ムーディ・ブルース『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』

 1990年代のムーディ・ブルースが進むべき道を示すはずだった『キーズ・オヴ・ザ・キングダム(Keys of the Kingdom)』(1991年)[i]は、しかし、見事にこけた。そればかりか、バンドが時代から取り残された現実を正面から突きつける結果となった。

 全米チャート94位、全英54位。惨憺たる成績である。『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』(1967年)以降、最悪の結果で、もう笑うしかない。60年代に産声を上げ、80年代をしぶとく生き残ってきたオジサン・バンドも、ついに見限られてしまった。アーメン。

  レイ・トーマスが戻って楽曲を提供し、ジョン・ロッジも一時の不調から立ち直って素晴らしい作品を提供したのに、このざまである。やっぱり、みんな、アメリカンな『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』みたいなのが、よかったのか。

 それでも、1999年には『ストレンジ・タイムズ(Strange Times)』を発表、8年ぶりの新作オリジナル・アルバムだったが、結果は最悪を更新、バンドは完全にポップ・ロックの第一線から退くことになる。以後、ムーディーズはオリジナル・アルバムよりも、ライヴに活路を見出そうとする。すでに、『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』発表に合わせて行ったライヴを『ア・ナイト・アット・レッド・ロックス(A Night at Red Rocks)』(1992年)としてリリース。1977年の『コート・ライヴ』以来、15年ぶりのライヴ・アルバムだった。『ストレンジ・タイムズ』発表の際も、翌年にライヴの『ホール・オヴ・フェイム(Hall of Fame)』(2000年)を発売している。ライヴとセットで販売するという新しい売り込み戦略を開拓した記念すべき一枚が本作だったということになる。無駄だったけど。

 本作は、そうしたムーディ・ブルースの大きな転換点というか、転落の第一歩を標した作品ということができる。

 どういういきさつからか、トニー・ヴィスコンティ以下3人のプロデューサー(他は、クリストファー・ニールとアラン・トーニィ)を起用[ii]して、メンバーも、いつのまにかパトリック・モラーツがいなくなって、彼を除く四人の写真のみが歌詞カードに掲載されている[iii]。そもそも、モラーツは本当にレギュラー・メンバーだったのか、ゲスト・ミュージシャンだったのか、今になっても、よくわからない。

 思うに、モラーツが演奏している3曲はヴィスコンティのプロデュースなので、最初は彼のプロデュースのもと、モラーツを加えた5人でレコーディングを始めたが、途中何かがあって、モラーツが抜け、プロデューサーも交代して、なんとか完成させた。そういったことだったのではないか。そんな混乱と混沌とした状況を感じさせるアルバムである。

 

 ただし、プロセスがどうあれ、また商業的に失敗であったとしても、それは内容とは関係ない。

 そして、内容についていえば、本作は80年代以降ではベストのアルバムである。あのブリティッシュ・ロックのムーディ・ブルースが帰ってきた。1960年代~70年代の諸作、例えば『夢幻』(1969年)や『童夢』(1971年)にも引けを取らない最高の一枚といえる。これはもう確定した事実であって、異論は受け付けない。受け付けないったら、受け付けない。

 複数のプロデューサーがよってたかってつくったせいか、確かに、全体のまとまりは悪い。1978年の『オクターヴ』のように、楽曲の寄せ集めといった印象である。しかし、個々のクォリティは高く、アルバム自体は、混乱も混沌も感じさせない珠玉の楽曲集となっている。私見では、少なくとも三曲の名曲を含む、文句なしの傑作アルバムである。

 

01 Say It with Love (Hayward)

 傑作アルバムだと大見えを切ったが、一曲目の「セイ・イット・ウィズ・ラヴ」は、どうも傑作ではなかったようだ。

 軽快なポップ・ロックで、ヘイワードの歯切れのよいヴォーカルとわかりやすい曲調は、シングルにぴったりだ。実際シングル・カットされたが、案に相違してというか、予想通りというか、まるで売れなかった。

 だからというわけではないが、結局、『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』のセールスが壊滅的だったのは、シングル・ヒットがなかったせいだろう[iv]。本曲が、ちょっとでもヒットしていれば、アルバムも何とかなったのではないか。

