横溝正史『夜の黒豹』

(本書および原型短編の犯人、トリック等を明かしています。)

 

 『夜の黒豹』は、1963年3月号の『推理ストーリー』誌に掲載された「青蜥蜴」[i]を改稿して1964年8月に東京文藝社より刊行された[ii]。いわゆる横溝正史の長編化書下ろし作品の事実上の最終作である。

 「事実上」と、わざわざ断ったのは、このあと1975年に同じ東京文藝社から『迷路荘の惨劇』が出版されているからである[iii]。しかし、『夜の黒豹』との間には十年余の空白があり、『惨劇』を一緒くたにはしにくい。1956年の『毒の矢』から始まった横溝の「中短編の長編化」シリーズは、ひとまず本書で終わって、『迷路荘』は番外編のようなものというべきだろう。

 ちなみに『推理ストーリー』には、1962年の「百唇譜」から1964年の「蝙蝠男」まで、「青蜥蜴」を含めて五編の短編が掲載されている[iv]。いずれも作者晩年のパッとしない謎解き小説で、「青蜥蜴」も最後のほうは尻つぼみで、枚数が足りなくなって無理やり終わらせた「やっつけ感」が濃厚に漂っている。

 長編『夜の黒豹』も、社会派推理全盛の時代に、忘れられかけた旧世代作家の、そして本人もミステリへの情熱を失いかけていた老作家の最後のあがきのように見える。

 とはいえ、同作は原型短編の約十倍の改稿[v]とのことで、分量は、中短編の長編化作品のなかでも群を抜いている。文庫本で400頁近いのは『犬神家の一族』(1950-51年)クラスで、作者もかなり力を入れて書いたとも受け取れる。(実際は、そうはならなかったが)これが最後の長編ミステリとの思いと覚悟もあって、力を振り絞って本書を完成させたのだろうか。(こう書くと、それまでの数作は手を抜いていたかのようであるが、そういうことではない。・・・多少その気はある。)

 だが、力を入れたからといって傑作になるとは限らないわけで、本作の場合も、(当然ながら)『本陣殺人事件』や『悪魔の手毬唄』のようなわけにはいかない。それ以前に、どうも全体としてのバランスが悪いように思えるが、それは後の話ということで、とりあえず、テーマは「無差別連続殺人」、手っ取り早くいえば「切り裂きジャック[vi]の日本版」である。

 短編版も長編版も、おおよそのストーリーは一緒で、安ホテルの一室で街娼が絞殺される。女は手足を拘束されたばかりか、死後犯されており、両の乳房の間にマジックインクで蜥蜴の稚拙な絵が描かれている。犯人は明らかに同伴客で、黒ビロードのコートをはおり、顔をサングラスで隠した中肉中背の人物。どうやら非常階段から逃亡したものらしい。ところが、この事件が報道されると、別のホテルのボーイと支配人が警察に出頭し、同様の事件が以前にもあったことが明らかになる(小説は、こちらの事件から始まっている)。ただし、ボーイによると、女は殺されてはおらず、しかし、同じように手足を縛られ、口を塞がれて、胸には青蜥蜴の絵が描かれていた。犯人はやはり黒いコートにサングラスをかけており、これで日本にも売春婦を次々に殺害する切り裂き魔ならぬ絞殺魔が出現したと全国的なニュースとなる。

 しかし、その後、最初の被害者の顔を間近に見ているボーイが車に轢かれる事件が起こり(短編では生存するが、長編では死亡)、単なる狂人による街娼殺しとも言えなくなってくる。

 そして次に起きたのが和風旅館における殺人で、被害者は娼婦ではなく、一般家庭の女性で、何と高校生だった。ここから事件の焦点は彼女の周辺の人間関係に移って、犯人の狙いが、日本版ジャック・サ・リッパー事件を装った偽装殺人にあったのではないかという疑いが強まっていく。

