ビー・ジーズ1988

 1988年3月10日、アンディ・ギブ逝去。

 この一事だけで、ビー・ジーズ・ファンにとって、この年は悲嘆にくれる年となってしまった。

 思えば、アンディは30年前の1958年に生まれ、10年前の1978年3月11日には、「(ラヴ・イズ・)シッカー・ザン・ウォーター」が全米シングル・チャート1位にランクしていた。それを考えると、なんとも悲しい話だが、この十年間はアンディのみならず、ギブ兄弟全員にとって、まことに成功と挫折を繰り返す疾風怒濤のような日々だったのだろう。

 他人事ながら、人生というのはわからないものだ。

 

バリー・ギブ『ホークス』(Hawks, 1988.9)

 『ホークス』は、同名映画のサウンドトラック・アルバムだが、楽曲の大半は、1986年に、バリー・ギブのセカンド・ソロ・アルバム用にレコーディングされていた、という。「セレブレイション・ド・ラ・ヴィ」(セレブラシオン・ド・ラ・ヴィと読むべきだろうか)と「チャイルドフード・デイズ」のみ、1988年の録音[i]

 ということは、ソロ・アルバムのための楽曲を映画に流用したということで、よいのだろうか。映画は、難病に侵された二人の男が、病院から救急車を盗み出してアムステルダムに向かう、というロード・ムーヴィだが、昔一度見ただけで、ほとんどまったく内容を覚えていない。所有しているのが(何と!)LD(レーザー・ディスク)で、プレイヤーがないので視聴できないのだ。

 1984年の『ナウ・ヴォイジャー』と、単純に音楽だけで比較すると、まあ、似たりよったりというところか。さらにロック色が強まって、それは、1987年の『E・S・P』、1989年の『ONE』と近いものがある。これらのビー・ジーズのアルバムと比べても、どっこいどっこいというところだろう。

 

A1 「システム・オヴ・ラヴ」(System of Love, B. Gibb & Alan Kendall)

 作曲者を見ると、何と驚き、アラン・ケンドールとの共作とある。この時点で、演奏陣に加わってから既に20年近かったはずだが、共作は初めてで、一体どういう気まぐれで一緒に曲を書く気になったのか。

 多分、ケンドールに適当にギターを弾いてもらって、それにメロディを乗せるという、いつものバリーのやり方だったのだろうが、確かにギブ兄弟だけでは出てこないようなギター・サウンドで、本当にロックみたい(いや、ロックのつもりなのだろうが)。

 曲自体は、バリーらしいというか、この時期に顕著な、メロディがよくわからない、ぼそぼそ・ソングで大した出来ではないが、サウンドはこれまでにないパワフルなものだ。

 

A2 「チャイルドフード・デイズ」(Childhood Days, B. & M. Gibb)

 2曲目は、うって変わってカントリー・タッチのポップ・ソング。

 モーリスとの共作なので、なるほど、こうなるよね、というスタイルで、あまり印象に残るメロディではないが、なかなか爽快なナンバーになっている。

 この曲もギターが前面に出た、その意味ではロック風でもある。

 

A3 「マイ・エターナル・ラヴ」(My Eternal Love, B. Gibb & Richard Powers)

 リチャード・パワーズはバリーの友人ということだが[ii]、どのような友人なのかジョゼフ・ブレナンもあまりよく知らないらしい。

 曲は、バリーお得意のセンチメンタルなバラードで、セカンド・ヴァースのメロディなどは、いかにも彼らしい。コーラスは、さらに哀愁を帯びたはかなげな、それでいて甘酸っぱいようなメロディで、まさにバリー・ギブの独壇場である。

 全編ファルセットというのは、合っているのか、やり過ぎなのか。しかし、このドラマティックな曲調には、これでいいのだろう。間違いなく、本アルバムの最上作で、80年代を通してもベスト・スリーに入る。

 

A4 「ムーンライト・マッドネス」(Moonlight Madness, B. Gibb, G. Bitzer & A. Kendall)

 1曲目同様、ごにょごにょ、ぼそぼそと、何を言ってるのか聞き取れない(そもそも英語なので、なおさらわからない)うえに、何だか、寒くて震えているような歌い方で、この頃のバリーらしいといえば、らしい。よし、これをブルブル唱法と名付けよう。

 ジョゼフ・ブレナンが「野心的な歌」[iii]と呼び、日本盤解説で八木 誠氏が「ブルージィ」で「興味深い」[iv]と述べているように、これまでのバリー・ギブの楽曲とは異なる新鮮さを感じる。

 ボサノヴァのような曲を、と書き始めたのかもしれないが、恐らくジョージ・ビッツァーが考案しただろうシンセサイザーサウンドは、タイトル通り、幻想的な月夜をイメージさせる。中間部のサックスのムーディな響きも特徴的で、弟たちとつくる曲にはない、ひねったメロディが耳に残る。

 

A5 「ホェア・トゥモロウ・イズ」(Where Tomorrow Is, B, R. & M. Gibb)

 本アルバムはサウンドトラックと銘打っている割には、映画未使用の楽曲が3曲収録されている。そのうちのひとつが、この曲。

 アップ・テンポではないが、どっしりとしたサウンドはロック風で、『E・S・P』の雰囲気に近いだろうか。

 くっきりとしたメロディは、ビー・ジーズらしい。ギブ兄弟の作品と、バリーが他のライターと組んだ作品との対比が、本アルバムでの興味深い点のひとつといえそうだ。

 

B1 「セレブレイション(ホークスのテーマ)」(Celebration de la Vie, B, R. & M. Gibb)

 映画音楽なら普通だが、ビー・ジーズあるいはバリー・ギブとしては珍しいインストルメンタル曲。かつての『オデッサ』の3曲のインストルメンタルとは違って、ギターをフィーチュアした小味な作品。1968年頃に書かれた同じインストルメンタルのGena‘s Theme[v]を思わせる。

 甘く、それでいて物悲しいメロディを、艶やかなギターの音色が引き立てている。黄昏時に聞いていると、何だか泣きたくなってくるような切ない旋律は郷愁に満ちている。

 

B2 「チェイン・リアクション」(Chain Reaction, B, R. & M. Gibb)

 何でまた、と思わざるを得ない、ダイアナ・ロスの登場。

 最新のヒット曲ということで選ばれたのだろうか。「ユー・ウィン・アゲイン」でもよかったような。別に悪くはないが。・・・でもやっぱり、何でまた・・・。

 

B3 「カヴァー・ユー」(Cover You, B. Gibb & K. Richardson)

 本作もまた、珍しい組み合わせというか、長年の付き合いのはずなのに、これまでなかったカール・リチャードソンとの共作。

 「システム・オヴ・ラヴ」などと同じく、明らかにバック・トラックをつくって、それをかけながら適当にメロディを、ふんふん、と歌って一曲にしたと思われる。

 ロック調だが、曲は例によってソウルっぽくもある。シンプルというか、単調というか、完全にサウンド重視で、ヴォーカルはおまけか。

 

B4 「ノット・イン・ラヴ・アット・オール」(Not in Love At All, B. Gibb, M. Gibb & G. Bitzer)

 映画では使われていないボーナス・トラックの一曲。

 バラードだが、歌い方は、またまた、ハスキーな声でごにょごにょと囁く、うやむや・ソング。メロディがどんどん展開していって、なかなか戻ってこないのもバリー流か。「スピックス・アンド・スペックス」や「ワーズ」は、あんなにシンプルだったのに。

 しかし、さすがバリー・ギブのバラードだけのことはある。ツボを押さえた甘くドリーミーなメロディは、ここでも健在である。

 

B5 「レッティング・ゴー」(Letting Go, B. Gibb & G. Bitzer)

 最後も、映画では未使用のバラード作品。ビッツァーとの共作なので、前作同様、『ナウ・ヴォイジャー』の頃に書いた作品だろうか。

 バリーらしい、マイナー調だが美しい旋律の曲で、しっとりとした味わいは聞き手の耳を和ませる。ただ、全体の流れが自然ではないような感じも受けて、つまり、別々のメロディを集めて、ひとつにまとめたような印象がある。

 話が逸れるが、「ノット・イン・ラヴ・アット・オール」でも書いたように、楽曲が年を追うごとに長く複雑になっているのは、盗作騒動がこたえて、あらぬ疑いをかけられぬように工夫してのことなのだろうか。

 話を戻すと、「これまでに書いた中で最高の曲のひとつ」[vi]、というのが1990年時点での本人の弁だが、なるほど、と思わないでもない。が、へえ~っ、とも思う。もっと良い曲があるだろうに、というのは、リスナーの言い分で、本人は本人で、こんな曲が書きたかったんだ、ようやく書けた、という気持ちだったのだろうか。聞くばかりで、才能をうらやむこちらとしては、ぜいたくな悩みとしか思えないが。

 

[i] Joseph Brennan, Gibb songs, version 2, 1988.

