カーター・ディクスン『赤い鎧戸のかげで』

(本書の犯人およびトリックに触れています。)

 

 1950年代に入って、カーはタガが外れてしまったようだ。それとも外れたのはブレーキか(カーだけに)。

 『赤い鎧戸のかげで』(1952年)で、ヘンリ・メリヴェル卿は、自分を狙った賊を相手に、短刀で喉を切り裂いて殺してしまう。御大、なにやってんすか・・・。

 

  H・Mの・・・右手の短刀が、賊ののどぼとけの下あたりにぐさっと突きたつ。

  さっと刀を抜きとり、血しぶきを避けるために、つかんでいた髪ではずみをつけ、

 くるっと後向きにすると、ピクピク痙攣している男のローブで刀の血を拭いとる[i]

 (以下、略)

 

 何ですか、これ。中村主水ゴルゴ13?まさか、ヘンリ卿がこれほど華麗な殺しのテクニックを身につけていたとは、たまげたなあ。卿が(いや、カーの探偵たちは皆そうだが)殺人犯に寛大なのは、彼自身が殺しのプロだったからか。名探偵の殺人者といえば、ド〇〇〇・レ〇〇とか、エ〇〇〇〇〇・ポ〇〇とか、珍しくはないが、こんな玄人はだしのテクニシャンは初めてだ。

 同年の『九つの答』以上に、もはやカーの小説はパズル・ミステリを踏み越えて、一千光年の彼方。冒険活劇と化した。

 本書のテーマは、アイアン・チェストと呼ばれる怪盗とヘンリ卿との対決だが、この謎の強盗は、常に鋼鉄製と見られる箱を抱えている(ア〇〇〇の配達員?)。顔を隠すわけでもないのに、正体を知られることなく、警官隊に囲まれても、煙のように消え失せてしまう。まるで怪盗ルパンか、二十面相か。しかし、小説のクライマックスといえるのは、例によって、ボクシングの対決で、作者はよほど拳闘が好きらしい。趣味丸出しで、もはや隠す気もないようだ。当時のカーは、女性読者のことなぞ頭の片隅にもなかったのか。どう考えても、これは男性読者のための読み物である。それとも、こちらも例によって、カー的ロマンスのカップルが二組も出てくるので(一組は夫婦だが)、女性読者向けのサーヴィスのつもりだったのだろうか。カー作品に出てくるヒロインで、女性に支持されたキャラクターなぞ聞いたことがないが。

 小説の舞台は、モロッコのタンジール。この異国の地におけるヘンリ卿の活躍を描くのが、もうひとつの主題で、実際に、カーがタンジールに滞在した経験に基づいて書かれている[ii]。取材のためというわけでもなかったようだが、こういったところは、カーは実にわかりやすい。自身の体験がそのまま小説に活かされている。冒頭に、タンジールの町を眺望する描写が出てくるが、まさに絵葉書のように景色が眼に浮かぶ[iii]。ヘンリ卿がはちゃめちゃに、いや、名うてのアサシンのようになってしまったのも、地中海の海風にやられたせいか。それとも、旅先ではめをはずしただけなのか。(旅の恥はかき捨て、といったレヴェルの話ではない。)

 肝心のミステリのアイディアのほうだが、怪盗アイアン・チェストは、なぜ、いつも鋼鉄の箱を抱えているのか。なぜ、何度でも監視の目を潜り抜けて消え失せてしまうのか。素晴らしく魅力的な謎だが、その答えは、何じゃ、そりゃ、というもの。人間の心理を突いたトリック、とか言われても、どう考えても、顔を見られたくなければマスクをするだろう[iv]。いくら、鋼鉄ではなく、紙でできた箱だといっても、そんなかさばる代物を抱えてうろうろする強盗など、お目にかかりたいものだ(本当に出くわしたら困るが)。

 実は、上記の個人的趣味で書いただけに見えたボクシング対決の場面が、本作の最大のミステリ・アイディアで、敵意むきだしで殴り合う二人が、実は共犯だった、という驚くべき真実が明らかとなる。一見、共犯とは考えられない二人が芝居をしていた、というスパイ・スリラー的引っ掛けで、登場人物のリストを見ても、ボクシング対決で敵役になる元ボクサーのほかは、皆、捜査官かその友人で、誰も犯人になりそうもない。つまり、味方と思っていた者のなかに犯人が潜んでいた、という結末しか考えられないのだが、やっぱり、この悪役ボクサーと颯爽たる快男児(犯人)とが共犯関係にあったというのは、(パズル・ミステリとしては)無理があったようだ。

 事件は鮮やかに解決するものの、またまた、恒例のごとく、ヘンリ卿は犯人を見逃してしまう。それどころか、タンジール警察を堂々と出し抜いて、逃がしてしまうのだ。でもまあ、いつものことだから、驚かないし。すでに、自分でも一人殺ってるわけだし。

 今回の事後従犯の言い訳は、アイアン・チェストはロビン・フッドだから、ということらしい。犯罪者であっても、人を殺さない信義を守るアウトロー、あいつは立派な男だ、というわけだ。毎度のことながら、卿の正義の観念は偏り過ぎていて、遵法精神とどう折り合いをつけているのやら。ついでだが、ロビンを指して、ヒロインが、「でもあれはお話の中だけのことかしら」[v]、とつぶやくが、さすが、カー。ロビン・フッド実在説にも通暁しているようだ。チャールズ2世ばかりでなく、ロビン・フッド関連の文献も読み込んでいたのだろうか[vi]。それとも、イギリス人なら当然なのか。タンジールくんだりまでやってきて、ロビン・フッドでもないだろうが。

 

[i] 『赤い鎧戸のかげで』(恩地三保子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1982年)、308頁。

[ii] 1950年の夏から、カー一家は何度かタンジールに滞在している。これは、エイドリアン・ドイルからの誘いだった、という。ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、374-79頁。

[iii] 『赤い鎧戸のかげで』、49頁。

[iv] 実際、ヘンリ卿が、そう推測している。同、403頁。

[v] 『赤い鎧戸のかげで』、431頁。

[vi] J・C・ホウルト『ロビン・フッド』(有光秀行訳、みすず書房、1994年)等を参照。