 ここまでは短編版、長編版に共通する部分で、短編では、この後、金田一が犯人を指摘して終わるのだが、長編版では、むしろ、ここからが本筋になってくる。ちなみに、原型版で、犯人らしき人物は、「貂」[vii]のように、つやつやした黒いコートを着ているのだが、長編版では、「黒豹のように」[viii]つやつやしたコート、と書き換えられている。「夜の黒貂(クロテン)」では凄味がなさすぎて、面白タイトルになってしまうからだろうが、長編題名を「青蜥蜴」にしなかったのは、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』に比べ、なんとなく気が抜けたように聞こえると思ったのだろうか。それとも乱歩を真似るのは申し訳ないという気持ちがあったのか。「夜の黒豹」というのも、B級スリラー映画みたいであるが。

 原型版の「青蜥蜴」のタイトルのほうが良かったという意見もある[ix]が、どちらがいいかというより、「青蜥蜴」と「黒豹」とで犯人のイメージが分裂した感もある。前者は、短編・長編両方でアナグラムの手がかりになるのではずせないし、「夜の黒豹」のほうが連続殺人鬼のイメージには合っている。

 この「分裂」というのが、ある意味、本書の特徴で、第一の殺人未遂事件から、第二の街娼殺しと第三のひき逃げ事件までは、作者が強調する「切り裂きジャック」テーマで、横溝の作風としては、『幽霊男』(1954年)や『吸血蛾』(1955年)のようなエロティック・スリラー路線といえる。それが、第四の女子高校生殺害事件からあとは、連続殺人ものですらなくなり、二つの家の複雑な人間関係を扱う、こちらも横溝らしい「因果家族もの」になっていく。『犬神家の一族』(1950-51年)や『悪魔が来りて笛を吹く』(1951-53年)の系列である。

 第四の事件の被害者である星島由紀は15歳の不良少女(言い方が古くさい)で、母親が再婚後に亡くなり、義理の父親である医師の佐々木裕介と同居している。裕介のほうは、先妻の麻耶子の友人でもあった画家の中条奈々子と交際中である。

 一方、由紀殺害の容疑者と目されたのが、以前、由紀と駆け落ちまでした過去のある従兄妹の岡戸圭吉で、丘朱之助のペンネームで漫画を描いている25歳の青年である。この後、圭吉が幼い少女を家に連れ込んでサディスティックに苛む精神病質者(とは書いていないが)であることが明らかになる。父親の岡戸竜平は元暴力団のボスで、現在は息子の竜太郎とともにキャバレーなどを手広く展開するやり手実業家であるが、竜太郎の母親が亡くなって、再婚して生まれたのが圭吉で、この再婚相手が麻耶子の先夫である星島重吾の妹の志保子、従って、圭吉と由紀は従兄妹同士という、横溝らしい複雑な家庭環境である。現在、竜平は三人目の妻の操と暮らし、息子の竜太郎は珠美というダンサーあがりの女と結婚している。

 とまあ、これだけ入り組んだ親戚・姻戚関係があって、しかも由紀は父親の重吾から大きな遺産を受け継いでいる。その財産は、由紀が死ねば圭吉に渡ることになるので、物的動機もある。しかも「青蜥蜴(あおとかげ)」の五文字が、岡戸圭吉の「おかど」と丘朱之介の「あけのすけ」のなかに含まれていることが金田一の指摘で判明し、圭吉こそ連続殺人魔であるとの疑いが濃厚となる。

 このような物語の展開で、無差別連続殺人の大筋は一貫しているのだが、長編版は、前半と後半で異なるミステリであるかのような印象を受けるのである。街娼殺しが偽装である以上、やむを得ないともいえるが、前半の娼婦殺害(および未遂)事件が一転して、後半は一族の間での遺産相続をめぐる殺人事件の様相を呈する。無論、「切り裂きジャック」事件が偽装だということは、大半の読者が予想することだろうが、それにしても、作品の雰囲気ががらりと変わりすぎる。しかも、ミステリ的な技巧が凝らされているのは前半の街娼をめぐる事件のほうなので、例えば、第二の事件で、黒づくめの男が非常階段のある路地から出てくるのを見かけた目撃者の証言と、男がホテルにやってきた時間とが食い違う手がかりなどは、本書でもっとも面白い部分だが、由紀殺害事件では、そうした細部の工夫は見られない。つまり、中心となる星島・岡戸家をめぐる事件よりも、前半の街娼殺しのほうがパズル的興味が濃いのである。短編の街娼殺しを中心としたプロットを、長編化に当たって、星島・岡戸家の事件に比重を移した結果なので、仕方のないことではあるが。

