横溝正史『悪魔の百唇譜』

(本書および短編の「百唇譜」の犯人その他について、またジョン・ディクスン・カーおよび高木彬光の長編小説のトリックについて注で触れていますので、ご注意ください。)

 

 「百唇譜」などという、いかにもエロティックでいかがわしくて、読まずにいられないタイトルの短編が書かれたのは1962年1月で、その10か月後には、長編に書き伸ばした『悪魔の百唇譜』が東京文藝社から出版された。

 同社からは、「続刊金田一耕助推理全集」が1961年に第10巻『獄門島』まで刊行されたあと、翌年、『貸ボート十三号』を皮切りに五冊の横溝作品集が公刊されているが、唯一新作長編として出たのが本書だったようだ[i]。他の四冊に収録の諸編は既刊のものばかりで、短編の引き伸ばしとはいえ、新作書下ろしだったということは、作者が乗り気になって執筆を出版社に提案したのだろうか。

 この時期の横溝が探偵小説にそれほどの情熱を抱いていたか疑問ではあるが、読んでみると、なかなか手の込んだ長編ミステリになっている。

 テーマは冒頭のとおり、関係をもった女性の唇から魚拓ならぬ、唇拓(?)を取って恐喝材料とする元人気歌手で下衆男の死にまつわる話。実際は隠し撮りの写真をゆすりのネタにするのだが、それだけではありふれているので、百唇譜などという「暗示的」でけったいな代物を考案したようだ。

 脅迫者だった都築克彦は、すでに何者かに殺害されているが、かつて唇紋を取られた女たちに対する恐喝が再び始まったらしい。その一人である本郷朱実の刺殺死体が車のトランクから発見されるのが発端である。朱実は中国人実業家の李泰順の愛人で、車は李と朱実が住む家にほど近い路上に停められていた。李の乗用車だが、故障で動かなくなっている。朱実は外出着を着ており、どうやら自宅から出ようとしたところを殺害され、犯人は死体を運び出そうとしたが、途中でエンストしたらしい。自宅には、人が争った痕跡が残されていた。

 当然、疑いは当日大阪に出かけた李にかかるが、実際に彼は怪しい行動を取っており、李の会社の入っているビルの外に駐車してあった乗用車が盗難にあっている。その車はやがて見つかるが、今度はその車のトランクから十代の男性の死体が発見される。男は園部隆治という名で、都築の死体の発見者であった。しかも彼は都築のファンであり愛人であり、そして都築のあとを継いだ恐喝者であったこともわかってくる。さらに都築の住んでいたアパートの管理人である藤野磯吉、李の部下の坂巻啓蔵といった一癖ありげな登場人物が絡んできて、かなり複雑なストーリーである。

 原型版の「百唇譜」[ii]は短編なので、当然、もっと単純な構成で、死体も朱実のみである。園部や坂巻などは登場しない。メイン・アイディアは、朱実の死体を乗せた車が停められた位置に関する謎で、要するに、横溝が大好きなジョン・ディクスン・カーの代表長編(注で書名を挙げます[iii])のトリックの変形である。いわゆる「死体移動トリック」なのだが、そこに逆説の発想を盛り込んでいる。すなわち、家から運び出そうとしたのではなく、家に運び入れようとしたのである。しかるに、車が故障したため、死体を運び出そうとしたかに見せる偽装を施したというわけなのだ(本当の殺害現場を隠すため)。このアイディアは、高木彬光の代表作(注で書名を挙げます[iv])をも連想させるのだが、どうやら、カーと高木の両作品からヒントを得たように思える。

 短編版は、このトリックを中心にしつつ、もうひとつ、ハートのクイーンとジャックのトランプ・カードが発見され、真ん中に裂け目があって、凶器のナイフで貫いた跡とわかる。有名な黒岩涙香の『死美人』からの引用で、決定的な手がかりというわけではないが、犯人暴露に繋がる趣向である[v]

 以上の短編版に対し、長編『悪魔の百唇譜』[vi]のほうは、犯人が変更されているばかりか、事件そのものが大きく変えられている。二人目の被害者の園部が、朱実と同様に車のトランクから発見される展開は、ミステリとしての狙いも修正されていることを示している。朱実の死体が李宅へ運び込まれる途中で、車の故障により犯人の計画が狂う展開は同じだが、園部の死体が加わることで、死体移動のトリックはあまり目立たなくなり、複数の乗用車を使ってプロットを複雑化する方向に方針が変わっている。朱実が乗って出たオースチン、李がくすねて園部の死体が入っていたトヨペット、容疑者の一組が所有するブルーバードと、三台の車を将棋の駒のように動かして、入り組んだ犯罪工程を組み上げていく手際は、相変わらず巧みである。横溝は執筆に当たってメモを取らないことで有名[vii]だが、この車と人間のややこしい配置と移動も頭のなかだけで考えたのだろうか。

 しかし、比重が「死体移動トリック」から「複数の自動車の動きを追うプロット」に移ったため、上記の通り、死体移動トリックに関する部分が、少々なおざりにされてしまった。短編版では、朱実の死体が最初後部座席に置かれていて、後にトランクに移されたことが判明すると、なぜそんな手間をかけたのか、つまり、なぜ最初からトランクに詰めなかったのか、という謎が提起される。金田一が面白い推理を披露するのだが、それが長編版ではカットされている[viii]

