人というわけではない(この点は、『孤島の鬼』も同様)。

 『蜘蛛男』で、怪人対名探偵という構図が成り立つのは、従って、小説が七割方終わってからで、そこに至るまでは、畔柳博士対蜘蛛男の「一人二役対決」である。決闘小説と見せかけて、実は自分で起こした事件を自ら探偵する自作自演の一人芝居というわけで、作中で捜査陣の一人が口にする「では、あの人は自分が犯した罪を自分で、探偵していた。自分を自分が追っかけていたというのですね」[vii]という変なユーモアが実は本書の一番のポイントである。このセリフが書きたくて、こういうプロットにしたのではないかとさえ思えてくる。

 作者自身「涙香とルブランとを混ぜ合わせたようなものを狙っ」[viii]た、と書いているように、恐らく『813』あたりから想を得たのだろうが、この犯人のアイディアを基に、少年探偵シリーズでもお馴染みの「不可能トリック」を随所で披露している。

 物語の前半は、里見芳枝と絹枝姉妹の連続殺人で、バラバラ死体を石膏で覆って店頭に晒したり、死体を水族館の水槽の中に投げ入れるなどの劇場型殺人で蜘蛛男の異常性を印象づけておいて、そのうえで、ミステリとしての山場となる不可能犯罪に持ってくる構成は、それなりに考えられている。

 中心となるのは、映画スターの富士洋子に対する一連の襲撃事件で、畔柳博士の室内に蜘蛛男からの予告状が出現する謎、洋子をさらった蜘蛛男が疾走する自動車から消え失せる人間消失の謎、畔柳博士と浪越警部が厳重に監視する室内から洋子が連れ去られる謎と、今さら書くのも恥ずかしい、見え透いた手品トリックが連発される。

 しかし、例えば、メインとなる自動車からの犯人消失の謎では、怪しげな農夫を登場させておいて容疑者とする一方、不可能状況の目撃者として重要な証言をさせて、犯人特定の手がかりとするなど[ix]、トリックを作りっぱなしで放置するのではなく、それなりの工夫を凝らして謎づくりをしている点は、注目しておいてよい。

 もうひとつ、ミステリのプロットとは関りがないが、注目すべき点として、本書の実質的なヒロインと思われる富士洋子の扱い方がある。彼女は度重なる蜘蛛男の魔の手から逃れ続け、むしろ反撃して蜘蛛男を窮地に追い込む。最後は、明智と取っ組み合う蜘蛛男の足を撃ち抜いて、名探偵を救う。圧倒的なヒロイン枠であるのだが、ところが、そのあと、なぜか蜘蛛男の縄目を解いて、怪人を逃がそうとする。なんとも測りがたい女心と秋の空であるが、あくまでゲスな蜘蛛男は彼女を無理やり連れ去り、やがて、二つの死骸が発見され、蜘蛛男と洋子と判定される。

 無論、蜘蛛男と思われた死体は別人で、そのあと、明智との最後の対決が待っているのだが、ところが、洋子のほうは、本当に殺されてしまったらしいのだ。それまで何度も危機を脱して、明智以上の活躍をみせてきたヒロインが、あっけなく殺されるとは、びっくり仰天である。最後、蜘蛛男が滅んだあと、実は、洋子は生きて救い出される結末になるのかと思いきや、どうも死んだまま(?)らしい。これって、娯楽小説として、どうなんでしょうね。確かに、この富士洋子という女性、あまり、その人物像や性格は描かれない。乱歩自身、彼女を女主人公とは思っていなかったようであるし、そもそも女性を描くのが苦手で、書きこむ気すらなかったのかもしれない。それにしても、この雑な扱いはどうしたことか。それとも、実は洋子は生きていたというラストにするつもりが、うっかり忘れてしまったのだろうか(うっかりすぎます)。

 一見ヒロインと見える女性が、あっさり死んでしまうのは斬新ともいえるが、やはりエンターテインメントとしては計算違いだったようですね。

 次作の『魔術師』(1930-31年)では、乱歩は、最後に明智とヒロインが結ばれる結末にしている。名探偵の恋愛を積極的に取り入れているのだが、これは『蜘蛛男』の結末に対する反省からだったのだろうか。

 

[i] 『蜘蛛男』(創元推理文庫、1993年)。

[ii] 同、24頁。

[iii] 同、30頁。

[iv] 『探偵小説四十年上』(光文社、2006年)、401頁。

[v] 横溝正史の『白蝋変化』と『吸血蛾』について書いた拙稿で、乱歩作品の特質についても触れた。

[vi] 江戸川乱歩「フィルポッツ」『海外探偵小説作家と作品2』(講談社、1989年)、199-217頁を参照。

[vii] 『蜘蛛男』、249頁。

[viii] 『探偵小説四十年上』、399頁。

[ix] 『蜘蛛男』、131、135-44頁。

ムーディ・ブルース『ストレンジ・タイムズ』

 1999年、8年ぶりにムーディ・ブルースのオリジナル・アルバム『ストレンジ・タイムズ(Strange Times)』がリリースされた。

 1978年の『オクターヴ(Octave)』は、『セヴンス・ソウジャーン(Seventh Sojourn)』(1972年)から6年ぶりのアルバムだったが、本作はそれを更新して、もっとも長い休止期間を挟むアルバムとなった。

 などと、もったいぶって書いても仕方がない。要するに『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』(1991年)がぽしゃったので、新作を出せなかっただけであろう。

 その間、ムーディーズは、『ア・ナイト・アット・レッド・ロックス(A Night at Red Rocks)』(1992年)から、その土地々々のオーケストラと共演したシンフォニック・ロック・ライヴ・ショウを、せっせとこなしていたようだ。『ストレンジ・タイムズ』の発売後も、イギリスのロイヤル・アルバート・ホールでのライヴを『ホール・オヴ・フェイム(Hall of Fame)』(2000年)として発表。2003年には、『ディセンバー(December)』という変な(クリスマス・)アルバムをリリースして、これがムーディ・ブルースの最後のスタジオ・アルバムとなった。このときも、ロス・アンジェルスのグリーク・シアターにおけるライヴを『ラヴリー・トゥ・シー・ユー(Lovely to See You Live)』(2005年)として発表している。スタジオ・アルバムとライヴ・アルバムのセット売りが恒例となって、スタジオ・アルバムの制作が途絶えた後も、『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト(Days of Future Passed)』の再現ライヴ[i]や、過去のライヴ・コンサートの発掘[ii]が進み、実質過去の存在となったムーディ・ブルースの「歴史」の穴埋め作業が今日まで続いている。それなりに、ロック史に足跡を残したということだろう。

