ムーディ・ブルース『イン・サーチ・オヴ・ザ・ロスト・コード』

 『失われたコードを求めて(イン・サーチ・オヴ・ザ・ロスト・コード)』は1968年7月にリリースされたムーディ・ブルースの通算3枚目の、メンバー交代後では2枚目のアルバムである。『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』からわずか8か月後というのが驚く。すでに1968年1月にはレコーディングが開始されていた[i]というから、彼らのやる気が伝わってくる。

 『フューチュア・パスト』は、「ロックとクラシックの融合」という、レコード会社から提示されたテーマに基づくアルバムで、タイトルもデッカが考案したものだったという。ムーディーズの演奏だけであれば、結構チープなものになっていただろうが、ロンドン・フェスティヴァル・オーケストラの豊かな演奏がアルバムをアートの香り漂う格調高い作品に高めていた。しかし、2枚目の本作はそういうわけにはいかなかった。バンドの責任ですべてこなさなければならず、その覚悟が結果となって現れたといえる[ii]。曲がフェイドアウトすると次の曲がフェイドインしてくるメドレー形式を取ったのも本アルバムが最初である。曲をパート・ワン、パート・トゥーに分ける、いかにもトータル・アルバムっぽい演出も含めて、本アルバムでムーディ・ブルースの新しいアルバム・スタイルが固まった。

 テーマに「旅」を設定したのも『ロスト・コード』からで、以後、様々なかたちの「旅」を描くアルバムを制作していくことになる。本作は、精神世界の探求[iii]と評されているが、直接的にはインドへの旅だろう。インドは、長くイギリスの植民地であり、インドからの移民も、インド帰りのイギリス人も多かった。1960年代のロック・バンドにとっても、もっともお手軽に手の届くところにある神秘な異世界だったと思われる。シタールなどの楽器を用いたインド音楽が、サイキデリック・ミュージックやヒッピー文化などとともに、ブリティッシュ・ロックに取り入れられたのも不思議ではない。

 シタールを最初に使ったのはヤードバーズだった[iv]というが、広く普及させたのは、もちろんビートルズだろう。1965年の『ラバー・ソウル』収録の「ノルウェーの森」で初めて使用されると、主にジョージ・ハリスンシタールを使って、インド音楽を模したオリジナル曲を作曲していった。しかし、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年)の「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」を頂点として、以後ハリスンはインド音楽から次第に離れていき、ビートルズ自身もインドへの興味を失っていく。1968年11月発売の『ザ・ビートルズ』では、ほぼインド音楽シタール等の楽器の存在は消え失せ、あれだけ「インド、インド」と言っていたのは何だったのか、という状態になる。

 つまり、1968年になると、もはやインドはトレンドではなくなりつつあった。そこにムーディ・ブルースがインドをテーマに『ロスト・コード』を発表したというわけで、全然プログレッシヴではないだろうという話である。もっとも、1968年2月にビートルズ全員が家族を連れてインドを訪問したことが音楽ニュースで話題になったくらいなので、表面上は、まだまだインドも、ヒッピーも、サイキデリックも、若者の関心を引くトピックではあったのだろう。『ロスト・コード』では、とくにジャスティン・ヘイワードが、シタールなどの楽器を担当して、それらしい雰囲気を醸し出している。

 インストルメンタル・パートに力が入っているのも特徴で、ティモシー・リアリィをテーマにした「レジェンド・オヴ・ア・マインド」や、まさにインドがテーマの「オーム」といった、アルバムの核となる曲で、フルートとメロトロンを縦横に駆使したサイキデリック風の演奏を長々と聞かせている。これも、前作のようにオーケストラに頼るわけにはいかないという理由から、インストルメンタル・パートの強化をはかった結果だろう。

 このように、ムーディーズは、『ロスト・コード』で本当の意味での再スタートを切ったといえる。流行りに乗っかった格好ではあったが、『フューチュア・パスト』で手を付けたコンセプト・アルバム制作の道を本格的に歩み始めることになって、先行するビートルズとの違いも露わとなっていく。

 脇道にそれるが、ビートルズの場合は、『サージェント・ペパーズ』も、ある意味窮余の一策だったように思われる。『ラバー・ソウル』を最後に、ジョン・レノンが「ビートルズらしい楽曲づくり」に関心を失い始め、続く『リヴォルバー』で、それがあからさまになった。バンド運営を任されたかたちのポール・マッカートニ―が、レノンの力を引き出すために、彼が興味を持っていそうなサイキデリック・ミュージックをテーマにアルバム制作を持ち掛けたのが『サージェント・ペパーズ』だったと推測される。しかし、その次の『マジカル・ミステリ・ツアー』では、レノンの個人主義がさらに進行し、以後、マッカートニーは、アルバム制作を、楽曲重視から企画優先へと方針転換する。『マジカル・ミステリ・ツアー』はEPレコード二枚組という変則的なダブル・アルバムだったが、その次が、正真正銘LP二枚組の『ザ・ビートルズ』、サウンドトラックの『イエロー・サブマリン』を挟んで、(没になったが)スタジオ・ライヴの『ゲット・バック』、そしてラスト・アルバムそのものをテーマとした『アビー・ロード』と、内容よりもスタイルを重視した企画アルバムが続いた。それでも内容も素晴らしいというのが、さすがビートルズではあるが、『サージェント・ペパーズ』で切り開いたコンセプト・アルバムの追求は事実上放棄され、その課題は他のバンドに譲り渡されることになる。そのうちのひと組がムーディ・ブルースだったわけである。

