ムーディ・ブルース『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』

 ムーディ・ブルースは、プログレッシヴ・ロック(progressive rock)の先駆的バンドと位置付けられているが、本質的には、ビートルズを代表とする1960年代のブリティッシュ・ビート・バンドが発展的変化(progressive change)を遂げた事例である。

 1964年のビートルズアメリカ進出を契機に雨後の筍のように現れたビート・バンドは、ロック・ミュージックの市場拡大と新人バンドの大量参入に伴う競争の激化により淘汰され、変化を余儀なくされる。先陣を切ったのは、言うまでもなくビートルズ自身である。1967年6月の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』がその象徴だったことは言うまでもない。そして、そのあとを追ったのが、ムーディ・ブルースの『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト(Days of Future Passed)』(1967年11月)だった。

 ただし、ビートルズとムーディ・ブルースでは置かれた立場がまったく異なる。ムーディーズは、バーミンガム出身の5人からなるバンドで1964年9月にデッカよりデビューを果たした。2枚目のシングル「ゴー・ナウ」が全英1位、全米10位のヒットを記録し、一躍アニマルズやデイヴ・クラーク・ファイヴと並んで、ビートルズを追いかけるビート・バンドとして注目を集める。しかし、その後が悪かった。まったくヒットが続かず、1965年7月にリリースしたデビュー・アルバム『マグニフィセント・ムーディーズ(Magnificent Moodies)』のセールスも振るわなかった。1967年1月までに7枚のシングルを出すものの、最初の数枚がイギリスのチャートにかろうじて入るのが精いっぱい、1966年末には、ヴォーカルとギターのデニー・レインとベースのクリント・ウォーリクが脱退してしまう。バンドは解散か、あるいは抜本的な立て直しか、いずれかを迫られることとなった。

 ムーディーズは、バンド名のとおり、もともとリズム・アンド・ブルースをベースとするビート・バンドで、「ゴー・ナウ」もカヴァー・ヒットである。1965年にマネージャーがブライアン・エプスタインに替わり、同年のビートルズアメリカ・ツアーにも同行した[i]という。ビートルズの『ラバー・ソウル』(1965年)は、R&Bかぶれのビート・バンドを揶揄するタイトルといわれているが、その揶揄の対象にはムーディーズも含まれていたに違いない。

 しかし、1965年10月発売のシングル「エヴリデイ」はレインとマイク・ピンダー(キーボード)のオリジナルで、随分とポップになっている。1年後に発売された6枚目のシングル「ブールバード・ド・ラ・マドレーヌ」はさらにメロウになって、タイトル通りフレンチ・ポップ風でもある。翌年1月に発売されたレインの参加した最終シングル「ライフズ・ノット・ライフ」もソウル色の薄いポップ・ロックだった。すでに新しいサウンドを求めての模索が始まっていたのである。1966年末のコンサートでは、ピンダーのメロトロンとレイ・トーマスのフルートが起用された[ii]、という。

 脱退したレインとウォーリクに代わって、バンドに加わったのが、すでにレコーディング経験もあったギター/ヴォーカルのジャスティン・ヘイワードと、トーマスと同じバンドに所属していたベース/ヴォーカルのジョン・ロッジだった。この二人の参加が、その後のムーディーズの飛躍の鍵となる。

 とはいえ、1967年以降のムーディーズサウンドの要となったのは、やはりマイク・ピンダーのキーボード、とりわけメロトロンと、レイ・トーマスのフルートである。メロトロンもフルートも、すでにビートルズが実験的に使用していたが、ビートルズの場合は、いずれも楽曲に応じて使用するイレギュラーな楽器だった[iii]。それをパーマネントなパーソネルに加えたのがムーディーズの新機軸だったといえる。その後、キング・クリムゾンが1969年の『クリムゾン・キングの宮殿(In the Court of the Crimson King)』でムーディーズの楽器編成を基礎にしたことで、メロトロンとフルートがプログレッシヴ・ロック・バンドの標準仕様のひとつと見なされることになった。

