ムーディ・ブルース『シュール・ラ・メール』

 Sur la merって、なぜに突然フランス語?

 1988年リリースの本作は、前作『ジ・アザー・サイド・オヴ・ライフ』に続き、アメリカのマーケットを意識したと思われるポップでコマーシャルなアルバム。これまた前作に続き、というか、前作以上にジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ主体の作品で、ついにエッジも曲作りから撤退。全曲ヘイワード(4曲)とロッジ(2曲)の単独作と共作(4曲)による。看板に偽りありで、ブルー・ジェイズ[i]として出せばよかったのでは、と思わざるをえないが、そりゃあまあ、ムーディ・ブルースとして発売したほうが、少しは売れるだろう。

 ただ、内容も、『ジ・アザー・サイド』同様、ロック調の曲が多いかと思いきや、意外にバラード調の作が目立ち、アルバム・タイトルやジャケットがイメージさせるヨーロッパ的雰囲気も感じさせる。『海辺にて』というわけで、それこそ、ニースあたりの地中海リゾート地のイメージか(行ったことはないが)[ii]。封入パンフレットには、海水浴場の少年たちを撮った写真がコラージュされている。

 ということで、あからさまにアメリカンだった前作に比べると、ムーディ・ブルースっぽさは残っている。完全に普通のロック、というより、ポップ・アルバムだが。

 サウンド面をみても、『ロング・ディスタンス・ヴォイジャー』や『ザ・プレゼント』のベースとなる音を作ってきたパトリック・モラーツの個性も薄れて、その点でも、いよいよヘイワード=ロッジのバンドという印象が強まってきた。あるいは、すでにしてバンドでもなく、ヘイワードとロッジがバッキング・トラックをつくって、ヴォーカルとコーラスを重ねるだけのデュエット・アルバム、というのが本当のところなのかもしれない。歌詞カードには、仲良く全員の幼少時の写真が掲載されて、5人のバンドであることが、不自然なまでに強調されているが(ヘイワードとロッジも、気を使ったのでしょうかね)、このうえなく、わざとらしい。

 『ジ・アザー・サイド』と対になるアルバムであるが、『ヴォイジャー』に対する『プレゼント』がそうであったように、セールスは大幅に低下して、全米チャート38位。これは、シングルの「アイ・ノウ・ユア・アウト・ゼア・サムホェア」が「ユア・ワイルディスト・ドリームズ」ほどにはヒットせず、全米30位にとどまったことが第一の要因だろう。つまりは、シングル・ヒットとアルバム・セールスが完全に連動するようになったということで、その傾向は、次作の『キーズ・オヴ・ザ・キングダム』(1991年)に、悲しいまでに顕著に表れてしまう。

 それはともかく、行くところまで行ったということで、この後、果たしてどこへ向かうのか、恐いような、興味深々なような、(そして、他のロック・バンドのファンにとっては、どうでもいいような)、そんな様々な感情を抱かせるアルバムであった。

 

A1 I Know You’re Out There Somewhere (Hayward)

 『シュール・ラ・メール』は、本作に尽きるだろう(ここ数枚、ずっと同じことを言い続けてきた)。

 ヘイワードの名曲リストに、新たにまた一曲が加わった。

 モラーツの奏でるキーボードのイントロから、いきなりの「アイ・ノウ・ユア・アウト・ゼア・サムホェア・サムホェア」でヘイワード節が全開となる。シンプルなヴァースにシンプルなコーラス。1960年代や70年代の傑作群に負けないメロディの魅力と詩的で思索的なワードが聴き手を虜にする、ヘイワード必殺の一撃である。

 「君が闇の中で迷い目覚めたとき、僕はこの手に君を抱きしめ、真実という言葉で君を守るだろう」という、こっ恥ずかしい歌詞も、ヘイワードが歌うと不思議にリアルに聞こえる。この圧倒的な説得力はどこから来るのか。あの声、言葉をかみしめて語るように歌う、あの歌唱のせいだろうか?

 格別歌がうまいとも、声がよいとも、音域が広いとも思えないのだが(随分ひどいことを言っている)、むしろヘイワードの声は歌手向きではないのではないかとさえ思うのだが、有無を言わせず聞き手を自分の世界に引きずり込む声の魔力は一体何なのだろう。あの声で「10万、貸して」と言われたら、女性ファンならずとも、つい、ふらふらと預金通帳に手が伸びてしまいそうだ。

 延々と続く間奏も、絶妙なタイミングで挟み込まれるキーボードの柔らかな音色がアクセントになって心地よく流れていく。徐々に気持ちが高ぶっていく劇的なアレンジから、再びイントロのフレーズへ雪崩れ込む展開も素晴らしい。やはり、本アルバムは、この曲に尽きるようだ。

 

A2 Want to Be With You (Hayward/Lodge)

 ちょっとマイナーなイントロから始まる、いかにもの、ありふれたバラード。ではあるが、曲は悪くなく、それなりに完成されている。

 ヴァースはヘイワードがリードを取って、ロッジが声を重ねる。サビになると、今度はロッジがメインになって、ヘイワードがハーモニーをつける、という具合に、それぞれの持ち味を活かしたそつのない作りになっている。息の合ったコーラスも気持ちよい。

 そっけない感想だが、繰り返すが、悪い出来ではない。ただ、あまりに彼ららし過ぎるのかもしれない。

 

A3 River of Endless Love (Hayward/Lodge)

