横溝正史『迷路荘の惨劇』

(本書の犯人、トリック等のほか、坂口安吾『不連続殺人事件』、アガサ・クリスティ『ナイルに死す』のトリックに触れていますので、ご注意願います。追記:不正確な部分がありましたので、修正しました。2024年1月21日。)

 

 『迷路荘の惨劇』(1975年)[i]は、改稿魔とでもいうべき横溝正史が、最後から三番目に発表した長編ミステリである。原型は、昭和31年(1956年)に雑誌掲載された「迷路荘の怪人」[ii]で、それを中編に書き伸ばした同名作品[iii]が、昭和34年(1959年)になって、東京文藝社から『金田一耕助推理全集5』として刊行された模様だ[iv]。『惨劇』は、中編版「怪人」を更に長編に引き伸ばして、堂々文庫版で500頁に迫る大作[v]に仕上げたものである。

 『惨劇』の初版の帯には、「絶版の中編〝迷路荘の怪人″200枚を骨格とし、・・・800枚の書下し作品となった」と記されており、中短編の長編化の一編であることは理解していたが、まさか短編から中編、そして長編と、ホップ・ステップ・ジャンプの三段跳びミステリだったとは想像もしていなかった。改稿大好きヨコセイにしても度が過ぎており、一体全体、なんでそんなにしつこいのか、まず興味津々である。

 著者の告白によれば、「かつて単行本として刊行された中編物のなかに、一編だけ意にみたぬものがあり、その後絶版にしておいた小説」[vi]を長編にしたのが『惨劇』だというのだが、意に満たぬものは他にもあるでしょ、などという嫌味は抜きにして、そこまで執着していたとは、作家の執念というものには驚かされる。「尻すぼみだった」[vii]というのが、理由のようだが、さすがに、一度短編を中編に改稿していながら、それをさらに長編に、それも十数年もたってからとは、無論、横溝ブームの後押しによるとはいえ、正史の全作品のなかでも、他には見当たらないのではないだろうか。

 この横溝の強い拘りの要因は、どうやら本作品の構想なりアイディアなりに、自信を持っていたからだったと思われる。自信あればこそ、中編に改稿しても、まだ飽き足らず、執筆の機会を得たことで、それならあれを満足できるものにしようと決意したのだろう。

 あいにく、最初に読んだのは、もう随分昔になるが、そのときは「なんか面白くねエなあ」と、寝っ転がって腹をかきながら、うそぶいたのを思い出す。というのは、もちろん冗談だが、面白くなかったのは本当である。話は派手で、迷路荘ならぬ名琅荘という、抜け穴やどんでん返しがいたるところにある忍者屋敷のごとき邸宅で次々に登場人物が殺されていく。地下道や地下洞窟まで出てきて、『八つ墓村』のような地下迷宮のスリルまであるとなれば、つまらぬわけがないのだが、事件そのものがやたらと複雑で、(おのれの読解力のなさを告白するようなものだが)真犯人が誰なのか、一読しただけでは頭に入らなかった。一体誰が誰を殺そうとしているのか、誰が誰に殺されたのか、読み終わっても、すぐには整理がつかないほどゴタゴタしているのである。

 そんなこともあって再読する気にならず、しかも上で述べたように500頁近くもあるので、なかなか手を伸ばせなかったのだが、思い切って短編、中編、長編を順番に読み返してみた。三作とも読めるようになったとは、実に良い時代になったものだが、短編および中編版を発掘してくれた浜田知明氏には、まったく感謝のほかはない。

 それで、読み直した感想は、というと――。

 感動した!よく頑張った!じゃなくて、感心した。それも、すごく。

 これは、相当に考えられている。考え抜かれている。横溝がこだわったのも無理はない。あえていえば、『迷路荘の惨劇』は、『犬神家の一族』などと比べても、はるかに独創的で野心的なミステリである。

 どこがそうかを述べるには、まず内容を見ていく必要がある。富士を見晴らす迷路荘は、伯爵の古舘種人が建てた広壮な建物で、あとを継いだのが息子の一人である。ところが一人は、日頃から妻の加奈子と遠縁の尾形静馬という青年との仲を疑い、ついにある日、激情にかられて日本刀で加奈子を切り捨てるという惨事を引き起こす。一人は静馬の片腕も切り落とすが、逆に殺されてしまい、逃走した静馬は屋敷の裏手にある洞穴に飛び込むと、そのまま行方知れずになってしまった。