[ii] Gibb songs, version 2, 1986.

[iii] Ibid.

[iv] Barry Gibb, Music from the Original Soundtrack “Hawks” (Polydor, 1988).

[v] Bee Gees, Idea (Warner Music, 2006), Disc 2.

[vi] Tales from the Brothers Gibb: A History in Song 1967-1990 (1990).

ビー・ジーズ1987

 1987年、ビー・ジーズは満を持して6年ぶりのアルバム『E・S・P』を発表した。

 1986年10月にワーナー・ブラザースとレコード販売契約を結び、その第一弾だった。

 しかし、満を持して、といっても、状況が整った、とは必ずしも言えなかった。ビッグ・アーティストの作曲・プロデュースは、ダイアナ・ロスのアルバムのセールス不振によって失速し、1980年代前半のそれなりに華々しい栄光の日々は遠くなった。ロビンとモーリスが手掛けたスウェーデンのシンガー、カローラのアルバムも北欧以外では発売さえされなかった。さらに、ロビンやバリーのソロ・アルバムも結果が伴わず、バリーの1986年のアルバムは発売を拒否されたという[1]。バリーのバンベリーズ(Bunburys)のプロジェクトもメインとなるほどのものではなかった。

 再び、グループの活動を再開するほか、選べる選択肢は残されていなかったともいえる。

 それでも、沈黙を続けるなら、それもよかったのかもしれないが、兄弟は活動再開を選択した。前に進むことを選んだ、という覚悟より、要するに、曲を書き、レコーディングしたかったのだろう。そのぐらいのお気楽さのほうがビー・ジーズらしい。

 どちらにしても、『E・S・P』によって、ビー・ジーズは新たなフェイズに入った。

 

ビー・ジーズ「ユー・ウィン・アゲイン」(1987.8)

A 「ユー・ウィン・アゲイン」(You Win Again, B, R. & M. Gibb)

B 「バックタファンク」(Backtafunk, B, R. & M. Gibb)

 アルバムを参照。

 

ビー・ジーズ『E・S・P』(E・S・P, 1987.9)

 80年代らしい、打ち込みリズムで『E・S・P』は始まる。一聴した感想は、いよいよまたロック寄りになってきたな、というものだった。同じような印象は、『トゥー・イヤーズ・オン』や『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』のときにも受けたし、『メイン・コース』のように、ロックではないにしても、リズム重視の方向に向かい始めたことはあった。要するに、メロディアスなポップ・バラードを得意とする彼らが、事態を打開する必要があるときには、常にバラードからの脱却の道を選択し、それを繰り返してきたのだといえる。

 思えば、「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」はフォーク・ロック風で、『ビー・ジーズ・ファースト』もサイキデリック・ポップの要素を持ち込んだことで、ロックとポップの絶妙なバランスの上に成り立っていた。それが「マサチューセッツ」のヒットもあり、『アイディア』あたりからポップ色が格段に強まっていく。『オデッサ』は、気分は(カッコよくいえば、精神は)ロック・アルバムだったが、「ギター・ソロもなくて、どこがロックやねん!(なぜに関西弁風?)」と突っ込まれそうな内容だった。

 『キューカンバー・キャッスル』に至っては、完全に時代遅れのポップ・アルバムに堕して、いや、オーソドックスなポップ・アルバムに徹したものの、グループ自体が崩壊してしまった。しかし、そこから再スタートを切った「ロンリー・デイズ」は、コーラスとロック・サウンドの分離と融合という最後のビートルズ的アプローチで、まんまと成功を収めた。「傷心の日々」ではなく、こちらを先にシングル・リリースしたことが、彼らの戦略が何だったかを物語っている。『トゥー・イヤーズ・オン』には、「へへっ、こんなんもやってますんで」といった調子の「バック・ホーム」のような曲も入っていた。それがまた、「傷心の日々」と『トラファルガー』で「バラード地獄」に落ち込み(いや、そこまで言わなくても)、『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』でジタバタしたあげく、「はっ、ロックなんかやってられるかっ!」とばかりに、「ジャイヴ・トーキン」でソウル・ダンスに挑戦すると、これがまた大当たり。これだから、やめられませんなあ、と言ったかどうか。

 しかし、『スピリッツ・ハヴィング・フロウン』からまたメロディ先行のスタイルに戻ると、ディスコの爽快感もなくなり、いい年してキーキー声のおっさんバンド(いや、そこまで言われてないって)呼ばわりされて、『リヴィング・アイズ』で行き場を失い、再び沈没した。これが、ビー・ジーズの栄光と挫折のミニ・ヒストリである。

 そこで『E・S・P』であるが、ロック・サウンドに再度挑戦、それも80年代のパワフルなロックということで、タイトル曲はそのことを如実に表わしている。が、しかし、結局、低迷する彼らを、少なくともイギリスにおいて救ったのは、ポップでキャッチーな「ユー・ウィン・アゲイン」だった。皮肉な結果ともいえるが、やはり彼らはメロディ・メイカー以外のなにものでもなかったということだろう。

 

A1 「E・S・P」(E・S・P, B, R. & M. Gibb)

 迅雷のようなア・カペラ・コーラスが虚空に響き渡る。

 全アルバムのなかでも、もっとも緊迫感を湛えた導入で、彼らのやる気が伝わってくる。

 しかし、バチバチしたリズムに乗って、バリーが歌うヴァースは、80年代になって目立つようになった機械的なメロディで、どうも面白くない。というか、60年代にも機械的なメロディ進行の曲はあったが、その頃のメロディはたとえ機械的であったとしても、ナチュラルで心に響くものがあった(昔のほうがよかった、とは言いたくないが)。サビでロビンのヴォーカルからコーラスに移ると、ようやくメロディがなめらかに進行するようになり、その後また、ヴァースに似た「イー・エス・ピッ」に始まるリフレインが来るが、こちらは哀調がこもっていて悪くない。

 U2に影響されたかのようなブリティッシュ・ロック風の曲で、そのスピード感、スケールは従来の作風からの飛躍を感じさせるが、完全に新しいスタイル、サウンドになり切れていないもどかしさが残るのも確かだ。

 

A2 「ユー・ウィン・アゲイン」(You Win Again, B, R. & M. Gibb)

 夜中に目覚めたバリーが、頭の中で鳴っているメロディに思わず飛び起きて、あわてて録音した。こういう場合、翌朝、聞き直すと、ありゃりゃということが多いが、今回は違った。これだ、と思ったバリーが、ロビンとモーリスと一緒に完成させたのがこの曲だという。何やら、ポール・マッカートニーの「イエスタデイ」を思わせる逸話だが、そこまでの名曲ではないにせよ、「ユー・ウィン・アゲイン」は、ビー・ジーズにとって起死回生の一作となった(少なくとも、ヨーロッパでは)。

 モーリスがアレンジしたという、まるでレスラー入場曲のようなストンピング・ビートのイントロが、「E・S・P」のラストにかぶさるように始まるが、そこから、いきなり1960年代を思わせるノスタルジックなメロディが飛び出す。バリーのヴァースから、いつも通りの息の合った鉄壁のハーモニーが気持ちよいコーラスに至るまで、一緒に口ずさむと、キャンディのように甘いメロディがいっぱいに広がる、久々に会心のポップ・ナンバーである。

 「僕との恋の戦いでも、やっぱり君の勝ちだね」とあるように、まるで勝利を祝す行進曲のようだが、75位に終わったアメリカでは凱旋とはいかなかったものの、イギリス、ドイツで1位となり、とくにイギリスでは「マサチューセッツ」以来の大ヒットとなった。この曲のヒットで、ビー・ジーズはイギリスで息を吹き返し、それがひいては90年代のカヴァー・ブームへと繋がったともいえるだろう。やはり、80年代の彼らを代表する楽曲である。

 

A3 「リヴ・オア・ダイ」(Live Or Die (Hold Me Like A Child), B, R. & M. Gibb)

 1曲目から、メドレー形式のように、ほぼ曲間を空けずに次の曲へと続くが、この曲を聞いたときは、「E・S・P」のパート2が始まったのかと思った。メロディが同じわけではないが、何だか同じように聞こえるのだ。

 リズム・アンド・ブルース風のバラードで、バリーが歌うヴァースからコーラスまで、何となくくねくねしたメロディではあるが、哀愁を帯びたサビの旋律はなかなかいい。セカンド・コーラスになると、バリーがファルセットを使いだし、サビは、まるで、ノーマル・ヴォイスのバリーとファルセットのバリーがデュエットしているかのようだ。