 ヒットしなかったから猛烈に叩いているわけではなく、「ユア・ワイルディスト・ドリームズ」や「アイ・ノウ・ユア・アウト・ゼア・サムホェア」に比べて、やはりメロディが弱かった。必殺のフレーズがなかった。シングル向きといっても、あのヘイワードのメロディなしでは魅力も半減するということだ。

 

02 Bless the Wings (That Bring You Back) (Hayward)

 1曲目の不調を取り返すかのようなヘイワードの傑作が登場する。

 ドラマティックなイントロから、むしろ抑えたヘイワードのヴォーカルが静かに、しかし力強く歌い上げる。かつての「ニュー・ホライズンズ」(『セヴンス・ソウジャーン』)を思い起こさせる名バラードである。

 サビの「ああ、彼女を連れ戻してくれ、翼よ、僕の待つ浜辺へと届けておくれ」から、最後の「ホウジュ、ホウジュ、ホウジュ、ナウ、ユアンダスタン、ナウ、ユアンダスタン」には、思わずこちらも声を合わせて口ずさんでしまう。あんな説得力は出せないが。

 曲のラスト、ヴォーカルが途絶えると、一瞬の間を置いて哀調を帯びた旋律をギターが奏で、虚空へと消えていくエンディングは感動的ですらある。これがひとつめの傑作だ。

 

03 Is This Heaven? (Hayward/Lodge)

 ヘイワードとロッジの共作は、繋ぎの小品といった作品。『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』(1986年)と『シュール・ラ・メール』(1988年)では、穴埋めに共作ナンバーを大量投入していたが、本作は、あくまで単独作が中心で、ヘイワード/ロッジの共作は2曲のみ。

 本作は、途中タップ・ダンスまで織り込んで、軽快で親しみやすいポップ・コーラス・ナンバーになっている。

 軽いといえば、これ以上ないくらい軽いが、なかなか楽しい作品だ。

 

04 Say What You Mean (Parts I & II) (Hayward)

 続くのは、どこかエキゾティックな香りのするヘイワードの作品。

 本アルバムで、モラーツが参加しているのは3曲だけらしいが、そのうちの一曲で、なるほどモラーツらしい多彩なキーボード・アレンジで、パート・ワン、パート・トゥーからなる演劇的とも思えるナンバーを盛り上げている。

 ケルト風というか、アイルランドの暗い森(行ったことはないので、イメージだけ)をさ迷うかのような異界の幻想を感じさせる曲でもある。「本当に心に思っていることを口にするんだ」「口にするなら、本当に思っていることにするんだ」という、「あなたらしく生きる50の方法」みたいな人生指南のごとき歌詞とどういう関係があるのか不明だが、「パート・トゥー」の「森の中に分け入る。見つめているのは月ばかり。」「ありのままの素晴らしい快感があふれ出してくる」という語りには、そんな神秘体験が感じられるようだ。

 

05 Lean on Me (Lodge)

 ついに、ロッジの傑作が降臨した。

 1980年代のアルバムには見られなかった必殺のメロディが、聴き手の心をシンプルに掴んでくる。ありふれたバラードのように聞こえるかもしれないし、実際そうなのだが、その旋律は聞くほどに胸に染み込んでくる。

 ソロ・アルバム『ナチュラル・アヴェニュー』(1977年)のなかの「キャリー・ミー」の悪くいえば二番煎じだが、ほんのわずかな違いが曲の魅力を何倍にも増幅させる格好の例といえるだろう。

 クラシカルなイントロ、キャッチーなヴァースからさらにキャッチーに展開するサビ、間奏のギターと、最初から最後まで弛みなく組み立てられた絶品のバラードである。

 

06 Hope and Pray (Hayward)

 駆け抜けるようなテンポのイントロで始まり、例によってヘイワードの落ち着いたヴォーカルが、あまり抑揚のないメロディを淡々と唄う。

 どうということもない曲で、そのまま右の耳から入って左に抜けていきそうな、これといった特徴のない曲だが、むしろ、特徴のなさというか、その透明感が尋常ではない。

 北の渓谷の氷結した川が春の雪解けに激流となって流れていくような(どういう形容だ)、まさに清流のごとく、酒でもミルクでもない、透き通るような清涼感にあふれている。

このアルバムでのヘイワードは、かつてのムーディ・ブルースのアルバムにおける翳りや暗さが薄れて、明朗で清冽な印象が強まっているようだが、それを体現する作品である。

 