 一人には先妻との間に一人息子の辰人がいるが、戦後の激動で身分も財産も失い、迷路荘まで手放し、おまけに妻の倭文子を、屋敷を買い取った闇成金の篠崎慎吾に奪われる羽目となる。そして、かつての一人伯の惨劇から二十一回忌に当たる昭和25年10月、慎吾は、今ではホテルとして開業を間近に控えた迷路荘に、辰人のほか、彼の叔父にあたる天坊邦武、加奈子の実弟で、辰人との結婚以前に倭文子の恋人だった柳町善衛などの因縁浅からぬ人々を招待する。一方、迷路荘では、かつて種人の愛妾だった糸という老婦人が今でも健在で采配をふるっているが、年忌の数日前、慎吾と思しき人物から電話で、知り合いが迷路荘に宿泊するとの連絡が入る。その男真野信也は黒眼鏡にマスクの謎の人物で、しかも片腕がなかった(ように見えた)。実は、迷路荘の周辺では、以前から片腕の怪人物が何度も目撃されており、尾形静馬がまだ生きていて、古舘家に復讐しようとしているのではないかとの噂が絶えなかったのである。真野という怪人物は客室に通されると、いつの間にか姿を消しており、部屋は内部から鍵がかけられたまま空っぽになっていた。

 不吉な予感を抱いた慎吾が招き寄せたのが金田一耕助で、ここから、いよいよ「迷路荘の惨劇」が開始される(金田一が来たからというわけではない。誤解のないように)。

 まず辰人が、屋敷のわきにある倉庫のなかで、馬車に乗せられた絞殺死体となって発見される。異様なことに、彼の左腕はベルトで体に固定され、まるで片腕が失われているかのようだった。次いで、金田一らが、真野が消えた客室の暖炉から地下道に潜入している間に、隣の客室に寝泊まりしていた天坊が浴槽に浸かったまま息絶えていた。死因は溺死で、部屋は内側から鍵がかけられ、マントルピースの上に置いてあるという密室である。しかも、この部屋には、秘密の通路は存在しない。次に、姿が見えなくなっていた女中のタマ子が地下迷路の中で絞殺死体となって見つかる。最後は、慎吾が就寝中に、床の間に隠された抜け穴から何者かに銃で撃たれ、隣に寝ていたはずの倭文子は地下道に連れ去られる。警察が捜索すると、撃ち殺された倭文子の死体と崩れた岩の下敷きとなった柳町を見つける。彼の手には、慎吾を狙い、倭文子を殺害した凶器の銃が握られていた。

 これがほぼ二日間の出来事なので、何しろもう、てんやわんやである。天坊殺しの密室は、針と糸を使った古くさいトリックの流用なので、取り立てて言うこともないが、この密室殺人とその後の地下洞窟の探索と追跡が、新たに書き加えられた場面で、全体の半分近くを占めている。短編版および中編版「怪人」は、いずれも、辰人殺しのあと、すぐに慎吾に対する殺人未遂が起こり、倭文子と柳町の死の謎へと展開するので、本来の構想が「辰人殺し」と「慎吾の殺害未遂」および「柳町による倭文子殺し」にあることは明らかである。「天坊殺し」と「タマ子殺し」は付加的な殺人ということになる。

 本編は、そもそも『まぼろし館』という題名で、昭和25年1月から『宝石』に連載を予告していた長編小説がオリジナルもしくは元になっているのだという[viii]。当時の作者の連載予告によると、新作長編は、『獄門島』から『八つ墓村』へと、次第に「草双紙」ないし「伝奇小説」的になっていたものを、もう一度本格ミステリに引き戻して、「謎の面白さと、論理的な正確さ」を重視した作風へ回帰するものにしたい[ix]。つまり『本陣殺人事件』のような作品を、ということだったらしい。作者の意欲のほどが伝わってくるが、戦後の没落華族の世界を描いたものとしては他に『悪魔が来りて笛を吹く』があり、同作で重要な役割を果たすフルートは、本作でも柳町をフルート奏者とすることで活用されている。さらに密室のトリックにしても類似性があって(注でトリックに触れていますので、ご注意ください)[x]、横溝が言う謎と論理に重きを置いた長編『まぼろし館』とは『悪魔が来りて』だった可能性もあるようなのだが[xi]浜田知明が示唆するように、『まぼろし館』から『悪魔が来りて』と『迷路荘』双方が派生したのだとすれば、先に述べた作者の本編に対する自信らしきものの因って来たるところがわかるのではないか。