 ドラムのグレアム・エッジを加えた五人で新たなスタートを切ったムーディーズは、2枚のシングル「フライ・ミー・ハイ」(1967年5月)と「ラヴ・アンド・ビューティ」(1967年9月)をリリースするものの、いずれもヒットしなかった。前者は、早速ヘイワードのオリジナルを採用したもので、軽快なギターと歯切れのよいヘイワードのヴォーカルが特徴だが、あまり印象に残らないフォーク・ロック。この後ムーディーズの個性となるヘイワードの独特の曲調もまだ見られない。ピンダーの「ラヴ・アンド・ビューティ」は、彼らしいマイナー調の美しい曲で、何といってもストリングスの代わりに使用されているメロトロンが聞きものである。コーラスとメロトロンの絡みなど、ほぼ後のムーディーズサウンドがつくられている。

 1967年9月、デッカ・レコードは、デラム・レーベルからロック・バンドによるクラシックのレコードを発売する計画を立てる。新しいステレオ・システムの宣伝のためだった。依頼を受けたのがムーディ・ブルースだったわけだが、本来であればR&Bバンドだったムーディーズに白羽の矢をたてるのはお門違いに映る。しかし、「ラヴ・アンド・ビューティ」のサウンドを考えれば、この指名もさほど意外ではなかったのだろう。提示されたクラシックはドボルザークの「新世界より」だったが、ムーディーズは、プロデューサーのトニー・クラークとオーケストラ・アレンジャーのピーター・ナイトを説得して、自作の楽曲セットを録音することを承諾させた、というのは有名な話である。こうして『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』のレコーディングが始まった。

 『フューチュア・パスト』組曲の制作が『サージェント・ペパーズ』に影響されたものなのかは、よくわからない。『フューチュア・パスト』の核となる「サテンの夜(ナイツ・イン・ホワイト・サテン)」は、すでに1967年5月のBBCでのレコーディング・セッションで演奏されている[iv]。しかし、「サテンの夜」が最初から『フューチュア・パスト』の一曲として作曲されたものかどうかはわからない。9月のBBCセッションでは、ロッジの「ピーク・アワー」が演奏されたらしいが[v]、このときにはすでに『サージェント・ペパーズ』は発売されている。

 しかし、いずれにせよ、ビートルズに続いて、ムーディ・ブルースがトータル・アルバムもしくはコンセプト・アルバムというロック・アルバムの新しいジャンルを追求し始めたのは確かである。しかも、ビートルズの場合は、コンセプト・アルバムといっても、もともとの曲順が変更されて現行のかたちになった、と言われるように、必ずしも緊密な構成をもってつくられたわけではなかった。それに対して、『フューチュア・パスト』は、コンセプトが「人の一生を一日の時間経過で表現する」というものなので、当然のことながら、曲順の変更がきかない組曲形式を取っている。その点が『サージェント・ペパーズ』から一歩進んだアイディアだったといえるだろう。

 もっとも、「サテンの夜」の歌詞が普通のラヴ・ソングであるように、『フューチュア・パスト』の楽曲を個別に見た場合、とくに深遠なコンセプトを掲げているわけでもない。あくまで、「朝」や「夕暮れ」などのテーマに即した歌詞になっているだけである。その点を考えると、曲が書けなかったエッジが代案として提出した詩の朗読が、ロックとクラシックの融合というコンセプトに相応しい「文学的な香気」をアルバムに与えていることは確かだろう。このポエム・リーディングも、ムーディーズが制作した一連のクラシカル・ロック・アルバムの特徴のひとつとなる。前述のキング・クリムゾンがメロトロンとフルートに加えて、詩人のピート・シンフィールドをメンバーに加えたことからも、ムーディーズのポエム・リーディングが「プログレッシヴ・ロック=文学的」というイメージづくりに与えた影響を推し量ることができる。