 『ストレンジ・タイムズ』に戻ると、全14曲というのは最多記録で、収録時間も57分40秒と最長。タイトルは短くなったが、時間は伸びた(音楽としては、好ましいというべきか)。チャート・アクションは、全米93位、全英92位。英米で見事に拮抗している(?)。アメリカでは前作を上回った(1ポイントだけだが)が、イギリスでは前作の54位から大幅にダウン。いよいよ英国でも見捨てられ始めた。

 だからというわけでもないだろうが、本作はイタリア録音。どうやら、ジャスティン・ヘイワードのソロ・アルバム『ザ・ヴュー・フロム・ザ・ヒル(The View from the Hill)』(1996年)と同じスタジオのようだ。ミックスはイギリスで行われ、プロデュースはムーディ・ブルース名義。活動縮小を如実に表わしているようで、ファンとしては、それこそ「ブルー」な気分になるが、やはりというか、起死回生の一枚とはならなかった。

 もっとも、彼ら自身、売れ行きは左程期待していなかったのだろう。多分、20世紀のうちにアルバムを出すことが目的だったように思える。それは、アルバムのラストの「ナッシング・チェンジズ」(エッジ作)で「来るべき2001年」と詠われていることからも想像がつく。20世紀に実質的に歴史を終えたバンドが送る最後の挨拶だったのだろう。

 思えば、1967年の『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』から1972年の『セヴンス・ソウジャーン』までの7枚が第二期ムーディ・ブルースの前期、折り返しの『オクターヴ』(1978年)から本作までの7枚が後期と考えれば、結果論ではあるが、『ストレンジ・タイムズ』が、実質ラスト・アルバムとなったのも、つじつまが合う。

 

01 English Sunset (Hayward)

 スタートは、ジャスティン・ヘイワードのシングル・ナンバーから。いつも通りの変わりばえのしないといえば、しない幕開けである。

 軽快なテンポで駆け抜ける疾走感にあふれた爽快なポップ・ロックだが、かつてのムーディ・ブルースに比べると、あまりにも爽やかすぎるだろうか。

 しかし、ヘイワードの翳りを帯びたヴォーカルは、相変わらず耳から胸奥にすとんと落ちてくる。サビの展開がぎこちないというか、音数が足りないというのか、メロディを探しあぐねたようなもどかしさを感じないでもないが、全体としては、はるか洋上に沈む夕陽を追って翼が飛び去る視覚的イメージを眼前に浮かび上がらせる。まさに、「イングランドの夕陽」である。

 ヒットとはいかなかったが、アルバムを代表する楽曲で、ムーディ・ブルースにおけるヘイワードの最後の傑作といえるだろう。

 

02 Haunted (Hayward)

 続けてヘイワードのスロー・バラードへと移る。彼にしては、やや感情過多とも思えるセンチメンタルな楽曲だが、『オクターヴ』以降、R&B風だったり、ジャズっぽい曲があったりするようになって、本作のイントロもそんな印象である。

 この曲などを聞くと、声が出づらくなっているようにも聞こえるので、ヘイワードも50歳を過ぎて、少し年齢が影響し始めたかとも思ったが、彼の歌い方は昔から苦しげといえば、苦しげに聞こえる唱法ではあった。その後のライヴ・アルバムでは健在ぶりをアピールしているので、余計な心配だったか。

 

03 Sooner or Later (Walkin’ on Air) (Hayward/Lodge)

 1980年代以降定番のヘイワード=ロッジの共作曲で、ゆったりしたリズムで楽し気に歌っている。

 ヴォーカルは、ロッジ、ヘイワードに加えて、レイ・トーマスもリードを取っているようで、ヴォーカリスト三人がワン・フレーズずつリードを交代していくという珍しいスタイルである。

 『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』の頃のようなダンス・ビート・ナンバーというのでもなく、力の抜けた、くつろいだヴォーカルとコーラスは、これも年齢を重ねた余裕というものだろうか。

 

04 Wherever You Are (Lodge)

 こちらもロッジのいつもながらの手慣れたバラード作品。

 彼らしいわかりやすく親しみやすいメロディを語りかけるように歌うのもいつも通り。

 ということで、特に変わったところもなく、イントロが少しばかり神秘的なところが印象に残るが、他に言うこともないというと、まったく褒めていないようだが、駄作ではない。悪いところもないが、どうもコメントしにくい。ヴェテラン・バンドともなると、どうしても、こうした感想が増えてくるが、仕方がないところだろう。

 

05 Foolish Love (Hayward)

 ヘイワードのいささか軽いタッチのポップな作品。

 ちょっとマイナーな曲調で、しかし、メロディは彼らしく引き付けるものをもっている。ソロ・シングルの「マリ/ハート・オヴ・スティール」(1979年)あたりを連想させるようでもある。

 つまり、ソロ・アルバムに近いということで、それは2曲目の「ホーンテッド」や、この後の曲にも言える。さらにいえば、他のメンバー-ロッジ、トーマス-にしても、ソロ・アルバムに近い感覚で書いているようで、アルバム全体がそうした傾向をもっているといえそうである[iii]

 

06 Love Don’t Come Easy (Lodge)

 ロッジの二曲目も取っつきやすいメロディのバラード。というか、『ストレンジ・タイムズ』に彼が提供した4曲はすべてバラードなのである。

 ロッジというと、バラードとロックン・ロールの二本立てというのが特徴で、その代表が「イズント・ライフ・ストレンジ」と「アイム・ジャスト・ア・シンガー」の『セヴンス・ソウジャーン』(1972年)だったが、全曲(それも4曲)ともバラードというのは、どういう風の吹き回しだろうか。これも年齢のせいなのか。

 それはともかく、この曲でも一番耳に残るのはサビの「タイム・チェンジズ」のフレーズで、しかし、同じ歌詞を同じメロディで音を下げていくだけというのは、あまり繰り返すと機械的に聞こえてくる。4曲のなかでは、一番ドラマティックな作品といえるだろうか。

 

07 All That Is Real Is You (Hayward)

 ヘイワードには珍しい三拍子のスローなナンバー。バラードというより、一昔前のフォーク・ソング調の曲で、ディランやジョーン・バエズの時代を思い出させる。

 これも言ってみれば、ソロ作品的な一曲で、「僕にとってリアルなのは君だけ」というタイトルは、まことにヘイワードらしいといえるが、それをムーディ・ブルースのアルバムでやるというギャップが、むしろ聞き所といえるかもしれない(なんか、ひねくれた言い方だな)。

 

08 Strange Times (Hayward/Lodge)

 タイトル・ナンバーで「不思議な時代」とくれば、やはりというか、本作では、もっともムーディ・ブルースらしい作品。

 ヘイワードとロッジの共作なので、かつてのピンダーやエッジの曲ほど大仰ではないが、ミディアム・テンポながら、熱気を帯びたヴォーカルと「ストレンジ・タイムズ」のリフレインがムーディーズらしさを運んでくる。

