横溝正史『犬神家の一族』

(本書の犯人やプロットについて明示しています。)

 

 『犬神家の一族』(1950-51年)は、2012年の『週刊文春』による「東西ミステリーベスト100」によると「日本編」で39位となっている。意外に低いようだが、1985年版では100位圏外だったので(これも意外だ)、人気回復したようにも見える。2012年版の1位は『獄門島』。10位には『本陣殺人事件』が入っていて、『犬神家』は横溝作品としては3位なので、これは、まあ、順当なところか[i]

 しかし、再映画化なども含めて、一般的な人気は、今でも『獄門島』や『本陣』を上回っているように思える。何といっても、佐清の面白仮面やV字開脚など、あまりにヴィジュアル・イメージが強烈である。

 地方の旧家における連続殺人というプロットも、横溝らしい日本的風情を感じさせながら、ほぼ、お屋敷内で事件が進行するので、岡山ものほどローカル・カラーが強く出ておらず、どの年代の読者にも、とっつきやすいということもあるのだろう。一族の間の遺産相続をめぐる殺人の主題は、欧米の謎解きミステリ・ファンにとっても王道の展開であって、作品世界に没入しやすいようだ。

 一方で、パズル・ミステリとしては、あまり大きな特徴のない作品である。横溝ミステリでお馴染みの「密室の謎」や「顔のない死体」は出てこない(佐清は仮面で顔を隠しているが)。「人間の入れ替わり」と「死体移動」のトリックが使われているものの、特に創意のあるものではない。一番面白いのは、佐智の殺人で、がっちり縛られた死体に、なぜか幾筋も縄のこすれた跡が残っているという謎で、トリックを暴く秀逸な手がかりになっている[ii]。横溝作品のなかでも出色のアイディアといえるだろう[iii]

 だが、それを除くと、伏線や手がかりに乏しく、その面白さでいうなら、続編の『女王蜂』(1951-52年)のほうが上に感じる。犯人を特定する推理らしきものもなく、金田一耕助が犯人を指摘する場面が、「こういえば、おわかりでしょう」[iv]では、やっぱり物足りない。

 そのかわり、遺産相続という動機が明快で、そこに親子の情愛を結びつけたことで、犯人の正体にも無理がない――意外性もないが。しかし、意外性はなくとも、事後工作者を複数回使うことで読者を惑わせ、動機が明白な犯人を一人に絞らせない手際は、さすがだ。しかも事後工作者たちの行動には当然個々に必然的な意図があるのだが、複数人が関与することで、連続殺人の目的が遺産狙いとも復讐ともつかぬことになり、犯人の動機を見えにくくしている。さらに、犯行が重ねられていくと、共犯者を含む犯人サイドでは、行動目的や利害が異なる個々人が独自に動くため、互いが互いを牽制して、探り合いをしながら次の行動を決めていこうとする。それが、さらに謎解きを難解にする特異なプロット-読者からすると、複雑すぎてアンフェアに感じるかもしれないが-で、そこに新鮮味と独創性があったといえるだろう。

 

 『犬神家の一族』については、他の拙文でも再三言及しているので、もう、あまり書くことがなくなってしまった・・・。

 

 小説としては、ラストを「那須湖畔に雪も凍るような、寒い、底冷えのする黄昏のことである」[v]の一文で断ち切る潔さが印象的である。一瞬で舞台が暗転して画面が消え、一切の余韻を残さない。いやむしろ、本を閉じたあとに余韻が残るというべきだろうか。金田一耕助と犯人の最後の対決から、瞬時にカメラが引いて真冬の風景が広がる、簡潔にして雄大な描写は横溝全作品中でも、一、二を争う見事な結びとなっている。

 

 ただ、偶然の重なりによって事件が輻輳する複雑なプロットの小説にしては、大団円が、ヒロインの珠世と王子様役の佐清の大甘なハッピー・エンディングで終わるのは、あまりに温(ぬる)すぎて、いささか納得しがたいものがある。

 「いや、そんなことを言ったって、エンターテインメントなんですから、めでたしめでたしで、何が悪いんです。」

 「そうはいってもね、偶然が偶然を呼ぶ意想外のミステリの結末が、お約束通りというのは、どうもバランスが悪い。つじつまが合わないのだよ。」

 「また変なことを言い出しましたね。一体、何が言いたいのですか。」

 「つまりね、予測しがたい事象の連鎖によって成立している事件であるならば、そこには、さらに予測しがたい秘密が隠されていると思うんだ。」

 「具体的にどういうことです?」

 「顔の崩れた仮面の佐清が実は青沼静馬だった。復員服の謎の男こそ佐清で、ときに静馬と入れ替わることで、周囲の人々を欺いていた。これはいいね?」

 「ええ。」

 「しかし、そもそも珠世の本命は佐清で、思い人だった彼が、結局、顔はきれいなままだったとわかり、最後は珠代と幸福を掴む。そんなお膳立ての良い結末は平凡にすぎる。真実とは、もっと奇想天外で想像を越えた、ときに残酷なものなんだ。」