 『フューチュア・パスト』のレコーディング・データは、何度も再発売が繰り返されているにもかかわらず、未だに明らかになっていない。しかし、「チューズデイ・アフタヌーン」と「ドーン・イズ・ア・フィーリング」の別ヴァージョンが1967年10月24日に、「ザ・サン・セット」と「トワイライト・タイム」の別ヴァージョンが10月26日にレコーディングされたという情報[vi]からすれば、レコーディングが10月末まで行われ、翌月には出荷、という猛スピードで完成にこぎつけたらしい事実がうかがえる。

 実際、収録された楽曲は、構成もシンプルで、インストルメンタル・パートもほとんどない。ムーディーズの演奏は30分にも満たないもので、あとはピーター・ナイト指揮によるオーケストラがアルバムを彩っている。まさにロンドン・フェスティヴァル・オーケストラとの共演によって成り立っているアルバムといえる。

 作曲は、エッジの2編の詩を含めて、ピンダー、ヘイワード、ロッジ、トーマスが2曲ずつ、と実に民主的な平等ルールにより分担されている。エッジ同様、これまで作曲をしてこなかったトーマスが2曲を提供。一方、1966年まで、レインとともにすべてのオリジナル曲を作曲してきたピンダーと、すでにシングル2枚に曲を書いているヘイワードも、むしろ彼らの場合は2曲にとどめている、といったほうがよさそうだ。もうひとりの新メンバーのロッジも2曲と、この後もムーディ・ブルースは、楽曲提供における(暗黙の)ルール(?)によって、まれに見る平等主義ロック・バンドの名をほしいままに(?)していく。

 ところで、『デイズ・オヴ・フューチュア・パスト』の発表を機に、心機一転、新しいバンド名で再スタートしようという意見は、まったくなかったのだろうか。音の響きは良いかもしれないが、ムーディなブルースって。前述のキング・クリムゾンが、文学的で、いかにも意味ありげな(ちょっと、中二病っぽくはあるが)バント名なのに比べると、ムーディ・ブルース(?)、ダサっ、とは思わなかったのか。

 

1 “The Day Begins”

「モーニング・グローリィ(Morning Glory)」(G. Edge)

 「冷えた天球が夜を支配する。わたしたちの視界から色彩が失われていく」に始まる荘重な詩の朗読、それに先立つ4分を越えるオーケストラの演奏、これらは、いかにもこれまでのロック・アルバムとは異なる、新しいポップ・ミュージックの始まりを告げるイントロダクションとなった。オーケストラによる演奏曲は、「ドーン・イズ・ア・フィーリング」、「アナザー・モーニング」、「フォーエヴァアフタヌーン(チューズデイ?)」、「ナイツ・イン・ホワイト・サテン」のメドレーだが、いずれも違和感なく馴染んでいる点も注目すべきところだろう。

 

2 “Dawn”

「ドーン・イズ・ア・フィーリング(Dawn Is A Feeling)」(M. Pinder)

 『フューチュア・パスト』といえば、何といってもヘイワードの2曲だが、本作もアルバムを代表する楽曲といえる。ピンダーの作品のなかでも優れたもののひとつだろう。ヘイワードの「サテンの夜」と三連符を用いた曲調が似ているのも興味深い。どちらかがどちらかに影響を与えたのだろうか。それとも偶然なのか。

 ヴァースをヘイワードが歌うが、コーラスではピンダーに代わり、二人が交互にヴォーカルを取る珍しい例となっている。

 

3 “The Morning”

「アナザー・モーニング(Another Morning)」(R. Thomas)

 トーマスらしく、フルートの軽快な演奏で始まる。フルート奏者らしいというか(?)、まるで練習曲のようなシンプルな曲だが、作曲に慣れていないトーマスを、ロッジらが助けたという。そう聞くと、拙いとも思える曲だが、耳に馴染む美しい旋律は、トーマスのメロディ・メイカーとしての才能を予感させる。オーケストラともうまくフィットしている。

 

4 “Lunch Break”

「ピーク・アワー(Peak Hour)」(J. Lodge)