 本アルバムで、一番バンドっぽい曲でもある。そのせいか、アルバム全体が、基本的に各人が持ち寄ったソロ楽曲の寄せ集めだということを逆に実感させる。

 

09 Words You Say (Lodge)

 ロッジの三曲目のバラードは、前作アルバムの「リーン・オン・ミー」を思わせるクラシカルなオーケストラのイントロから始まる。

 楽曲も、今回の4曲のなかで、もっともロマンティックでスローな作品。それにしても、サビが「アイ・ドント・ウォナ・ウェイク・アップ・ナウ」の繰り返しで、決して悪いメロディではないが、今回のバラードは皆このパターンなので、ここまでくると、どうしてもそこは気になってくる。

 

10 My Little Lovely (Thonas)

 レイ・トーマスの本アルバムで唯一の、そしてムーディ・ブルースにおける最後の作品は、そんな感傷を感じさせない小体でさりげないポップ・ソング。

 前作の「ケルティック・ソナント」の荘重さはかけらもなく、リリカルで愛らしいメロディは、どこか『セヴンス・ソウジャーン』の「フォー・マイ・レディ」を思い起こさせる(あんなに素晴らしくはない)。

 本アルバムをもって引退宣言をしたトーマスの惜別の辞というところか。

 

11 Forever Now (Lodge)

 ロッジのバラード四部作の最後の一曲。

 小味な「ホェアエヴァ・ユー・アー」と劇的な「ラヴ・ドント・カム・イージー」の中間あたりに位置しそうな作品。例によって「イフ・イット・クド・ビー、イフ・イット・クド・ビー」と繰り返すサビがマンネリ気味だが、一番ポップでキャッチーともいえそうだ。

 今回の4曲、一曲ずつ聞けば、良いメロディを含んでいるが、全体を通してみると、似たり寄ったりに聞こえてしまうのは、やむをえない。あるいは、むしろ、そこがテーマなのか。

 

12 The One (Hayward/Lodge)

 ヘイワードとロッジの共作三曲目は、本アルバムでは、もっともロックっぽいナンバー。

 「ノウ・サプライズ、ヘイ・ザット・ユー・ウォナ・ビー・ザ・ワン」というフレーズがなかなか強力で、「ストレンジ・タイムズ」やラストの「ナッシング・チェンジズ」のように、ムーディ・ブルースらしさを感じさせる作品。後半に出てくるコーラスも、ムーディ・ブルースそのものの魅力にあふれている。

 ヴォーカルはロッジで、どうやら、今回のアルバムでは、ロックっぽい曲はヘイワードとの共作だけにしようと思ったらしい。

 

13 The Swallow (Hayward)

 これは本当に珍しい。なんと、ヘイワードのアコースティック・ギターの弾き語りで始まるフォーク・バラード風の曲。

 前作の「ネヴァ・ブレイム・ザ・レインボウ・フォー・ザ・レイン」を思い出させるが、こちらはヘイワードの単独作。「つばめ」という題から想像できるように、なんとも爽やかな感傷を感じさせるところが共通している。

 特別よい曲ともいえないが、詩情にあふれた、これまた、どこまでもヘイワードらしい作品というほかないようだ。

 

14 Nothing Changes (Edge)

 最後を飾るのは、エッジの楽曲。というより、大半はポエム・リーディングで、コーラスがエンディングにちょっぴり出てくるだけ。エッジの詩というと、いつ以来だろうか。『クエッション・オヴ・バランス』(1970年)が最後だったか。

 冒頭に述べたように、「1984年は恐怖の年だった[iv]。まもなく2001年が訪れる」と、20世紀という時代への、はなむけと批評という意図のようだ。同時に、来るべき21世紀もまた「何も変わらない」というのは、諦念なのか、予言なのか。また説教臭いムーディ・ブルースが戻ってきたが、一番印象に残るのは、最後に出てくる次の一節。

 「今でも、人生は単純なゲームなのさ。」

 かつての盟友マイク・ピンダーに捧げる、グレアム・エッジの心からのメッセージなのだろう。

 

[i] The Moody Blues, Days of Future Passed Live (2017).

[ii] The Moody Blues, Live at the Isle of Wight Festival (2008), The Other Side of Life Tour 1986, in The Moody Blues, The Polydor Years 1986-1992 (2014), The Moody Blues, Live in Chicago, 1981 (2019), 

[iii] The Polydor Years 1986-1992, p.25(by Mark Powell).

[iv] ジョージ・オーウェルを意識しているのだろうが、ハレー彗星への言及もある(このときの地球接近は、1986年)。ハレー彗星は、1066年にイングランドで観測され、その後の「ノルマンの征服」の前兆だったと恐れられたのは有名。

ムーディ・ブルース『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』

 1990年代のムーディ・ブルースが進むべき道を示すはずだった『キーズ・オヴ・ザ・キングダム(Keys of the Kingdom)』(1991年)[i]は、しかし、見事にこけた。そればかりか、バンドが時代から取り残された現実を正面から突きつける結果となった。

 全米チャート94位、全英54位。惨憺たる成績である。『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』(1967年)以降、最悪の結果で、もう笑うしかない。60年代に産声を上げ、80年代をしぶとく生き残ってきたオジサン・バンドも、ついに見限られてしまった。アーメン。

  レイ・トーマスが戻って楽曲を提供し、ジョン・ロッジも一時の不調から立ち直って素晴らしい作品を提供したのに、このざまである。やっぱり、みんな、アメリカンな『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』みたいなのが、よかったのか。

 それでも、1999年には『ストレンジ・タイムズ(Strange Times)』を発表、8年ぶりの新作オリジナル・アルバムだったが、結果は最悪を更新、バンドは完全にポップ・ロックの第一線から退くことになる。以後、ムーディーズはオリジナル・アルバムよりも、ライヴに活路を見出そうとする。すでに、『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』発表に合わせて行ったライヴを『ア・ナイト・アット・レッド・ロックス(A Night at Red Rocks)』(1992年)としてリリース。1977年の『コート・ライヴ』以来、15年ぶりのライヴ・アルバムだった。『ストレンジ・タイムズ』発表の際も、翌年にライヴの『ホール・オヴ・フェイム(Hall of Fame)』(2000年)を発売している。ライヴとセットで販売するという新しい売り込み戦略を開拓した記念すべき一枚が本作だったということになる。無駄だったけど。

 本作は、そうしたムーディ・ブルースの大きな転換点というか、転落の第一歩を標した作品ということができる。

 どういういきさつからか、トニー・ヴィスコンティ以下3人のプロデューサー(他は、クリストファー・ニールとアラン・トーニィ)を起用[ii]して、メンバーも、いつのまにかパトリック・モラーツがいなくなって、彼を除く四人の写真のみが歌詞カードに掲載されている[iii]。そもそも、モラーツは本当にレギュラー・メンバーだったのか、ゲスト・ミュージシャンだったのか、今になっても、よくわからない。

