「密室講義」へと向かう三人の作家:カー、ロースン、乱歩

(『三つの棺』、『帽子から飛び出した死』の密室トリックを、はっきり明かしてはいませんが、かなりばらしています。それ以上に、『黄色い部屋の謎』、モーリス・ルブランの短篇小説のトリックを明らかにしていますので、くれぐれも、ご注意願います。)

 

 ジョン・ディクスン・カーの『三つの棺』(1935年)[i]といえば、「密室講義」であるが、これに触発されて、クレイトン・ロースンは『帽子から飛び出した死』(1938年)[ii]で密室トリック分類を更新し、江戸川乱歩は「類別トリック集成」(1953年)[iii]を書いた。

 その後も、密室トリックの分類について、多くの人たちが考究しているらしいが、いちいち調べるのも面倒なので無視することにする。そもそも、私は密室トリックの分類に興味があるわけではない。あるのは、カーが「密室講義」で、いかに読者を瞞着しようとしたか、そのテクニックについてである。

 ミステリ作家が、作品のなかで、純粋に客観的にトリックについて分析論究するなどと、本気で信じている読者はいないだろう。『三つの棺』は小説であって、研究論文ではない。「密室講義」は学究的な貢献のためにあるのではなくて、ただ読者を手玉に取ることが目的である[iv]

 「密室講義」のなかで、カーは、密室トリックを「犯人が密室内にいなかったケース」と、「犯人が密室内にいたケース」すなわち「ドアや窓を内側から施錠したようにみせかけるケース」の二つに分類している。次いで、それぞれのケースごとに当てはまる既存の小説を挙げているのだが、『三つの棺』自体のトリックは、第一のケースに相当する。それを第二のケースであるかのごとく思わせるのが「密室講義」の目的である。

 具体的には、『三つの棺』では、被害者が致命傷を負って密室(自宅の自室)に入り、施錠した後死亡する(実際は、この被害者は加害者でもあるのだが、そこを説明しているとややこしくなるので「被害者」で統一する)。その際、別人(仮面をつけた怪人物)に扮装して密室に入ったため(上記のように、加害者なのでいろいろ変なことを計画していた)、密室が開かれると、扮装を解いた被害者ひとりが倒れて発見される、という状況設定である。

 このトリック自体は前例がある(後述する)。しかし、その原型作品は、当然のことながら「密室講義」には取り上げられていない。そこにまず作者のごまかしがあるのだが、もちろん元ネタのトリックをそのまま借用したのではなく、あるいはパクリと決めつけられないように、あれこれ小細工を弄して涙ぐましい努力を重ねている。さらには『三つの棺』のトリックが第二のケースであると思わせるために、登場人物に熱弁をふるわせている[v]。読者は、ここで、こいつはクサいぞ、と疑わなくてはいけない。

 

 『三つの棺』から三年後に書かれた『帽子から飛び出した死』は、カーの基本的分類方法をそのまま用いているが、第一の「犯人が密室内にいなかったケース」に新しく一項目を加えている。しかもロースンは、わざわざ作中探偵のマーリニに「これがいちばん巧妙なトリックでしょう」[vi]と言わせているのだが、実は、それが『三つの棺』のトリックなのである。このトリックは、しかし、カーが第一のケースの筆頭に挙げている「殺人ではないが、偶然が重なって殺人のようにみえるもの」[vii]に含めようと思えば含めることができる。部屋が密閉される前に格闘があり、傷を負った被害者が夜中になって悪夢を見て悲鳴を上げると、そのとき襲撃があったと錯覚されるというもので、要するに時間差を使ったトリックである。このアイディアを空間に拡大(密室外で傷を受けた後、密室内に移動して絶命する)すれば、『三つの棺』になる。上記のトリックは、言うまでもなくガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』[viii]だが(カーは、堂々とタイトルまで挙げている[ix])、一方『三つの棺』の基になっている作品というのは、モーリス・ルブランの短篇「テレーズとジェルメーヌ」[x]である。致命傷を受けた被害者が、密室に入って部屋を密閉してから死亡するという話で、つまり、『黄色い部屋』も「テレーズとジェルメーヌ」も基本的な原理は似通っている。が、当たり前だが、カーはルブランの短篇は引用していないし、このトリックを「密室講義」の分類のなかに含めてもいない。学生時代に留学していたくらいフランス好きのカーが、「テレーズとジェルメーヌ」を知らないはずがない。もちろん、意図的にタイトルを伏せたのである。

 ロースンも、ルブラン短編のタイトルを挙げていないが、そもそも『帽子から飛び出した死』のほうは、(ミステリのルールを守って)作品名を記していないので、ルブランが例外なわけではない。無論、「テレーズとジェルメーヌ」のトリックが『三つの棺』の原形であることは承知していたはずで、このトリックを分類に加えたのは、カーに敬意を表してというより、「密室講義」を更新するなら、当然、『三つの棺』(および「テレーズとジェルメーヌ」)のトリックを加えておくべきだと判断したからだろう。第一のケースに含めたのは、無論それが正しい位置だからであるが、同時に、カーの狙い(ミスディレクション)を理解して、尊重したということだろう。

 なお、ロースンは、もうひとつ、新しい項目として、犯人が犯行後もそのまま密室内にとどまって、死体が発見されたあとに脱出する、という方法を挙げている。このトリックを三番目のケースとして新たに設けているのだが、これは第二のケースの一項目、すなわち「犯人が密室内にいたケース」の新項目とみることもできる。・・・いけない、分類に興味ないと言いながら、余計な意見を挟んでしまった。