 本アルバム唯一のストレートなロックン・ロール・ナンバー。この曲だけは、オーケストラとの共演を忘れさせる。クラシカル・ロックのアルバムには合っていないようだが、このタイプの曲を書けるのはロッジだけなので貴重である。間奏のヘイワードのギターが、まるでサーフィン・インストのようでおかしい。

 しかし、むしろ本作の本領はコーラスにある。ロッジのヴォーカルはかすれて、リードを取るには少々弱いが、ハーモニーに関してはメンバーのなかでもとりわけ意識が強いらしく、コーラスを多用した楽曲で力を発揮している。ヘイワードの楽曲がどちらかといえば、彼のヴォーカルを聞かせる曲であるだけに、ロッジのコーラスを重視したナンバーは、ムーディーズのもうひとつの魅力でもある。

 

5 “The Afternoon”

「フォーエヴァアフタヌーン(チューズデイ?)(Forever Afternoon (Tuesday?))」(J. Hayward)

 B面に入って、いよいよヘイワードの楽曲が登場する。『フューチュア・パスト』といえば、やはりヘイワードの本作と「サテンの夜」だろう。彼の全楽曲のなかでも指折りの傑作がこれら2曲である。シンプルな構成の「サテンの夜」に比べると、複雑な構成の曲で、ヴァースのヘイワードの伸びのあるヴォーカルが素晴らしいが、中間部のリズミカルなパートとそれに続く「チューズデイ・アフタヌーン」と繰り返すメロディがとくに印象的だ。ピンダーのメロトロンも、スケールの大きなバラードをシンフォニックに彩っている。

 もともとは、「フォーエヴァアフタヌーン」だったが、現在ではタイトルも「チューズデイ・アフタヌーン」がすっかり定着した。

 

「タイム・トゥ・ゲット・アウェイ(Time to Get Away)」(J. Lodge)

 「チューズデイ・アフタヌーン」の影に隠れてしまった格好だが、本作もなかなかの佳曲である。「午後」の曲の割にはメランコリックなナンバーだが、サビの「夕暮れは彷徨の時間」に続くコーラス・パートがロッジらしい。ファルセットを駆使したロッジのコーラスは、新生ムーディ・ブルースの大きな強みになっていく。

 

6 “Evening”

ザ・サン・セット(The Sun Set)」(M. Pinder)

 ピンダーの好むマイナー調でオリエンタルな雰囲気の楽曲。いわゆるサイキデリック風のナンバーである。クラシック・ロックとしては異色だが、夕暮れ時のイメージをうまく表現している。まるでピンダーが夕日に向かって瞑想にふけっている姿が浮かんでくるような、といったところか。

 

「トワイライト・タイム(Twilight Time)」(R. Thomas)

 こちらもサイキデリックと評されるナンバー。熱気を帯びたヴォーカルと地を這うような重厚なコーラスが、驀進するようなサウンドと絡み合ってアルバムのクライマックスを印象づける。曲はシンプルだが、トーマスらしい、親しみやすく耳に残るメロディである。

 ムーディーズのコーラスは、トーマスのバリトン・ヴォイスとロッジのファルセットが二つの柱となって、そこにヘイワードとピンダーが加わることで、厚みと奥行きを与えている。ロック・バンドのなかでも、非常に個性的なコーラスを聞かせるバンドのひとつといえるだろう。本作でも、そのコーラスが存分に威力を発揮している。

 

7 “The Night”

「ナイツ・イン・ホワイト・サテン(Nights in White Satin)」(J. Hayward)

 アルバムのクライマックスを飾るのは、言うまでもなく「サテンの夜」である。ムーディ・ブルースの全楽曲、そしてヘイワードの楽曲のなかでも、第一に挙げられる作品であることは今も変わらない。

 曲自体は、12小節からなる、ごくシンプルなもの。しかし、そのメロディは劇的で、かつ神秘的な独特の香りを放つ。そして、「どこまでも広がっていく、白いサテンにくるまれたような夜。出すあてもなく書いた手紙。この眼が見失い続けてきた美。何が本当なのか、私にはもうわからない」という、ヘイワードの言葉のセンスが、ありふれたラヴ・ソングを普遍的なバラードへと押し上げている。