 この辺のサウンドと曲調は、前作で飽きるほど聞いたので、もういいです。

 厚いコーラスとタイトなサウンドで、隙なくできているが、もう少しムーディーズらしい繊細さが欲しいという気もする。そう、あまりにも野放図すぎるのか。

 それにしても、前作あたりからモラーツの存在感が薄れる一方で、本アルバムも、基本的にヘイワードとロッジが、キーボードのみならず、パーカッションも含めてバッキング・トラックを制作しているのではないか。そういえば、エッジの存在感も薄い(忘れていたわけではありません)。「アウト・ゼア・サムホェア」には、そこここにモラーツらしい遊びやオカズがあったが、2曲目からは、ほぼロッジとヘイワードによる作業という印象を受ける。

 

A4 No More Lies (Hayward)

 本作は「アウト・ゼア・サムホェア」に尽きるとは言ったが、それに次ぐ傑作がこの曲だ。

 ヘイワードらしからぬ、癖のないキャッチーなメロディが次から次へとこぼれ落ちる。いや、それとも、これこそ本当のヘイワードらしさにあふれたポップ・ソングなのかもしれない。彼のメロディ・メイカーとしての才能は、まだまだ底知れぬものがあるようだ。

 かつてのムーディ・ブルースの面影を微塵も感じさせない、どこにでもありそうなラヴ・ソングだが、純粋で無邪気な歌詞とチャーミングな旋律。これぐらい魅力的な楽曲なら、文句も言うまい。

 

A5 Here Comes the Weekend (Lodge)

 「週末、ウエ~ッ」という、こちらもありふれた乱痴気パーティ・ソング。

 前作から続くダンス・ビート・ナンバーで、ムーディ・ブルースも随分俗になったという印象。今さら言うことでもないが。

 駄作とはいわない。愚作というわけでもない。歯切れのよいリズムとコーラスは爽快ではある。が、ムーディーズがやる意味あるのか、という感想は、何度拭っても拭いきれない。

 

B1 Vintage Wine (Hayward)

 ヘイワードの本アルバム三曲目の会心作。「ノー・モア・ライズ」同様、これ以上ないくらいシンプルで親しみやすく、思わず口ずさみたくなる魅力的なメロディの快作。

 イーグルズの「ホテル・カリフォルニア」のように、60年代を回顧する内容だが、あんなに深刻ではなく、あくまで軽やかに、懐かしく、過ぎた日々を振り返るポップ・ソング。それでも、多少の苦みは残っている。

 結局のところ、本アルバムには「アウト・ゼア・サムホェア」、「ノー・モア・ライズ」、そして「ヴィンテイジ・ワイン」と、ヘイワードの傑作が三曲そろっている。『シュール・ラ・メール』はそれで充分だ。

 

B2 Breaking Point (Hayward/Lodge)

 警報のような音が切迫感を伝える、ブリティッシュ・ロックらしい暗さを残した曲。サウンドは、前アルバムと変わらないように思っていたが、この押し殺したようなヴォーカルと陰鬱なアレンジは、『ジ・アザー・サイド』にはなかったものかもしれない。

 それにしても、邦題が「我慢の限界」。凄い題名ですね。一部あるいは大多数のムーディーズ・ファンのここ最近のアルバムに対する率直な意見だろうか?他にも「リヴァー・オヴ・エンドレス・ラヴ」が「絶ゆまざる愛の流れ」、「ヒア・カムズ・ザ・ウィークエンド」が「ウィークエンドの幻惑」[iii]って、なんか、無理して意味ありげなタイトルにしてません?

 

B3 Miracle (Hayward/Lodge)

 「ブレイキング・ポイント」に続き、ヘイワードとロッジの仲良しコンビによる手慣れた一曲。なかなかサビのコーラスもキャッチーで調子がよいが、さすがにこのあたりになると、またか、という印象で、こちらの集中力も切れてくる。

 確かに、これまで以上にアルバム全体の収録時間も長くなっている。決して、もう飽きたとは言わないが、トーマスやエッジの不在は、やはり淋しいものがある。ヘイワードとロッジが第二期ムーディ・ブルースの中核であることは間違いないが、それでも、エッジ、トーマス(そしてピンダー)あってこそのムーディーズであったことが、改めて実感される。

 

B4 Love Is on the Run (Lodge)

 『シュール・ラ・メール』も終わりに近づいて、ロッジのバラードが登場する。明らかに、前アルバムの「イット・メイ・ビー・ア・ファイア」の続編で、ロッジが、あのハスキーでぶっきらぼうな声で切々と唄う。

 華麗でロマンティックなイントロからしてメロウで、これも悪い曲ではないが、もうひとつ吹っ切れないようなもどかしさもある。これ以外にはない、というところまでたどり着けなかった歯がゆさなのだが、やはり、ロッジの楽曲では「イズント・ライフ・ストレンジ」が出色だった。つまりは、これ以外にはないメロディだったということである。

 

B5 Deep (Hayward)

 ラストの「ディープ」は、1970年代のムーディ・ブルースを思わせる、懐かしさを感じるナンバーである。

 重々しくて、小難しいメッセージがありそうな大作という印象なのだが、ピンダーなどと違って、ヘイワードなので、あまり重苦しくはない。

 『オクターヴ』の「ザ・デイ・ウィ・ミート・アゲイン」をさらに陰鬱にした印象もあるが、なにかこう、セクシュアルなニュアンスを感じるのは、こちらの深読みか。いや、妙な溜息みたいな擬音が入るところをみると、考えすぎということでもないのか。

 

[i] もっとも、『ブルー・ジェイズ』はアルバムのタイトルだった。Justin Heyward and John Lodge, Blue Jays (1975).

[ii] アルバム・ジャケットは、ニコラ・ド・スタールの「アンティーブの方形城塞」(1955年)という絵画らしい。やっぱり地中海風で間違いないようだ。

[iii] ムーディ・ブルース『シュール・ラ・メール』(ポリドール、1991年)。