ムーディ・ブルース『エヴリ・グッド・ボーイ・ディザーヴズ・フェイヴァ』

 『ア・クエッション・オヴ・バランス』から一年ぶりのアルバム『エヴリ・グッド・ボーイ・ディザーヴズ・フェイヴァ』(1971年7月)は、日本において、もっともよく知られたムーディ・ブルースのアルバムとなった。実際、唯一のヒット・アルバムといってよいだろうが、内容もさることながら、本アルバムの人気を決定づけたのはアルバム・ジャケット、そして『童夢』というアルバム・タイトルだったのではないか。

 それだけ印象的なジャケットだった。髭だらけの(まるでヨーダのような)老人と人形と見間違うような少年が向かい合い、老人が吊り下げる宝石を見つめている。裏面では、こちらも石膏像にしか見えない二人の青年が一本の花とぬいぐるみの人形をそれぞれ差し出し、上空には月が雲に陰っている。お馴染みのフィル・トラヴァースによるデザインだが、前作のいかにも手書き風のイラストから、デジタル画のようなシャープな線で、なんとも幻想的な情景を描き出している。『童夢』という絶妙なタイトルと併せて、プログレッシヴ・ロック・アルバムのジャケット・ベスト10に入りそうな美麗さである。

 しかし、アルバム自体は、益々プログレッシヴ・ロックからは遠ざかりつつあった。『バランス』で見られた「基本に戻る(Back to basics)」[i]定式が継続され、メドレー形式は続けられたが、パート・ワン・アンド・トゥー・タイプの楽曲はなし。繋ぎの短い曲などもなく、かろうじて「プロセッション」や「ワン・モア・タイム・トゥ・リヴ」、「マイ・ソング」当たりの楽曲がプログレッシヴ・ロックらしさを表現している。

 サウンドは、これも前作同様、ライヴでの再現を前提にしたといい[ii]、タイトルのイニシャル(E-G-B-D-F)が音階を表しているように[iii]、そちらもBack to basicsという方針に合致している。

 サウンドもそうだが、タイトルのGood Boyは収録曲のイメージから取られたのではないか、と思わせるほど、シンプルでわかりやすいメロディの楽曲で構成されている。すでにコンセプト・アルバムですらないが、タイトルやジャケットから推察すると、あえてテーマらしきものを探せば「少年時代」ということになるのかもしれない。最後の「マイ・ソング」に至るまで、「純真」、「無垢」といった言葉が似合いそうな歌詞や曲調が目立つ。

 前作における「クエッション」ほど抜きんでた楽曲はないが、どれも粒ぞろいのナンバーで、全員が最良の作品を提供しているといってよい。あまりにもポップすぎて、その点からも、もはやプログレッシヴ・ロックとは思えないが、楽曲の全体的なクオリティはこれまでになく高く、それもまた日本で人気を集めた要因だろう。

 イギリスでも、3枚目のナンバー・ワン・アルバムとなり、アメリカでは、ついに2位にまで上昇、英米でのチャート・アクションをトータルに見れば、ムーディ・ブルース最大の成功作となった。

 

A1 Procession (Edge, Hayward, Lodge, Pinder, Thomas)

 アルバム冒頭を飾るコラージュ的作品。前述のとおり、いかにもプログレッシヴ・ロックらしい、様々な音の断片を繋げていく、あざといと言えばあざといナンバー。

 エッジの回想によれば、音楽の歴史を表現したものだという[iv]。確かに、転がり落ちてくるような電子音のイントロから、雷の轟音が過ぎた雨上がりの草むらで虫の音が響くエフェクトに続き、打楽器の音に原始時代をイメージしたような掛け声コーラスがかぶさる。そこにロッジの「ワン・モア・タイム・トゥ・リヴ」の詩の一節-「荒廃」、「創造」、「共感」-が轟き、以下、シタールに始まり、フルート、ハープシコード、オルガン、そしてメロトロンの音が空間を圧するように広がると、ラストはヘイワードのギターが高らかに鳴り響く。この間4分を越えるが、飽きのこない構成で楽しませてくれる。

 

