ムーディ・ブルース『オン・ザ・スレッショルド・オヴ・ア・ドリーム』

 新生ムーディ・ブルースの三作目は、飛躍の一枚となった。全英アルバム・チャートで1位を獲得。『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』はやっと27位だったが、続く『イン・サーチ・オヴ・ザ・ロスト・コード』が5位とブレイクすると、『オン・ザ・スレッショルド・オヴ・ア・ドリーム(夢幻)』でついに頂点を極めた。まさにホップ、ステップ、ジャンプ。アメリカ・ビルボード誌でも最高20位ながら、年間チャートで41位と、世界的にみても出世作となった。

 イギリスで1位となった要因は恐らく明白で、聞きやすくなったからだろう。『フューチュア・パスト』は、何といっても長いオーケストラ・パートがポップ・ミュージック・ファンには取っつきにくかったと想像される。『ロスト・コード』はインド音楽にサイキデリックと、こちらも癖が強く、長々としたインストルメンタル・パートも手を伸ばしづらかったかもしれない。

 『ドリーム』も、出だしは、いかにもあくの強いグレアム・エッジの詩から始まるが、続く一曲目はギターも軽快なジャスティン・ヘイワードの「ラヴリー・トゥ・シー・ユー」で、ものものしい幕開きから一転、拍子抜けするくらい普通のポップ・ソングが聞かれる。日本盤CDのライナー・ノウツに「青春演歌」などという評言があった[i]が、まさにそんな印象のオープニングである。その後もロッジの「センド・ミー・ノー・ワイン」や「トゥ・シェア・アワ・ラヴ」などのアップ・テンポの短い曲が続いて、どこがプログレッシヴ・ロックなのか、ただのポップ・アルバムじゃん、と言いたくなる内容。

 アルバム・テーマは、『夢の入り口にて』とあるように、「夢」すなわち非日常世界への旅と知れるが、Aサイドは、まるで幻想味のない散文的な雰囲気に終始する。何とも、当てが外れたような気がするが、Bサイドになって様子が変わってくる。1曲目の「ネヴァー・カム・ザ・デイ」と続く「レイジー・デイ」はまだ現実の一コマを切り取ったような曲想だが、3曲目の「アー・ユー・シッティング・コンフォータブリ」で、初めて日本語タイトルの「夢幻」に相応しい幻想的な楽曲が登場する。その後は、詩の「ドリーム」から、インストルメンタルの「ザ・ヴォイッジ」を挟んだマイク・ピンダーの「ハヴ・ユー・ハード」と、息をもつがせぬ展開で、リスナーをムーディ・ブルースの描く「夢の世界」へと誘う。組曲という形式の効果が最大限に発揮された構成といえるだろう。

 つまり、本アルバムは、最初日常世界を描きながら、そこから非日常へと聴き手を導くダイナミックな構成のトータル・アルバムである。同時に、ムーディ・ブルースの音楽スタイルを完成させたアルバムと言ってよいだろう。この聞きやすさと、それでいて思索的な歌詞とメロディ、そしてムーディーズのクラシカルなアレンジによる演奏が、本作の商業的な成功につながったと考えられる。

 そして『ドリーム』の影響は、ブリティッシュ・ロック・シーンにも及んだといえるのではないだろうか。例えば、本アルバムの構成は、ビートルズの『アビー・ロード』に似ている。『アビー・ロード』もAサイドは独立した楽曲が並んでいるだけだが、Bサイドに移るとメドレー形式となり、短い曲の連なりが劇的効果を高めて、小川が急流へと変わり、一気に奔流となって河口に流れ込む迫力とスケールを感じさせる[ii]。『ドリーム』もクライマックスは、ポエム・リーディングから、インストルメンタルを挟んだパート・ワン、パート・トゥ形式で、一気呵成にラストに雪崩れ込んでいく。そして最後はノイズのエフェクトで、アルバム冒頭に回帰する構成である。

 『アビー・ロード』の制作を主導したポール・マッカートニ―が、『ドリーム』を参考にしたかどうか、何ら証拠はないが、可能性を指摘することはできるだろう。『ドリーム』の発売された1969年3月は、マッカートニーがビートルズのラスト・アルバム制作のアイディアを練っていた時期である。音楽マーケットの動向に敏感なマッカートニーのことだから、全英チャート1位のアルバムには当然注目しただろう。ましてや、そのバンドは、かつて自分たちのツアーにも同行した古い顔なじみで、しかし、もうすでに落ち目になって解散したと思っていた(はずの)連中とくれば、興味をもたないはずがない。しかも、数年後、マッカートニーが自分のバンド(ウィングス)のメンバーに迎え入れたのは、元ムーディ・ブルースのデニー・レインである。これらを総合すれば、マッカートニーが『ドリーム』に何らかの影響、とまではいかなくとも、刺激を受けた可能性はなくもない。

