アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』

(『シャーロック・ホームズの冒険』を読んだことのない人が、こんな文章を読むわけがないと思いますが、何編か真相を明かしていますので、一応お断りしておきます。)

 

 何十年ぶりかで『シャーロック・ホームズの冒険』を読んでみた。昔読んだのは創元推理文庫[i]だったが、今回はハヤカワ・ミステリ文庫[ii]である。「ボスコム渓谷の謎」のように細部を忘れていたり、そもそも「緑柱石の宝冠」などはストーリー自体をまったく覚えていなかったのだが、「唇のねじれた男」や「赤毛連盟」あたりの有名作に関しては当然筋書きを忘れるはずもなく、読みかえすこともなかったかな、という印象であった。

 昔読んだ頃は、まだ江戸川乱歩の「ホームズ短編傑作」[iii]のような評論の影響が強く、トリックを評価基準にして、その辺ばかりに注目して読んでいたので、本当に楽しんで読書していたのか疑わしい。今回はさすがに、ホームズ短編のベスト・テン選びなどという、ミステリ入門者の初々しさは失い果てたので、今読んだらどんなものかいな、という興味で目を通してみたのである。

 で、その結果はというと、もちろん大変楽しかった。やはり、ホームズは面白い、と実感したのだが、意外なことに、いや、この数十年で様々なミステリを読んできて当然かもしれないが、シャーロック・ホームズというのはものすごく非常識な変人探偵だと思いこんでいたのだが、全然そんなことはなく、良識と真っ当な正義感を備えた英国紳士そのものであった。例えば「消えた花婿」のラスト・シーン[iv]などからは、そんなホームズの生真面目なまでの正義感が伝わってくる。ホームズに比べれば、レジナルド・ヒルのダルジール警視などは、本当に不作法で失礼なオヤジである(でも、ヒルも面白いけどね)。

 よく言われるとおり、ドイル自身は常識人なので、ホームズのエキセントリックな性格や悪癖も、ワトソン医師が間接的に紹介するだけで、たとえば、ヤクでラリったホームズが、よだれを垂らしながらワトソンに絡んだり、発作を起こして暴れまわったりするわけではない。そもそも本短編集ではコカイン中毒のことなど言及もされないので、『ストランド』誌の晴れ舞台で、ホームズも身仕舞をただしたのだろう。プロットもそのとおりで、『緋色の研究』や『四つの署名』は長編だからか冒険活劇的な要素が強いが、シリーズ短編では陰惨で暴力的な描写は少ない(「技師の親指」や「ボール箱」のような例もあるが)。大体、ほとんどが殺人事件ではなく、日常的な相談から犯罪が発覚したり(「赤毛連盟」)、厳密には犯罪ですらない場合も多い(「消えた花婿」、「未婚の貴族」)。少なくとも『冒険』の諸作は、ホームズほどの名探偵をわずらわす事件じゃないだろう、と思わせるものが多い。

 最初に書いたことと関わるが、名作短篇と定評のある作品がそれほど面白くなかったのも、単に代表作は細部まで覚えているからというだけの理由ではないのかもしれない。「赤毛連盟」は、独創的なアイディアの傑作とされるが、小説としての出来はさほどではない。そもそも相談にやってきたのが、デブでハゲの(いや、ハゲとは書いてないか。そもそも、ハゲていたら「赤毛連盟」にならない)いかにも愚鈍そうな小商人(こあきんど)というところからして期待薄で、どうせ大した事件でもないだろうと思っていると、やっぱり大したことなかった。乱歩の解説がなければ、面白いのか面白くないのか、判別がつかない。ただ、犯人がとっ捕まったあとに、いきなりいばりだして「殿下と呼べ」などと調子づくところ[v]は、いかにも通俗娯楽小説的な面白さで、さすがよく心得ている。

 ホームズものの魅力の一端は、どうも、こうしたユーモアとしゃれっ気にある気がする。言い換えれば、軽さであるが、それがドイルの作家的センスでもあったのだろう。

 そういった意味で、『冒険』のベストの短編(結局、ベスト選びをしている)はといえば、それはもう断然「ボヘミア国王の醜聞」である。掲載順が執筆順だったのかは知らないが、名探偵がへこまされる話をシリーズの第一作にもってくるというのが、まずもって素晴らしい。しかも相手がボヘミア国王を魅惑したという設定の美女である。「赤毛連盟」のデブとは大違いで、面白くならないはずがない。ホームズが件の美女のアイリーン・アドラーの結婚式で立会人にされる[vi]という、コメディ要素にもこと欠かない。国王の秘密の写真の隠し場所を探るために、ワトソンがアイリーンの自宅の外で「火事だ」と怒鳴ると、通行人たちが、男も女も一斉に声を揃えて「火事だ」と叫ぶ場面は爆笑ものである。ミュージカルかよ。

 一番面白いのは、結末でホームズが意気揚々と国王を案内して、アイリーンの住まいを訪れると、すでに家はもぬけの殻。あからさまに動揺するホームズ探偵。彼女の置き手紙を読んだ国王が、なんと素晴らしい女性だったことか、と嘆息すると、ホームズがそれに応えて、「彼女は陛下に相応しい女性ではございません」というところ[vii]。不貞腐れた中学生みたいですよ、シャロぽん。

