横溝正史『悪魔の降誕祭』

(本書の犯人等のほか、『白と黒』、『仮面舞踏会』、『病院坂の首縊りの家』、『悪霊島』の犯人にも触れています。またジョン・ディクスン・カーの『囁く影』を比較対象にしていますので、未読の方はご注意ください。)

 

 『悪魔の降誕祭』[i]は、1958年1月に雑誌発表された後、7月に書下ろし長編として公刊された横溝正史の長編ミステリである。この時期に数多く書かれた中短編の長編化作品のひとつで、しかし、分量的に長編になるのか、中編なのか、微妙なところといえる。原型版[ii]は比較的長めの短編ないし中編で、約三倍に改稿された[iii]というが、短編に加筆して中編にしたというべきか、中編を長編化したというべきなのか。とりあえずは、オリジナルを「短編」、改稿版を「長編」として、以下、進めることにする。

 どちらにしても、本書はそれほど評価されているとはいいがたい。テーマとしては予告殺人だが、金田一耕助の事務所で殺人が起こり、さらに犯人は12月25日の殺人予告を残して姿を消す。それで「悪魔の降誕祭」というわけだが、「悪魔シリーズ」としては、『悪魔が来りて笛を吹く』、『悪魔の手毬唄』に続く第三弾である(第四弾は、本書とほぼ時を同じくして連載開始された『悪魔の寵児』。戦前作品を除く)。あ、短編の「花園の悪魔」(1954年)があった。

 殺されたのは、ジャズ・シンガー関口たまきのマネージャーの志賀葉子で、青酸入りのカプセルを飲んで(飲まされて?)絶命した。彼女は、将来起こりうる殺人について金田一に相談に来たらしいのだが、何かの証拠なのか、新聞の切り抜きを持参していた。飛行機のタラップを降りるたまきを撮影した写真で、ほかにピアニストの道明寺修二とその友人の柚木繁子の姿が写っていたが、繁子だけは首から上が思わせぶりに切り取られて、誰だかわからなくなっている。

 たまきは、元々雑誌社社主の服部徹也の愛人で、しかし徹也は妻の可奈子そっちのけで、たまきに入れあげ、彼女を人気シンガーに育て上げた。その後、可奈子が青酸をあおいで死亡する惨事が起きると、すぐにたまきと結婚して、(たまきの金で)西荻窪に豪勢な新居を建てたばかりである。そこには使用人のほかには、たまきの伯母の梅子と徹也と可奈子の間に生まれた由紀子という少女が同居している。

 その関口家で、クリスマスの夜、賑やかなパーティのさなか、徹也が背中を鋭いナイフで刺されて死亡する事件が起こったのである。

 現場はたまきの居間に通ずるドアの外、風呂場の脱衣所から伸びた狭い小廊下で、徹也はドアにもたれるようにしてこと切れていた。実は、たまきと道明寺は不審な手紙に誘われて居間で落ち合ったのだが、二人が互いの名前を騙った偽手紙について話していると、ドアの外でかすかな音がして、ドアを開くと徹也の死体が転げ込んできたのだった。パーティに参加していた客のなかには柚木も混じっており、道明寺に気のある彼女は、こっそり二人の密会を盗み見していた。おかげで、たまきと道明寺のアリバイが証明され、疑わしい人間はほとんどいなくなってしまう。

 本書のミステリ的趣向のひとつは、新聞の切り抜きに関する錯誤のトリックで、といっても、極めて単純で、思わせぶりな新聞記事の表ではなく、裏の記事のほうに意味があったというアイディア。横溝自身、戦前のごく初期の時代の短編ですでに使用している[iv]が、実は海外ミステリ[v]に先例がある(注で作品名を挙げているので、ご注意ください)。それを読んで拝借したのかどうかはわからないが、頂いたとすると、当時の新作ミステリにも熱心に目を光らせていたことがわかる(パクリはよくないですが)。