 もっとコーラスを抑え目にして、切々としたアレンジにしたほうが良かったような気もするが、全体的には聞きごたえある出来になっている。それでも、あまり新鮮味を感じないのだが、どうしてだろう。唱法のせいだろうか。

 

A4 「ギヴィング・アプ・ザ・ゴースト」(Giving Up the Ghost, B, R. & M. Gibb)

 またまた叩きつけるようなリズムに乗って、ロビンがヴォーカルのソウル・ロック風ナンバーが始まる。タイトルに「ゴースト」があるからか、いささか神秘的でダークな雰囲気の曲だ。

 展開部の合いの手のような、すごんだようなコーラスは彼らっぽくないが、「ギヴィング・アプ・ザ・ゴースト」と繰り返すサビのロビン主導の高音のエグゾティックなコーラスにはビー・ジーズらしさがあふれている。

 

A5 「ザ・ロンゲスト・ナイト」(The Longest Night, B, R. & M. Gibb)

 前曲に続いてロビンがソロを取るが、彼のリード・ヴォーカル曲はこれら2曲だけで、Bサイドには1曲もないのは、ロビンのファンにとっては物足りないかもしれない。

 曲は、移ろうような儚げなブリティシュ・フォークで、ロビンの消え入りそうなヴォーカルに見事にはまっている。依然として、彼らのメロディを書く才能は枯れていないことを実感させる。

 『E・S・P』は、6年前の『リヴィング・アイズ』以上にイギリス色が目立っているが、この曲のようなブリティッシュ、というよりアイリッシュ・フォークのような楽曲は80年代の作品には見られなかったものだ。

 ラストのリフレインは長すぎて、やや冗漫になったようだ。

 

B1 「ジス・イズ・ユア・ライフ」(This Is Your Life, B, R. & M. Gibb)

 強烈なリズムに合わせて、アップ・テンポで進むソウル・ロック調のナンバー。というか、彼らとしてはテクノ・ディスコ風のつもりなのだろうか。

 途中でラップになり、ヒット曲のタイトルを織り込んだ歌詞をバリーが早口で歌う。もちろん、まったく彼らに合っていない。最初に聞いたときは、また変なことを始めたなア、と思ったが、これ一曲で終わったのは幸いだった。

 

B2 「アンジェラ」(Angela, B, R. & M. Gibb)

 バリーが甘く囁くように歌うバラード・ナンバー。曲想は異なるが、A面の「リヴ・オア・ダイ」と同じような印象を受ける。どちらの曲も、バリーがコードに合わせて即興でメロディを口ずさんでいるような曲で、どことなくくねくねしたメロディも共通している。

 しかし、さすがにバリー・ギブで、ツボを押さえた甘いメロディはやはり魅力的だ。彼が、こうしたドリーミーなバラードを歌うのは久しぶりのような気がする。

 

B3 「オウヴァナイト」(Overnight, B, R. & M. Gibb)

 今度は、A1のついでに出来たかのようなロック調の曲。モーリスがリードを取る唯一の曲だが、彼の声のおかげで、よりストレートなロック・ナンバーとなった。

 とはいえ、やはり目玉となるのはコーラスで、テクノ風のリズムに乗せて、「ステイ~」と繰り返すサビはパワフルだ。

 アルバムのなかでは、比較的地味な曲だが、真摯なヴォーカルとコーラスで、変なラップ調の曲よりは好感がもてる。

 

B4 「クレイジー・フォー・ユア・ラヴ」(Crazy for Your Love, B, R. & M. Gibb)

 続く曲は、B1と同じく、ソウル・ロック風のわいわい・ソング(そんな言葉ある?)。

 そろそろネタに困ったのか、やけくそ気味に陽気なヴォーカルに、「ウォウウォウウォウウォウウォウォウォ」の掛け声がやかましい。

 別に馬鹿にしているわけではないのだが、どうも、こういう曲を彼らがやると、子供だましというか、安っぽいというか。あまり真剣に聞いてもしょうがないというか。

 まあ、これもビー・ジーズだということで、先に進もう。

 

B5 「バックタファンク」(Backtafunk, B, R. & M. Gibb)

 最後は、まさにファンクというか、「バックタファンク」って何?また、ソウルに戻ろう、という意味なのだろうか。あるいは、本作で、十数年ぶりにアリフ・マーディンをプロデューサーに迎えたので、おかえり、アリフ、と歓迎の意を表わしたのだろうか。

 これまた、横っ面をひっぱたかれるような強烈なリズムだが、サビのコーラスは、かつての「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」あたりを思わせ、それでいて、熱気と哀調を感じさせて、引きこまれる。

 アルバム最後を飾る曲としては、まずまずの出来栄えだろう。

 

B6 「E・S・P」(Vocal Reprise)

 最後の最後は、再びア・カペラ・コーラスで締めくくられる。

 『E・S・P』は、ビー・ジーズが80年代のロック・サウンドを取り入れて、新生面を切り開こうとした野心的なアルバムだったが、成功したかというと、判断は難しい。

 もちろん、ヴォーカル・スタイルが変わるはずもないので、それが、現代風のサウンドとマッチしているかといえば、微妙である。古くからのファンにしてみれば、彼らには合わないと感じそうだし、若いロック・ファンからすれば、ヴォーカルやコーラスに80年代ロックのもつキレの良さが足りない、と映るだろう。

 アルバムでもっとも優れているのが、メロディアスな「ユー・ウィン・アゲイン」だったというのも、狙いと結果がずれているようで、何だかちぐはぐな印象だ。

 どんなサウンドでも取り入れることができる、と証明した反面、最後に聴き手の心を打つのは、彼らの書くメロディだった、という、結局20年過ぎても、本質は変わらないという当たり前の事実が明白になった。

 

[1] Joseph Brennan, Gibb Songs, 2nd version, 1986.

ビー・ジーズ1985(2)

ロビン・ギブ「ライク・ア・フール」(1985.11)

1 「ライク・ア・フール」(Like A Fool, R, B. and M. Gibb)

 2枚のソロ・アルバムの延長線上にある作品。しかし、本来のロビンらしい哀愁を帯びた歌声が戻ってきた感がある。彼らしい絶叫も一部聞かれる。

 曲は、シンプルなヴァースとコーラスの組み合わせによるポップ・ナンバーで、「ライク・ア・フール~」の繰り返しもいつもながらというところか。ただ、前作にあったような、どこか無理をしている感じが薄れて、この機械的サウンドにどのように自分の声を乗せるか、掴んできたようにも思える。実際、この後の90年代にかけてのビー・ジーズのアルバムでも、このスタイルが取られている。

 

2 「ポゼッション」(Possession, R, B. and M. Gibb)

 B面のこの曲も、いかにもプログラミングされたサウンドに乗せて、ミディアム・テンポで歌う。相変わらずタイトルを執拗に連呼するのもお馴染みというか、聞き飽きた。

 ロビンの声はリラックスして、中盤では伸び伸びと声を張って、あまり悲壮感を出さないのはよい。新鮮味はないが、出来はまずまずか。

 

ロビン・ギブ『ウォールズ・ハヴ・アイズ』(Walls Have Eyes, 1985.11)

 ロビンの80年代では3枚目のソロ・アルバムは、基本的には前作前々作を踏襲した作品だった。

 プロデュースはトム・ダウドで、1枚目のモーリスとの「兄弟アルバム」から、2枚目とこの3枚目は脱却するかたちで、新しい方向を模索する意欲が感じられるが、その割には、これまでと変わりばえがしない印象なのはどうしてか。制作予算も限られ、レコード会社からの指示も厳しかったというが[i]、そうした外部的な要因のせいなのか。

 80年代の3枚のなかでは一番優れている[ii]、との評価もあるが、確かに、「ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド」のような会心のバラードもあるし、バリーが参画した「トイズ」のような注目作もある。『ハウ・オールド・アー・ユー』では目立っていたチープなサウンドもある程度改善されて、80年代のサウンドも板についてきたようにも感じられる。

 あとは好みの問題になるだろうが、セールスは思わしくなく、1枚目の「ジュリエット」のような大ヒット(ドイツのみだが)も、2枚目の「ボーイズ・ドゥ・フォール・イン・ラヴ」のようなアメリカでの小ヒットもなく、先細りの感は払しょくできない。

 とはいえ、結果的に、ロビンの全曲オリジナルによるソロ・ヴォーカル・アルバムがこれで最後になってしまったことを考えれば、この時期、精力的に3枚のアルバムを制作してくれたことは、彼のファンにとっては何よりの贈り物だったといえるだろう。