 『アビー・ロード』との比較はさておき、『ドリーム』は、『ロスト・コード』同様、8か月という短い期間で完成にこぎつけた。『ドリーム』の成功もあってか、ムーディ・ブルースによる組曲形式のコンセプト・アルバム制作はさらに続き、構成はますます細密になっていく。ただし、個々の楽曲の出来については、好みの問題ではあるにせよ、第一作、第二作に及ばないようにも感じられる。組曲形式の利点と問題点がそこに潜んでいるともいえそうである。

 

A1 In the Beginning (Edge)

 電子音のようなエフェクトから、ヘイワードとエッジの対話という、よりシアトリカルな演出で幕が開く。「僕は、僕が存在すると考える、ゆえに僕は存在する」と、いきなりのデカルトから、お偉方(エスタブリッシュメント)の説教と「中の人(Inner Man)」の忠告。ジャケット・スリーヴを象徴するかのような掛け合い小芝居で、善良で無邪気なリスナーをたじろがせる。

 

A2 Lovely to See You (Hayward)

 ・・・と思わせておいて、能天気なギター・ソロが高らかに鳴り響き、ヘイワードらしからぬ明るいポップ・ナンバーが始まる。過去二作からは想像できないキャッチーなムーディ・ブルースだ。「やあ、君に会えて嬉しいよ。ちょっとそこまで、一緒にどう?」と、「僕は考える」などと言っておきながら、何も考えていなさそうなお気楽ぶりだ。

 いかにもシングル向きと思えるが、さすがに軽すぎると判断したのか、シングル・カットはされなかった。しかし、後年ライヴ・アルバムのタイトルになる[iii]ぐらいライヴ向きの曲で、ヘイワードのヴォーカルも快調そのもの。「サテンの夜」のB面に、ダークだがキャッチーな「シティーズ」を書いていたように、もともとヘイワードは普通のポップスも書ける人だった。

 

A3 Dear Diary (Thomas)

 本アルバムでのレイ・トーマスは、マイナー調のメランコリックな曲を揃えている。『フューチュア・パスト』の「アナザー・モーニング」と「トワイライト・タイム」、『ロスト・コード』の「ドクター・リヴィングストン」と「レジェンド・オヴ・ア・マインド」、そして本作とみてくると、初期のトーマスは、アルバム毎に同傾向の曲を書く印象がある。

 とはいえ、ソング・ライティングの技術は随分練れてきて、中間部の暗い、しかし美しいメロディなど、「ディア・ダイアリ」はトーマスの代表作のひとつに数えられている。1974年のベスト・アルバム『ディス・イズ・ザ・ムーディ・ブルース[iv]にも、トーマスの4曲のうちに選ばれた。

 

A4 Send Me No Wine (Lodge)

 前作では目立っていたジョン・ロッジだが、本作では影が薄い。彼が書いた2曲はメドレーでAサイドにまとめて置かれている。どちらもアップ・テンポのロック・ナンバーで、同スタイルの2曲というのも珍しい(『フューチュア・パスト』、『ロスト・コード』では、ロック・ナンバーとバラードの組み合わせだった)。

 しかし、曲はキャッチーなメロディのなかなかの快作で、快調なテンポで突っ走る。「セン・ミー、セン・ミー・ノ・ワーイン」のサビのハーモニーも爽快だ。ヘイワードが唄う「ア、ア、ア、アー、アー、アー」も耳に残る。

 

A5 To Share Our Love (Lodge)

 続けて、ロッジお得意のロックン・ロール。こちらもシンプルな曲で、あまり特徴がない。ロッジの作品中でも、もっとも物足りない出来のひとつである。ま、好みの問題だが。

 アルバムA面は、ビート・ナンバーが多いせいか、ギター・サウンド中心といった印象である。

 

A6 So Deep Within You (Pinder)

 マイク・ピンダーによる本曲は、彼らしいR&B調のマイナーな楽曲。正直、あまり魅力を感じない。「ダダダダーン。ダダンダダンダダン」のアレンジも、なんだかダサい。

 ピンダーの曲では、前年にシングル「ライド・マイ・シーソー」のB面のみに収められた「シンプル・ゲーム」が傑作だったので、そちらを入れたほうが良かったのではないか、と強く思う(アルバム向きの曲ではないのかもしれないが)。

 悪いというわけでもないのだが、A面の締めに置くにしては、少し弱かったのではなかろうか。

 

