ジョン・ディクスン・カー『カー短編集2/妖魔の森の家』

(本書収録の短編小説の内容に、かなり立ち入っていますので、ご注意ください。)

 

 ディクスン・カーの短編集が翻訳されたのは1970年で、創元推理文庫で一気に三冊がまとめて刊行された(第三集は少し遅れた)[i]。それでも積み残した短編は多かったし、その後、ラジオ・ドラマの脚本なども公刊されるようになるが、主要短編がまとめて読めるようになったのは画期的だった。

 ところが、第一短編集(『不可能犯罪捜査課』、1940年)はともかく、第二短編集[ii](『第三の銃弾その他』、1954年)および第三短編集(『奇蹟を解く男』、1963年)は、収録作品が勝手にシャッフルされてしまった。カー短編の目玉である「妖魔の森の家」と「パリから来た紳士」がともに第二短編集に収録されているからで、日本で売るのに都合が悪い。どうしても、これら二作をばらして、分けて売りたい、ということで、このような事態になったのだろう。それなら、「パリから来た紳士」だけ第三短編集に移すかすれば、よかったのではないかと思うが、それだと、あまりにあからさまで体裁が悪いと思ったのか、結局、大幅に組み替えることにしたようだ。

 とにかく、『第三の銃弾その他』は、長編ミステリが書けなかった埋め合わせの代替措置(1954年は、カー名義でも、ディクスン名義でも長編小説が出ていない。1963年も同様)だったにしても、また、様々な時期の中短編を脈絡なく詰め込んだだけの安直本だったにせよ、カーの短編集でも白眉といえる一冊である。なにしろ、上記の通り「妖魔の森の家」と「パリから来た紳士」が入っている。

 オリジナルの構成を尊重すべきとも思うので、ここでは、The Third Bullet and Other Storiesの構成に則って、見ていくことにしたい。

 

「第三の銃弾」(The Third Bullet, 1937)

 完訳版[iii]が翻訳されて、短編集収録の本中編小説の存在価値は、ほぼなくなってしまった。

 

「赤いカツラの手がかり」(The Clue of the Red Whig, 1940.12)

 『ストランド・マガジン』の1940年12月号に掲載された短編。

 クリスマス号というわけでもなかったようだが、恐らくはそこを意識して、軽いコミカルな小説を目指したものだろう。

 現代なら、さしずめダイエットの女王とでもいうべき女性が、深夜の公園で下着姿に靴を履いただけの恰好で死亡しているという不可解な事件。公園といっても誰でも自由に入れる普通のそれではなく、中庭のような半ばプライヴェートな空間で、出入りにも鍵が必要になる。被害者は、当夜公園に入るところを目撃されている(もちろん、普通の恰好で)が、その後、上記の異様な姿で発見された。

 下着姿の死体というと、エラリイ・クイーンの『スペイン岬の謎』(1935年)を連想させるが、無論、なぜ冬の寒空にそんな恰好をしていたのかが謎となる。

 真相は、カーの長編代表作(注で作品名を挙げます[iv])と同一で、偶然(それもかなり都合の良い)が重なって、奇怪な事件になったというもの。

 お話としては、探偵役が警察官とジャーナリストという組み合わせで、警部のアダム・ベル[v]はイギリス人らしく堅物の警察官。ジャクリーヌ・デュボアはフランス生まれの美女で、カー作品に時折現れる天然系。後年の『バトラー弁護に立つ』(1955年)のヒロインを思わせる。このいかにも英国人らしい警部といかにも(カーが考える)フランス人らしいジャクリーヌのコンビのドタバタ捜査ぶりを楽しむ作品といえそうだ。

 

「妖魔の森の家」(The House in Goblin Wood, 1947.11)

 ディクスン・カーの短編といえば、何といっても本作だろう。日本語版『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に江戸川乱歩[vi]で載ったことでも知られるが、欧米はもちろん、我が国においても、パズル短編小説の傑作として圧倒的な地位を得ている。

 手元に、どういうわけかエドワード・ホックが編集してオクスフォード大学出版局から刊行されたTwelve American Detective Storiesというペイパー・バックがあるのだが、同書でも、エラリイ・クイーンの「クリスマスと人形」などとともに、本作が採られている[vii]

