ムーディ・ブルース『オクターヴ』

 ムーディ・ブルース通算9枚目のアルバム『オクターヴ(Octave)』は、前作『セヴンス・ソウジャーン』(1972年)同様、1枚目のアルバム『マグニフィセント・ムーディーズ』(1965年)を完全無視の8にちなんだタイトルとなった。

 『ソウジャーン』から六年後の1978年に発表された本作は、いろいろと考えさせられるアルバムである。

 前々作の『童夢』(1971年)あたりからメンバー間の緊張が耐え難いまでに高まり、『ソウジャーン』制作時は、互いが互いを疎ましく思う最悪の時期であったという。それでも同作は全米1位のベスト・セラーとなり、ある意味有終の美を飾ったムーディ・ブルースは活動休止に入る。もっとも、その間、1974年には来日してライヴ・コンサートを行い、二枚組のベスト・アルバム『ディス・イズ・ザ・ムーディ・ブルース(This Is The Moody Blues)』をリリースしている。傍目には、いずれ、次のアルバム制作に進むものと思われた。ところが1975年にジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのデュエット・アルバム『ブルー・ジェイズ』[i]が発売されると、グレアム・エッジ[ii]レイ・トーマス[iii]、マイク・ピンダー[iv]が相次いでソロ・アルバムないしニュー・バンドでのアルバムをリリースして、1977年には、ロッジ[v]とヘイワード[vi]も、それぞれソロ・アルバムを発表した。メンバー全員が完全に個人の音楽を追求し始めて、ついにムーディ・ブルースは終幕を迎えたかに映った。

 しかるに同年、初のライヴ盤『コート・ライヴ・プラス・ファイヴ(Caught Live+5)』が発表されて、また風向きが変わった。グループ活動再開の布石となるリリースなのでは、との期待が、またぞろ高まることになって、翌1178年、ついに満を持して発売されたのが、本作『オクターヴ』である。

 彼らはなぜ活動を再開したのだろうか。五年のブランクは長い。その間、全員が思い思いの活動をスタートさせている。ビートルズがそうだったように、半永久的な活動休止という選択もありえた。個人での音楽活動に限界を感じたのだろうか。端的に言って、売れないだろうと見極めがついたのか(人が悪い解釈だなあ)。スレッショルド・レーベルの存在も案外大きかったのかもしれない。レーベルが残っている以上は、そう簡単にやめるわけにもいかなかったのだろう。

 しかし、恐らく決定的だったのは、ヘイワードがグループ活動再開に同意したことだったのではないか。彼なら、その後の活動を見ても、ソロで何とかやっていけただろう。何しろ、「サテンの夜」や「クエッション」のヒットを持っているのだから。けれど、彼と、そしてもうひとり挙げるなら、ロッジがムーディーズでの活動を選択したことが、その後もバンドが21世紀まで存続する主たる要因になったように思われる。

 ただし、まったく安泰というわけにはいかなかった。いうまでもないことだが、メンバーで最もストレスを感じていたピンダーが、結局、ツアー活動の重圧に耐えられず、途中でレコーディングから離脱、プロデューサーのトニー・クラークまでもがバンドに別れを告げたからである[vii]。アルバムは完成させたものの、抜本的なバンド編成の見直しに着手せざるを得なくなる。ピンダーの脱退、それが『オクターヴ』にまつわる最大のエピソードである。

 そもそも、アルバム制作自体、アメリカに居住していたピンダーの都合に合わせて、カリフォルニアで行われた。初のアメリカでのレコーディングということも、本作の大きな特徴だが、そのこともあってか、よりコンテンポラリーなアルバムになったといわれている[viii]

 サウンド面での最大の変化は、メロトロンないしチェンバリンの放棄とシンセサイザーの多用である。思い切りのよいことだが、ピンダーが彼の代名詞でもあったメロトロンを捨て去り、その代用として本物のオーケストラが使用されるようになった。この逆行現象というか、ある意味、ムーディ・ブルースの自己否定ともいえそうな決断は、『オクターヴ』というアルバムにおける変化を象徴している。

 一言でいえば、すでに、もはや、まったくプログレッシヴではない。70年代に入って、すでにプログレッシヴ・ロックとは縁遠いバンドになっていたとはいえ、まだ『セヴンス・ソウジャーン』までは、その名残りというか、イメージは残っていた。しかし、『オクターヴ』は、そうではない。まったくのポップ・ロック・アルバムである。それはそれで構わないのだが、それよりも何よりも、ムーディ・ブルースの音楽は、ついに時代に追いつかれ、追い抜かれてしまった。60年代のアルバムは時代の一歩先を行っていたし、70年代に入ってもなお半歩くらいはリードしていた。しかし、本アルバムでは、逆にムーディーズが時代に合わせざるを得なくなっている。そこが、まさにコンテンポラリーという意味だろう。