 

A1 「ユー・ドント・セイ・アス・エニモア」(You Don’t Say Us Anymore, R. and M. Gibb)

 いかにもコンピューターでプログラミングしました、といったサウンドで、前作をほぼ踏襲したかたち。いきなり低音で始まるのは意外性があるが、すぐに高音のいつものロビンの歌声になる。後半ファルセットのパートが一瞬入るなど、ロビンの声を楽しむという点に限れば、ファンなら楽しく聞けるが、それ以上の魅力となると説明に窮する。

 

A2 「ライク・ア・フール」

A3 「ハートビート・イン・エグザイル」(Heartbeat in Exile, R, B. and M. Gibb)

 ややスロー・テンポだが、サウンドは変わらずのテクノ・ポップ風。ロビンの高音ヴォイスもおなじみだが、途中でサックス・ソロが入ってくるところは、多少変化をつけたということだろうか。ムーディな雰囲気を加味しようとしたということか。

 

A4 「レミディ」(Remedy, R, B. and M. Gibb)

 これもまた例によってのテクノ風リズムで、もはやどう見分け、いや聞き分けをつければよいのか。快調なリズムに乗って、ロビンの珍しいファルセットのサビが聞けるのが唯一の特徴か。あとは、ファンならおわかりの、彼の独特の「こぶし」が聞かれる。

 

A5 「トイズ」(Toys, B, R. and M. Gibb)

 バリーが加わって書いた曲のひとつだが、それだけではなく、彼がサビのヴォーカルを担当していて、まさにビー・ジーズそのものだ。そのせいか、アルバムのハイライトだ、との評価もある[iii]

 そこまでとは思えないが、確かに他の曲では果たせないアクセントになっている。サウンドは他と同工異曲だが、重々しいシンセサイザーのイントロに始まり、ロビンの淡々とした無表情なヴォーカルからバリーのささやくようなリードへと、ひときわ神秘的なアレンジが施されている。

 

B1 「サムワン・トゥ・ビリーヴ・イン」(Someone to Believe In, B, R. and M. Gibb)

 サウンドは代わり映えしないが、ロビンの歌唱が他に比べて、多少異なる。意識的に強い歌い方をしようとしている。それがややオーヴァアクション気味ではあるが、本アルバムでは珍しいギター・ソロを含めて、そこが印象に残る。

 

B2 「ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド」(Gone with the Wind, R. and M. Gibb)

 本アルバムでは群を抜く出来栄えの一曲。ピアノを基調とした力強いバラードで、なぜこの曲だけ、他とまったく異なるアレンジなのかが不思議。

 かつてのロビンの歌うビー・ジーズのバラードが甦ったような作品で、とくに、ギター・ソロを交えた後半の「ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド~」のハイ・トーン・コーラスには息を呑む。

 タイトルは説明するまでもないが、名作映画から採られた表題にふさわしい久々の快作だ。

 

B3 「ジーズ・ウォールズ・ハヴ・アイズ」(These Walls Have Eyes, B, R. and M. Gibb)

 タイトル曲だが、とくに際立った特徴があるわけでもなく、他と同じようなテンポ、アレンジ。本アルバムの全体の特徴である冷ややかなサウンドというか、熱気のないクールな印象は変わらない。曲も中くらいの出来というところだろう。

 

B4 「ポゼッション」

B5 「ドゥ・ユー・ラヴ・ハー」(Do You Love Her?, R, B. and M. Gibb)

 ラストは、軽快なテンポのポップ・ナンバー。サウンドはこれまでの楽曲と大差なく、なんとも形容のしようがない。曲そのものはまずまずか。ロビンのファルセット気味のフレーズも耳に残る。さりげない曲で最後を締めくくるのは悪くないが、特に盛り上がることもなく終わってしまった、という感も否めない。

 

[i] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1985.

[ii] Ibid.

[iii] Ibid.

ビー・ジーズ1985(1)

ダイアナ・ロス「イートゥン・アライヴ」(1985.9)

1 「イートゥン・アライヴ」(Eaten Alive, B. Gibb, M. Gibb and M. Jackson)

 バリーとモーリスにマイクル・ジャクソンが作曲に加わり、さらにプロデュースに参加するという、なんとも贅沢なシングルが出来上がった。しかもシンガーはダイアナ・ロスである。これでヒットしないはずがなかったが、本当にヒットしなかったのだから面白い(いや、全然面白くはない)。世の中はわからない。

 ある日、アルビィ・ガルテンのところにジャクソンから電話がかかってきて、ロスのアルバムの楽曲を完成させようとしていたバリーとの対面が実現する。「イートゥン・アライヴ」に何かが足りない、と指摘したジャクソンがカセットを持ち帰り、数日後にコーラスに手を加えて返してきた[i]、という。

 そもそもなぜガルテンのところに電話してきたのかが、いまいちわからないが、ジャクソンとロスの深い関係を考えると、ビー・ジーズにプロデュースを依頼したという話を聞いて、興味を持ったのだろうか。

 いずれにしても、せっかくの夢の競演が結果を残せなかったのは、お気の毒というほかはない。曲は、アップ・テンポの、まさに当時のマイクル・ジャクソンを彷彿とさせるようなダンサブルなソウル・ポップで、コーラスもキャッチーなヒット性満載のナンバーだが、何が悪かったのか。ヴァースのメロディにあまり特徴がなく、コーラスももっと厚くしたほうがよかったかもしれない。ダイアナ・ロスが持っているエキゾティックで野性的な側面を強調した作品で、ソロになってからのソフィスティケイトされたスタイルではなかったが、それが災いしたのか。少なくとも、エンディングの野獣が獲物を食い殺したかのような効果音は、あまり趣味がよくなかった。

 

2 「イートゥン・アライヴ」(Alternate Mix)

 

ダイアナ・ロス『イートゥン・アライヴ』(Diana Ross, Eaten Alive, 1985.9)

 バリー・ギブ、カール・リチャードソン、アルビィ・ガルテンの無敵トリオによる最後のプロデュース作品は、掉尾を飾るに相応しく、ダイアナ・ロスのアルバムだった。

 しかし、予想に反して、商業的にはもっとも失望する結果に終わった。イギリス、ヨーロッパでの「チェイン・リアクション」のヒットはあったが、アメリカでは完全な失敗で、バリー・ギブのプロデューサーとしての一連の仕事も一旦打ち止めとなった。明らかに、ロスのプロジェクトの失敗で、バリーの神通力にも陰りが見えたと判断されたのだろう。

 さらにその要因を考えると、バリーあるいはギブ兄弟による楽曲が飽きられてきたのも事実だろう。1980年以降、アンディ・ギブから数えると5作目、女性シンガーに限っても、バーブラ・ストライサンド、ディオンヌ・ウォーリクに続く3人目で、いずれも大物シンガーであるが、逆に言えば、冒険しにくいビッグ・アーティストばかりだった。少なくとも、若手の女性ポップ・ロック・シンガーなら、これまでと異なるアプローチもあったかもしれない。ストライサンド、ウォーリクと来て、ロスとなれば、ああまたか、と思われても仕方がなかった。確かに、個々の歌手の個性に合わせた楽曲づくりの工夫はなされているものの、範疇としては、アダルトな女性ポップ・シンガーであって、さすがに『ギルティ』や『ハードブレイカー』と180度異なるアルバムを制作することはバリー達にも不可能だった。もっとも、そんなことは求められていなかっただろうが。枚数を重ねるごとに劣化している、と受け取られてもやむを得ない面があった。

 それでも、「イートゥン・アライヴ」のようなロック風のナンバーや「チェイン・リアクション」のようなモータウン風の曲。あるいはジャジーなナンバーなど、それなりにダイアナ・ロスというアーティストのキャラクターに応じたプロデュースはなされているが、全体としては、やはりビー・ジーズらしいキーボードやストリングスをふんだんに使った華麗なポップ・アルバムの枠を超えることはできなかった。

 ソング・ライティングは、いつも通り、バリー、ロビン、モーリスの三人の共作が中心で、6曲と半数を超える。ガルテンが加わったのは1曲のみ。前述のように、マイクル・ジャクソンが1曲参加しているが、アンディが2曲を共作しているのが珍しい。さらに、ジョージ・ビッツァーが1曲だけバリーと共作しているが、『ナウ・ヴォイジャー』の頃の作品なのだろうか。

 

A1 「イートゥン・アライヴ」

A2 「オー・ティーチャー」(Oh Teacher, B, R. and M. Gibb)