07 Shadows on the Wall (Lodge)

 ロッジの二曲目は、スロー・テンポながら、バラードというのでもなく、ちょっと変わったナンバー。

 歌詞のほうも、「壁に写る影を追って。床を滑る影を追って。いつまでも褪せない夢を追って」と意味深長なワードが並ぶ。

 しかし、曲はなかなかよい。「リーン・オン・ミー」のようなロマンティックなバラードとは異なるが、これもまたロッジの持ち味を活かした曲といえるだろう。

 

08 Once Is Enough (Hayward/Lodge)

 「イズ・ディス・ヘヴン」同様、軽快で軽妙なタッチの共作ナンバー。

 ややリズム・アンド・ブルース風味が強いというか、黒人コーラス風というか、なかなかノリの良い快調な出来でシングル向きとも思える。しかしまあ、ムーディ・ブルースのシングルとしては、少し軽すぎるか。バンド名には合っているかもしれないが。

 

09 Celtic Sonant (Thomas)

 『ザ・プレゼント』の「アイ・アム・ソーリィ」以来の、久々のレイ・トーマス

 パトリック・モラーツ参加なので、立体的なキーボードのアレンジが、波が打ち寄せる北の海の水底の情景を描き出す。

 曲はトーマスらしいシンプルな三拍子のスロー・バラードで、「運命の輪が回り続ける」と、タイトル通り「ケルトの太古の響き」を聞かせる。しかし、トーマス自身もなんだか、ますます仙人くさくなってきて、このままマイク・ピンダーのように、荒野に隠遁するのではないか(?)、と心配になってくる。ま、お元気そうで、何よりです。

 

10 Magic (Lodge)

 歯切れのよいギターのイントロから、最後の大騒ぎが始まる。

 ここまで爽快なロックン・ロールは、『ザ・プレゼント』の「シッティング・アット・ザ・ホイール」以来で、しかし、あちらよりはメロディアスで、ロッジらしいポップなフレーズが楽しめる。とくに「ベイビー・ワーク・ユア・マジック・オン・ミー」で締めるラストは痛快だ。

 これもシングル向きであるが、果たしてヒットしたかとなると、どうだろうか。メロディが、むしろキャッチーすぎるだろうか。

 

11 Never Blame the Rainbows for the Rain (Hayward/Thomas)

 アルバムのラストを飾るのは、「ウォッチング・アンド・ウェイティング」(『トゥ・アワ・チルドレンズ・チルドレンズ・チルドレン』、1969年)以来の、ヘイワードとトーマスの共作曲。

 どこをどう共作したのかわからないが、サビのヘイワードのヴォーカルを追いかけるトーマスの掛け合いコーラスのパートは、彼の作曲なのだろう。

 虹のかかる雨上がりの空をイメージしたイントロから、まるで童話のような歌詞と童謡のようなメロディが心を和ませる。確かに、トーマスの曲にありそうな優しい旋律だが、かつてのムーディーズに比べて、やはり、あっけらかんと晴れ晴れしすぎるだろうか。

 「雨が降るのは虹のせいじゃない。つらい思い出を忘れることを学んでみよう。年を重ねて、最後に密かに願うのは、もう一度人生を生きること」という歌詞は、あまりに心穏やか過ぎて、空々しくもあるが、ヘイワードとトーマスの温かみに満ちたコーラスは、単純かつストレートに耳に滑り込んでくる。ムーディ・ブルースの音楽が、ブリティッシュ・ロックのもっとも美しい部分を、誰にでもわかるかたちで表現していることを改めて気づかせてくれる。

 かくして、三番目の傑作「ネヴァ・ブレイム・ザ・レインボウ・フォー・ザ・レイン」で『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』は終わる。

 

[i] ムーディ・ブルース『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』(ポリドール、1991年)。

[ii] 03、04、09、10、11(ヴィスコンティ)、01、05、06(ニール)、02、07、08(トーニィ)という内訳。

[iii] 歌詞カードによれば、パトリック・モラーツの参加したのは、04、09、10の三曲のみのようだ。

[iv] Wikipedia: Keys of the Kingdomを参照。