 20年前に妖魔の森[viii]の名で知られた人里離れた森の一軒家で、当時12、13歳だった少女が鍵のかかった部屋から姿を消すという事件が起こった。少女は一週間後にいつのまにかまた部屋に戻っていたが、行方不明になっていた間のことは何一つ覚えていなかった。その「神隠し」にあった少女ヴィッキー・アダムズは、成人した今でも、妖精にさらわれた少女として知られている。そんな彼女と従姉妹のイヴ、その恋人のビルとともに妖魔の森の家を訪れたヘンリ・メリヴェル卿の眼の前で、20年の時を隔てて、再びヴィッキーは家の中に入ったきり、そのまま姿を消してしまう。

 まさに怪奇趣味満点の書き出しで、この後、驚くべき真相がH・Mによって明かされるのだが、そもそも本作は、カーがエラリイ・クイーンの慫慂に従って投稿し、EQMMのコンテストで特別賞を獲得したいわくつきの作品である[ix]。そのクイーン(フレデリック・ダネイ)の詳細な解説が、本短編がいかにフェアなパズルとして書かれているかを、あますところなく解き明かしている[x]

 まったくその通りだと思うが、本作が不可能犯罪小説ないしパズル短編小説の傑作かといえば、そこから少し外れている気もする。読み終えた感想は、不可能犯罪の解明の面白さよりも、人間消失の謎が殺人の謎解きへと至る結末の意外性に感心した。それ以上に、カーの大胆な発想にも驚いた。これはむしろ、乱歩が言うところの「奇妙な味」の短編といったほうがよいのではないか。何しろ、のんびりピクニックでお茶の最中に、家の中では絶賛解体中というのだから。

 そう考えると、クイーンの解説があまりにも有名になりすぎて、パズル短編ミステリの傑作として喧伝され過ぎた気もする。

 「妖魔の森の家」の本質は、怪奇小説で始まったミステリが合理的な謎解きによって日常世界の均衡を取り戻す点にある、のではない。人間消失の怪奇な謎が、それ以上に怪奇な結末へと終着する想像力の飛翔にこそある。少女の無邪気な嘘が作り出した幻想ファンタジー[xi]が、犯人たちの企みと噓によって狂気のホラーへと転移するラストの戦慄が、本作品の魅力のすべてである。

 ヘンリ卿の最後の一言は、それを端的に表現しているといえるだろう[xii]

 

「とりちがえた問題」(The Wrong Problem, 1936)

 サマセット州の渓谷にあるさびれた村。そのはずれの湖水に浮かぶ小島に建てられた四阿で、男が耳の穴に鋭い針を撃ち込まれて死んでいる。ただ一艘の小舟は小島に係留され、誰一人近づくものは目撃されなかった。その数日後、今度は湖水を見晴らす邸宅の最上階の小部屋で、死んだ当主の娘が、片目を同じく鋭い針で貫かれて、こと切れているのが見つかる。今回も娘のほかに部屋に近づいたものはいなかった。

 連続する不可能殺人の謎を語るのは、かつて同居していた義理の息子で、その話に耳を傾けるのが、たまたま立ち寄ったフェル博士とハドリー警視である。

 不可能犯罪の謎解きは案外単純で、トリックで感嘆させる短編ではない。犯人の正体には、ちょっとした捻りがあるが、これも吃驚するというほどではない。

 どうやら、小説の冒頭、フェル博士とハドリー警視が登場する場面[xiii]など読むと、G・K・チェスタトンを意識しているようだ[xiv]。そして真相が明らかになった後、語り手がフェル博士たちに突きつける謎も、チェスタトン風の形而上的ミステリを狙ったふしがある。生憎、そこはカーなので、むしろ怪異譚、あるいは、せいぜい「奇妙な味」のミステリにとどまっている。

 しかし、本編の後味は、この語り手の造形にかかっているので、単なる謎解きに終わらせたくなかったらしいカーの狙いもわかる。

 

「ことわざ殺人事件」(The Proverbial Murder, 1939-40?)