 70年代後半のビー・ジーズに近いナンバー。こうした楽曲は、ロス自身も体に染みついているスタイルだから、軽々とこなしている。もっとも、バリーの回想では、ロスがあまり曲を覚えてこなかったので、苦労したらしい[ii]

 A面2曲目ということは、シングル・カットも視野に入れていたのだろうか。その割にはこれというフックがなく、物足りない出来だ。

 

A3 「イクスペリエンス」(Experience, B, R, M. and A. Gibb)

 女性シンガーのアルバムでは恒例のロマンティックなバラード。いかにもビー・ジーズといったゴージャスなアレンジで飾りたてられている。

 楽曲としては、CD解説にあるように、「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」[iii]の系列であるが、それよりもストライサンドの「ウーマン・イン・ラヴ」とウォーリクの「ハートブレイカー」をミックスしたような作品で、劇的な展開と甘美なメロディは、いつも通りのバリー・ギブの持ち味である。

 これなど、まさに「またか」と思われそうな曲だが、バリーにプロデュースを任せるなら、このような曲が1曲は欲しいだろう。

 

A4 「チェイン・リアクション」(Chain Reaction, B, R. and M. Gibb)

 このアルバムでの注目曲と言えば、やはりこれだろう。

 懐かしのモータウン風、というか、あえて言うまでもなく「恋はあせらず(You Can‘t Hurry Love)」(1966年)を元にしているとわかる。

 バリーたちは、ロスにこの曲を披露するのを最後までためらった[iv]、というが、結局、ロスが納得してアルバムに収録されることになった。

 ところが、これが思わぬ結果をもたらす。イギリスで3週間1位にランクされる大ヒットとなったからだ。2013年の「ネイションズ・フェイヴァリット」でも、ビー・ジーズの楽曲中19位にランクしている[v]から、やはりイギリス人にはおなじみのヒット曲なのだろう。

 ビー・ジーズの3人にとっても、ダイアナ・ロスは特別思い入れのあるシンガーだったはずだ。ストライサンドやウォーリクもロスと同等のキャリアの持ち主たちだが、基本的にはオーソドックスなソロ・シンガーでロックとは無縁だった。それに比べると、何といっても、ロスは、ビートルズに対抗した60年代のアメリカ最大のグループであるシュープリームスのリード・シンガーだったのだから。

 ギブ兄弟が「チェイン・リアクション」を書いたのも、彼らの最高の敬意の表れだったと見られるし、実際、この後も、彼らは「チェイン・リアクション」の続編のような曲を幾つも書いている。「恋はあせらず」が手本に選ばれたのは、フィル・コリンズがカヴァーしたヴァージョン(1982年)がちょうどヒットしたばかりだったことも大きかったはずだ。好きだった曲をカヴァーするのではなく、自分たちで作ってしまうのが彼ららしいところだが、原曲には及ばないにしても、またアメリカでは不発だったとしても、このヒットによって、彼らのソング・ライティングの幅がまたひとつ広がったのは確かだ。

 最初のワン・フレーズが次から次へと転調して繋がっていき、サビではロスの後をバリーのコーラスが追いかけ、後半ではそれが反対になる。最後は入り乱れて収拾がつかなくなっていく構成は、まさに「連鎖反応」を歌で表現したということだろうか。しゃれっ気もユーモアもたっぷりの実に楽しい作品に仕上がった。

 

A5 「モア・アンド・モア」(More and More, B. Gibb, A. Galuten and A. Gibb)

 「チェイン・リアクション」の大騒ぎから、一気にこのムーディなバラードに切り替えてA面を締めくくる。さすがギブ=リチャードソン=ガルテンのトリオならではの、そつのなさだ。

 ピアノを基調にした曲だが、ロスの吐息交じりのヴォーカルが実にセクシーで、これほどジャズっぽい作品は、今までのバリーの曲にはなかった。ガルテンとの共作による賜物だろうが、アンディがどのように曲作りに絡んでいるのかは計りがたい。

 短い曲だが、「チェイン・リアクション」とともに、本アルバムでの注目作品だろう。Aサイドは、非常にヴァラエティに富んだ構成になっている。

 

B1 「アイム・ウォッチング・ユー」(I’m Watching You, B, R. and M. Gibb)

 これも「エクスペリエンス」同様、ビー・ジーズらしいスロー・バラード。より甘さとポップさが強調され、ロスのヴォーカルもそれに合わせてドリーミーな雰囲気を強調している。『リヴィング・アイズ』収録の「アイ・スティル・ラヴ・ユー」の系統だろうか。

 展開部のメロディはいかにもバリーらしいし、コーラスもいつものとおりの手慣れた、聞かせどころを心得たうまさを感じさせるが、やはりこのあたりになると、少々マンネリを感じるのもやむを得ない。

 

B2 「ラヴ・オン・ザ・ライン」(Love on the Line, B, R. and M. Gibb)

 こちらもA面の「オー・ティーチャー」の路線のソウル・ポップ・ナンバー。サビの「ラヴ・オン・ザ・ライン」に続く流れは、ライナー・ノウツでも指摘されているように[vi]、いかにも70年代後半のビー・ジーズだが、サビまでの展開が少々長すぎるだろうか。

 B面に入ると、A面の楽曲との類似が目立って、新鮮味が薄れてしまっているようだ。

 

B3 「ビーイング・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」((I love)Being in Love with You, B, R. and M. Gibb)

 再び、メロウなバラード。「アイム・ウォッチング・ユー」よりはソウル・ポップ味が強く、やはり70年代後半のソウル・ディスコ・バラードを思わせる。

 こちらもそつなくまとまっているが、「エクスペリエンス」、「アイム・ウォッチング・ユー」と続くと、どうにも見分けがつかなくなる。サビの畳み込むようなメロディ展開はなかなか盛り上がるが。

 

B4 「クライム・オヴ・パッション」(Crime of Passion, B, R. and M. Gibb)

 豪快なギター・ソロを据えた、もっともロック的な曲。というか、この曲も「チェイン・リアクション」ほどではないが、モータウン風、あるいはシュープリームスを思わせるアップ・テンポのダンス・ナンバーと言ったほうがよいかもしれない。

 シングル向きでもあるが、これもロスにとっては朝飯前というか、得意中の得意といったところだろう。

 

B5 「ドント・ギヴ・アップ・オン・イーチ・アザー」(Don’t Give Up on Each Other, B, Gibb and G. Bitzer)

 最後は、バリーがビッツァーと共作したバラード。A面の「モア・アンド・モア」に対応する曲だが、最後はしっとりとしたバラードで締めくくるという王道のパターンだ。

「モア・アンド・モア」のようなジャズっぽさはあまりなく、アーバン・ポップといった、静かな歌いだしから、中間部ではギブ兄弟らしい重苦しいバラードになる。おしゃれなポップ・ソングになり切れないのもビー・ジーズらしいが、ロスの緩急をつけた自在な歌唱はさすがの上手さだ。

 

 『イートゥン・アライヴ』は、あまりにも手慣れたつくりで、新鮮味が薄れたのは確かだが、全体を通して聴けば、やはりクォリティの高い楽曲が揃った良質のポップ・アルバムといえる。こう言ってしまえば、評価までありきたりになってしまうが。

 

[i] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, pp.559-60.

[ii] Ibid., p.559.

[iii] ダイアナ・ロス『イートゥン・アライヴ』(東芝EMI、1985年)、大伴良則によるライナー・ノウツ。

[iv] Ibid., p.560.