 思うに、モラーツが演奏している3曲はヴィスコンティのプロデュースなので、最初は彼のプロデュースのもと、モラーツを加えた5人でレコーディングを始めたが、途中何かがあって、モラーツが抜け、プロデューサーも交代して、なんとか完成させた。そういったことだったのではないか。そんな混乱と混沌とした状況を感じさせるアルバムである。

 

 ただし、プロセスがどうあれ、また商業的に失敗であったとしても、それは内容とは関係ない。

 そして、内容についていえば、本作は80年代以降ではベストのアルバムである。あのブリティッシュ・ロックのムーディ・ブルースが帰ってきた。1960年代~70年代の諸作、例えば『夢幻』(1969年)や『童夢』(1971年)にも引けを取らない最高の一枚といえる。これはもう確定した事実であって、異論は受け付けない。受け付けないったら、受け付けない。

 複数のプロデューサーがよってたかってつくったせいか、確かに、全体のまとまりは悪い。1978年の『オクターヴ』のように、楽曲の寄せ集めといった印象である。しかし、個々のクォリティは高く、アルバム自体は、混乱も混沌も感じさせない珠玉の楽曲集となっている。私見では、少なくとも三曲の名曲を含む、文句なしの傑作アルバムである。

 

01 Say It with Love (Hayward)

 傑作アルバムだと大見えを切ったが、一曲目の「セイ・イット・ウィズ・ラヴ」は、どうも傑作ではなかったようだ。

 軽快なポップ・ロックで、ヘイワードの歯切れのよいヴォーカルとわかりやすい曲調は、シングルにぴったりだ。実際シングル・カットされたが、案に相違してというか、予想通りというか、まるで売れなかった。

 だからというわけではないが、結局、『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』のセールスが壊滅的だったのは、シングル・ヒットがなかったせいだろう[iv]。本曲が、ちょっとでもヒットしていれば、アルバムも何とかなったのではないか。

 ヒットしなかったから猛烈に叩いているわけではなく、「ユア・ワイルディスト・ドリームズ」や「アイ・ノウ・ユア・アウト・ゼア・サムホェア」に比べて、やはりメロディが弱かった。必殺のフレーズがなかった。シングル向きといっても、あのヘイワードのメロディなしでは魅力も半減するということだ。

 

02 Bless the Wings (That Bring You Back) (Hayward)

 1曲目の不調を取り返すかのようなヘイワードの傑作が登場する。

 ドラマティックなイントロから、むしろ抑えたヘイワードのヴォーカルが静かに、しかし力強く歌い上げる。かつての「ニュー・ホライズンズ」(『セヴンス・ソウジャーン』)を思い起こさせる名バラードである。

 サビの「ああ、彼女を連れ戻してくれ、翼よ、僕の待つ浜辺へと届けておくれ」から、最後の「ホウジュ、ホウジュ、ホウジュ、ナウ、ユアンダスタン、ナウ、ユアンダスタン」には、思わずこちらも声を合わせて口ずさんでしまう。あんな説得力は出せないが。

 曲のラスト、ヴォーカルが途絶えると、一瞬の間を置いて哀調を帯びた旋律をギターが奏で、虚空へと消えていくエンディングは感動的ですらある。これがひとつめの傑作だ。

 

03 Is This Heaven? (Hayward/Lodge)

 ヘイワードとロッジの共作は、繋ぎの小品といった作品。『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』(1986年)と『シュール・ラ・メール』(1988年)では、穴埋めに共作ナンバーを大量投入していたが、本作は、あくまで単独作が中心で、ヘイワード/ロッジの共作は2曲のみ。

 本作は、途中タップ・ダンスまで織り込んで、軽快で親しみやすいポップ・コーラス・ナンバーになっている。

 軽いといえば、これ以上ないくらい軽いが、なかなか楽しい作品だ。

 

04 Say What You Mean (Parts I & II) (Hayward)

 続くのは、どこかエキゾティックな香りのするヘイワードの作品。

 本アルバムで、モラーツが参加しているのは3曲だけらしいが、そのうちの一曲で、なるほどモラーツらしい多彩なキーボード・アレンジで、パート・ワン、パート・トゥーからなる演劇的とも思えるナンバーを盛り上げている。

 ケルト風というか、アイルランドの暗い森(行ったことはないので、イメージだけ)をさ迷うかのような異界の幻想を感じさせる曲でもある。「本当に心に思っていることを口にするんだ」「口にするなら、本当に思っていることにするんだ」という、「あなたらしく生きる50の方法」みたいな人生指南のごとき歌詞とどういう関係があるのか不明だが、「パート・トゥー」の「森の中に分け入る。見つめているのは月ばかり。」「ありのままの素晴らしい快感があふれ出してくる」という語りには、そんな神秘体験が感じられるようだ。

 

05 Lean on Me (Lodge)

 ついに、ロッジの傑作が降臨した。

 1980年代のアルバムには見られなかった必殺のメロディが、聴き手の心をシンプルに掴んでくる。ありふれたバラードのように聞こえるかもしれないし、実際そうなのだが、その旋律は聞くほどに胸に染み込んでくる。

 ソロ・アルバム『ナチュラル・アヴェニュー』(1977年)のなかの「キャリー・ミー」の悪くいえば二番煎じだが、ほんのわずかな違いが曲の魅力を何倍にも増幅させる格好の例といえるだろう。

 クラシカルなイントロ、キャッチーなヴァースからさらにキャッチーに展開するサビ、間奏のギターと、最初から最後まで弛みなく組み立てられた絶品のバラードである。

 

06 Hope and Pray (Hayward)

 駆け抜けるようなテンポのイントロで始まり、例によってヘイワードの落ち着いたヴォーカルが、あまり抑揚のないメロディを淡々と唄う。

 どうということもない曲で、そのまま右の耳から入って左に抜けていきそうな、これといった特徴のない曲だが、むしろ、特徴のなさというか、その透明感が尋常ではない。

 北の渓谷の氷結した川が春の雪解けに激流となって流れていくような(どういう形容だ)、まさに清流のごとく、酒でもミルクでもない、透き通るような清涼感にあふれている。

このアルバムでのヘイワードは、かつてのムーディ・ブルースのアルバムにおける翳りや暗さが薄れて、明朗で清冽な印象が強まっているようだが、それを体現する作品である。

 