 そこで、本作の「謎の面白さ」とは一体何かということであるが、基本構想となるのは、辰人と倭文子の共犯トリックである。

 辰人と倭文子は、慎吾の財産を狙って、わざと離婚し、倭文子は慎吾と結婚する。次に、辰人が慎吾を殺害し、遺産を相続した倭文子と再婚するという計画なのである。それを緒方静馬の犯行に見せようとしたのが、あの異様な死体の状況のわけだった。

 こう書けば、ミステリ愛好家には一目瞭然だが、これは坂口安吾の『不連続殺人事件』(1947-48年)の基本構想と同じであり、『不連続』の元ネタになっているアガサ・クリスティの『ナイルに死す』(1937年)の基本構想と同じである。

 もちろん、『不連続』や『ナイル』と同一の発想だから、素晴らしいとかいうのではない。それでは二次使用、三次使用に過ぎない。『迷路荘』が独創的なのは、殺人を計画した辰人と倭文子の二人組が、結果的に、犯人ではなく被害者になってしまうところにある。もともと『不連続』や『ナイル』の共犯トリックは、あっと驚く意外性で評価されるが、反面、持って回った、およそ現実にはありそうもない不自然なトリックでもある。『迷路荘』とは、すなわち、その複雑なトリックを弄する犯人たちが、逆に殺されてしまうというミステリである。殺そうと企んでいる者たちが殺される、逆転の発想が『迷路荘』の基本アイディアで、『不連続』と『ナイル』のトリックを下敷きにしながら、この共犯トリックが破綻する様を描いたところに独自性がある。

 さらに別な観点を加えれば、本作における真犯人である柳町は、偶然に辰人の殺人の予行演習を目撃し、乱闘の末、辰人を殺してしまう(実際は死んでいなかった)。かつて恋人だった倭文子の隠された本性を知った柳町は、彼女を殺して自らも命を絶つ決意をする。そして、柳町の辰人殺しを偶然目撃したのが糸で(目撃しすぎです。偶然ではなく、もはや必然です)、彼女もまた、辰人への憎悪から共犯者となって柳町を助け、自らも手を下す。すなわち、横溝得意の事後工作者でもあるのだが、『迷路荘』は、辰人と倭文子の殺人計画者コンビが、柳町と糸の殺人実行者コンビに敗北する、共犯者トリックの弁証法的統一、「迷路」のごとき複合化に挑戦した作品である。

 これだけ入り組んだプロットは、一朝一夕には出来上がらない。どうやってこんなややこしいプロットを思いついたのかわからないが、考えに考え抜いて生み出したものなのだろう。意気込んで取り組み、幾度も改稿を試みたのも意外ではない。それだけ自信のある作品だったのだ。

 ただし、練りに練った構想の小説だからといって、出来上がった作品が傑作になるとは限らない。中編版のどこが不満だったのか明確ではないが[xii]、「怪人」の場合、クライマックスの慎吾銃撃場面と地下洞窟での死体発見のあたりが、ややあっけない印象はある。『惨劇』では、この殺人未遂事件に至るまでの地下洞窟における捜索と追跡の場面が大幅に加筆されていることを見ても、山場をもっと劇的に盛り上げたいという気持ちがあったのだろう。長編版は、登場人物のほぼすべてに役を割り振るサーヴィスぶりで(大半が殺されるので、本人たちにとってみれば割に合わないが)、そのせいでか殺人大安売りになって、上記のメイン・アイディアが、かえって伝わりにくくなったように思われる。「尻すぼみ」が不満で改稿したものの、ドラマティックな効果を狙って、横溝本来の持ち味である物語要素を強調した結果、逆に本作の特色を目立たなくさせてしまったとすれば、いささか皮肉である。浜田が「謎解きの一点へと進行していく収束感は、この中編版が最も充実している」[xiii]と適確に指摘しているように、本作の狙いが最もよく伝わるのは、中編版「怪人」だろう。