 もうひとつは、徹也が殺されていた現場の状況で、狭く明かりも消えていたはずの通路の端にいた被害者が、なぜ背後から近づく犯人に気がつかなかったのかという謎。エラリイ・クイーンの『オランダ靴の謎』(1931年)に出てくる「なぜ被害者は犯人が背後に立っているのに不信に思わなかったのか」という謎を連想させるが、その答えは、ミステリではありふれたものである。しかし、このアイディアは従来密室ミステリで使われてきた(注で作家名を挙げているので、ご注意ください)[vi]もので、本書のような使用例があるのかどうかは寡聞にして知らないが、既存のアイディアをシチュエイションを変えて使うという意味では、なかなか巧みなアレンジといえる。近いところでは、ジョン・ディクスン・カーの『囁く影』(1946年)が同じ原理を用いている。だが、カー長編は、結局密室のトリックとして使っているので、両者を比較すると、シチュエイションを大きく変更した本書のほうが優れているだろう。『降誕祭』のこのトリックに言及した解説は、管見のかぎり見たことがない[vii]が、結構スマートな応用方法だと思う。さりげないが上記の殺人状況の謎とも上手く結びついて、もっと評価されてよい。もっとも、この謎をあまり強調すると、(トリック自体はありふれているので[viii])すぐに読者に気づかれてしまうだろう。そこを考慮してか、さほど前面に押し出していないので、それが目立たない理由かもしれない。

 もう一点、このトリックで面白いのは、実は原型版では使用されていないということである。殺人のシチュエイションは長編版と同一なのだが、「被害者は犯人の接近になぜ気がつかなかったのか」という謎は提起されず、具体的な犯行方法さえ説明されないまま、金田一が犯人に罠をかけて、あっけなく事件を解決してしまう。ということは、このトリックを思いついたので長編にしようと考えた、との推測ができそうである。しかし、むしろ、短編版が後半駆け足になって、いささか消化不良気味に終わってしまうところをみると、もっと書き込む必要があるのに枚数が足りなくなってしまったようにも見える。つまり構想に狂いが生じて不満足な出来になってしまったので、改めて長編化に取り組んだというふうにも考えられそうだ。さらに憶測を重ねれば、実は上記のトリックまで含めてプロットをつくっていたが、書いていて注文枚数では足りないことに気づいた。しかし、締め切りがきてしまい書き直すのも面倒だったので、中途半端なまま原稿を渡してしまったのかもしれない。(段々、推測内容が悪意に満ちてきた。)

 さらに、本書ではアリバイ・トリックも使われているが、こちらもごく単純で、他人のアリバイを証言することで、自身のアリバイをそれとなく主張するというものである。エラリイ・クイーン[ix]やジョン・ディクスン・カー[x]などにも使用例がある(いずれも、注で作品名を挙げているので、ご注意ください)。

 こうしてみると、本書は、短めとはいえ、色々と趣向を凝らしてトリッキーなミステリに仕立てており、長編化作品のなかでも上位にくるもののひとつといえる。

 だが、本書でもっとも注目に値するのは、その犯人像である。

 エラリイ・クイーンの超有名作でお馴染みの「年少者の犯人」で、短編版で17歳としていた犯人の年齢[xi]を、わざわざ一歳引き下げて16歳としている[xii]ことからも、作者の狙いをうかがい知ることができる。

 同時に本書の犯人は、いわゆるサイコ・キラー的犯人で、物的動機もあるのだが、それ以上に畸形的[xiii]で快楽殺人者風の造形がなされている。もう一つの特徴は女性であることで、つまりは殺人淫楽症の少女犯人である。そろそろ老境に入ろうという横溝が、こうした少女殺人者を好んで取り上げるようになった事実は興味深い。本書のあとも、『白と黒』(1960-61年)、『仮面舞踏会』(1974年)と、代表的長編で、この犯人類型を用いている。最終作の『悪霊島』(1979-80年)も「精神が少女のままの殺人者」だった。

