横溝正史『死仮面』

(本書の種を割っていますので、ご注意ください。)

 

 『死仮面』は、横溝正史の戦後作品のなかで、長い間「幻の長編」だった。

 中島河太郎が1975年に作成した作品目録には、昭和24年(1949年)8月から11月まで『物語』という雑誌に連載されたことが記されていたが[i]、その小説は刊行された記録がなかったし、長編であるかどうかさえわからなかった。

 それが突然「カドカワノベルズ」の一冊として出版されたのは1982年のことで、詳しい経緯は、本作を発掘した中島河太郎執筆の「『死仮面』おぼえがき」で語られている。

 実際に連載されたのは昭和24年5月から12月で、雑誌『物語』は名古屋の中部日本新聞社の発行だったという。金田一耕助シリーズの一編で、『八つ墓村』事件解決後に岡山の磯川警部から相談を受けた、という体裁で小説は始まり、すぐに舞台が東京に移って、「死仮面」すなわち「デス・マスク」をモチーフにした奇怪な事件に発展する。

 ところが、中島によると、国立国会図書館所蔵の『物語』の合本は8回連載のうちの第4回が欠本になっていた。そこでやむなく中島自身が作者に代わり第4回分を執筆し、刊行されたのがカドカワノベルズ版である[ii]。このとき、すでに横溝は逝去していた(1981年没)。

 その後、角川文庫に収録された際、中島の解説は若干補足されたが、内容はカドカワノベルズ版と同一だった[iii]。『死仮面』は比較的短い長編だったので、ノベルズ版には、作者の最後の中編「上海氏の蒐集品」(1980年)が併録されたが、文庫版も同じ構成である。

 しかし、その後1998年になって、突如、春陽文庫から完全版が刊行される。経緯は、文庫カヴァー折り返しに「新発見により」としか書かれておらず、詳しいことは(一読者であるわたしには)まるで謎だが、いずれにせよ、雑誌掲載からほぼ半世紀が過ぎて、本作はようやく完全なかたちで出版されたのである[iv]

 前記の中島の「おぼえがき」によると、作者は本長編を「全面的に改稿されるつもりであった」[v]といい、また角川文庫版解説では、横溝自身が本作について「当時、私はなぜかこの作品を毛嫌いし、本にしなかった。話が陰惨すぎたせいであろう」[vi]と述べていたことが紹介されている。確かに単行本が刊行されていれば、これほどまでの「幻の長編」とはならなかったはずだが、現在ではめでたく本作も横溝作品群のなかに収められ、批評の対象となることが可能になった。

 そこで本作の中身であるが、作者自身は「話が陰惨すぎた」と述懐しているが、他の横溝作品と比べて、特別「陰惨」という印象は受けない。しいて言えば、冒頭の手記は、死体凌辱などの異常性愛がいかにも横溝らしいねちっこい筆致で描かれており、死体からデス・マスクを取るなど、陰惨と言えばいえる。センセーショナルな殺人を描いてもあくまで理知的に語られる『本陣殺人事件』や『蝶々殺人事件』に比べると、ややこの時期にそぐわない、むしろ戦前、あるいは昭和30年代の横溝の猟奇ミステリを思わせる。

 しかし舞台が東京に移ると、事件は、デス・マスクを送られた女性教育者が園長を務める女学校で展開され、横溝には珍しい「学園ミステリ」の様相を呈していく。

 デス・マスクの主は、園長である川島夏代の異父妹の君子と推定されるが、姉の学園に引き取られた彼女は、少し前に姉の仕置きに耐えかねて学園から失踪していた。君子は、いつしか岡山まで流れていき、そこで冒頭の手記の書き手である野口という男と知り合い、彼の美術品店で死亡したものと見なされる。死体遺棄で取り調べを受けていた野口は隙を見つけて逃走し、やはり行方知れずとなっている。一方、東京の学園にはもう一人の異父妹の里枝と、夏代の養子の圭介、三人の異父姉妹の母親である駒代が暮らしており、さらに女学生の一人である白井澄子が重要な役割を果たすことになる。