07 Shadows on the Wall (Lodge)

 ロッジの二曲目は、スロー・テンポながら、バラードというのでもなく、ちょっと変わったナンバー。

 歌詞のほうも、「壁に写る影を追って。床を滑る影を追って。いつまでも褪せない夢を追って」と意味深長なワードが並ぶ。

 しかし、曲はなかなかよい。「リーン・オン・ミー」のようなロマンティックなバラードとは異なるが、これもまたロッジの持ち味を活かした曲といえるだろう。

 

08 Once Is Enough (Hayward/Lodge)

 「イズ・ディス・ヘヴン」同様、軽快で軽妙なタッチの共作ナンバー。

 ややリズム・アンド・ブルース風味が強いというか、黒人コーラス風というか、なかなかノリの良い快調な出来でシングル向きとも思える。しかしまあ、ムーディ・ブルースのシングルとしては、少し軽すぎるか。バンド名には合っているかもしれないが。

 

09 Celtic Sonant (Thomas)

 『ザ・プレゼント』の「アイ・アム・ソーリィ」以来の、久々のレイ・トーマス

 パトリック・モラーツ参加なので、立体的なキーボードのアレンジが、波が打ち寄せる北の海の水底の情景を描き出す。

 曲はトーマスらしいシンプルな三拍子のスロー・バラードで、「運命の輪が回り続ける」と、タイトル通り「ケルトの太古の響き」を聞かせる。しかし、トーマス自身もなんだか、ますます仙人くさくなってきて、このままマイク・ピンダーのように、荒野に隠遁するのではないか(?)、と心配になってくる。ま、お元気そうで、何よりです。

 

10 Magic (Lodge)

 歯切れのよいギターのイントロから、最後の大騒ぎが始まる。

 ここまで爽快なロックン・ロールは、『ザ・プレゼント』の「シッティング・アット・ザ・ホイール」以来で、しかし、あちらよりはメロディアスで、ロッジらしいポップなフレーズが楽しめる。とくに「ベイビー・ワーク・ユア・マジック・オン・ミー」で締めるラストは痛快だ。

 これもシングル向きであるが、果たしてヒットしたかとなると、どうだろうか。メロディが、むしろキャッチーすぎるだろうか。

 

11 Never Blame the Rainbows for the Rain (Hayward/Thomas)

 アルバムのラストを飾るのは、「ウォッチング・アンド・ウェイティング」(『トゥ・アワ・チルドレンズ・チルドレンズ・チルドレン』、1969年)以来の、ヘイワードとトーマスの共作曲。

 どこをどう共作したのかわからないが、サビのヘイワードのヴォーカルを追いかけるトーマスの掛け合いコーラスのパートは、彼の作曲なのだろう。

 虹のかかる雨上がりの空をイメージしたイントロから、まるで童話のような歌詞と童謡のようなメロディが心を和ませる。確かに、トーマスの曲にありそうな優しい旋律だが、かつてのムーディーズに比べて、やはり、あっけらかんと晴れ晴れしすぎるだろうか。

 「雨が降るのは虹のせいじゃない。つらい思い出を忘れることを学んでみよう。年を重ねて、最後に密かに願うのは、もう一度人生を生きること」という歌詞は、あまりに心穏やか過ぎて、空々しくもあるが、ヘイワードとトーマスの温かみに満ちたコーラスは、単純かつストレートに耳に滑り込んでくる。ムーディ・ブルースの音楽が、ブリティッシュ・ロックのもっとも美しい部分を、誰にでもわかるかたちで表現していることを改めて気づかせてくれる。

 かくして、三番目の傑作「ネヴァ・ブレイム・ザ・レインボウ・フォー・ザ・レイン」で『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』は終わる。

 

[i] ムーディ・ブルース『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』(ポリドール、1991年)。

[ii] 03、04、09、10、11(ヴィスコンティ)、01、05、06(ニール)、02、07、08(トーニィ)という内訳。

[iii] 歌詞カードによれば、パトリック・モラーツの参加したのは、04、09、10の三曲のみのようだ。

[iv] Wikipedia: Keys of the Kingdomを参照。

横溝正史『幽霊男』

(本書および『毒の矢』の犯人、トリック等のほか、ジョン・ディクスン・カーアガサ・クリスティの著作の内容を明らかにしています。)

 

 いわゆる横溝正史のエロ・グロB級ミステリの皮切りとなったのが本書、『幽霊男』である。『悪魔が来りて笛を吹く』(1951-53年)の連載が終了したあと、直ちに1954年1月から連載がスタートした。掲載されたのは『講談俱楽部』[i]で、こういうタイトルの雑誌は「クラブ雑誌」[ii]などと揶揄される「低級誌」(なんて言っていいのでしょうか)だったらしい[iii]。同年の10月には、講談社から単行本が発売されている[iv]が、これも驚くべき事実だ。なぜなら、完結が『講談倶楽部』の10月号だからである[v]。もちろん雑誌のことだから9月には発行されていたのだろうが、この早さは、要するに、作者が手を入れていないということだろう。手を入れる気もなかったといったほうが良いかもしれない。

 それぐらい、どうでもよかった(わけでもなかったとは思うが)長編小説であったようだ。ちなみに、同じ1954年の5月には『悪魔が来りて』が岩谷書店から出版されている[vi]。同長編は前年11月に完結しているので、半年たってからの刊行で、しかも、著者の「あとがき」付きである。そのなかで横溝は、長期連載ゆえ、相当手を加える必要があると思っていたが、読み直して、それほど構成に狂いはなかったので、結局、わずかばかりの加筆修正で出版することにした、と述懐している[vii]。この、あまりの扱いの差。本当に、どうでもよかったのですね。可哀そうな幽霊男。

 その幽霊男君は、名前からして、江戸川乱歩が戦前に大量生産した通俗怪奇ミステリを手本にしたものと思われるが、「蜘蛛男」[viii]や「黒蜥蜴」と違って、なんと名字があるのである。しかも名刺も持っていて、佐川幽霊男君をご紹介、と書いてある[ix]。残念ながら、名刺は佐川君のものではないのだが、さらわれた後に、私、こういうものです、と名刺を差し出されても困っちゃうよね。幽霊男の本名(?)は佐川由良男で、それをもじって幽霊男(ゆれお)をペンネームにしているのだと本人の説明だが、無駄に凝った設定は誰の得なの?