 そもそも、本作が、『八つ墓村』や『犬神家の一族』のように代表作とみなされていない(らしい)のは、横溝の長編書下ろし作品が一段低いものとされ(そんなことはない?)、侮られる傾向にあるのを別にしても、捻りすぎたプロットのせいもある。やはりアイディアはシンプルなほうが効果がある。『迷路荘』の場合、『不連続』や『ナイル』がまずあって、そのうえにトリックをかぶせるトリック(この本家取りの手法は、江戸川乱歩に習ったのだろうか)なので、もともと複雑な共犯のトリックが、さらに複雑になって、わかりづらいものになってしまった。これも浜田が指摘するように[xiv]、本書の「論理的な正確さ」を代表すると思われる、辰人と倭文子の共犯関係を暴く推理[xv]が、中編版「怪人」に比べ、『惨劇』ではあまり強調されず[xvi]金田一の推理全体が憶測と当てずっぽう(といっては、可哀そう?)に終始するのも、物足りなく思わせる。速水譲治という新しい登場人物を創造して、幾つもの重要な役回りを与えたのは、物語としてのふくらみを出すには効果的だったが、『迷路荘』が本来目指していたと思われる「謎と論理」の要素を減殺するデメリットをもたらしてしまったともいえる。そこは、作者の計算が狂ったというべきだろうか。

 ただし、複雑であることが悪いわけではない。本書の核となる構想自体、すでに充分複雑だが、作者は考えに考えぬいて書いているのだから、読むほうも頭を働かせて気を入れて読まなければならない(ミステリの読書に、そんな苦行を課すこともないのだが)。再読して、ようやく本書の真価が分かったが、つくづく思うのは、横溝は頭が良すぎる。ついていくだけで大変だ。

 

 本作は、改稿を繰り返したことで、短編版、中編版そして長編版それぞれに長所とデメリットが見て取れる。しかし、読みごたえからいっても、やはり長編が完成稿だろう。その発想には特筆すべきものがあり、他の代表作に劣らぬオリジナリティを有しているといえる。

 そして、最後にもうひとつ付け加えるとすれば、本作もまた坂口安吾の存在を抜きにして語ることはできないだろう。『夜歩く』や『八つ墓村』について言われてきたのと同様に、安吾の『不連続殺人事件』が昭和20年代半ばの正史に与えた影響力の大きさを感じさせるのも『迷路荘の惨劇』の特徴である。

 

[i] 『迷路荘の惨劇』(東京文芸社、1975年)。

[ii]金田一耕助の帰還』(出版芸術社、1996年)、199-238頁。

[iii] 『迷路荘の怪人』(出版芸術社、2012年)、99‐222頁。

[iv] 島崎 博編「横溝正史書誌」『横溝正史 本陣殺人事件・獄門島』(『別冊幻影城』、1975年9月)、337頁。

[v] 『迷路荘の惨劇』(角川文庫、1976年)。

[vi] 『真説金田一耕助』(毎日新聞社、1977年)、28-29頁。

[vii] 同、29頁。

[viii] 『迷路荘の怪人』、229-230頁(浜田知明による「解説」)、234-38頁(「付録資料」のうち「新年号予告 新連載長篇小説 まぼろし館作者の言葉」および「陳謝をかねて-今年の抱負」)。

[ix] 同、237-38頁。

[x] 両作とも、ドアの上に通風用の小窓があって、トリックに利用される。ただし、『迷路荘の惨劇』の密室は、新たに加筆された部分であって、最初から構想に入っていた可能性は低そうだ。

[xi] 『迷路荘の怪人』、229-30頁参照。

[xii] 同、228頁参照。

[xiii] 同、228頁。

[xiv] 同、230頁。

[xv] 同、215、221頁。

[xvi] 『迷路荘の惨劇』、260頁。