 主題の変更に合わせて、犯人も単独犯(ただし事後工作者が絡む)から二人組に変わった。うち一人は、文庫本で200頁になって、ようやく登場するが(名前だけはその前に出てくる)、そもそも短編版には登場しないので、取って付けたような犯人ではある。『扉の影の女』(1961年)ほど、ひどくはないが。それ以上に問題は、動機の不鮮明さで、一体犯人たちが何を目的としているのかがわかりにくい。恐喝の証拠を奪い取るためなのか、殺人の罪を李に着せるためとしても、余計な手間をかけすぎる。長編化によるデメリットが、このあたりに出てきているように思われる。

 ただ、『僕たちの好きな金田一耕助』では「トリックや解決法に特筆すべきことはない」[ix]の一言で片づけられてしまったが、死体移動トリックにしても、カーを丸写しするのではなく、この時期になっても、まだ新らしさを出そうと工夫している点は評価できる。複数の乗用車を動かすアイディア[x]は、角川文庫版解説で中島河太郎が触れており[xi]、さすがは河太郎先生である。

 事後工作者を複数配してプロットを作っている『仮面舞踏会』(1974年)を連想させるところもある。同長編も同じ1962年に連載されているのは興味深い(翌年中絶したが、1974年に完成)。登場人物を自在に動かすのは横溝の最も得意とするテクニックだが、それを自動車に応用してみせたのが本書ということかもしれない。ただ、その動かし方がやたら複雑で、その割に、ミステリとして面白いのかと言われると、ごたごたしていて、そうでもない。低い評価にも、もっともな点がある。それに、自動車を動かすということは、結局、それを運転する人間を動かすということで、本書の犯人は、致命的なトラブルに見舞われながら、それを臨機応変に切り抜けようとするのだが、えらく手際が良い。良すぎるくらいで、犯人ばかりでなく、登場人物が互いに互いの後を付け回しあって、少しの無駄もなく動き回るのは、やはり、ちょっと都合がよすぎる。車の故障が犯人の計画を狂わせ、それが事件を難しくするアイディアは良いのだが、それに対処する犯人たちの動きが、偶然に恵まれすぎて無理も多い。いたずらに事件の真相が複雑になって、ミステリとして単純明快な魅力に欠ける結果になってしまったようだ。

 とはいえ、その複雑さは「考えられた作品」であることの証左でもあり、この時期は惰性で書いていたと、本人は謙遜するかもしれないが、これだけのプロットを組み立てるのは、経験だけでは無理で、才能がものをいう。上記のとおり、頭の中だけで構成したのだとすれば、大した頭脳で、横溝の頭は多分完全に理系脳だったのだろう。どれだけきれいに情報が区分けされていたのか、覗いてみたいくらいだ。

 この時期の書下ろし長編は、『壺中美人』(1960年)などもそうだが、奇抜なトリックではなく(事件や登場人物は奇抜だが)、比較的現実味のある犯罪を描くようになってきたといえる。それが、社会派推理小説の隆盛に合わせた方向性の変化であったのかはわからないが、少なくとも、『悪魔の手毬唄』(1957-59年)などに比べて、派手な演出の少ない日常的なミステリになっているのは確かである。そうした変化は、横溝の良さ(良い意味(?)でのこけおどし的装飾)を消してしまっているともいえるし、別な魅力を引き出して見せているともいいうる。書下ろし長編も馬鹿にならないですよ、と結論しておこう。

 ところで、本書で自動車を使った筋立てを考案しているのは、横溝の私生活を考えると、ちょっと面白い。正史が閉所恐怖症で乗り物恐怖症なことは、ファンならお馴染みである。電車などは、わざわざ各駅停車を選んで、一駅ごとに途中下車して休憩したというが、乗用車なら、いつでも止められるので、好んで利用するようになったそうである[xii]。本書も、そうした自動車偏愛症(?)がもたらした成果だったのだろうか。

 

[i] 島崎 博編「横溝正史書誌」『本陣殺人事件・獄門島』(『別冊幻影城』、1975年9月)、339-41頁。

[ii] 「百唇譜」『金田一耕助の新冒険』(出版芸術社、1996年)、107-41頁。

[iii] ジョン・ディクスン・カー『帽子収集狂事件』(1933年)。

[iv] 高木彬光『刺青殺人事件』(1948年)。

[v] 「百唇譜」、139頁。

[vi] 『悪魔の百唇譜』(角川文庫、1976年)。

[vii] 横溝正史小林信彦横溝正史の秘密」『横溝正史読本』(小林信彦編、角川書店、1976年)、54頁。

[viii] 「百唇譜」、135-36頁。

[ix] 『僕たちの好きな金田一耕助』(『別冊宝島』1375号、2007年)、105頁。

[x] このアイディアは、『壺中美人』(1960年)でも部分的に用いられている。

[xi] 『悪魔の百唇譜』、246頁。

[xii] 「私の乗物恐怖症歴」『探偵小説五十年』(講談社、1977年)、254-57頁、「横溝正史の秘密」69-70頁。