 そんな彼がやってきたのは、神田神保町にある共栄美術倶楽部というヌード写真のモデルを紹介する業者だそうで、そういう店舗が神保町にあったとは知らなかった(いや、ないって)。さぼうるのあたりだろうか。いや、ラドリオの近くか。ぜひとも見に行きたかったなあ。

 佐川幽霊男君は、恵子というモデルを指名するが、このあと、この店が抱えるモデルたちが次々に怪人の餌食となって命を落とすという猟奇スリラーである。

 とはいえ、『幽霊男』は、この後も続く「横溝B級ミステリ・シリーズ」のなかでは、『吸血蛾』(1955年)や『悪魔の寵児』(1958-59年)と比較しても、トリッキーで謎解きの興味が濃い長編である。冒頭場面にもトリックが仕掛けられており、被害者となる女たちのほかに、主要登場人物の男性のうち、菊池陽介という元私立大学助教授がひとりだけ倶楽部にたむろしていて、唯一幽霊男を目撃する。他に、外科医の加納三作、新聞記者の建部健三がいるが、ちょうど不在だった彼らに幽霊男である疑いがかけられるわけである。

 この幽霊男という設定自体がトリックになっているのだが、こうした怪人対名探偵(このあと、もちろん金田一耕助が登場する)の構図は、江戸川乱歩の通俗長編ミステリの特徴で、最初の成功作『蜘蛛男』(1929-30年)が典型である。ただし、ほぼ四半世紀の時間差があるので、『幽霊男』は、より進んだ技巧を駆使している。『蜘蛛男』は、冒頭でアジトに連れ込んだ被害者を殺害するまでの様子が描写されるが[x]、そこにトリックはない。本書も同様に、幽霊男が恵子を連れ込んで、あわやとなるが、そこで場面が転換する[xi]。翌日、恵子の死体が発見され、そのあとに、幽霊男視点の描写がくるのだが、「鏡にうつるその顔は、幽霊男にそっくりではないか」[xii]の書き出しから、幽霊男は、と続けて、次いで独白で「幽霊男出現の第一幕としては、それほど拙い演出ではなかったようだ」[xiii]と言わせている。

 つまり、ここで幽霊男が入れ替わっている。最初の幽霊男ではなく、こちらのほうが本当(殺人犯人)の幽霊男なのだ、というわけで、そこまでは作者も考えていなかったかもしれないが、本書のタイトルも暗示的な伏線になっていると解釈できる。もっとも、この辺りの描写は、細心の注意を払ったとは言えず、むしろ読者が気付いても構わない書き方[xiv](通俗雑誌の読者相手という意識からか)をしているので、叙述トリックというには、不発気味である。現代ミステリなら、もっと徹底的に幽霊男はひとりだけと思わせる描写に努めただろう。このあと殺人現場となったホテルの鍵を取り出してみせるのだが、これも重要な手がかりで、すなわち、この幽霊男が最初に現れたのと同一人物だと思わせるための仕掛けである[xv]。別人なら、なぜ鍵を持っているのか。そこも、きちんと伏線が張られているが、ちょっとずるいかな[xvi]

 事件の真相は、最初に登場した幽霊男が建部健三で、無論、殺人の意志はなく、特ダネ記事を書くことが目的である。それを利用した犯人が建部の変装を真似て連続殺人を実行するのだが、この新聞記者が事件をでっちあげるアイディアも珍しいものではない。横溝の戦前の短編に同一テーマのものがあるし[xvii]、そもそも処女作の「恐ろしき四月馬鹿」(1921年)が類似の趣向であって、さらに同作のもとになったフーディーニの映画というのがあるらしい[xviii]。しかし、時期的に見ると、恐らくジョン・ディクスン・カーの代表作[xix](注で書名を挙げています)から借りた着想と見るべきだろう。

 このほかにも、二つの不可能犯罪トリックが使われている。ひとつは、不可能犯罪というよりアリバイ・トリックで、犯人が発見者を装うというもの。アガサ・クリスティの長編[xx](注で書名を挙げます)の応用で、正直、考え抜かれているとはいえず、少々あっけないが[xxi]、これに加えて、目撃者の女性が落としたコンパクトとハンカチが金田一を悩ませる副次的な謎になっているところは[xxii]、そつがない。

 いまひとつは、終盤の劇場内での殺人で、被害者の体形に似たマネキン人形が、誰も知らぬ間に建物内に持ち込まれていたという謎で、G・K・チェスタトン風のぬけぬけとした奇術的トリックが用いられている[xxiii]。発想は面白いが、ちょっとこれは無理だったようだ。あまりにリアリティがなくて、さすがに浮いて見える。ていうか、そもそも、金田一君、君の眼は節穴か!

 『幽霊男』は、タイトルや掲載誌をみても、明らかに乱歩の『蜘蛛男』へのオマージュだが、正史は、乱歩ほど天衣無縫ではないので、『蜘蛛男』のような突き抜けたおおらかさはない。しかし、謎解きミステリの骨法をマスターしている点では、正史のほうが一枚上手なので、『幽霊男』は、たとえB級猟奇スリラーであっても、このぐらいのレヴェルが必要だという水準を示している。

 どうも、あまり褒めていないようだが、上記のとおり、幽霊男という怪人の正体をめぐって、極めて現代的な叙述のテクニックを披露している。掲載誌の読者を変に低く見たせいか、やや書き方が安易[xxiv]だが、『悪魔が来りて笛を吹く』のような本気の(?)作ではないからこそ試みることができたともいえる、思い切った描写の技巧を実験的に試している。その点で、『幽霊男』は、横溝ミステリのなかで最もモダンな作品のひとつであるといえ、そこに本書の占める重要性がある。それは、ある意味『悪魔が来りて』や『悪魔の手毬唄』などの諸作をも上回るものである。

 

[i] 島崎博編「横溝正史書誌」『別冊幻影城 横溝正史=本陣殺人事件・獄門島』(1975年9月)、320頁。

[ii] 実際は「クラブ雑誌の低級読者」という表現で、低級なのは雑誌ではなく、読者だったらしい。この批評は『悪魔の寵児』が掲載された『面白俱楽部』に対するものである。『悪魔の寵児』(角川文庫、1974年)、「あとがき」(大坪直行)、372頁。この引用の元となるのは、仁賀克維「横溝正史論」(『宝石』、1962年)『幻影城 横溝正史の世界』(5月増刊号、1976年)、77頁。

[iii] 江戸川乱歩の自伝を読んでいたら、江戸川乱歩賞の書下ろし長編募集の告知が掲載されたのが(『宝石』と)『講談倶楽部』だったという。そんな由緒正しい雑誌なので、「低級なクラブ雑誌」ではなかったようだ。江戸川乱歩『探偵小説四十年(下)』(光文社、2006年)、516頁。

[iv]横溝正史書誌」、332頁。

[v] 同、320頁。

[vi] 同、331頁。

[vii]悪魔が来りて笛を吹く」『探偵小説昔話』(『新版横溝正史全集18』、講談社、1975年)、57頁。

[viii] そもそも戦前、乱歩の『蜘蛛男』や『魔術師』が連載されたのが『講談倶楽部』だった。江戸川乱歩『探偵小説四十年(上)』(光文社、2006年)、396-402、421頁。