 横溝正史のミステリで女性犯人が目立つというのは、よく言われることだが、その多くは、成熟した女性で、若い娘は大体被害者かヒロインだった。晩年の横溝が、殺人少女たちを描くようになったのはなぜか。心理学的にいろいろ説明できるかもしれないが、素人の筆者にはわからない。しかし、例えば、昭和30年代になって、女性一人称の小説を複数書いている[xiv]のを見ると、女性の内面を描くことに関心を抱くようになったようにも思える。その延長で、無邪気な仮面の下に殺人鬼の素顔を隠す少女たちこそミステリの犯人に相応しいと思うようになったのではないか。大変失礼な推測になるかもしれないが、横溝の次女、横溝瑠美氏は昭和30年当時16歳だった[xv]。大変失礼な憶測になるが(大事なことなので、二度書きました)、十代のお嬢さんが身近にいたことで、この年頃の女の子が犯人だったら恐いだろうな、と思ったのではなかろうか。さすがに、娘と同い年の犯人を小説に登場させる気にはならなかったろうが、二三年たって、本書でそのアイディアを実行に移したのではないでしょうか。

 最晩年の長編のひとつ『病院坂の首縊りの家』(1975-76年)では、犯人は、割と情けない、同情したくなる中年男だったが、対照的に『仮面舞踏会』や『悪霊島』の犯人は、男が裸足で逃げ出しそうな(?)大胆不敵で悪魔的な美(少)女たちである。どうやら、晩年の横溝は、「意外な犯人」以上に、「恐ろしい犯人」に興味を抱いていたらしい。そしてもっとも恐ろしいのが、無邪気で儚げな少女たちだったというわけであろう。本書の犯人は、まさに「恐るべき少女たち」の先駆けとなる存在だったようだ[xvi]

 最後に軽い話をひとつ。作品冒頭で金田一が受けた電話から、等々力警部が、シャーロック・ホームズもかくやの名推理を披露する。電話を用いた手がかりは、別の短編でも使われている[xvii]が、本作の原型版では、地の文なしで金田一の電話でのセリフが延々続く[xviii]のに対し、長編版では、ところどころ金田一の表情や口調の描写が挟み込まれている[xix]。等々力警部が気付いたことを、金田一も察していたとわかる描写で、やはり作者も、金田一が警部よりあほに見えるのはまずいと考えたようだ。

 

[i] 『悪魔の降誕祭』(角川文庫、1974年)。

[ii]金田一耕助の新冒険』(出版芸術社、1996年)、3-48頁。

[iii] 同、「作品解説」(浜田知明)、250頁。

[iv] 横溝正史「裏切る時計」(1926年)『恐ろしき四月馬鹿』(角川書店、1976年)、75-84頁。

[v] アール・デア・ビガーズ『鍵のない家』(1925年)。

[vi] モーリス・ルブランの有名な密室短編ミステリで用いられた。

[vii] 『僕たちの好きな金田一耕助』(宝島社、2007年)、96頁、『金田一耕助The Complete』(メディアファクトリー、2004年)、171頁、『金田一耕助完全捜査読本』(宝島社、2016年)、115頁、

[viii] 作者も、そのことは十分承知している。『悪魔の降誕祭』、169頁参照。

[ix] エラリイ・クイーン『中途の家』(1936年)。ただし、同作では、名探偵エラリイ・クイーンは、犯人のこのトリックにまったく言及していない。こういうのをトリックと呼んでいいのだろうか。

[x] ジョン・ディクスン・カー『四つの凶器』(1937年)。

[xi] 「悪魔の降誕祭」、26頁。

[xii] 『悪魔の降誕祭』、47頁。

[xiii] 精神的な意味でだが、横溝は、容姿についても、この表現を用いている。現代では問題のある個所だが、作者としては、内面の歪みをわかりやすく暗示する方法と考えたのだろう。同、91、158頁。

[xiv] 『三つ首塔』(1955年)、「七つの仮面」(1956年)。ただし、後者は、昭和20年代初めに書かれた「聖女の首」(1948年)が原型。戦前にも、「妖説血屋敷」(1936年)などがある。

[xv] 中島河太郎編「横溝正史年譜」『探偵小説五十年』(講談社、1977年)、312頁参照。

[xvi] 『僕たちの好きな金田一耕助』(『別冊宝島』1375号、2007年)、96頁。

[xvii] 「鞄の中の女」(1957年)。

[xviii]金田一耕助の新冒険』、3-4頁。

[xix] 『悪魔の降誕祭』、6-8頁。