A2 The Story in Your Eyes (Hayward)

 「プロセッション」の最後のギターがかき鳴らされると、息つく間もなく、小気味よいギターが切り込んでくる。「プロセッション」のエンディングなのか、「ストーリー・イン・ユア・アイズ」のイントロなのか、見分けがつきにくいが、そんなことはどうでもよい、と言わんばかりに、物凄いスピードで進行する。

 イギリスではアルバムからのシングル・カットは予定されていなかったというが、初めからシングル曲としてつくられたとしか思えないようなキャッチーでポップなナンバー。必ずしもヘイワードの個性が十分出ているとは言い難いが、早口言葉のようなヴァースから、ヘイワードのヴォーカルにコーラスがかぶさり、そのうえをメロトロンが覆いつくすサビのパートには圧倒される。ムーディ・ブルースのサウンド・スタイルを凝縮したような魅力を堪能できる。

 「潮が満ちてくる音に耳を傾ければ、心の痛みも押し流してくれる。僕たちは燃えさかる炎の一部のようなもの。燃え尽きても灰の中から、また新しい一日を作り上げる」、というヘイワードの内省的な詩も美しい。

 

A3 Our Guessing Game (Thomas)

 クラシカルなピアノのイントロから、こちらもトーマスの何ともポップで親しみやすいメロディが流れてくる。”They leave me so much to explain.”の箇所が「虹の彼方に」みたいだが、シングル・カットしてもよそさうな楽曲の魅力がある。

 これまでの彼らにはあまり見られなかった明るい曲調の作品で、そこは、内省的だが前向きな歌詞とも合っている。「真実を発見したと思える時もある。間違っていたと分かる時もある。恐れを隠したいと思う日もあるだろう。自分の強さを感じることができれば最高だね。」

 トーマスの楽曲のなかでも最上位に位置するものの一つといえそうだ。

 

A4 Emily’s Song (Lodge)

 トーマスに続き、ロッジのまるで童謡のような愛らしい曲が登場する。まだ幼い娘のために書いたと聞けば[v]、それも当然だが、フォーク・ソング風の弾き語りともいえるし、クラシックの室内楽のようでもある。

 間奏では、ピンダーのキーボードがドリーミーな雰囲気をかき立て、ロッジのハスキーだが優し気なヴォーカルを引き立てる。ロッジの声のせいで地味ではあるが、リリカルな佳曲である。

 

A5 After You Came (Edge)

 Aサイドのラストは、エッジの豪快なロックン・ロールで締めくくられる。エッジ作なので、当然、主体はコーラス。

 やや一本調子ではあるが、中間部など、哀愁を漂わせたメロディが、なかなかいい。構成もかなり複雑で、「ハイアー・アンド・ハイアー」のころの、曲ともいえないような段階から急速の進歩を見せている(偉そうな言い方で、すいません)。

 といっても、本アルバムのなかでは、さほど目立った曲とも言えないのだが、この後、意外なほどブリティッシュ・ポップ風のメロディを書くようになるエッジの才能の片鱗をうかがわせる。

 

B1 One More Time to Live (Lodge)

 「プロセッション」とともに、いかにもプログレッシヴ・ロック風の大仰なナンバー。

 トーマスのフルートによるイントロが美しく、前半のバラードのパートは、ロッジお得意のコーラス・ハーモニーが次第に厚みを増していき、聴き手を包み込む。

 一転、サビになると、「荒廃」、「創造」、「共感」など、「プロセッション」でさわりを聞かせた“~tion”の単語を連呼する掛け合いコーラスがハンマーのように叩きつけられ、上述のとおり、いかにもの展開になる。

 しかし、メロディアスな小品が多いアルバムのなかにあって、サウンドのスケールとダイナミズムは、やはりこういう曲がひとつはなくては、という感を抱かせる。『童夢』は、メンバー全員の力が均等に発揮されているが、あえていえば、ロッジのアルバムということになるだろう。

 

B2 Nice to Be Here (Thomas)