[ix] 『幽霊男』(角川書店、1974年)、5頁。

[x] 江戸川乱歩『蜘蛛男』(創元推理文庫、1993年)、36頁。

[xi] 『幽霊男』、27頁。

[xii] 同、51頁。

[xiii] 同、52頁。

[xiv] 同、51-52頁。

[xv] 同、52頁。

[xvi] 同、20、253-54頁。

[xvii] 「一週間」(1938年)。

[xviii] 「われら華麗なる探偵貴族VS都筑道夫」『横溝正史の世界』(徳間書店、1976年)、206-207頁。

[xix] ジョン・ディクスン・カー『帽子収集狂事件』(1933年)。

[xx] アガサ・クリスティ『白昼の悪魔』(1941年)。

[xxi] 同一のトリックとしては、同時期の『毒の矢』(1956年)のほうが、手が込んでいる。

[xxii] 『幽霊男』、157-58頁。

[xxiii] 同、212-13頁。

[xxiv] 全体的にあらが目立つのは、例えば、西荻窪の津村の旧宅で、建部がいきなり、津村には吸血衝動があると警官に告げる(その前の場面で、幽霊男は恵子を脅して、君の血を吸いたいなどと口走るが、この時点では、幽霊男こと建部以外の関係者は、このことを誰も知らないはずだ)。しかし、なぜ彼が(新聞記者とはいえ)そんなことを知っているのか、誰も問題にしないのである(43頁)。建部が津村を知っていることは重要な伏線ではあるのだが、どうも、読み直しをしていない弊害が如実に表れているようだ。

 さらに、伊豆のホテルでの殺人で、共犯者が持ち込んだスーツケースが庭園内で発見されるが(133頁)、解決編で、金田一は、共犯者がスーツケースに蝋人形の足を詰めて持ち去ったと推理する(266-67頁)。スーツケースが二つあったとは書かれていない。そもそも、この庭園、ボートで行き来する小島があったり、小島の先に滝があったりと、一体どれほど広大な敷地なのか。東京ドームがいくつ入るんだ。

 ストリップ劇場の火災事件の場面でも、西村鮎子が河野十吉に拉致されたのとちょうど同じ日の同じ時刻に、犯人がマネキンを持ち込もうとするのも、偶然の度が過ぎている(208-16頁)。

ムーディ・ブルース『シュール・ラ・メール』

 Sur la merって、なぜに突然フランス語?

 1988年リリースの本作は、前作『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』に続き、アメリカのマーケットを意識したと思われるポップでコマーシャルなアルバム。これまた前作に続き、というか、前作以上にジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ主体の作品で、ついにエッジも曲作りから撤退。全曲ヘイワード(4曲)とロッジ(2曲)の単独作と共作(4曲)による。看板に偽りありで、ブルー・ジェイズ[i]として出せばよかったのでは、と思わざるをえないが、そりゃあまあ、ムーディ・ブルースとして発売したほうが、少しは売れるだろう。

 ただ、内容も、『ジ・アザー・サイド』同様、ロック調の曲が多いかと思いきや、意外にバラード調の作が目立ち、アルバム・タイトルやジャケットがイメージさせるヨーロッパ的雰囲気も感じさせる。『海辺にて』というわけで、それこそ、ニースあたりの地中海リゾート地のイメージか(行ったことはないが)[ii]。封入パンフレットには、海水浴場の少年たちを撮った写真がコラージュされている。

 ということで、あからさまにアメリカンだった前作に比べると、ムーディ・ブルースっぽさは残っている。完全に普通のロック、というより、ポップ・アルバムだが。

 サウンド面をみても、『ロング・ディスタンス・ヴォイジャー』や『ザ・プレゼント』のベースとなる音を作ってきたパトリック・モラーツの個性も薄れて、その点でも、いよいよヘイワード=ロッジのバンドという印象が強まってきた。あるいは、すでにしてバンドでもなく、ヘイワードとロッジがバッキング・トラックをつくって、ヴォーカルとコーラスを重ねるだけのデュエット・アルバム、というのが本当のところなのかもしれない。歌詞カードには、仲良く全員の幼少時の写真が掲載されて、5人のバンドであることが、不自然なまでに強調されているが(ヘイワードとロッジも、気を使ったのでしょうかね)、このうえなく、わざとらしい。

 『ジ・アザー・サイド』と対になるアルバムであるが、『ヴォイジャー』に対する『プレゼント』がそうであったように、セールスは大幅に低下して、全米チャート38位。これは、シングルの「アイ・ノウ・ユア・アウト・ゼア・サムホェア」が「ユア・ワイルディスト・ドリームズ」ほどにはヒットせず、全米30位にとどまったことが第一の要因だろう。つまりは、シングル・ヒットとアルバム・セールスが完全に連動するようになったということで、その傾向は、次作の『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』(1991年)に、悲しいまでに顕著に表れてしまう。

 それはともかく、行くところまで行ったということで、この後、果たしてどこへ向かうのか、恐いような、興味深々なような、(そして、他のロック・バンドのファンにとっては、どうでもいいような)、そんな様々な感情を抱かせるアルバムであった。

 

A1 I Know You’re Out There Somewhere (Hayward)

 『シュール・ラ・メール』は、本作に尽きるだろう(ここ数枚、ずっと同じことを言い続けてきた)。

 ヘイワードの名曲リストに、新たにまた一曲が加わった。

 モラーツの奏でるキーボードのイントロから、いきなりの「アイ・ノウ・ユア・アウト・ゼア・サムホェア・サムホェア」でヘイワード節が全開となる。シンプルなヴァースにシンプルなコーラス。1960年代や70年代の傑作群に負けないメロディの魅力と詩的で思索的なワードが聴き手を虜にする、ヘイワード必殺の一撃である。

 「君が闇の中で迷い目覚めたとき、僕はこの手に君を抱きしめ、真実という言葉で君を守るだろう」という、こっ恥ずかしい歌詞も、ヘイワードが歌うと不思議にリアルに聞こえる。この圧倒的な説得力はどこから来るのか。あの声、言葉をかみしめて語るように歌う、あの歌唱のせいだろうか?

