横溝正史『毒の矢』

(本書の内容やトリックのほか、『神の矢』、「黒い翼」、『白と黒』などの長編短編小説、および、アガサ・クリスティの長編短編小説、ある古典的な密室ミステリのトリックに触れています。)

 

 『毒の矢』(1956年)は、昭和30年代に横溝正史が力を入れた仕事である「中短編の長編化」あるいは「書き下ろし長編」の最初の作品である。

 「力を入れた」といっても、これが積極的に取り組まれたものだったかどうかは疑わしい。昭和20年代は連載長編が基本で、書き下ろしの長編小説はない。現代とはおよそ異なる出版事情の時代だから、横溝だけの特徴ではないが、30年代に入ると徐々に書き下ろし長編ミステリのシリーズが出始める。『仮面舞踏会』(1974年)がもともと講談社の企画『書き下し長編探偵小説全集』[i]の一冊として構想されたことは有名である。しかし、同長編が結局完成できず、その後の『宝石』誌の連載が中絶したことを見ても、この時代の正史はパズル・ミステリへの情熱を失いかけていた、というより「倦みつかれていた」[ii]というのが実状だったようだ。この後、連載長編の数も激減して、やがて途絶える。無論、作者の体調や社会派推理小説の隆盛による需要の減少といった様々な要因があっての執筆形式の変化だったのだろう[iii]が、戦後の旺盛だった創作意欲が落ち着いて、中短編に肉付けして手頃な長さの長編ミステリに仕上げるという創作方法が、ちょうど身に合うようになっていたのだろう。

 無論、そのような書き下ろしへの注文があってこそのことだが、『毒の矢』は、昭和31年に刊行開始された東京文藝社の「金田一耕助探偵小説選」のうちの『蠟美人』[iv]に併録されたものが初出のようだ。選集刊行の目玉として、新作長編を一本、というのが出版社からの要請だったのだろう。この後も、やはり同年3月に雑誌掲載されたばかりの短編を長編化した『死神の矢』などが同選集で公刊されている[v]。本作も、もともとは同年1月に『オール読物』に発表された同題名の中編小説[vi]を長編化したものである。

 これだけでも、なかなか複雑な成り立ちをしている作品なのだが、実際はこんなものではない。長編ミステリ『毒の矢』が完成するまでには、横溝自身の作品、他作家の作品を問わず、実に多くの長中短編ミステリが関わってくるのだが、作品そのものより、そっちの話のほうが面白いくらいである(おい!)。大方調べ尽くされてはいるが、今一度まとめてみよう。

 まず、本作のテーマである「匿名の手紙」ないし「毒の手紙」であるが、中編「毒の矢」以前に、1949年に中絶した『神の矢』が原型とされている[vii]。同中絶作は、その後、発掘刊行された[viii]が、さらにそれより前の1946年に連載開始し、こちらも中絶した同名作品と同一内容であることが明らかになっている[ix]。1949年に『ロック』に二回連載された『神の矢』は、蓼科が舞台らしく[x]、1946年版『神の矢』が第一回のみ掲載された『むつび』が、長野県松本市で発行の雑誌ということなので、掲載誌に合わせた舞台だったのだろう。しかも、同作は『蝶々殺人事件』で花道を飾ったとみられていた由利麟太郎・三津木俊介長編の戦後第二作だった。「悪意の手紙」テーマというのはミステリの定番ジャンルだが、アガサ・クリスティ『動く指』(1943年)などが代表だろう。しかし、『神の矢』は結局中絶したままとなり、このテーマが本格的に取り上げられるのは、人形佐七シリーズの「浄玻璃の鏡」が初となった[xi]。現代ミステリとしては、中編「毒の矢」が嚆矢ということになる(「矢」だけに)。この後、短編の「渦の中の女」(1957年)と「黒い翼」(1959年)、前者を長編化した『白と黒』(1960-61年)などで繰り返し取り上げられ[xii]、横溝のお気に入りテーマのひとつとなった。

 もうひとつ、本作におけるメイン・トリックは、やはりクリスティ中期の代表作(注で作品名を挙げる)[xiii]に先例があるが、まず人形佐七ものの「当たり矢」(1954年)で使用され[xiv]、その次が本作である。間に捕り物帖が挟まれているのでややこしいが、『毒の矢』が『神の矢』と同一のトリックで構想されていたのかどうかは、何しろ中絶しているので、わからない。しかし、『神の矢』の連載扉絵で「胸に矢が突き立った女性の被害者が描かれている」[xv]そうなので、トリックも同一だった可能性がありそうだ。ただし、「胸に突き立っ」ていたのでは、本作のトリックは成り立たないので(顔が見えているとすれば)、『神の矢』と『毒の矢』との類似性は「匿名の手紙」テーマのみで、トリックは異なるとの見方もできる。

 『毒の矢』のメイン・トリックというのは、共犯者を使った一種のアリバイ・トリックなのだが、同じ発想のトリックは、実は「当たり矢」だけではない。同年の連載長編『幽霊男』(1954年)でも用いられている。そして、『幽霊男』のほうが、クリスティ作品に、より近い。『毒の矢』は室内だが、『幽霊男』は戸外で殺人が行われるからである。しかし、本書のほうが、「矢が突き立った背中から盛り上がった血のあぶく」の伏線など、細部まで考えられている。

