ムーディ・ブルース『ロング・ディスタンス・ヴォイジャー』

 村の広場に老若男女が集まって、眺めているのはパンチとジュディの人形劇のようだ。傍らには、手持ちのドラムを抱えて、ハーモニカのような楽器を咥えた演者らしき男が立っている。人々の衣装からみると、17、18世紀頃のイギリスを描いた絵画なのだろうが、空の片隅には人工衛星が浮かんでいる。

 そんなセピア色のジャケットの『ロング・ディスタンス・ヴォイジャー』は、ムーディ・ブルース通算10枚目(『マグニフィセント・ムーディーズ』を含む)のアルバムで、1981年5月に発売された。

 タイトルは言うまでもなく、1977年に打ち上げられた太陽系外惑星探査機ヴォイジャー1号と2号にちなんだもの。アルバム・ジャケットにみられるとおり、太陽系外に飛び去った探査機が時空を飛び越えて、過去のイギリスに出現するというSF的発想のコンセプト・アルバムで、いわば、1980年代版『トゥ・アワ・チルドレンズ・チルドレンズ・チルドレン』(1969年)である。

 前作『オクターヴ』(1978年)は、メンバーが暗い部屋から明るい光の差す外の世界へと出ていくジャケットだった。活動再開第一作だったので、とりあえず扉を開けて歩き出そうというコンセプトだったのだろう(リハビリか)。今回は、外に出るどころか、そのまま宇宙にまで飛び出すスペース・トラヴェルがテーマになっている。

 そして、そのサウンドの要となったのが、新メンバーのパトリック・モラーツである。このスイス出身のテクニシャンの奏でるキーボードが、80年代のムーディーズの音を特徴づけることになった。その特徴が最もよく現れているのが本アルバムで、マイク・ピンダーの重厚なメロトロンに代わる、きらびやかなシンセサイザーの響きが、ムーディ・ブルースのイメージを一新したといえる。

 そのかいあってか、何と本作は1972年の『セヴンス・ソウジャーン』以来、二度目の全米アルバム・チャート1位に輝いた。プログレッシヴどころか、時代遅れになりかけていたムーディ・ブルースを、再びブリティッシュ・ロックの第一線に引き戻す一枚となった。その功績の第一は、文句なくモラーツに帰せられるべきだろう。さらには、こちらも新顔のプロデューサー、ピップ・ウィリアムズの手腕も見逃がせない。前作と打って変わって、まとまりのよい一貫したテーマに沿った快作である。もちろん、アルバムを成り立たせているのは、ジャスティン・ヘイワードをはじめとする旧メンバー四人が作り出す楽曲とヴォーカル・ハーモニーであるのだが。

 もっとも、イギリスでは最高位7位。『オクターヴ』(6位)を下回って、安定した人気は保っていたものの、アメリカほどの華々しい復活劇とはならなかった。この後のムーディーズは、アメリカでのセールスがバンドの浮沈を左右するようになり、マーケットとして最大限重視せざるを得なくなる。シングル・ヒットがアルバムの売り上げに影響するようにもなって、かつてのような孤高のプログレッシヴ・ロック・バンドではなく、他のポップ・ロック・アーティストと競い合うグループの一つに過ぎなくなった。しかし、それもまた、あらゆる音楽ジャンルの境界が流動化する20世紀末のポップ・ミュージックの世界の動向に見合ったかたちだったといえるだろう。

 

A1 ザ・ヴォイス(The Voice, Hayward)

 『トゥ・アワ・チルドレンズ・チルドレンズ・チルドレン』の「ハイアー・アンド・ハイアー」のように、1曲目は、仰々しいロケット打ち上げをイメージしたサウンドから始まる。

 しかし、そのエフェクトから「ザ・ヴォイス」のイントロに入ると、ものすごいスピードでモラーツのキーボードが右から左へ、左から右へ、四方八方から近づいては遠ざかり、目まぐるしく交錯する。本アルバムは、全体が、いわば新しいムーディ・ブルース・サウンドの展示会の様相を呈するが、本曲は、その目玉物件である。