 だが、それは聞く価値がないとか、グループの存在意義がなくなったということではない。個々の楽曲、ヘイワードをはじめとするヴォーカル、奥行きのあるコーラス、多彩なアレンジ、何よりもメンバー各人の個性が溶け合って生み出されるムーディ・ブルースの音楽の魅力は失われていない。グループを続けるのに、それ以上の理由は必要ないだろう。

 

A1 Steppin’ in A Slide Zone (Lodge)

 虫の音が聞こえる。車のドアを閉める音がして、エンジンがスタートする。「スライド・ゾーンへ歩み入る」というわけで、再びムーディ・ブルースの旅が始まった。

 シンセサイザーのイントロから、畳み込むようなドラムが入って、ムーディーズのロックでアルバムは始まる。『ソウジャーン』が、ロッジの「アイム・ジャスト・ア・シンガー」で締められていたので、再開もロックン・ロールからということなのだろうか。

 しかし、「アイム・ジャスト・ア・シンガー」はスリリングなコーラスが際立つ名曲だったが、「ステッピン・イン・ア・スライド・ゾーン」はいただけない。前作で味を占めたのか、ロッジのロックで再スタートというのが間違いだったとは言わないが、安物ロックのうえに、ヴォーカルもパワー不足で、サウンドのなかに埋没してしまっている。

 曲はそこそこだが、単調でテンポも悪い。アレンジもなんだか野暮ったい。旅の再開がリムジンに乗ってというのが、そもそも成金趣味でダサすぎる。全米で39位まで上がったのは上出来だろう。これでは旅の先行きが思いやられる。

 

A2 Under Moonshine (Thomas)

 かつてのコンセプト・アルバム同様、メドレー形式で繋がれるレイ・トーマスの作品。

 トーマスは、休止期間に二枚のソロ・アルバムを制作して、ある意味、最も活動的だった。アルバムの評判も悪くなかったらしい(大体、二枚も出せたこと自体がエライ)。

 本作も、ソロ・アルバムの延長上の曲という印象で、彼の個性でもある牧歌的で吟遊詩人めいた持ち味が一層強まった。というか、荒野の隠修士みたいな雰囲気になった。

 曲は、タイトル通り、ちょっと神秘的で、メロディは単純だが、どんどん展開していって、そのまま戻ってこない。その意味では複雑な構成である。しかし、六年前の「フォー・マイ・レディ」が素晴らしかったのを思い出すと、少々、いや、大変物足りない。もっとシンプルでいいから、トーマスらしい、くっきりした耳に残るメロディを期待したいところだ。

 

A3 Had to Fall in Love (Hayward)

 三曲目でヘイワードの声が聞こえてくると、一気にムーディ・ブルースの音楽になった気がする。

 曲も、あのヘイワード特有の憂鬱で気だるいメロディを、すがるような声で唄う。いつものヘイワードのスタイルだが、前曲のトーマスとは逆で、彼の楽曲としては単調で単純すぎて、出来としては中位だろうか。

 

A4 I’ll Be Level with You (Edge)

 この曲から、メドレーはやめたらしい。エッジなので、あまり期待していなかったが(ひどい)、これがなかなか良い。いかにもブリティッシュ・ロックっぽく、単純かつ機械的な曲進行ではあるが、以前よりも深みを感じさせるメロディがいい。

 当然コーラス主体だが、エンディングのインストルメンタル・パートで、次第にシンフォニックにスケール・アップしていくアレンジも素晴らしい。

 このあたりから、『オクターヴ』も段々調子が出てきたようだ。

 

A5 Driftwood (Hayward)

 A面ラストは、ヘイワードのほぼソロ曲。サックスなどが入って、AOR風というか、これまでになくセンチメンタルな叙情を湛えた作品だが、同時にヘイワードらしさにあふれている。「サテンの夜」とまではいかなくとも、「クエッション」や「チューズデイ・アフタヌーン」に匹敵する傑作である。

 ひたひたと潮が満ちてくるようなイントロで始まるフォーク・ソング風の曲だが、物憂げなヴォーカルが「眠りという浜辺に残された、夢という名の流木のように」と歌いだすと、一気に、ジャンルを超えたヘイワード・ミュージックが広がる。クライマックスは、もちろん、儚げに、しかし力強く歌われる「ああ、僕を置いていかないでくれ、浜辺に打ち寄せられた流木のように」と三度繰り返すラストのフレーズである。

 内省的な歌詞とメランコリックなメロディはヘイワードならではのものだが、同時に、これこそがムーディ・ブルースだと思わせる。

 

B1 Top Rank Suite (Hayward)