[v] Wikipedia: Nation’s Favourite. 他のアーティストに書いた曲としては、「モア・ザン・ア・ウーマン」(タヴァレス、1977年、6位)、「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」(ケニー・ロジャース、1983年、9位)、「イモータリティ」(セリーヌ・ディオン、1998年、14位)に次ぐ。ちなみに、20位が「ギルティ」(バーブラ・ストライサンド、1980年)。

[vi]『イートゥン・アライヴ』、大伴良則によるライナー・ノウツ。

J・D・カー『血に飢えた悪鬼』

(本書の主題やトリック等を明かしています。)

 

 ジョン・ディクスン・カー最後の長編小説『血に飢えた悪鬼』は1972年に刊行された。ちょうど50年前のことだ。翻訳出版は1980年[i]。すでにカーは亡くなっていた。一年先輩のエラリイ・クイーンの最終作が1971年の『心地よく秘密めいた場所』[ii]なので、両者とも43年間の作家生活だったことになる。年齢も一歳違いなので、どちらの作も66歳になる年の長編。どこまでも気が合う二人、いや三人だったようだ。

 もっとも、クイーンが時代の変化に敏感で、作風を次第に変えていったのとは対照的に、カーは、歴史ミステリのようなスタイルの変化はあっても、むしろ変わらなかったことが特徴とされている。

 本作もその通りで、19世紀のイギリスが舞台の歴史ミステリで、密室殺人がテーマとなれば、まるで処女作の『夜歩く』とブック・エンドの両端で残りの長編を挟んでいるような図が浮かぶ。

 その密室の謎は、ガラス張りの温室のなかで胸を撃ち抜かれた被害者が横たわり、周囲に人の姿はなく拳銃だけが捨てられている。周囲のガラスに銃弾のあとはない、という教科書通りの状況設定なのだが、銃弾が発射された直後に、外にいた目撃者がガラスを破って被害者の傍らに駆けよる、という段取りなので、トリックは簡単に見当がつく。被害者は死んだわけではないので、撃たれた瞬間に目撃した事実を何度も自ら証言しようとするが、周りの連中がよってたかって話をさせない、というヘンな展開で解決を先延ばしする。密室の謎解き自体、20世紀初頭の短編ミステリの時代に見られたような素朴なトリックで物足りないが、被害者を無理やり黙らせるという話のもっていき方は、カー一流のテクニックというより、単に小説が下手になっただけのようにも見える。

 犯人はといえば、こちらも相も変わらず、一方的な思い込みで人妻に横恋慕して、夫を殺害しようとしたのだと明かされる。これまでの犯人と少し異なるのは、無口で控えめな青年であることだが、一途というより、動機の身勝手さは、現代ならさしずめサイコパスだろう。どうやら犯人もトリックも、従来のカー作品の枷から逃れられず、右往左往しているようだ。

 そもそもどういう話かといえば、アメリカ帰りの作家で主人公のキット・ファレルが、友人の探検家ナイジェル・シーグレイヴと妻のミュリエルに自宅に招待されるところから始まる。キットは、遺産相続のために帰国したのだが、アメリカ滞在中にパトリシア・デンビーというイギリス生まれの美女と恋に落ちて、しかし、なぜか彼女が突然姿を消してしまい、わが身の不運を嘆いている。ところが、ロンドンのホテルにチェック・インすると、そこで偶然パトリシアを見かける。・・・うん、そうなるって知ってた。

 カー自身は、本書を最終作にするつもりはなかったようだが、いずれにしても、カーは最後までカーだった。いまさら、新しい舞台やシチュエイションを考える熱意も根気もなかったのだろうが、それにしても、毎度おなじみの設定にキャラクター、そしてプロットと、これまでの70冊もの長編ミステリの似たような展開が眼前を駆け抜けていき、クラクラめまいがしてくる。

 しかし、本書のテーマは、実は犯人やトリックとは無関係の(本当に関係ない)、カー作品に前例のない斬新なものだった。19世紀が舞台のミステリで、しかも探偵役がウィルキー・コリンズとくれば、ヴィクトリア時代のメロドラマ的スリラーを意識したのか、妻が別人のように思えるという怪奇小説的な謎なのだ。ナイジェルは閨房におけるミュリエルの仕草から-そこ、もっと詳しく!-、妻が別人ではないか、との疑いを抱く。相談をもちかけられたキットは、そんな馬鹿な、と一笑に付し、一旦はナイジェルを納得させる。しかし、その後もナイジェルの疑いが完全に消え去ることはなく・・・、というゴシック・ロマンス風の展開で、それだけなら、むしろカーらしいといえる。だが、そんな生易しいものではないのだ。なんと、この「妻が別人に見える」という謎の答えが、本当に別人で、顔もそっくり、名前まで同じだったという、とんでもない真相なのである。「斬新」というのはそこのところで、つまり、ドッペルゲンガーが実在する世界観らしいのだ。予想外のことに半信半疑の主人公に向かって、ナイジェルの妻ミュリエルは、こともなげにこう言う。

 

  「・・・それから、話に聞いたところだと、誰でも生きているひとは、男女とも 

 に、そっくり自分と同じダブルが、どこかにいるらしいの。彼女はわたしのダブルで

 すわ」[iii]

 

 あのー、一体これは、どう反応すればよいのでしょうか?パズル・ミステリを読んでいるつもりだったのに、いきなりこんなことを聞かされても・・・。確か、カーは前にも「二つの死」という短編小説で似たようなことを書いていたのを覚えている。「どんな人間にしろ、姿かたちがそっくりそのままという相手を、ひとりは必ず持っているものである」[iv]というのだが、この短編の発表は1939年。そうか!本書のための、三十年の時を越えた壮大な伏線だったのか!・・・いや、そんなことはない(あぶない、あぶない、冷静さを失うところだった)。・・・もっとも上述のとおり、登場人物リストに名前も挙がっていない生き写しのダブル(分身、生霊)が犯人でした、などという結末では、無論ない。ないのだが、顔がそっくりで名前も同じミュリエルが実在して、ナイジェルの妻のミュリエルと入れ替わっていた、という種明かしは、うわっ、すごい、意外な結末でびっくりしたよ、などと無邪気に感心してはいられない。いられるかっ!

 ダグラス・グリーンは、『火刑法廷』を評した際、カーは他には超自然的な結末の長編を書かなかった[v]、と指摘したが、本作は超自然的な解決ではないのだろうか?超自然的な怪談の短編なら、カーには他にいくつもある[vi]が、本作がこんな話だったとは、すっかり忘れていた(それとも、あまりのことに唖然として、わけがわからず、無意識に記憶から抹消していたのだろうか)。

 とすれば、本書はヴィクトリア朝を舞台とした怪談として読めばいいのだろうか?しかし、怪異譚といっても、ナイジェルも、本物の(?)ミュリエルの不倫相手のジム・カーヴァーも、お相手のそれぞれのミュリエルに満足しているらしく、最後はめでたしめでたしのハッピー・エンドに終わる。ついでに、キットと(実は二人のミュリエルに協力していた)パトリシアもいつのまにか懇ろになって八方まるくおさまるので、一向怪奇小説らしくはない。怪談とも、ミステリともつかないこのプロットは、怪奇小説と歴史ミステリを融合した新たな挑戦なのか。いや、それとも、『死の館の謎』でも書いたが、昔思いついたアイディアを思い出して、残り少ない作家人生の締めくくりとして、やりたい放題やってみた結果なのだろうか。

 この「生き写しの謎」と関連して、もうひとつ首をひねるのは、最初にキットがシーグレイヴ家を訪ねる場面で、出迎えたのはダブルの方のミュリエル(本名は、ミュリエル・ジェニファー・ヴェイル)なのだ。それなのに、地の文で、彼女をミュリエル・シーグレイヴと書いている[vii]。カーらしくもない、これはアンフェアではないのだろうか。

 もっとも、続く場面では、彼女はただミュリエルとだけ書かれているので[viii]、つまり、嘘は書いてないよね、彼女もミュリエルなんだから、ということらしい。なるほど、それならアンフェアではないね(ニッコリ)。・・・いや、いや、いや。よく考えると(考えなくても)、名前も同じミュリエルだから、ミュリエルとだけ書いておけばアンフェアではないって、そんな言い訳ある?

 1950年代までは、カーも、こうした叙述トリックでは細心の注意を払っていて、他人に成りすましている犯人を、成りすましている相手の名前では呼ばない、というルールを徹底して守っていた[ix]。顔がそっくりなだけでなく、名前まで同じというトンデモ設定は、このような叙述トリックを、文章に苦心することなく可能にする究極のアイディアだったのだろうか。なるほど!さすがです、カー先生!・・・いや、いや、いや。

 とはいえ、これが最後の長編と思えば、細かいことをあげつらっても仕方がない(というより、さすがにこれはお手上げ?)。ミステリの巨匠の花道を、(いろんな意味で)万感の思いを胸に見送ることにしようではないか。それにしても、最後まで読者を煙に巻いておいてトンずらとは、さすがパズル・ミステリの幻術師の名に恥じない、見事な逃走っぷりである。

 

[i] 『血に飢えた悪鬼』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1980年)。

[ii] 『心地よく秘密めいた場所』(青田 勝訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1974年)。

[iii] 『血に飢えた悪鬼』、272頁。

[iv] ディクスン・カー「二つの死」『カー短編全集1/不可能犯罪捜査課』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1970年)、247頁。

[v] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、185頁。

[vi] 前述の「二つの死」のほか、『カー短編全集1/不可能犯罪捜査課』収録の「めくら頭巾」など。

[vii] 『血に飢えた悪鬼』、112頁。

[viii] 同、112-18頁。

[ix] 『九つの答』(1952年)等を参照。

J・D・カー『死の館の謎』

(犯人やトリックは一応伏せていますが、未読の方はご注意ください。それと、似たトリックを用いているカーの他の長編に注で触れています。)