 初出は不明だが、確認できる最初の掲載誌はEQMMの1943年7月号らしい。「恐らく1939-40年の作」[xv]という推定は、物語の背景が第二次世界大戦勃発前後を思わせるからだろう。

 ドイツ人スパイと目される人物が、屋敷の自室で散弾銃を撃ち込まれて死亡する事件が起こる。監視していた警察官が銃声に驚いて駆けつけると、窓には銃弾の穴が空いており、間違いなく外から貫通したものとわかる。屋敷にいたのは妻のみで、イギリス人の彼女が、夫の様子を怪しんで警察に密告したのである。

 凶器の銃は、被害者と不仲の隣人の所有物で、当然疑いがかかるが、もちろん真相は別で、フェル博士は簡単にトリックを見破る。発射した銃弾に残る旋条痕に関わるトリックは、特殊知識というほどではないのかもしれないが、正確に見抜ける人はまれだろう。

 ただ、窓に残った銃弾の穴のからくりは、『死が二人をわかつまで』(1944年)のアイディアのもとになったのではないかと思われ、そこが興味深い点である。

 タイトルは「ことわざ殺人事件」だが、さほど、ことわざが出てくるわけでもない。それより、ドイツ人とイギリス人を対比、というか、自国民と敵国民を対比させ、必ずしも、同一国民だから信頼できるわけでもないし、外国人だから信用できないものでもない、という警告ないし教訓を投げかけているところが時局を感じさせる。

 

「ある密室」(The Locked Room, 1940.7)

 『ストランド・マガジン』の1940年7月号に掲載されたフェル博士ものの短編。同誌には、1938年以来、マーチ大佐のシリーズが断続的に発表されていたのに、突然本作でフェル博士に交代したようだが、マーチ大佐に飽きたのだろうか。この後も、フェル博士登場の「軽率だった夜盗」[xvi]、本書にも収録の「赤いカツラの手がかり」が掲載されて、ようやく1941年2月号の「ウィリアム・ウィルソンの職業」で大佐が復帰したものの、それが『ストランド・マガジン』での最後の短編ミステリとなってしまった。やっぱり飽きたのだろうか。

 それはともかく、“The Locked Room”という直球のタイトルもすごい。自信があったのか、題名を考えるのが面倒くさかったのか。いずれにしても、えらく直接的で、隣室には男女が控えている密閉された部屋に一人閉じこもっていた被害者が後頭部を激しく殴られて昏倒し、金庫からは多額の現金や貴重品が盗まれている。しかし、犯人の姿はどこにも見当たらない、という不可能犯罪である。

 被害者が毎晩サイフォンでソーダ・ウィスキーを作って飲んでいるというのがトリックになっているのだが、単純とはいえ、見破るのは難しそうだ。

 無論、フェル博士はあっさり真相を見抜いて、犯人を指摘する。

 カーらしく手際のよいパズル短編小説だが、感銘とまではいかない。それにしても、この内容なら、マーチ大佐のシリーズでもよかったろうに、なぜに探偵を変えたのだろう。結局、そこが一番謎だ。

 

「パリから来た紳士」(The Gentleman from Paris, 1950.4)

 1950年4月にEQMMに掲載された短編。「妖魔の森の家」と並ぶカーの代表的短編ミステリだが、ともに『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に発表されたのは、クイーン(フレデリック・ダネイ)との交流がカーのやる気をかきたてたのか。郷里のアメリカの雑誌ということも、気合が入った一因だったのかもしれない。

 1950年というと、『ニューゲイトの花嫁』が刊行された年でもあり、いわば長短編で歴史ミステリに取り組んだことになる。ただ、短編だけに、本作では意外性に重点が置かれており、しかもその意外性は、トリックや犯人ではなく、歴史上の有名人がそれとわからぬように作中に登場するというものである。もっとも、この趣向は、すでに前年にトマス・フラナガンの短編(注で作品名を挙げています[xvii])が発表されており、本作のアイディアもそこから得ているのかもしれない。