 乱歩は、エドガー・アラン・ポーについて語った評論のなかで、このホームズがワトソンをつかって手紙のありかを探り出すトリックを「盗まれた手紙」の模倣だと断じたうえで、「ボヘミア国王の醜聞」には他に創意あるトリックもなく、ポーに比すれば、「模して及ばざるの甚しきものであろう」[viii]とくさしているが、ひどいです~、乱歩先生。

 強い意志をもった聡明な女性を主人公に据えた先見性もさることながら、これだけ軽妙で気の利いた短編小説を1890年代に書いているのだから、お見事です。ライトでスマートな短篇小説という観点でいえば、むしろポーなど「及ばざるの甚しきものであろう」。

 今回、次に面白かったのは「五つのオレンジの種」であった。「ボヘミア国王の醜聞」とは対照的に、第四短編の「ボスコム渓谷の謎』に続く殺人事件を扱ったサスペンスフルな作品だが、個人的な怨恨などではなく、なんとKKK(キュー・クラックス・クラン)の登場する秘密結社犯罪である。

 あんな、ろくに推理もない短編のどこがいいんだ、といわれそうだが、他のドメスティックな短編と異なる、「過去の罪が尾を引く」というドイルらしい因果譚が本書では珍しい。全編ほぼ、深夜の依頼人ジョン・オープンショウ青年の打ち明け話と翌日の新聞記事だけで構成されているが、そうした動きのないプロットにもかかわらず、不気味な恐怖がじわじわと高まっていくのは冒険小説家ドイルの真骨頂だろう。しかし、最後、ホームズは犯人達に出し抜かれ、報復を誓うことになる。彼らが脅迫に用いた「五粒のオレンジの種」を逆に送りつけるのだが、事件は思わぬ形で決着がつく。その手前の文章がいい。

 

  ジョン・オープンショウ殺害の犯人たちは、結局オレンジの種を受けとらず、した

 がって、彼らに劣らぬ知恵と決断力を備えた人物が彼らを追跡していたことも、つい

 に知ることなく終った[ix]

 

 なんともわくわくするカッコいい文章ではありませんか。最後、犯人達の乗る帆船が大西洋上で消息を絶ち、彼らの行方について知るものはない、とワトソンが語って物語は締めくくられる。焦らしておいて拍子抜け、とも、ご都合主義とも映る結末であるが、考えてみれば、個人の探偵にこのような犯罪集団が対処できるはずがない。確かな証拠もなしに国外に逃れた犯人たちを断罪できるはずもないうえに、このまま続けたら短編ではすまなくなってしまう。結末はこんな風につける以外にないだろう。しかし、上の文章を読むと、超人探偵ホームズの追跡を免れるすべは大自然の猛威を除いてはなかった、という風にも読め、何やら、あり得たかもしれない名探偵と秘密結社の闘争を思い描かせて余韻を残す。スケールの大きな物語の背景を感じさせる幕切れである。親子三代にわたる因縁話から、一転して、大洋の波間に消えた帆船の運命を伝えるラストの一文は鮮やかであった。

 ついでに付け加えると、ワトソン役などといわれるように、名探偵の助手(というか、ヨイショする係)は、平均的読者よりも知能程度の低い凡庸な人間というのが通り相場だが、その悪しき定評をつくったワトソン自身は意外に(というのは失礼?)教養もあって、頭も回る。本編でも、ホームズの問いかけに即座に答えるし[x]、ホームズがよく知らないことにも知識があるらしい[xi]。こうしてみると、むしろ一般の鈍重な読者などより頭が良いようだ(あ、すいません、「私などよりは」と訂正します)。

 以上、再読して特に面白かった二編を取り上げた。もちろん『冒険』には、他にも「まだらの紐」や「唇のねじれた男」のような傑作短編が収められているが、本短編集の魅力は、個々の作品の出来不出来より、ヴァラエティに富んだ諸作が詰め合わされて、一作毎に異なる味の短編小説を読める楽しさにあり、何よりも、ホームズという人物の真っすぐで純粋なキャラクターにあるといえる。作品もおおらかな内容が多く、プロットも主人公も現代ミステリのように複雑ではなく、無邪気なところがとてもよい。やはり、シャーロック・ホームズの短編ミステリは不滅のようだ。

 

[i]シャーロック・ホームズの冒険』(阿部知二訳、創元推理文庫、1960年)。

[ii]シャーロック・ホームズの冒険』(大久保康雄訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1981年)。

[iii] 江戸川乱歩英米の短編探偵小説吟味」『続・幻影城』(光文社、2004年)、28-35頁。

[iv]シャーロック・ホームズの冒険』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、111頁。

[v] 同、80頁。

[vi] 同、29-30頁。

[vii] 同、44頁。

[viii] 江戸川乱歩「探偵作家としてのエドガー・ポー」『幻影城』(講談社、1987年)、203頁。

[ix]シャーロック・ホームズの冒険』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、186頁。

[x] 同、178頁。

[xi] 同、185頁。