 しかし、さらに問題なのは、本書のミステリとしての一貫性も、長編化によって歪みが生じてしまったかに見える点である。短編も長編も犯人は同じで、佐々木と中条の共犯なのだが、短編では、最後の事件で殺されるのは佐々木の妻で、殺人動機を隠すために、先に売春婦を殺害して連続殺人犯の仕業に見せかけるわけである。それに対し、長編版では、由紀殺害の犯人を圭吉に見せかけ、さらに彼がサイコ・キラーであると思わせる目的で売春婦を殺害する。

 しかし、圭吉に由紀殺害の動機があるのであれば、さらに連続殺人魔にまで見せかける必要はないのである。遺産相続という動機があるのだから、わざわざ街娼を殺害する危険を犯してまで、彼をサイコ・キラーに仕立てる必要はない。前半の街娼殺し(および轢き逃げ殺人)の部分が不要に見えてしまうのだ。「切り裂きジャック」をテーマにした短編が基になっているため、構想を根底から変えるわけにはいかなくなってしまったのだろうし、上記のように、前半の工夫を凝らした殺人のトリックを捨てることもできなかったのだろう。その結果、犯人たちが、いかにも無駄な殺人を繰り返しているように映る。これもテーマやプロットが分裂していることによる弊害で、無理やり二つの小説をくっつけたように見えるのだ。

 ただ。後半の星島と岡戸の二家間の複雑な関係は、いかにも横溝らしく、上記に挙げた長編以外にも、『仮面舞踏会』(1962-63年)や最晩年の『病院坂の首縊くりの家』(1975-77年)などを連想させるところがある。横溝は、作品のメモを作らないことで有名であるが、これだけ複雑な家系図をすべて頭に入れていたとすれば、その記憶力は尋常ではない。不謹慎な想像かもしれないが、横溝の生い立ちが、そもそも相当複雑な家族関係であって、腹違いの兄弟姉妹が大勢いた。彼にとっては、こうした幾重にも入り組んだ人間関係は、よく見知った、身近で当たり前のものだったのかもしれない。

 もうひとつの注目点は、第四の被害者の由紀である。既述のように、短編版では、本命となる殺人の被害者は、佐々木の妻の麻耶子(短編版では「敏子」となっている。佐々木裕介も短編では「赤尾登喜次」である。なぜ、このような(変わった)名前なのかは、短編を読んでみてください)である。それが長編では、娘の由紀になっている。ここで重要なのは、母親が娘に変わっていることではない。被害者が十五歳の少女で、しかも犯人の中条奈々子の同性愛の相手だということである。由紀は奈々子の弱み(過去の殺人)を握っていて、彼女を黙らせるために、奈々子は性的関係を結ぶ。しかし、由紀は次第に大胆に、我が物顔にふるまうようになり、秘密を隠し通すには彼女の口をふさぐしかなくなる。それが殺人の動機なのだが、印象的なのは由紀の性格で、つまり、彼女は被害者ではあるが、晩年の横溝が好んで描いた「悪魔のような少女たち」のひとりである。どうやら、横溝は、幼さの残る少女たちのもつ魔性にすっかり魅せられてしまっていたようだ。

 

[i] 「青蜥蜴」『金田一耕助の新冒険』(出版芸術社、1996年)、142-68頁。

[ii] 島崎 博編「横溝正史書誌」『本陣殺人事件・獄門島』(『別冊幻影城』創刊号、1975年9月)、322、341頁。

[iii] 『迷路荘の惨劇』は、1956年の「迷路荘の怪人」が原型。同、321、355頁。

[iv] 同、322頁。

[v]金田一耕助の新冒険』、「作品解説」(浜田知明)、253頁。

[vi] 本書では「切り裂くジャック」と書かれていて、当時は、これが一般的表記だったのですかね。

[vii] 「青蜥蜴」、145、149頁。

[viii] 『夜の黒豹』、7頁。

[ix] 『僕たちの好きな金田一耕助』(『別冊宝島』1375号、2007年)、112頁。