 

 『死の館の謎』(1971年)[i]は、ジョン・ディクスン・カーの70冊目か、そのあたりの作品となる。というより、最後から二番目の長編ミステリといったほうがわかりやすい。『ヴードゥーの悪魔』(1968年)、『亡霊たちの真昼』(1969年)に続く「ニュー・オーリンズ三部作」の完結編でもあるが、別にとくに何かが完結したわけでもない。しかし、時代背景が1927年なので、さすがに、これより後の時代では歴史ミステリにならないだろう。処女作の『夜歩く』が1930年なので、下手をすれば、そちらより新しくなってしまう。つまり、完結せざるを得ない。

 1906年生まれのカーにとっては、懐かしき青春時代というわけで、主人公のジェフ・コールドウェルが、いつにも増して、カー自身を投影した青年で、作品自体もいつにもまして回顧的なのも無理もないといえる。彼の名前がジェフ(ジェフリー)なのは、ジェフ・マール(『夜歩く』の語り手)にあえて近づけたのだろうか。

 「回顧的」なのは晩年の長編がだいたいそうなのだが、意図して過去の諸作に似せているように見えるのも60年代あたりから目立つ特徴で、本書の場合も色々な意味でセルフ・パロディっぽい。あるいは、自分つっこみのような、といえばいいのか。例えば、小説冒頭で、いきなり、こんなセリフが主人公の口から飛びだす。

 

  「・・・きょう、ぼくと顔を合わせる連中はみんな、半分いいかけてやめてしまう 

 が、どういうわけかな」[ii]

 

 そんなこと、こっちが聞きたいよ!

 それと、事件が大詰めに近づいて、主人公がヒロインのペニー・リンと会話していると、ペニーが、犯人の心当たりがないわけではないの、推理小説ならそんな結末もあるかも、でも、これは推理小説ではないし、と、いきなりメタ的発言をかますが、(推理小説を書くと広言している歴史小説家の)ジェフも興が乗ったか、推理小説なら(友人の)デイヴ・ホウバートが犯人だろうな、などと言い、続けて「推理小説であろうが現実の事件であろうが、ほかに考えられるテクニックがあるのか?」、などと口走る[iii]。いや、作中人物がミステリと現実を一緒くたにしてどうする?

 カーも年のせいか、文章がくどくなっているようにも感じる。『アラビアンナイトの殺人』[iv]などの宇野利奏訳なので、格調高いのはわかるのだが、本作では、妙に古めかしく感じられて、やはり、もともとのカーの文章が、ことに歴史ミステリでは、時代がかっているせいだからなのだろうか[v]。これもしばしば指摘されるように、場面を途中で切ってしまって、次のシーンで登場人物が回想するという方法で、そのあとを説明しようとするが、まさに説明調の文章になってしまい、そこも気になる。全体に文章がまだるっこしくて、テンポが良くないのも、残念なことだが、年齢のせいなのかもしれない。

 お色気シーンが多いのは、これも年のせいなのだろうか?本編では、主人公が再三にわたって(過去回想でだが)ヒロインのペニーを裸にしようとするが、最後には、といっても序盤だが、バスルームでシャワー中のペニーの船室にジェフが闖入する(実際は、ペニーが部屋を間違えただけ)。まるで、ロバート・ブロックの『サイコ』のようだが、どうせなら、ペニーの体の特徴をもっと詳細に描写してくれたらよかった。1971年といえば、すでにミッキー・スピレインばかりか、お色気系ハードボイルドのカーター・ブラウンなどが一世を風靡していたのだから(「カーター」つながりだしね)。

 そういえば、船上ミステリでもないのに、船旅の場面が長々と描かれるのも特徴の一つで、『仮面劇場の殺人』(1966年)もそうだったが、カーの旅行好きのあらわれなのだろうか。実は、本書で一番妙なのが、この船旅のシーンで、タイトルが『死の館の謎』なのに、なかなか館が出てこない。主人公のジェフ・コールドウェルはニュー・オーリンズ生まれだが、イギリスで暮らしているところを、友人だったデイヴ・ホウバートと妹のサリーナから彼らが暮らすデリース館こと「死の館」に招かれる。弁護士のラトレッジから、兄妹の父親が遺した遺言書に関して相談があるので、ぜひともニュー・オーリンズに帰郷してほしい、と求められたのである。ところが、ニュー・オーリンズまでミシシッピ川下りを楽しもうと蒸気船に乗り込んだジェフの前に、デイヴやら、サリーナやら、その他主要登場人物が次々に姿を現わす。デイヴに至っては、船長に口をきいて、姿を隠して乗船したという怪しさで、主人公が死の館に到着して出会うと予想していた人物たちが早々と勢ぞろいして、読んでるこっちは目をパチクリする。どうやら、もう一人、姿を隠して乗り込んでいる犯人を隠すために、こんなにぞろぞろ主要キャストを乗船させたらしいが、一歩間違うとコントのようである(本当に、ギャグのつもりなのかもしれないが)。そのひとりがペニーなので、上記のとおり、シャワー中を襲われ・・・、いや、覗かれただけだが、数年ぶりにジェフと再会する。例のとおりの初恋の相手同士で、以下、本筋と関係なく、ジェフとペニーのいらぬ駆け引きがさらにストーリーを渋滞させる。

 肝心の殺人事件は、こちらも、なかなか起こらず、デリース館に戻ったデイヴとサリーナが、館を売却する話をジェフに打ち明けたり、兄妹の祖父がかつて引き揚げたスペイン船から回収した金塊が、いまも館のどこかに隠されているという宝探しまで絡んでくる。遺産相続問題というのは、兄妹が一定期限内に死んだ場合は、父親の友人たちの子どもであるジェフと、もうひとり、ボストンに住む牧師が遺産相続人になる、という、いかにもミステリらしい嘘くさい条項が含まれていることだったとわかるが、その直後、サリーナが深夜、二階の自室の窓から転落して、そのショックで弱かった心臓が止まって死亡してしまう。次いで、デイヴが何者かに襲撃され、事件は遺産相続をめぐる連続殺人に発展していくやに思われる。主人公が殺人の容疑者になるのはサスペンス・ノヴェルにつきものの展開だが、そのままジェフが疑われるという方向にならず、一向にスリリングではないのは、これが、もう一人の相続人である牧師(実は犯人)から読者の眼をそらすための手管に過ぎないからである。

 サリーナの部屋は内部から施錠されており、こちらもまた回顧的な「密室における転落死」で、その解決は、晩年の長編でやけに増えてきた機械トリックが使われている。どうも、カーは、自分の苦手な理系のトリックを逆に面白がって作品に取り入れようとしたらしい。20世紀初頭の「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」の時代の短編ミステリに出てきそうなトリックで、その点では、確かに1927年という時代には合っている。これを、あえて「回顧的な」トリックを用いたしゃれっけと見るべきか、この年になっても新しいトリックの考案に励む熱意を素直に賞賛すべきなのか、なんとも言い難い。ま、たいして面白くないことだけは断言できる。

 犯人は、前半の蒸気船の旅に密かに加わっており、二人の女性を手玉に取る、いけすかない似非ダンディなのはいつものことだが、表面的には作品に登場していない人物の一人二役トリックで、これまた1934年(作品名を注に書きます)[vi]以来、繰り返し用いてきた手なので、手垢がついたとは言わないが、確かに新鮮味はない。

 それより面白いのは、死の館というのが、16世紀のエリザベス時代に建築されたイギリスの古舘をアメリカに移築したという、いわくつきの物件で、ニュー・オーリンズには似つかわしくない古色蒼然たる屋敷。そこに住むのが、いささか奇矯な性格の兄妹というのは、なんだか「アッシャー家の崩壊」みたい。いや、みたいではなくて、いつもならヒロイン枠に入りそうな妹が早々に不慮の死を遂げるプロットをみても、どうやらカーは、謎解き版「アッシャー家の崩壊」を書こうとしたらしい。郊外にぽつんと立つ館を訪れた友人に兄が奇怪な打ち明け話をする、妹の突然の死に兄は半狂乱となる、という筋立ても似かよっている。もし、この推測が正しいとすれば、カーは、自身の作家生活の終わりが近いことに気づいて、温めていたアイディアを、生煮えの状態でもいいから、この際全部調理しちまえ、と思ったのかもしれない。もっとも、ラストはポーのような怪奇の結末ではなく、よどんだ沼が「『アッシャー家』の残骸を音もなくゆっくりと吞みこんでしまった」[vii]りはしない。呑気なハッピー・エンドで終わるのは、カーが健全なエンターテインメント作家である証拠だろう。それが彼の限界であるが、魅力でもあって、怪奇の衣装はまとっていても、カーの長編ミステリは常に知的興奮で終わる。あの『火刑法廷』でさえ、ラストはちっとも怖くなく、意外な結末であっと言わせるだけである。余計な感傷や人生訓などは排除して、とことん知的快感の後味のみが残る。それこそが七十余編におよぶカーのミステリの醍醐味である。