 間奏部では、トーマスが奏でるフルートが、夜空を翔る幽玄な響きでドラマティックなエンディングへと楽曲を導いていく。オーケストラが轟き渡るアルバム・ヴァージョンも、メロトロンのみのシングル・バージョンも、いずれも素晴らしい。

 イギリスでは、1967年11月にアルバムとともにシングル発売され、19位を記録した。アメリカでは、翌年「チューズデイ・アフタヌーン」がシングル・カットされて24位まで上昇したが、「サテンの夜」はリリースされなかった。ところが、1972年になって、ラジオのオン・エアで人気を集めると、あれよあれよという間にビルボードのチャートで2位を記録する大ヒットとなった。それ以来、ムーディーズを代表するナンバーとして変わらぬ人気を保っている。

 本作を歌うヘイワードのヴォーカルは、21世紀に入り、ますます力強さを増し、『ラヴリィ・トゥ・シー・ユー』[vii]のライヴ・ヴァージョンなどは、絶唱ともいえる素晴らしい出来だが、やはり本作は1960年代のムーディ・ブルース、いやロック・ミュージックを代表する傑作のひとつというべきだろう。

 

「レイト・ラメント(Late Lament)」(G. Edge)

 『フューチュア・パスト』の幕を降ろすのは、再びエッジの詩である。

 最後、「赤はグレイに、黄色は白に。けれど、わたしたちはどちらが正しいのか決めなければならない。そして、どちらが幻なのかを」の一節とともに、やけに大音量の銅鑼が響いて『フューチュア・パスト』は終演となる。

 前述のように、エッジ作の2編の詩の朗読が、『フューチュア・パスト』というアルバムの個性を高める大きな要素になっている。反面、楽曲はわずか8曲に過ぎない。オーケストラのパートがあるので、曲の少なさはそれほど気にならないが、『サージェント・ペパーズ』などが実質12曲であるのと比べると、やや物足りないかもしれない。しかし、曲は粒がそろっており、決して「チューズデイ・アフタヌーン」と「サテンの夜」だけのアルバムではない。「ドーン・イズ・ア・フィーリング」、「アナザー・モーニング」、「トワイライト・タイム」など、クラシカル・ロック・アルバムに相応しいメロディアスな佳曲ぞろいである。その意味では、アルバムのトータルな魅力で聞かせる『サージェント・ペパーズ』に対し、楽曲個々の魅力で聞かせるアルバムといえるかもしれない。

 ムーディ・ブルースが、ソング・ライティングにおいて極端な平等主義を取ることができたのも、すべてのメンバー(後にエッジも加わる)が、良質な楽曲を提供し続けたことが大きい。シングルはほぼヘイワードとロッジの作品に限られていたが、ピンダーの脱退はあったものの、トーマス、エッジの旧メンバーが90年代にいたるまで楽曲提供をやめることはなかった。そのことが、80年代以降のアルバムが、ヘイワードとロッジのデュエット・アルバムに終わらず、ムーディ・ブルースの作品として成立した最大の要因である。

 ソング・ライティングとヴォーカルおよびコーラス。そして、メロトロンとフルートにギター、ベース、ドラムが一体となったサウンド。バンドとしての総合的なバランスのよさがムーディ・ブルースの最大の魅力であり、その後の成功につながった。まさに「バランスの問題(A question of balance)」だったわけだ。

 

[i] 『マグニフィセント・ムーディーズ』(Magnificent Moodies, Polydor, 1989)。赤岩和美によるライナー・ノウツ。

[ii] The Moody Blues, Days of Future Passed (Universal Music, 2017). マーク・パウエルによるライナー・ノウツ、12頁。

[iii] 「悲しみをぶっとばせ」(1965年、フルート)および「ストロベリ・フィールズ・フォーエヴァー(1967年、メロトロン)。

[iv] Days of Future Passed, p.13.

[v] Ibid., p.16.

[vi] Ibid., p.4.

[vii] The Moody Blues, Lovely to See You Live (2005).