 このトリックは、実はクリスティ長編のほうにも原型があって、ミス・マープルもの短編(注で作品名を挙げる)で使われている[xvi]。さらにいえば、このトリックの原理というのは、ある古典的な密室ミステリ(くどいようだが、注で作品名を挙げる)[xvii]で使用されたものと同一である。クリスティの短編は、不可能犯罪ものなので、こちらのほうが前記密室ミステリに近い。

 『毒の矢』の場合、広いお屋敷とはいえ、室内での犯行なので、犯人のトリックが少々際どいように思われる。二人の人物が離れの一室で、ベッドに突っ伏している女性を発見する。女の背中にはトランプ・カードの刺青が彫られており、カードの一枚に矢が突き立っていた。車椅子の少女-この発見場面があるので、車椅子という設定にしたのだろう-が急を告げに戻り、車椅子を押してきたもうひとりの人物が残るのだが、屋敷のパーティに招待された人々は一室に閉じこもっているわけではなく、てんでに動き回っているので、離れを出た瞬間に誰かに出くわしたら、どうするのだろう、と思わないでもない。

 しかし、文庫本で200頁足らずの長編で、殺人もひとつというコンパクトな作品にしては、あるいはこの時期の横溝長編としては、細かなところまで工夫されていて、そこは楽しめる。車椅子の少女が刺青のトランプ・カードの数をとっさに記憶していて、それが重大な手がかりになるのは、不自然だなあ、とか、記憶力よすぎるなあ、とは思うが、なかなか面白い。ところが、この手がかりは、もちろん中編の「毒の矢」にも出てくるのだが、佐七ものの「当たり矢」では使われない。逆に、「矢の根元に盛り上がった血のあぶく」の手がかりのほうは、「当たり矢」にはあって、中編の「毒の矢」にはない。つまり、「当たり矢」で用いた「血のあぶく」の手がかりを、中編『毒の矢』はカットして、代わりに「トランプ・カード」のそれを加えた。長編『毒の矢』は、両方とも取り入れている、ということになる。

 この手がかりの出し入れを見ると、「当たり矢」を書く以前から、このトリックは細かいところまで出来ていて、短編の「当たり矢」、中編「毒の矢」、長編『毒の矢』で自在に取捨選択したようにも見える。つまり、中絶した『神の矢』用に考案したトリックだった可能性があるのでは、ということだが、それとも、あるいは、長編『毒の矢』は中編版より先に、すでに完成していて、中編に縮めるために手がかりをカットしたのだろうか?

 このように推測するのは、中編「毒の矢」の発表が1956年1月で、長編『毒の矢』の刊行が3月、わずか二か月後だからである。中編版は、雑誌掲載なので、多分、発行は前年末だろうが、それにしても間が短い。中編版を改稿したにしても、早すぎるように思える。もっとも、約二倍の分量[xviii]に過ぎないというから、加筆するのにさほど苦労しなかったのかもしれない。しかし、執筆に時間を要するはずの書き下ろし長編の注文は、雑誌掲載の中短編小説よりも、もっと早い時期に受けていたのではないだろうか。

 つまり、横溝のことだから(?)、長編を書き上げた後で雑誌の注文が来たので、それに応じるために原稿を縮めたのではないか?すなわち、一編の作品で二つの注文に応じようとしたのではないか、という憶測だが、さすがにこんな邪推は失礼か。それに、小説を加筆するより縮めるほうが大変なような気もするので、以上の憶測は、下衆のかんぐりということにしておこう。

 

[i] 『仮面舞踏会』(角川書店、1976年)、「解説」、572頁。

[ii] 横溝正史「作者の言葉」(『宝石』、昭和32年8月)『悪魔の手毬唄』(『横溝正史自選集[6]』、出版芸術社、2007年)、「附録資料」、333頁。

[iii] 横溝正史『真説 金田一耕助』(毎日新聞社、1977年)、27頁参照。

[iv] 島崎 博編「横溝正史書誌」『別冊幻影城 横溝正史 本陣殺人事件・獄門島』(絃映社、1975年)、334頁。

[v] 同。選集の第一回配本は、『三つ首塔』だったようだ(昭和31年2月25日刊)。

[vi] 「毒の矢」『金田一耕助の帰還』(出版芸術者、1996年;光文社、2002年)、浜田知明による「作品解説」、250頁、「横溝正史書誌」、321頁。

[vii]金田一耕助の帰還』、250-51頁。

[viii] 「神の矢」『横溝正史探偵小説選Ⅴ』(論創社、2016年)、392-426頁。

[ix] 同、横井 司による「解題」、480頁。

[x] 同、392頁。作中では、「T高原」となっている。

[xi] 同。

[xii] 同。

[xiii] 『白昼の悪魔』(1941年)。『金田一耕助の帰還』、251頁。

[xiv]金田一耕助の帰還』、251頁。

[xv]横溝正史探偵小説選Ⅴ』、479頁。

[xvi] アガサ・クリスティ「アシタルテの祠」『火曜クラブ』(1932年、中村妙子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1978年)所収。同書の訳者解説では、第四話「舗道の血痕」が『白昼の悪魔』の原型と指摘されている。犯人の設定としては、そうだろう。同、339頁。

[xvii] イズレイル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』(1891年、吉田誠一訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1980年)。

[xviii]金田一耕助の帰還』、250頁。