 このトリックに、カーが気づいていなかったのかはわからないが、見落としていたとすれば、ロースンのほうが密室の分類に真面目に取り組んでいた、あるいは、ミステリをよく読んで調べていたということになるだろう。しかし、もし気づいていたとしても、カーが、この「密室内に留まる」トリックを第三のケースとして独立させることはなかっただろう。ミスディレクションは仕掛けが単純なほうが効果が大きい。AかBかCのいずれか、というより、Aと思わせてB、というほうがシンプルでわかりやすい。

 ついでに付け加えると、『帽子から飛び出した死』は、この第三のケースをレッド・ヘリングとして、つまり、正解ではないが可能性のあるトリックのひとつとして挙げるにとどまっている(つまり、真相とは関係ない)。同書で実際に使用されているトリックというのは、第二のケースの「施錠トリック」のうちの二種類を組み合わせたもので[xi]、それはそれで、よく考えられている。しかし、むしろ、上記の「犯人が密室内にとどまる」トリックを採用して、犯行後も犯人が十数時間も密室内に残っていることなどありえないという作中人物の発言[xii]を覆す解決、つまり、犯人が密室内にとどまらなければならなかった合理的な理由を案出していれば、ものすごい傑作になっていただろう。もっとも、そうした心理的解決方法は、ロースンのような奇術師出身のミステリ・ライターには、馴染まない発想だったかもしれない[xiii]

 さらについでに、ひとつ疑問を述べると、ロースンは、何が目的で『帽子から飛び出した死』のなかで「密室分類」を試みたのだろうか。カーが「密室講義」を書いたのは、ミスディレクションのためだが、ロースンの場合、トリックを活かすために必要だったとも思えない。単に、こういう作業が好きだったのか、それとも、ロースンの案出したトリックは、(ロースン自身がマーリニに言わせているように)カーの分類の二つの項目を組み合わせたものなので、つまり、「密室講義」を読んでいて思いついたものなので、種明かしのつもりだったのだろうか。

 

 最後に乱歩の「類別トリック集成」は、密室トリックを、カーに倣って「犯人が密室内にいなかったもの」と「犯人が密室内にいたもの」の二つに分類している[xiv]が、ロースンのように、カーにはなかった新しい第三のケースを設けている。「被害者が密室内にいなかったもの」という項目で、上記のルブランの短篇をそこに入れているのである[xv]。つまり、密室外で致命傷を負った被害者が密室に入った後に死亡するので、「被害者が密室内にいなかった」というのだが、これは、ロースンが(カーの意を汲んで?)第一のケースに分類したことに、わざわざ異を唱えたことになる。恐らく「被害者が密室内にいなかったもの」という言い回しが、いかにもミステリっぽく謎めいているので[xvi]、つい使ってみたくなったのだろう(邪推かな?)。乱歩を侮るつもりはないが、どうやら『三つの棺』の「密室講義」がミスディレクションになっていることに、乱歩は気づかなかった模様である。

 乱歩は、「密室講義」がきっかけで、それを「類別トリック集成」にまで拡大したが、その目的は、謎解きミステリを書くための材料探しという、はなはだ実用的な理由だったらしい(横溝正史との対談で、そう語っている。もっとも、続けて「そういうことをやっていることが、書けん証拠かもしれん」とも打ち明けていて、そら、そうだろう、と思わせる[xvii])。

 乱歩が書けなかったのは、トリックの問題ではなくて、小説に対する意欲の有無だったのだろうが、いずれにしても、こういうことを大真面目にできるのが乱歩の愛すべきところでもあり、偉大なところであるのだろう(密室分類に興味ないなどといって、すみませんでした)。

 

 最後に余計な意見だが、乱歩の稚気は微笑ましいものの、「密室講義」は、私たち読者をだまくらかして笑おうとカーが適当にでっち上げたものなので、あまり有難がっても仕方がない。真剣に捉えすぎないことが肝心である。

 

[i] ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』(加賀山卓朗訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2014年)、294-306頁。

[ii] クレイトン・ロースン『帽子から飛び出した死』(中村能三訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1976年)、169-74頁。

[iii] 江戸川乱歩「類別トリック集成」『続・幻影城』(光文社、2004年)、158-243頁。

[iv] 学術研究といえども、完璧に客観的な研究を行っているわけではなく、多かれ少なかれ意図的なデータ操作をしているということは承知しています。

[v] 『三つの棺』、301-303頁。

[vi] 『帽子から飛び出した死』、170頁。

[vii] 『三つの棺』、295頁。

[viii] ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』(宮崎嶺雄訳、創元推理文庫、1965年)。

[ix] 『三つの棺』、295頁。

[x] モーリス・ルブラン「テレーズとジェルメーヌ」『八点鍾』(1923年、堀口大學訳、新潮文庫、1961年)、88-127頁。断るまでもないが、アルセーヌ・リュパンものの短篇である。カーは、リュパンものの短篇小説集(『八点鍾』ではない)を、『三つの棺』と同年刊行の自作のなかで挙げている。『一角獣の殺人』(田中潤司訳、創元推理文庫、2009年)、131頁。

[xi] 『帽子から飛び出した死』、171-72頁。

[xii] 同、174-75頁。

[xiii] わたしはたいして面白いと思わないが、エドワード・D・ホックの「長方形の部屋」の解決などが思い浮かぶ。

[xiv] 「類別トリック集成」、183-89頁。

[xv] 同、189頁。

[xvi] 同、189頁参照。

[xvii] 「『探偵小説』対談会 VS江戸川乱歩」(1949年)、横溝正史横溝正史の世界』(徳間書店、1976年)、81-82頁。