 格別歌がうまいとも、声がよいとも、音域が広いとも思えないのだが(随分ひどいことを言っている)、むしろヘイワードの声は歌手向きではないのではないかとさえ思うのだが、有無を言わせず聞き手を自分の世界に引きずり込む声の魔力は一体何なのだろう。あの声で「10万、貸して」と言われたら、女性ファンならずとも、つい、ふらふらと預金通帳に手が伸びてしまいそうだ。

 延々と続く間奏も、絶妙なタイミングで挟み込まれるキーボードの柔らかな音色がアクセントになって心地よく流れていく。徐々に気持ちが高ぶっていく劇的なアレンジから、再びイントロのフレーズへ雪崩れ込む展開も素晴らしい。やはり、本アルバムは、この曲に尽きるようだ。

 

A2 Want to Be With You (Hayward/Lodge)

 ちょっとマイナーなイントロから始まる、いかにもの、ありふれたバラード。ではあるが、曲は悪くなく、それなりに完成されている。

 ヴァースはヘイワードがリードを取って、ロッジが声を重ねる。サビになると、今度はロッジがメインになって、ヘイワードがハーモニーをつける、という具合に、それぞれの持ち味を活かしたそつのない作りになっている。息の合ったコーラスも気持ちよい。

 そっけない感想だが、繰り返すが、悪い出来ではない。ただ、あまりに彼ららし過ぎるのかもしれない。

 

A3 River of Endless Love (Hayward/Lodge)

 この辺のサウンドと曲調は、前作で飽きるほど聞いたので、もういいです。

 厚いコーラスとタイトなサウンドで、隙なくできているが、もう少しムーディーズらしい繊細さが欲しいという気もする。そう、あまりにも野放図すぎるのか。

 それにしても、前作あたりからモラーツの存在感が薄れる一方で、本アルバムも、基本的にヘイワードとロッジが、キーボードのみならず、パーカッションも含めてバッキング・トラックを制作しているのではないか。そういえば、エッジの存在感も薄い(忘れていたわけではありません)。「アウト・ゼア・サムホェア」には、そこここにモラーツらしい遊びやオカズがあったが、2曲目からは、ほぼロッジとヘイワードによる作業という印象を受ける。

 

A4 No More Lies (Hayward)

 本作は「アウト・ゼア・サムホェア」に尽きるとは言ったが、それに次ぐ傑作がこの曲だ。

 ヘイワードらしからぬ、癖のないキャッチーなメロディが次から次へとこぼれ落ちる。いや、それとも、これこそ本当のヘイワードらしさにあふれたポップ・ソングなのかもしれない。彼のメロディ・メイカーとしての才能は、まだまだ底知れぬものがあるようだ。

 かつてのムーディ・ブルースの面影を微塵も感じさせない、どこにでもありそうなラヴ・ソングだが、純粋で無邪気な歌詞とチャーミングな旋律。これぐらい魅力的な楽曲なら、文句も言うまい。

 

A5 Here Comes the Weekend (Lodge)

 「週末、ウエ~ッ」という、こちらもありふれた乱痴気パーティ・ソング。

 前作から続くダンス・ビート・ナンバーで、ムーディ・ブルースも随分俗になったという印象。今さら言うことでもないが。

 駄作とはいわない。愚作というわけでもない。歯切れのよいリズムとコーラスは爽快ではある。が、ムーディーズがやる意味あるのか、という感想は、何度拭っても拭いきれない。

 

B1 Vintage Wine (Hayward)

 ヘイワードの本アルバム三曲目の会心作。「ノー・モア・ライズ」同様、これ以上ないくらいシンプルで親しみやすく、思わず口ずさみたくなる魅力的なメロディの快作。

 イーグルズの「ホテル・カリフォルニア」のように、60年代を回顧する内容だが、あんなに深刻ではなく、あくまで軽やかに、懐かしく、過ぎた日々を振り返るポップ・ソング。それでも、多少の苦みは残っている。

 結局のところ、本アルバムには「アウト・ゼア・サムホェア」、「ノー・モア・ライズ」、そして「ヴィンテイジ・ワイン」と、ヘイワードの傑作が三曲そろっている。『シュール・ラ・メール』はそれで充分だ。

 

B2 Breaking Point (Hayward/Lodge)

 警報のような音が切迫感を伝える、ブリティッシュ・ロックらしい暗さを残した曲。サウンドは、前アルバムと変わらないように思っていたが、この押し殺したようなヴォーカルと陰鬱なアレンジは、『ジ・アザー・サイド』にはなかったものかもしれない。

 それにしても、邦題が「我慢の限界」。凄い題名ですね。一部あるいは大多数のムーディーズ・ファンのここ最近のアルバムに対する率直な意見だろうか?他にも「リヴァー・オヴ・エンドレス・ラヴ」が「絶ゆまざる愛の流れ」、「ヒア・カムズ・ザ・ウィークエンド」が「ウィークエンドの幻惑」[iii]って、なんか、無理して意味ありげなタイトルにしてません?

 

B3 Miracle (Hayward/Lodge)

 「ブレイキング・ポイント」に続き、ヘイワードとロッジの仲良しコンビによる手慣れた一曲。なかなかサビのコーラスもキャッチーで調子がよいが、さすがにこのあたりになると、またか、という印象で、こちらの集中力も切れてくる。

 確かに、これまで以上にアルバム全体の収録時間も長くなっている。決して、もう飽きたとは言わないが、トーマスやエッジの不在は、やはり淋しいものがある。ヘイワードとロッジが第二期ムーディ・ブルースの中核であることは間違いないが、それでも、エッジ、トーマス(そしてピンダー)あってこそのムーディーズであったことが、改めて実感される。

 

B4 Love Is on the Run (Lodge)

 『シュール・ラ・メール』も終わりに近づいて、ロッジのバラードが登場する。明らかに、前アルバムの「イット・メイ・ビー・ア・ファイア」の続編で、ロッジが、あのハスキーでぶっきらぼうな声で切々と唄う。

 華麗でロマンティックなイントロからしてメロウで、これも悪い曲ではないが、もうひとつ吹っ切れないようなもどかしさもある。これ以外にはない、というところまでたどり着けなかった歯がゆさなのだが、やはり、ロッジの楽曲では「イズント・ライフ・ストレンジ」が出色だった。つまりは、これ以外にはないメロディだったということである。

 

B5 Deep (Hayward)

 ラストの「ディープ」は、1970年代のムーディ・ブルースを思わせる、懐かしさを感じるナンバーである。

 重々しくて、小難しいメッセージがありそうな大作という印象なのだが、ピンダーなどと違って、ヘイワードなので、あまり重苦しくはない。

 『オクターヴ』の「ザ・デイ・ウィ・ミート・アゲイン」をさらに陰鬱にした印象もあるが、なにかこう、セクシュアルなニュアンスを感じるのは、こちらの深読みか。いや、妙な溜息みたいな擬音が入るところをみると、考えすぎということでもないのか。

 

[i] もっとも、『ブルー・ジェイズ』はアルバムのタイトルだった。Justin Heyward and John Lodge, Blue Jays (1975).

[ii] アルバム・ジャケットは、ニコラ・ド・スタールの「アンティーブの方形城塞」(1955年)という絵画らしい。やっぱり地中海風で間違いないようだ。

[iii] ムーディ・ブルース『シュール・ラ・メール』(ポリドール、1991年)。