 事件は、野口を思わせる怪しい黒眼鏡の男が学園の周辺で目撃されるようになると、ついにある夜、夏代が、すでに壊されて存在しないはずのデス・マスクを胸に乗せた死体となって発見される。さらに、数日後の深夜、今度は澄子が黒眼鏡の男に襲われるが、機転を利かせた彼女がその場を逃れて人々に急を告げると、男は逃走し、園長宅に侵入して、駒代、里枝、圭介を次々に襲って、そのまま逃亡して姿を消す。

 その後、金田一の謎解きが来るが、本作のミステリの趣向は、東京と岡山の間の一人二役、学園内での一人二役と二人二役というオーソドックスなトリックの組み合わせにある。犯人は里枝と圭介の共犯で、君子は園長宅で事故により死亡したもので、デス・マスクは同家の地下室で作られ、それを岡山から東京に送られたかのように見せかけた。岡山で発見された遺体は君子ではなく別人、というのが真相である。

 細かなミステリ的技巧としては、野口に扮した圭介が、澄子襲撃に失敗して逃走する際、女学生に赤インクをぶつけられ、染みを落とすことができないと判断。犯人ともみ合ってインクが付いたと思わせるために、とっさに里枝を黒眼鏡の男に扮装させ、取っ組み合いの芝居をする、という入れ替わりのトリックが用いられている。本作の一番の工夫は、ここだろう。

 しかし全体に分量も少なく、練られたトリックや細かな伏線が張られているというわけでもないので、パズル・ミステリとしては物足りない。

 一番大きな不満は、代表長編などと比べて、明らかに色々と書き込み不足に感じられる点である。これも枚数の制約の問題かもしれないが、人物が表面的にしか描かれていないばかりか、ミステリとして必要な情報が提示されていない。例えば、怪人物の野口は圭介による一人二役だが、その間東京に不在であったはずの彼のアリバイは一切問題にされていない。事件解決後に、定期的に関西の講習会に出張していたと説明されるだけである[vii]

 そもそも警察の捜査がまったく描かれず、事件の検討は金田一と澄子の対話のかたちで行われ、しかも澄子の殺害未遂事件の後は、一気呵成に君子の遺体発見と犯人暴露に進んでいく。明らかに書き急ぎすぎて、学園ミステリの形式のせいもあってか、まるでジュニア・ミステリのような印象を受ける。

 なぜこうなったかは、前述のように枚数の制約が一番大きいと思われる。何しろ、この時期の長編としては、『八つ墓村』はもちろんのこと、『女が見ていた』や『夜歩く』よりも、はるかに短い。しかもそれ以外にも、作者自身、さほど気を入れて書いていなかったようにみえるところも問題である。編集部からどのような注文を受けていたのかわからないが、作者も『物語』という雑誌の性格をつかめず、はっきりとした狙いを持たずに書き始めてしまったかのようなのだ。『八つ墓村』は、知り尽くしている『新青年』からの注文であり、『女が見ていた』は新聞小説という枠組みがあって、最初からスリラー風謎解きミステリを書くという明白な方針があった。『死仮面』の場合、しいて言えば、『夜歩く』のような猟奇的外観のパズル・ミステリというのが当初の目論見だったかもしれない。もう少し枚数にゆとりがあり、伏線などを書き加えていけば、かなり面白い長編になっていただろう。