 フラナガンの小説の歴史上の人物はミステリとはあまり関係ない(狡猾に策を練ることを推奨している点で、まんざら関係なくもないか)が、カーの本作は、まさにミステリの歴史のど真ん中を突いたもので、そこに面白さの大半がある(すでに、だいぶネタバレしてしまった)。

 事件の謎は、19世紀半ばのニュー・ヨークを訪れたラファイエット侯爵の子孫が、ある老婦人が残した遺言書の行方を探すというもので、要するに隠し場所のトリックだが、老婦人の狭い寝室のどこかにあるはずなのに、警察が捜索しても、どうしても見つからない。魅力的な謎だが、残念ながら、そこまでの驚きはない。もちろん、この「消えた文書の謎」という主題自体が、意外な探偵役と密接な関係にあるのだが(あぶない、あぶない)、あくまでも、本作の狙いは、その人物の正体のほうである。

 解説の中島河太郎は、例によって、クイーンによる詳細な分析を紹介している[xviii]が、そこに挙がっていない伏線(クイーンの原文では取り上げられているのかもしれない)としては、ラファイエットがサディアス・パーリーと名乗る人物に遺言書のことを話し始めると、書類の紛失と聞かされたパーリーが一瞬怯んだ様子を見せた[xix]、という箇所で、後から読み返すとニヤニヤできる。

 登場人物の時代がかったしゃべり方も歴史ミステリと思えば、さして気にならない(これは訳のせいか)し、件の人物に対するカーの敬愛と同国人の誇りも感じられて、やはり代表作のひとつであると再認識した。

 

[i] 『カー短編全集1/不可能犯罪捜査課』(宇野利泰訳、創元推理文庫、1970年)、『カー短編全集2/妖魔の森の家』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1970年)、『カー短編全集3/パリから来た紳士』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1974年)。

[ii] エラリイ・クイーン編のDr. Fell, Detective, and Other Stories (1947)を除く。

[iii] 『第三の銃弾[完全版]』(田口俊樹訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2001年)。

[iv] 『帽子収集狂事件』(1933年)。

[v] イギリスの古謡のヒーローと同じ名前なのは、狙って付けたのだろうか。上野美子『ロビン・フッド物語』(岩波新書、1998年)、49-50頁参照。

[vi] 「魔の森の家」(江戸川乱歩訳)『51番目の密室』(早川書房編集部・編、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2010年)、77-107頁。

[vii] Edward D. Hoch, ed., Twelve American Detective Stories (Oxford University Press, 1997), pp.114-34. カーター・ディクスン名義。

[viii] 最近では、ゴブリンという言葉もすっかり定着したようなので、「ゴブリンの森の家」でもいいのかもしれませんね。

[ix] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、325頁。

[x] 『カー短編全集2/妖魔の森の家』、348-52頁(中島河太郎による解説)。

[xi] ヴィッキーの消失は、有名なコティングリー妖精事件がヒントになっているのではないかと想像してみたくなる。『妖魔の森の家』の執筆時期は、コナン・ドイルの伝記執筆の時期とほぼ重なる(上記事件とドイルとの関係は周知の事実なので)。ただし、厳密には、『妖魔』執筆後に、伝記の話がエイドリアン・ドイルから来たらしく、ドイル伝にも同事件への言及はない。『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、332-334頁、ジョン・ディクスン・カーコナン・ドイル』(大久保康雄訳、早川書房、1980年)。

[xii] 本作は、クリスチアナ・ブランドの『ジェゼベルの死』(1948年)に影響を与えているのではないかという気もする(直接には、G・K・チェスタトンだろうが)。

[xiii] 『カー短編全集3/パリから来た紳士』、137頁。

[xiv] 「青い十字架」『ブラウン神父の童心』(1911年)所収。

[xv] ダグラス・G・グリーン「ジョン・ディクスン・カー書誌」『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、28頁。

[xvi] 『カー短編全集2/妖魔の森の家』、55-87頁。

[xvii] トマス・フラナガン「玉を懐いて罪あり」(1949年)『アデスタを吹く冷たい風』(宇野利奏訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1961年)、171-94頁。

[xviii] 『カー短編全集3/パリから来た紳士』、378-80頁。

[xix] 同、30頁。