 

[i] 『死の館の謎』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1975年)。

[ii] 同、25頁。

[iii] 同、379-80頁。

[iv]アラビアンナイトの殺人』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1960年)。

[v] 『死の館の謎』、433-34頁(戸川安宣による解説)参照。

[vi] 『黒死荘の殺人』(南條竹則・高沢 治訳、創元推理文庫、2012年)。

[vii] エドガー・アラン・ポオ「アッシャー家の崩壊」(河野一郎訳)『ポオ小説全集1』(阿部知二他訳、創元推理文庫、1974年)、361頁。

J・D・カー『亡霊たちの真昼』

(本書の犯人、トリックのほかに、『墓場貸します』およびエラリイ・クイーン『十日間の不思議』のトリックに触れています。)

 

 「ニュー・オーリンズ三部作」の第二作である本書[i]は、翻訳されたのも二番目だったが、なんと、最終作の『死の館の謎』(1971年)[ii]の次だった。どういうこと?『死の館の謎』は、出版から四年で翻訳されるという、ある意味、快挙だったが、本書は1983年。原書から14年たっていた。しかし、第一作の『ヴードゥーの悪魔』(1968年)[iii]が38年かかっていることを思えば、全然ましである。

 結局、第三作、第二作、第一作の順に訳されて、三冊が完訳されるまで三十年を費やしたとあっては、三部作も何もあったものではない。もっとも、どれも独立した作品なので、順番に読まなければならないということもない(なら、文句を言うな?)。ニュー・オーリンズの歴史に興味のある日本人も、恐らく全国で十人といないだろう。

 そうはいっても、本書には前作に登場した重要人物二人-トム・クレイトンとマーゴ・ド・サンセール-の半世紀後の消息が語られ、前者は作中にも登場する[iv]。連作ならではの趣向で、作者としても、読者サーヴィスのつもりで登場させたのだろうが、台無しでしたね。

 題名は怪奇ムードいっぱいで、前作同様の歴史怪奇ミステリかと思わせるが、いろいろ不可思議な事件は起こるものの、アメリカ南部の明るい雰囲気のなかで、割と動きの多い冒険活劇風である。

 しかし、ミステリの謎となるのは、この期に及んでもなお不可能犯罪で、ただし、自動車が登場し謎の中心となるのが、こちらも本書ならではの趣向である。つまり、前作では馬車からの人間消失だったのに対し、五十年後の本作では、納屋のような建物に突っ込んだ自動車の運転手が頭を撃ちぬかれて死んでいる。自殺とも見えるが、銃は見つからず、他に誰も同乗者はいなかったことがわかる。かつての『絞首台の謎』のようなシチュエイションだが、あれよりむしろトリックは上出来かもしれない。しかし、あまり期待すると失望する(どっちだ!)。こういっては何だが、エドワード・D・ホックの短編に出てきそうなトリックで、手堅くまとまっているが、長編ミステリとして見ると、やっぱりあっけない。あっけないが、まあ、この時期のカー作品としてはまずまずか(どっちなんだ!)。

 時代背景は、『ヴードゥーの悪魔』が1858年で、本書が1912年。上記のとおり、不可能犯罪の小道具(大道具?)が、馬車から車に変わっているのも、歴史ミステリの連作らしく、続けて読めば、時代の移り変わりが味わえるということだろう。もう一つの対比は、前作が南北戦争の直前で、本作が第一次世界大戦の直前ということで、本格ミステリの黄金時代が第二次世界大戦前(ないしは大戦間時代)であることを思うと、ちょっと意味深ではある。もっとも、アメリカの第一次大戦への参戦は1917年なので、カーも、とくに意識してこの時代を選んだのではないのかもしれない。

 本書の犯人は、けっこう意外だが、何だか騙されたような気もする。というのも、上記の不可能トリック、誰が怪しいのかは明白で、要するに、被害者のジャーナリスト、レオ・シュプリーを敬愛しているはずのピーター・レアードという若者と従者のラウールである。二人は、レオの車を追跡して、続けて建物に飛び込み、遺体を発見する。その直後に、主人公のジム・ブレイクとヒロインのジル・マシュウズが到着し、二人に合流する。ここからしても、トリックが可能なのはピーターたちだけで、またこれが、カー作品では見飽きた、小生意気で頭の悪そうなしゃべり方をする青年なのだ。どう見ても、こいつが犯人でラウールを共犯に使っている、と思われるのだが、でも違うのである。犯人は、従兄に当たるアレック・レアードで、当地の新聞社の社主。こちらも、カー作品に頻出する、少々、いや大変頭のおかしいサイコ的人物とわかるのだが、なんでこっちが犯人なの?実際、トリックを実行するのはピーターなのだから、そのままこいつがクロでいいじゃん、と読者は思うのだが、ピーターがアレックに命じられて、トリックを実行する動機も、わけがわからないし。アレックを犯人にする必然性は、彼が作半ばで主人公に仕掛けるトリック[v]ぐらいしかなさそうなのだが、なんで?・・・と、しつこく詰め寄りたい。

 もう一つ気になるのが、不可能犯罪の場面で、レオらしき人物が運転する自動車をジムとジル-なんだか、童話のタイトルみたいだ-が目撃する。そのシーン、「レオは憑かれたように前方を凝視していた」[vi]、と書かれている。さらに続けて、後を追う(ラウールらが乗る)キャデラックは、「レオにも劣らぬ勢いで激しく追い迫った」、「レオはスピードを落とさなかった」[vii]、などとも描写されている。何が問題かというと、実際には車を運転しているのはレオではないのだ。運転しているのはピーターで、追跡するキャデラックにラウールとともに同乗しているかに見えたのが、レオの死体だった、というのがトリックなのである。

 かつて、20年前の長編[viii]で、カーは、Aに変装しているBを客観描写でAと書きながら、Cの主観描写だと強弁する(!)ことで、まんまと読者を煙に巻いた。しかし、本書の場合は、こりゃアウトでしょ。さすがのカーも、寄る年波でやきがまわったか。・・・ただ、そうとも決めつけがたい気が残るのは、この場面、一応、主人公のジムの視点で描かれているからである。あるいは、カーは、例によって、アンフェアとフェアのぎりぎりのところを攻めたつもりなのだろうか。エラリイ・クイーンにも同様の作例があって、鮎川哲也がアンフェアだと断定した[ix]のは、ファンには有名だろうが、あの場合も、カーと同様の反則すれすれの技巧だったのか。果たして、カーとクイーン、これらのケースは完全アウトなのか、それとも叙述トリックへの果敢な挑戦なのか。判定は読者に委ねられている。あたしゃ、アウトだと思うけどね(筆者の解釈は誤りだったので、以上の発言は撤回します。2024年2月4日)。

 最後に付け加えたいのは、本書でも、やっぱりカーはカーでした、というわけで、主人公のジムは、冒頭立ち寄った新聞社の入り口で、階段を転げ落ちる美女を抱き止めて、途端に恋に落ちる。まさに「フォール・イン・ラヴ」ですか、・・・って、言ってる場合か!この後も、ジムは、ずっこけ美女のジルを、またしても列車の入り口でつまずいたところを受け止めるが、いつもほどには、このカップルは読者をいらつかせない。理由ははっきりしていて、ジルが、章が変わるたびに、ジムの前から姿をくらましてしまうからなのだが、おかげで無用な言い争いも少なく、私たちも、おとぼけカップルの言動にうんざりすることなく、二人の幸福を祈ってあげられるというものだ。

 

[i] 『亡霊たちの真昼』(池 央耿訳、創元推理文庫、1983年)。

[ii] 『死の館の謎』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1975年)。

[iii]ヴードゥーの悪魔』(村上和久訳、原書房、2006年)。

[iv] 『亡霊たちの真昼』、153、271、297-98頁。ちゃんと、前作の事件のことも語られて、ベンジャミン探偵にも言及される。

[v] 同、130-31頁。

[vi] 同、174頁。

[vii] 同、175頁。

[viii] 『墓場貸します』(斎藤数衛訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1980年)、89-90頁。

[ix] エラリイ・クイーン『十日間の不思議』(青田 勝訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1976年)、417-18頁(鮎川哲也による解説)。