 きらめくようなカラフルな音の奔流に放り込まれ、流されていく感覚。気がつくと、ヘイワードのヴォーカルが彼方へと消えて、曲は終わっている。なんとも濃密な5分16秒。

 ヘイワードの楽曲も彼らしい哀愁をたたえつつもクールで、ドラマティックに展開しながらも感情を露わにはしない。彼の最高傑作とまではいかないが、アルバム一曲目にふさわしい佳曲である。かつての『クエッション・オヴ・バランス』もそうだったが、つまるところ、『ロング・ディスタンス・ヴォイジャー』は「ザ・ヴォイス」一曲に尽きる。新生ムーディ・ブルースを象徴する一曲が、これだ。

 

A2 トーキング・アウト・オヴ・ターン(Talking Out Of Turn, Lodge)

 続いて登場するのは、シンフォニックなイントロから始まるロッジのバラード。

 雄大な音の広がりを感じさせるナンバーで、『トゥ・アワ・チルドレンズ・チルドレンズ・チルドレン』における「アウト・アンド・イン」に近いだろうか。

 とはいえ、ロッジの作としては、まあまあの出来で、やや冗長にも感じる。シングルになったのは、正直意外だが、ただ、バラードの割には躍動感があり、そこが前作アルバムには全体として欠けていたものでもある。

 

A3 ジェミナイ・ドリーム(Gemini Dream, Hayward/Lodge)

 初のロッジ=ヘイワードの共作曲。ロッジらしいストレートなロック・ナンバーでありつつも、ヘイワードの持ち味の、ちょっとひねったメロディも楽しめる作品。

 この後、ロッジとヘイワードの共作が恒例となり、アルバムを重ねる毎にその数も増えていくが、これが初めてというのは、考えてみれば不思議でもある。最後に出てくる「メイク・イット・ワーク・アウト」の掛け合いが、いかにもデュエットっぽくて、ムーディ・ブルースとしては新鮮に聞こえる。

 曲はさほどのものでもないが、ムーディーズにしてはハードなサウンドが珍しかったのか、アメリカではシングル・チャートの12位まで上がるヒットとなった。続く「ザ・ヴォイス」も15位まで上昇し、これら二曲のヒットがアルバムのセールスとも相乗効果をもたらしたようだ。

 

A4 イン・マイ・ワールド(In My World, Hayward)

 四曲目はヘイワードの曲で、アルバムAサイドは、全曲ロッジとヘイワードの曲で占められている。これも初めてのことで、やはりピンダー脱退の影響が、こうしたところにも現われている。以後、ムーディ・ブルースは、ヘイワードとロッジ中心のバンドへと急速に傾斜していき、かつての平等主義バンドのイメージも薄れていく。

 本作はヘイワードらしいメロディの静謐なバラードで、アコースティック・ギターのつまびきはフォーク・ソング風だが、バックの厚いコーラスが幻想的な味わいを添えている。

 やや単調で長すぎる気もするが、相変わらずヘイワードのヴォーカルには抗しがたい魅力がある。冗漫になりかねない楽曲を引き締めているのは、やはり彼の声の力である。

 

B1 ミーンホワイル(Meanwhile, Hayward)

 本作も、モラーツのキーボードがやたらとキラキラして、無重力空間でダンスしているかのような明るいナンバーになった。

 ムーディーズとしては、あるいはヘイワードにしては妙にはつらつとしていて、いささか面食らうが、『クエッション・オヴ・バランス』の「イッツ・アップ・トゥ・ユー」のような曲もあるので、まったく意外というわけでもない。キャッチーなメロディはシングル向きとも思える。

 

B2 22,000デイズ(22,000 Days, Edge)