B1 Never Come the Day (Hayward)

 静かなヘイワードのギターのつま弾きから始まるフォーク・バラード調の曲。従来の曲調からすると、らしくないが、メロディは大変美しい。それがサビでは一転して、陽気なロック・コーラスになって、シングルになったのも頷けるが、イギリスではチャートに入らず、アメリカでは最高91位と、本当に意外なくらい受けなかった。少々ヴァースが長すぎたのだろうか。

 しかし、逆に、シングル・ヒットのあるなしに関わらず、ムーディーズのアルバムは売れるようになったとも言える。

 

B2 Lazy Day (Thomas)

 「ディア・ダイアリ」同様、日常的なテーマの親しみやすいトーマスの曲。メロディは、どことなくビートルズ、というか、ポール・マッカートニ―を思わせる。マイナー調だが、どこかとぼけた味わいもトーマスらしい。

 しかし、アレンジは憂鬱で暗く、現実に対する幻滅と倦怠を表しているのだろうか。

 

B3 Are You Sitting Comfortably? (Thomas, Hayward)

 ヘイワードとトーマスの共作第二弾。こちらも静かなアコースティック・ギターから始まり、ヘイワードのヴォーカルが聴き手を、まさに「夢幻」の地へと誘う。

 「お茶をもう一杯どう、愛しい人。さあ、何が見えるだろう。水晶の海を滑る黄金のガレオン船の群。ゆっくり、くつろいでいるかい。マーリンの魔法の始まりだ。」「キャメロットの黄金時代、グウィネヴィアが女王だった頃」、アーサー王物語を踏まえた歌詞も、いかにもファンタジーな雰囲気を醸成している。

 単純な曲だが、得も言われぬ気だるいムードが漂い、トーマスのフルートもサウンドに溶け込んでいる。地味だが、本アルバムのベスト・ナンバーだろう。

 

B4 The Dream (Edge)

 「イン・ザ・ビギニング」と対照的に、文学的なタッチで、「北からやってきた白鷲が頭上を飛び去ると、茶と赤と金色の秋は溝のなかで息絶える」と語りかける。

 エッジの詩作のなかでも、もっとも美しい一節だろう。ラストは、言うまでもなく、「私たちは、今、立つ。夢の入り口に(On the threshold of a dream)」。

 

B5 Have You Heard? -Part 1 (Pinder)

 アルバムを締めくくるのは、ピンダーの2曲。彼の最高作といってもよいメドレーだ。

 「ハヴ・ユー・ハード」は、もともと1曲だったものを2つのパートに分けたというが、「ザ・ヴォイッジ」を挟むことで、素晴らしい効果をあげている。こちらもテンポなど、ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を連想させる。

 

B6 The Voyage (Pinder)

 オルガン、ピアノ、そしてメロトロンと、ピンダーの技巧とアイディアを詰め込んだ力作。ビートルズが到達しえなかった地点に、ムーディ・ブルースがたどり着いたことを実感させるナンバー。

 『ロスト・コード』のインストルメンタル・パートがやや冗長な印象だったのに対し、この曲では、緊張感が持続して、構成もドラマティックだ。「ハヴ・ユー・ハード」と「ザ・ヴォイッジ」のメドレーが、やはり本アルバムの最高の聞きものといえるだろう。

 

B7 Have You Heard? -Part 2 (Pinder)

 「ザ・ヴォイッジ」が終わると、再び「ハヴ・ユー・ハード」へと繋がり、ピンダーのヴォーカルが遠のいて、冒頭のエフェクトへと戻る。

 

 『ドリーム』後半のメドレーは、ムーディーズ会心の出来栄えで、本人達も同様に感じていたらしい。『ディス・イズ・ザ・ムーディ・ブルース』では、「ザ・ドリーム」から「ハヴ・ユー・ハード」~「ザ・ヴォイッジ」のメドレーがそっくりそのまま収録されている[v]。1977年のライヴ『コート・ライヴ』[vi]でも、クライマックスは、『ドリーム』終盤のメドレーで、これがライヴの目玉であったことがわかる。

 

[i] ムーディー・ブルース『夢幻』(ポリドール、1986年)、松本昌幸によるライナー・ノウツ。

[ii] 一般的には、『アビー・ロード』のA面は、ジョン・レノン主導、B面は、ポール・マッカートニ―主導で、その結果、あのような構成になったとされている。

[iii] The Moody Blues, Lovely to See You Live (2005).

[iv] This Is the Moody Blues (1974).

[v] Ibid.

[vi] The Moody Blues, Caught Live + 5 (1977).