カーター・ディクスン『第三の銃弾』

(本書のトリック等のほかに、ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』の犯人に言及しています。)

 

 「第三の銃弾」は、ディクスン・カーの短編集に収録されている中編小説として親しまれてきた(そうでもないか)[i]が、実は単行本として出版されたものが原型[ii]で、しかも短縮されていたのだという。おまけに、あれこれカットしたのがエラリイ・クイーン(フレデリック・ダネイ)[iii]だというから、豪華な組み合わせに興奮するというか、余計なことをしてくれたというか・・・。

 本書のテーマは「密室殺人」だが、密閉された部屋ではなく、窓は開け放たれており、ドアも施錠されてはいない。ただ、事件発生時には、ドアの外にも、窓の外にも、警察官が駆けつけているという、犯人の逃亡する余地のない密室状況である。

 温厚で知られる判事が、ある犯罪の審理で過酷な判決を下す。恨みを隠さない被告は、判事を殺害すると広言し、釈放後判事邸を訪れ、離れで一人執筆を続けていた判事を襲う。彼を追っていた二人の警察官が離れに近づくと、二発の銃声が聞こえ、飛び込んだ彼らの眼前には、銃弾に倒れた判事と、銃を握りしめて呆然と立ち尽くす被告の姿があった。ところが、被告の銃から発射された銃弾は壁にめり込んでおり、しかも、発射されたのは一発のみ。室内を捜索すると、部屋の隅に置かれた花瓶のなかから、もう一丁の銃が発見されるが、そちらの弾丸も窓から飛び出して樹木に当たっているのが発見される。二発の弾丸が別々の銃から発射されたのに、どちらも凶器ではないという不可解な状況が明らかとなる。果たして、凶器となる銃はどこに行ったのか、その銃を撃ったのは何者なのか・・・。

 主人公のマーキス大佐が捜査を進めると、判事の二人の娘-キャロリンとアイダ-が被告であるゲイブリエル・ホワイトと名乗る青年と知り合いであったことが判明し、さらに妹のアイダと親密な弁護士アンドルー・トラヴァーズ卿も不審な行動を取るなど、複雑な人間関係が徐々に明らかになってくる。

 という具合で、かなり入り組んだ人物関係と密室構成で、読者の頭をこんぐらがらせようとしてくる。ホワイトが関係しているのは当然だが、彼のこねくり回したようなトリックが上手くいかず、そこに第三者が介入して不可解な密室状況が出来上がるという組み立てで、いかにもカーらしいひねくれ方である。真犯人の行動が案外単純-窓の外から室内の被害者を狙っただけ-で、容疑者のホワイトの複雑で仰々しいトリックが目くらましになるあたり、横溝正史の有名長編ミステリを思わせる。『プレーグ・コートの殺人』のようなシンプルなアイディアで密室を作るのとは異なり、人物の動きの中で不可能状況が成立するという手法は、カーの密室ミステリとしては珍しく、むしろ『火刑法廷』のトリックのひとつに近いかもしれない。絶対的な不可能状況ではないので、複雑な手順の割に解決があっけなく、物足りなく思う読者もいるだろう。トリックとしては新しいのだが、こういう場合、得てしてそうなるというか、トリックのためのトリックという印象を与え、小説としての効果はいまひとつかもしれない。

 そもそも、短縮前の原型作品でも長編というより中編なので、やはり他のカー長編と比べると、読みごたえとコクが足りない、というのが正直な感想である。もうひとつ、アリバイ・トリックが使われているのだが、そちらもかなり雑なトリックで、犯人も雑な性格なのか、あとのことを考えずに、思い付きだけで実行してしまったようで、信じられないほど杜撰な計画にみえる。

 余談だが、このアリバイ工作で、犯人が出向いたと称する行き先がロンドンのヘイスティングズ・ストリート66番地という場所で、この住所について証言した執事が、番地に10を付けるとヘイスティングズ1066になって覚えやすい、だから66で間違いない、と付け加える。これは作注にあるように、1066年のヘイスティングズの戦いのことで、この戦いに勝利したノルマンディ公ギヨームがイングランドの異民族王朝であるノルマン朝を開く[iv]。有名な「ノルマンの征服」だが、やはりイギリスでは暗記必須の歴史事象のようだ。日本なら、さしずめ「1600年、関ヶ原の戦い」のようなものだろうか。

 無駄話ついでに、事件が解決した後、マーキス大佐が、この事件が画期的なのは、従来のミステリの小説作法を覆したからだ、と、いかにもカー作品の登場人物らしく、メタ・フィクション的なセリフを口にする。どういうことかというと、普通ミステリに二人のヒロインが登場すると、例えば、一人が黒髪で無口、いかにも腹黒そうで、もうひとりはブロンドの美人で無邪気な天然。ところが、最後の犯人暴露の場面になると、黒髪のほうが善良で無垢な娘とわかり、ブロンドのほうが実は悪魔のような殺人鬼であると判明する、というのが定番だ、と述べて、しかし、この事件では、いかにも裏のありそうな黒髪の陰険美女がやっぱり犯人で、ブロンドの美少女は見た目通りの天使だった、これでミステリの古い因習を打ち破ることができた、などとうそぶく。そのまま小説も終わってしまうのだが、これって、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』(1928年)をあてこすってるの?

 カーの長編の傑作に比べると一段落ちる出来で、やはりカーは長編に限るという結論をはからずも実証したような作品だが、もちろん駄作というわけではなく、トリック小説としては充分楽しめる。カーのファンなら、あるいは不可能犯罪の愛好者にとっては、見逃せない小説だろう。

 

[i] 『カー短編全集2/妖魔の森の家』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1970年)、177-342頁。原著は、The Third Bullet and Other Stories (New York and London, 1954)。『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』(宇野利奏・永井 淳訳、創元推理文庫、1983年)、256頁。

[ii] カーター・ディクスン『第三の銃弾[完全版]』(田口俊樹訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2001年)。『ミステリ・マガジン』No.541(2001年4月号)に先行掲載された。原著は、The Third Bullet (London, 1937)。『カー短編全集5』、265頁。

[iii] 同、232-35頁(森 英俊による解説)。ダネイの編集の徹底ぶり-というか、タイトルまで含めて他人の原稿に必要以上に手を入れたがる悪癖?-については、多くの証言がある(というより、ダネイの想い出話には、必ずその点への言及があるような)。『EQ』No.31(1983年1月号)、132-40頁参照。

[iv] 同、134頁。作注で「ノルウェー人のイギリス征服」とあるが、これはやはり「ノルマン人」と書くのが適切だろう。より正確には、「ノルマンディその他のフランス騎士」かな。