 『ロスト・コード』に戻ると、バンドは6月までレコーディングを続け、7月には発売と、またしても急ピッチで仕上げられ、フィル・トラヴァースのジャケットに飾られて、レコード・ショップに出荷された。左に髑髏、右に胎児をデザインしたアルバム・ジャケットは、あまり趣味が良いとは思えないが、『フューチュア・パスト』の抽象的なイラストに比べ、インパクトはあった。ジャケットのせいでもないだろうが、アルバム・セールスは好調で、イギリスでは5位まで上昇、ついにムーディーズは、デビュー5年目でトップ・バンドの仲間入りを果たした。アメリカでは23位だったが、『フューチュア・パスト』も上昇し、シングル「チューズデイ・アフタヌーン」もヒットした。念願だったトップ・アーティストの座も、まんざら夢ではなくなった。これが、ムーディ・ブルースの1968年だった。

 

1 Departure (Edge)

 『フューチュア・パスト』の荘重なポエム・リーディングとはうって変わって、演劇的な語りで始まる。グレアム・エッジの作品だが、ナレーターはてっきりジャスティン・ヘイワードだと思っていたら、珍しく本人らしい[v]。ぼそぼそ声のあと、段々声が引きつって、最後の狂笑は、いかにもサイキデリック的。間髪を入れず、かぶさってくるドラミングがスリリングで、前作よりもロック的な入りだ。

 

2 Ride My See-Saw (Lodge)

 ジョン・ロッジならではのスピード感あふれるロック・ナンバー。間奏のヘイワードのギターは何となくダサいが、聞きものは何といってもコーラスである。レイ・トーマスバリトンとロッジのファルセットが一体となって、重々しくも、軽やかに疾走する。まさにムーディ・ブルースの最大の売り物といえる。

 曲自体は大したものではないが、アメリカでシングル・カットされ、最高61位。順位も大したことはなかったが、その後、現在に至るまで、コンサートのアンコール曲として知られる。ある意味、「サテンの夜」とともに、彼らを代表するナンバーである。

 

3 Dr. Livingstone, I Presume (Thomas)

 旅がテーマということで、探検家のリヴィングストンをテーマにした曲を書いたのがトーマス。シリアスな曲が多かったから[vi]、ということだが、彼らしい軽快でポップなメロディの楽曲。

 トーマスのヴォーカルも飄逸さと諧謔味を交えて、快調に飛ばす。彼の個性が段々と発揮されてきているということだろうか。こういった、どこかユーモラスでシニカルな曲調は、『サージェント・ペパーズ』とも共通するブリティッシュ・ロックならではのものだろう。

 

4 House of Four Doors (Part 1, Lodge)

 エッジの詩を除いて、本アルバムでは、Aサイドがトーマスとロッジ、Bサイドがヘイワードとマイク・ピンダーの楽曲で、ソング・ライティングの区分けがはっきりしている。ヘイワードはもちろんだが、本アルバムで力量を見せたのがロッジだろう。「ライド・マイ・シーソー」に続いて、本作ではメロディ・メイカーとしての才を存分に発揮している。サビのメロディが「喜びの歌」みたいなのはご愛敬だが、非常にキャッチーなメロディの佳曲。

 後半、ドアを開くエフェクトから様々な楽器のインストルメンタル・パートが挿入されるのは、いかにもコンセプト・アルバムらしい趣向になっている。とくにピンダーのメロトロンは、もはやオーケストラは不要であることを印象づける。

 

5 Legend of A Mind (Thomas)

 アルバムで最初にレコーディングされた曲だという[vii]が、これまでになかった長い間奏部を含む。フルートとメロトロンが絡み合う演奏は、本アルバムでももっとも特徴的なパートで、トーマスの代表作として、その後もライヴの定番曲となった。

 曲自体はさほどのものとも思えないが、トーマスのソング・ライティングも急速に上達した感を抱かせる。インストルメンタル・パートを含めて、Aサイドの聞きもののひとつだろう。

 

6 House of Four Doors (Part 2)

 基本的に、パート1と同じで、最後はコーラスのリフレインでフェイドアウトしていく。はっきりいって、パート・ワン、パート・トゥーに分ける必然性は皆無だが、まあこれも演出のひとつということだろう。「ハーウス・オ・フォー・ドー」のコーラスが遠ざかるラストは余韻があって、アルバムA面の締めくくりには相応しい。

 

7 Voices in the Sky (Hayward)

 トーマスの東洋風なフルートに導かれて、ヘイワードのクールで毅然としたヴォーカルが聞こえてくると、まさにムーディ・ブルースを聞いているという気になる。2枚目のアルバムで、完全にムーディーズの声となったといえるだろう。