 「そんな無茶な。美男美女が結ばれる物語の結末に、なんの問題があるんです。」

 「静馬と佐清は入れ替わっていた。しかし、真実は、二人がさらに入れ替わっていたとしたらどうだね。」

 「はあ、何を言ってるんです。入れ替わって、さらに入れ替わったら、元に戻ってしまうじゃないですか。」

 「そう、実は、佐清と入れ替わっていたと思われた静馬は、実は佐清で、静馬と入れ替わった佐清は静馬だったのさ。」

 「わざと、わかりにくいように言ってませんか。なんでそんなことになるんです。佐清が最初から佐清だったとしたら、手形の指紋比べの時に入れ替わる必要はないでしょう?」

 「そう、ないよ。あの顔の崩れた男は、もともと佐清だったんだからね。」

 (茫然として)「・・・では、復員服の男のほうが静馬だったとして、彼はなんで顔を隠したうえに、密かに隠れて犬神家にやってきたりしたんです?」

 「わかりきってるじゃないか。佐清を殺して、自分が彼に成り代わるためだ。そして珠世と結婚して、犬神家を相続し、復讐を果たそうとしたんだよ。」

 「なんと!でも、仮面の男が佐清で、復員服が静馬だったとしても、どっちにせよ、顔があの状態では入れ替われないじゃないですか。」

 「その通り。深夜、佐清を呼び出した静馬は、そこではじめて佐清の顔がああなっているのを知ったんだ。仮面があるから、入れ替わること自体は不可能ではないが、長期間それを続けるのは難しいね。そこで、真意(佐清を殺して入れ替わること)を隠して想い出話でもしながら(佐清と静馬は同じ戦地で戦った仲だからね)、計画を練り直しているときに、思わぬ出来事を目撃したのさ。」

 「松子が佐武を殺害する現場ですか?」

 「そうそう。それで、静馬は、圧倒的に有利な立場に立った。松子を告発しない代わりに、佐清にこう言ったんだ。身を引いて、珠世との結婚を自分に譲れとね。」

 「なんだか、佐清と静馬をただ入れ替えて、『犬神家の一族』の筋書きをそのままなぞっているだけじゃないですか。」

 「そんなことはない・・・よ。いいかね。おろおろする佐清を静馬は脅しつけるが、簡単に佐清と入れ替わることができない以上、なにか方策を考えなくてはならない。そうしているうちに第二の殺人が起こったのだ。」

 「佐智の殺害ですね。」

 「ああ。珠世を手籠めにしようとした佐智を殴って縛り付けたのも、殺害後に、死体をまた対岸の空き家に運んだのも静馬だ。」

 「それじゃ、最後に、佐清と入れ替わっていた静馬、ではなくて佐清を殺害したのも松子ですか。いやいや、息子でしょ。なんでそんなことになるんです。」

 「佐清が珠世との結婚を渋ったからだよ。」

 「いや、ちょっと待ってください、それはおかしいでしょ。なんで佐清が珠世との結婚を嫌がったりするんですか。出鱈目を言っちゃあ、いかんですよ。」

 「佐清の立場になってみたまえ。かつて眉目秀麗だった容貌は失われて、今や、見る影もない。それが、昔と変わらず、いや、もっと美しくなった珠世との結婚だよ。佐清のプライドはズタズタだよ。佐武も佐智もいなくなったから、珠世は自分と結婚してくれるかもしれない。しかし、今の自分に珠世は愛情を感じてくれるだろうか・・・。もちろん、珠世は佐清の外見がどうあろうと、変わらぬ恋心を佐清に捧げるだろうさ。でも、果たして、佐清にそれが信じられるだろうか。もう昔とは違う。無邪気だった少年少女の時代には戻れない。過去は記憶のなかで凍りついてしまったんだ。失われた時のなかでね。」

 「なに、綺麗な思い出みたいにして、話をまとめようとしているんですか。そんな言い争いで、松子が可愛い息子を殺したんですか?」

 「そう、つい、かっとなってね。」

 「つい、かっとなって、じゃないですよ。まったく、失礼な人だな。横溝正史の名作に対する冒涜ですよ。わかってますか。」

 (心配そうな顔で)「やっぱり、怒られるだろうか。」

 「知りませんよ。・・・その静馬じゃない、佐清が殺されたあと、えーと、静馬ですか、彼が松子をかばう行動をとったのは何故です?」

 「君も付き合いのいい人だねえ。金田一が証明したように、佐清、いや静馬にはアリバイがあるからね[vi]。松子をかばうことで、自分が佐清であることをアピールしようとしたのだろう。」

 「今、自分でも間違えましたよね。しかし、それなら、松子が黙っていないでしょう。まさか、静馬を我が息子と思い込んだりはしないでしょうからね。そこはどうです?」

 「松子は所詮、打ち手を間違えたからね。実際に殺人を重ねて、もはや逃れるすべもない。完全に静馬に敗北して、負けを認めたんだろう。どうせ死ぬつもりだったから、どうでもよくなったんだよ。プライドの高い松子のことだから、我が子を手にかけたなんて言えなかっただろうしね。」

 「なんか、最後にすごく雑になったようですが、そんな話、誰も納得しませんよ。」

 「まあ、もしもの世界の話だと思ってくれたまえ。いろいろな可能性が見えて、新たな物語を紡げるのも、横溝正史の小説が豊かであることの証拠だよ。」

 「最後になって、つじつまを合わせようとしたって駄目ですよ。」

 

[i] ウィキペディア「東西ミステリーベスト100」。

[ii]犬神家の一族』(角川文庫、1972年)、241頁。

[iii] 「われら華麗なる探偵貴族VS都筑道夫」『横溝正史の世界』(徳間書店、1976年)、213頁参照。

[iv]犬神家の一族』、367頁。

[v] 同、411頁。

[vi] 同、366-67頁。