 この曲もヘイワードの作で、サックスが入る。しかし、最初聞いたときは、へっ?と思った。

 スウィングというか、歌詞のなかに「ジャズ・クラブ」と出てくるように、サックスの音もジャズっぽいナンバーで、まるでムーディーズらしくない。というか、『フューチュア・パスト』以前だったら、らしいというべきか。

 これをヘイワードが書いたというのも驚きだったが、ソロ・アルバムの『ソングライター』を聞くと、まるでムーディ・ブルースらしからぬカントリーやオールド・スタイルのポピュラー・ソングが入っていて、それらの楽曲の流れで聞けば違和感はない。まあ、ヘイワードという人は、割と何でも書ける「ソングライター」で、ムーディ・ブルースのアルバムでは、コンセプトに合わせて、それらしい楽曲を書いていただけなのだろう。

 

B2 I’m Your Man (Thomas)

 これなど、いかにもコンテンポラリーというか、1970年代後半という時代を感じさせる、都会的でしゃれたメロディの作品。非常にキャッチーで、シングルになりそうなナンバーでもある。

 シンプルでポップなのは、いかにもトーマスらしいが、アレンジなども彼が担当したのだろうか。この軽さと明るさは、彼らしいような、そうでもないような。いずれにしても、「アンダー・ムーンシャイン」と同じく、オーケストラを使っていることも含めて、ソロ・アルバムと同様のアプローチなのだろう。

 

B3 Survival (Lodge)

 『ソウジャーン』における「イズント・ライフ・ストレンジ」(バラード)と「アイム・ジャスト・ア・シンガー」(ロック)の二本立てに倣ってか、本作でも、ロックの「ステッピン・イン・ア・スライド・ゾーン」とバラードの「サヴァイヴァル」がロッジの二曲である。

 『ブルー・ジェイズ』に入っている「メイビー」という曲が、また、いかにも「イズント・ライフ・ストレンジ」の二番煎じという曲なのだが、「サヴァイヴァル」は、さらに、その続編のようなクラシカル・ポップ・バラードとなっている。「メイビー」も「サヴァイヴァル」も決して悪い曲ではなく、むしろロッジのメロディ・メイカーとしての才能を実感させる佳曲といってよい。

 だが、「イズント・ライフ・ストレンジ」の後に聞くと、どうしても柳の下の二匹目のドジョウを狙った劣化版に聞こえて、しかも若干俗っぽいのが玉にきずというか。オーケストラを使ったアレンジも、ピンダーのキーボードのみの「ストレンジ」に比べると、いかにも大げさなバラードというイメージで、そこも少し損をしている。

 ロッジの代表作と言って不足はないと思うが、そう言い切るのも少し躊躇する。評価に困る、少々厄介な曲である。

 

B4 One Step into the Light (Pinder)

 ピンダーの曲はこの一曲だけで、しかも目立たないB面4曲目。

 すでにして影が薄くなってしまった感があるが、曲自体は悪くない。以前のような「説教臭さ」(?)も薄れて、温かみのある、しっとりとした手触りの作品で、メロディもわかりやすく、きれいに仕上げられている。かつてのメロトロンやチェンバリンの轟きわたるような音はここにはなく、穏やかで落ち着いたヴォーカルとアレンジが耳に残る。

 ピンダーらしいあくの強さを期待すると物足りないかもしれないが、これはこれで悪くない。ムーディーズへの別れの挨拶と思えば、感慨もひとしおである。

 

B5 The Day We Meet Again (Hayward)

 ラストを飾るヘイワードの作品は、再び彼らしいという以上に、ムーディ・ブルースらしい、ちょっぴりプログレッシヴ・ロックっぽさを残したナンバーである。

 大作というほどでもないが、いかにもヘイワードといったメロディで、彼らしいシャウトが聞かれるサビからエンディングの絶叫まで、あのなつかしいヘイワード節が戻ってきた。

 彼の最上作というには、あと一歩か二歩足りないが、ムーディ・ブルースの再開第一作は、それに相応しい楽曲で締めくくられた。

 

 『オクターヴ』は、トータル・アルバムという印象は皆無だが、楽曲集としてみれば、不満も起きない。ただし、通して聴くと、どうしても冗長に感じられ、まとまりのなさが、やはり気になる。本作の課題は、そこに尽きるだろう。

 

[i] Justin Hayward and John Lodge, Blue Jays, 1975.

[ii] Graeme Edge Band, Kick Off Your Muddy Boots, 1975 and Paradise Ballroom, 1977.

[iii] Ray Thomas, From Mighty Oaks, 1975 and Hopes, Wishes and Dreams, 1976.

[iv] Mike Pinder, The Promise, 1976.

[v] John Lodge, Natural Avenue, 1977.

[vi] Justin Hayward, Songwriter, 1977.

[vii] Octave, Liner Notes by Mark Powell, p.10.

[viii] Ibid.