 結果的に、金田一シリーズで、ほぼ唯一単行本として刊行されなかったのは、「話が陰惨過ぎた」という以上に、作者自身が書き込み不足を感じていたからだったのではないか。「全面的に改稿するつもりだった」という発言も、それでつじつまが合う。ただ、連載完結後に加筆して刊行することも、恐らくは可能だったはずで、それをしなかったのは、無論、一番の理由は、時期的にみて健康上の問題だったのだろう[viii]。ただ、『不死蝶』のように、昭和20年代の小説を30年代になって改稿する例もあった[ix]のだから、『死仮面』も、適当な時期に加筆し刊行することは難しくなかったはずである。そうしなかった、あるいは、できなかったのは、恐らく、タイミングが合わなかったなどの偶然の事情のほかに、謎解きミステリとしてクリアしておくべき課題が多く、それらを解決する名案が浮かんでいなかったことが原因ではないかと思う。

 一番大きな懸案事項は、すでに指摘したように、岡山県と東京にまたがる犯罪というのが本作の目玉となる趣向で、スケールでは『蝶々殺人事件』に匹敵する。しかし、この構想を活かすはずの犯人による一人二役トリックが、本作の場合、詳しく書き込もうとすればするほど無理が出てきそうなのである。

 上記のとおり、圭介が野口を演じるには、一定期間、東京を留守にする必要がある。謎解き小説である以上、圭介の長期の不在という事実を隠したまま済ますわけにはいかないのだが、書けば書いたで、今度は圭介が疑わしいことが一目瞭然となってしまう。何とか、圭介の不在を読者の眼から逸らして、しかもアンフェアにならない工夫が必要である。手っ取り早い方法としては、第三者による替え玉とか、里枝と圭介の二人一役トリックなどが考えられるが、こうした安直な方法では、横溝は満足できなかったのだろう。

 同時期に構想が練られていたとされる『悪魔が来りて笛を吹く』(連載は1951-53年)[x]でも、東京の事件と並行して淡路島で殺人が起こるが、共犯者による犯行で、パズル小説としては、やや安易だった。ただ、こちらは副次的な殺人なので、それほど大きな欠点ではない。『死仮面』の場合、しかし、岡山-東京における一人二役がメイン・トリックなのである。オリジナリティのあるアイディアを思いつかなかったのが、単行本刊行をためらった理由のひとつだったのではなかろうか。

 以上は憶測に過ぎないが、こうした問題点を克服できていれば、昭和20年代半ばの全盛期の諸作に、もう一冊、金田一ものの代表長編が加わっていたかもしれない。「改稿するつもりだった」という証言の裏を読めば、実は上手い解決法がひらめいていたとも受け取れる。(今、そう思いついたら、急に残念でたまらなくなってきた。)

 寿命さえ許せば、横溝の頭脳は依然として冴えわたっていたから、79歳とはいえ、やはり早すぎた死は惜しまれて当然だった。

 

[i]『新版横溝正史全集18 探偵小説昔話』(講談社、1975年)、「作品目録」、319頁。

[ii] 横溝正史『死仮面』(カドカワノベルズ、1982年)、222-25頁。

[iii] 横溝正史『死仮面』(角川文庫、1984年)、229-33頁。

[iv] 横溝正史『死仮面』(春陽文庫、1998年)。本文庫版は、短編「鴉」を併録。

[v] 『死仮面』(カドカワノベルズ)、225頁、同(角川文庫)、232頁。

[vi] 『死仮面』(角川文庫)、232頁。

[vii] 『死仮面』(春陽文庫)、157頁。

[viii] 横溝正史「喀血も愉し」(「十風庵鬼語」の後半)『探偵小説五十年』(講談社、1977年)、249-50頁、「『犬神家の一族』の思い出」『真説金田一耕助』(毎日新聞社、1977年)、40-42頁等を参照。

[ix] 『不死蝶』は、1953年に雑誌に連載されたあと、1958年に加筆され単行本となった。『不死蝶』(角川文庫、1975年)、中島河太郎による「解説」、373頁を参照。

[x] 横溝正史「初刊本あとがき」(1954年)『悪魔が来りて笛を吹く』(『横溝正史自選集5』、出版芸術社、2007年)、336-39頁、同『真説金田一耕助』(毎日新聞社、1977年)、251-53頁。