 ロッジの大作に続くのは、トーマスの呑気なフルートに始まる牧歌的ナンバー。

 A面の順番とは逆だが、ロッジの「エミリーズ・ソング」と同じく、まるで童謡のようなわかりやすさと親しみやすさが際立つ曲。歌詞の内容も含めて、ビアトリクス・ポッターの童話に触発されて書いた[vi]というから当然のことか。

 単調なリズムは案外癖になるが、間奏部のヘイワードのギターが妙に豪放というか、メロトロンとともに、サイキデリック風なのが面白い。

 この明るさと曇りのない晴れやかさが、本アルバム全体の空気感を生み出している。

 

B3 You Can Never Go Home (Hayward)

 思わずうたたねしそうになるトーマスの楽曲のあとに、ヘイワードのこの沈鬱なバラードが始まると、突如として荒涼とした風景が眼の前に広がる。突然、無人の惑星に放り出されたような頼りなさを感じさせる。

 『童夢』のヘイワードは、あまり目立ってはいないが、とくにこの「ユー・キャン・ネヴァ・ゴウ・ホーム」は地味で暗い。しかし、それでもなお、本作は、実にもって「ヘイワードな」曲である。

 歌いだしは、やる気がなさそうだが、「百万年前に降る星々のことを語るのは時間のみ」と歌うあたりから、ヘイワード節が全開となり、「想い出が君を連れ戻すことはできない」とハイ・トーンのパートで頂点に達する。そして、駆け抜けるような中間部のコーラスから、縋りつくような切々としたヴォーカルへの流れは、まさにヘイワードといえる。

 彼の個性的なメロディとヴォーカルが存分に味わえる会心の一曲だ。

 

B4 My Song (Pinder)

 重々しいメロトロンのイントロから、クラシカルなピアノをバックに、ピンダーが落ち着いた声で嫋やかなメロディを歌いだす。「私の歌を歌おう。一日中でも歌おう。終わることのない歌を。どうやってあなたに伝えられるだろう。私の思いのすべてを。」シンプルな歌詞とメロディが、ごく自然に流れ出し、滞ることなく、そのまま流れ去っていく。ピンダーの書いた最良のメロディのひとつである。

 コーラス・パートは、いつものピンダー調で、ヴァースのメロディには劣るが、劇的に展開して、長い中間部のインストルメンタル・パートに突入する。胎児をイメージしたようなエフェクトから、日本の歌謡ポップスのようなセンチメンタルなフレーズを挟んで、後半は、大編成のオーケストラのごとき迫力でシンフォニックに、そしてドラマティックに盛り上がる。最後は、再び冒頭のピンダーのヴォーカルに戻ってフェイド・アウト。

 『夢幻』の「ハヴ・ユー・ハード」~「ザ・ヴォイッジ」のメドレーを思い出させる、というより、上記のメドレーを一曲にまとめたような構成は、アルバムを締めくくるに相応しい。ピンダーの最高傑作ともいうべき楽曲である

 ピンダーのヴォーカルをさらうように包み込んでメロトロンの響きが遠く消えていくラストは、ムーディ・ブルース全アルバム中でも最も印象的な、儚くも美しいエンディングだろう。

 

01 The Dreamer (Hayward/Thomas)

 『フェイヴァ』セッションで、最初に録音された楽曲で、スタジオ・ライヴによるレコーディングだという[vii]。2007年版CDで初めて収録された。

 ヘイワードとトーマスの共作としては、1969年の「ウォッチング・アンド・ウェイティング」以来だが、トーマスがリード・ヴォーカルを取るという珍しいパターン。

 ヘイワードっぽくもなく、トーマスらしくもない曲調は、なるほど共作の効果ということなのかもしれない。完成版ではないことを差し引いても、今一つピンと来ないので、お蔵入りも仕方がなかったか。駄作とまでは言わないが。

 

[i] The Moody Blues, Every Good Boy Deserves Favour (2007), p.9. Mark Powellによるライナー・ノウツ。

[ii] Ibid.

[iii] ウィキペディア童夢』。

[iv] Every Good Boy Deserves Favour (2007), p.11.

[v] Ibid., pp.10-11.

[vi] Ibid., p.10.

[vii] Ibid., p.19.