 一転して、岩を引きずるような重厚なロック・コーラス曲が始まる。いかにもエッジらしく、彼の書く曲は思いのほかブリティッシュ色が強いので、1970年代のムーディ・ブルースの雰囲気を最もよく残しているようにも感じられる。

 コーラスの中心はトーマスで、彼の朗々たるバリトン・ヴォイスが響き渡ると、これまた、いかにものムーディーズサウンドになる。結局、ヘイワードとロッジとトーマスの声がそろうことで、ムーディ・ブルースになるということなのだろう。あるいは、ヘイワードとロッジだけではポップになりすぎるところを引き締めるのがトーマスということなのかもしれない。だが、それはピンダーの不在を改めて強く感じさせる要因であるともいえそうだ。

 

B3 ナーヴァス(Nervous, lodge)

 全曲からメドレーのようにつながる楽曲で、フルートが聞こえると、そういえばAサイドはトーマスが目立たなかったな、と今さらながら思う。

 本アルバムにおけるロッジ単独の楽曲は、どちらもバラードで、これはロック調の「ジェミナイ・ドリーム」があるせいだろうか。

 「トーキング・アウト・オヴ・ターン」より、もっとセンチメンタルなメロディで、ムーディ・ブルースとしては、やや甘すぎるか。「イズント・ライフ・ストレンジ」のようなクラシカル・ロックというより、もっとポップなラヴ・ソングで、ソロ・アルバムを経て、ロッジも、より親しみやすい作風を心掛けるようになったらしい。それが80年代風ということでもあったようだ。

 しかし、個人的には、「トーキング・アウト・オヴ・ターン」より、こちらのほうが好みに合う。

 

B4 ペインテッド・スマイル(Painted Smile, Thomas)

 ここからは、レイ・トーマスの三曲が続く。全体で一つの作品となる小組曲の形式で、ここでも、かつてマイク・ピンダーが果たしていた役割をトーマスが引き継ぐことになったと感じさせる。

 とはいえ、トーマスのことなので、ピンダーのようなスケール豊かなシンフォニック・サウンドではなく、わかりやすく親しみやすい三拍子の小品。サーカスの道化師をテーマにしたノスタルジックなメロディで、演劇的な作品ともいえそうだ。

 

B5 リフレクティヴ・スマイル(Reflective Smile, Thomas)

 懐かしや、かつての定番だったポエム・リーディングで、古参のファンを喜ばせる(?)。エッジではなく、トーマス作であるところも珍しい。

 語りはメンバーではなく、元BBCのDJ、ディヴィッド・シモンズという人物らしい[i]

 「君が君自身を探しあぐねている間も、君の塗り固められた微笑みは、君の本心を覆い隠している」という「ペインテッド・スマイル」の解説から始まって、「孤独がヴェテラン・コズミック・ロッカーの王冠をまとうなら、白塗りの道化師に感謝を伝えようではないか」と、次なる曲へ橋渡ししていく。

 

B6 ヴェテラン・コズミック・ロッカー(Veteran Cosmic Rocker, Thomas)

 「ペインテッド・スマイル」のサーカス風から、アラビアン・ナイト風のエキゾティックなフレーズを交えた「ヴェテラン・コズミック・ロッカー」へと、モラーツの多彩なキーボードが冴えわたる。

 微妙に安っぽい、ちゃちなサウンドも計算のうちなのだろう。トーマスが、いかにものオッサン・ロッカーを演じて、「彼はヴェテラン・コズミック・ロッカーだ。彼は、自分が死にやしないかと恐れている」と咆哮する。道化師もロックン・ローラーもエンターテイナーであることに変わりはない、というわけだろうか。

 最後、「彼は死にたくないんだ!」と絶叫すると、とたんに扉がピシャリと閉まって、曲もアルバムも終わる。果たして、宇宙をさすらう老いぼれロッカーは地上に戻れるのか?

 

[i] The Moody Blues, Long Distance Voyager (2008), The liner notes by Mark Powell, p.11.