 楽曲も、サイキデリック風フォーク・ロックといったところだが、一般的なロックとも違うヘイワードの独特なメロディ・ラインが不思議な浮遊感を漂わせる。「サテンの夜」とはタイプは異なるが、これもヘイワードの傑作のひとつだ。とりわけ、サビで、ヘイワードのヴォーカルの背後に湧きあがるコーラスが美しい。

 

8 The Best Way to Travel (Pinder)

 もっともよい旅とは瞑想することだ、という、安上がりで疲れない旅行のすすめがテーマの曲。途中のサウンド・エフェクトなど、これもいかにもサイキデリック風なナンバー。ピンダーにしては小品で、後の「オーム」とは対照的。繋ぎのような位置づけだろうか。

 はっきり言って、後述の「シンプル・ゲーム」のほうが出来は遥かにいいのだが、ま、アルバムには合致しているのだろう。

 

9 Visions of Paradise (Hayward, Thomas)

 ヘイワードとトーマスの共作。この後も、しばらくの間、二人の共作曲がアルバムに一曲収録されるようになる。どこをどのように共作しているのか不明だが、ある意味「サテンの夜」も、間奏のフルートの印象的なソロなど、トーマスとの共作ともいえる。

 この曲もいかにもサイキデリック(ヘイワードがシタールを弾いている)、いかにも神秘的なアレンジで、波間か雲の間を漂っているような白日夢の世界(あるいはドラッグ体験)を表現しているようだ。とにかくメロディが美しい。

 

10 The Actor (Hayward)

 前作の「サテンの夜」や「チューズデイ・アフタヌーン」には及ばないかもしれないが、本アルバムにヘイワードが書いた3曲はいずれも彼の代表作に数えられる。なかでも際立つのが本作だ。(例によって)アルバムのテーマとは、あまり関係なさそうな曲だが、そんなことはどうでもよいと思わせる美しくドラマティックなナンバー。

 まるで雨粒が窓ガラスを伝うように、トーマスのフルートが、しっとりとした情感を漂わせながら、ゆるやかなテンポに乗って転がっていく。サビでは、ヘイワードの繊細だが力強い、そんな相反する特徴を合わせ持つヴォーカルが空間を満たして、どこまでも広がり、曲の魅力を倍加する。本アルバムでのベストの一曲といってよいだろう。

 

11 The Word (Edge)

 旅のクライマックスは、エッジのポエム・リーディングが露払いとなる。アルバムのテーマが固まって、ラストがピンダーの「オーム」と決まったところで書かれたのだろうか。それとも「オーム」という聖音をテーマにすると最初に決めて、そのテーマに従って、エッジが「ザ・ワード」を、ピンダーが「オーム」を、それぞれ書いたのだろうか。

「ふたつの符号からなるコード。それが私たちのわずかに理解すること。しかし、そのコードに到達することが私たちの生涯の目的である。ある人たちにとって、コードに名前を付けることは重要だった。そこで彼らはコードに呼び名を与えた。」最後の“The word is …”に続く“Om”の入りは、やはり絶妙だ。

 

12 Om (Pinder)

 ラストもインドへの旅に相応しい、サイキデリックでエキゾティックなナンバー。「失われたコード」とは、どうやらOmのようだ。

ピンダーとトーマスのバリトン勢の掛け合いから、コーラスの「オーム、オーム」のコーラスは圧巻。今や、本アルバムのテーマ自体は陳腐になったが、ムーディ・ブルースの楽曲とコーラスの魅力は色褪せていない。

 

A Simple Game (Pinder)

 アルバムには収録されておらず、シングル「ライド・マイ・シーソー」のB面曲として、1968年にひっそり発表された。

 しかし、マイク・ピンダー畢生の傑作で、そりゃあ「ライド・マイ・シーソー」もシングル向きではあるが、なぜ、こちらを裏面にしたのか、不可解なくらいの名曲である。

 確かに『ザ・ロスト・コード』には馴染まなかったろうが、最初から最後まで必然性があるというか、これしかないというメロディ展開で、文句のつけようのない完成度を誇る。

 ムーディ・ブルースのシングルとしてはコマーシャルすぎると考えたのかもしれないが、これほどの楽曲をもったいない話だと思ったので、ここに入れておく。

 

[i] 1月13日に「レジェンド・オヴ・ア・マインド(ティモシー・リアリィ)」がレコーディングされた。In Search of the Lost Chord (2006)、マーク・パウエルによるライナー・ノウツ。

[ii] 2018年の50周年記念盤のマーク・パウエルの解説によると、シタールなどのほかにも、オーボエとかフレンチ・ホルンなど33もの楽器が使用されたという。The Moody Blues, In Search of the Lost Chord (50th Anniversary Edition, Universal Music, 2018), p.18.

[iii] 『失われたコードを求めて』(Wikipedia)。

[iv] 中山康樹ビートルズの謎』(講談社現代新書、2008年)、71-72頁。

[v] In Search of the Lost Chord (50th Anniversary Edition), p.26.

[vi] Ibid.

[vii] 註1を参照。