ビー・ジーズ1984(2)

バリー・ギブ「シャイン・シャイン」(1984.9)

1 「シャイン・シャイン」(Shine, Shine, B. Gibb, M. Gibb and G. Bitzer)

 バリー・ギブの14年ぶりのソロ・シングルは、ハーブ・アルバートもびっくりのカリビアン風ポップ・ナンバー。マイアミでレコーディングを始めてから、この手の曲はおなじみだが、間奏にブラスが入ったりして、ひときわラテン風味が強い。

 しかし、この間奏パートが一番目立っているのでは、やはりまずい。バリーらしい、早口言葉のようなヴァースや「シャイン、シャイン」に始まるコーラスも親しみやすく、アレンジも派手目だが、シングル向きかというと、首を傾げざるをえない。

 もっとも、この曲を含むアルバム自体、シングル向きの曲は少ない。案の定、全米37位という成績は、かつて「この惑星で最高にホットだったソングライター」[i]にしては物足りないことおびただしい。バーブラ・ストライサンドケニー・ロジャースのようにはいかないのは仕方ないが。とはいえ、これが当時の現実だった。

 

2 「シー・セッズ」(She Says, B. Gibb)

 後述のとおり、アルバムには収録されているが、映画には未使用の楽曲。

 しかしアルバムのなかではメロディに魅力のある数少ない作品のひとつ。こちらもシングル向きとは言えない陰気なバラードで、もう一曲欲しい、ということになって、その場で書き飛ばしたような安直さも感じるが、さすがバリー・ギブと思える美しさを持っている。

 ところで、アルバムでは最後から2番目に収録されているが、ストリングスのアレンジは最後の「ザ・ハンター」に似て、重厚だが、どこか不穏な雰囲気をかきたてる。アルバムのクライマックスとなる「ザ・ハンター」のいわば序奏という位置づけなのだろうか。

 

バリー・ギブ『ナウ・ヴォイジャー』(Now Voyager, 1984.9)

 バリー・ギブの初のソロ・アルバムは、1984年になって、思わぬ形でお目見えした。とはいえ、上記のとおり、この時期になったのは必然だったとも考えられる。ソロ・アルバムの計画は、1970年に実現寸前までこぎつけていたようだが、ビー・ジーズの再結成を優先して、見送られた。その後、ビー・ジーズの活動そのものがバリーを中心に回り始め、恐らくソロ活動の余裕もなかったはずだ。しかし、『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』後のバックラッシュによって、グループの活動が制約されるようになった結果、むしろソロ・アルバム制作に向かう条件がそろった。その代わり、ビー・ジーズの顔ともいえるバリー・ギブのアルバムに対しては、ビー・ジーズ同様の反発が予想されるところであり、現実にセールスは思わしくなかった。

 結果から見れば、このアルバムは失敗作以外の何物でもないが、アルバムの形式としては非常に興味深いものでもある。「思わぬ形」というのは、そのことを含んでいるが、つまり、一種のサウンドトラックとしてリリースされたのである。

 より正確には「ヴィジュアル・アルバム」[ii]ということになるのか、本人が出演する映画に使われた楽曲から構成されているのだから、サウンドトラックというのも間違いではない。もっとも、映画といっても、9つの短い短編を集めたもので、1つの短編に1つの曲が使われている。各エピソードは、ほとんどセリフもなく、音楽だけで進行する。つまりヴィデオ・クリップ集のようなものだ。しかし、ただ集めただけではなく、全体を貫く仕掛けが施されている。一応、一本の映画の体裁をとっているわけだ。

 映画[iii]は、まず主人公(バリー・ギブ)が、いかにもイギリスといった田園風景のなかを、車を走らせる場面から始まる[iv]。何やら急いでいるらしい主人公が、小橋に差し掛かると、向かい側からやって来たトラックをよけようとして、ハンドルを切り損ね、車は橋から墜落する!水中に沈んだ車から、なんとか脱出した主人公が水面から顔を上げると、そこは室内プールだった。

 視聴者同様、?(ハテナ)・マークを顔に浮かべた主人公は、プールサイドで長椅子に横になっているガウン姿の老人を見つけ、状況を問いただそうとする。この老人役を務めるのが、名優のマイクル・ホーダーンで、ここから彼が狂言回しとなって、主人公を様々な夢もしくは異世界へと誘う。それが9つのエピソードとなっているわけだ。この不思議な老人の正体は最後に全体のオチとして明かされるが、映画としての出来は、素人の筆者にはわからない。短編小説集と同じで、面白いエピソードもあるが、つまらないものもある。まあまあ楽しめた、というのが感想だろうか。

 アルバムの曲順と、映画で使用される曲の順番は異なっており、最初の「アイ・アム・ユア・ドライヴァー」と最後の「ザ・ハンター」は一緒だが、他は「テンプテーション」、「レッスン・イン・ラヴ」、「シャッタープルーフ」、「ステイ・アローン」、「シャイン・シャイン」、「ワン・ナイト」、「ファイン・ライン」の順となっている。

 シングル同様、アルバムの出来も、バリー・ギブのメロディを期待すると、はなはだ物足りない。むしろ映画で使われない「フェイス・トゥ・フェイス」と「シー・セッズ」が数少ない収穫と思えるほどだが、映画の一部としてみると、それぞれ楽しめないことはない。どこまでバリーのアイディアが脚本に反映しているのかわからないが、このエピソードにこの曲、と当てはめて考えると、なるほど、と思うところも多い。とくに前半のエピソードは、観客の関心を引くためか、派手目で刺激的な映像が多いので、楽曲もアップ・テンポの曲が続く。「シャッタープルーフ」までがそうだ。その後、落ち着いた画面とストーリー性を重視したエピソードに移ると、音楽もスローなバラードになる。そのあたりに注目すると、このアルバムの音楽を、バリーがどのように捉えていたのかが想像できて興味深いが、いかんせん、アップ・テンポの楽曲にこれといったものがないし、バラードも今一つという印象だ。

 やはり映画と一緒でないと、あまり面白くないが、映画自体も傑作というわけではないので、果たして、このアルバムをどう楽しむのが最善なのか、判断に苦しむ。しかし、もともと映画好きで、映画界に魅かれたこともあったバリーにしてみれば、本当に作りたいと思ったアルバムであったのだろう。2枚目のソロ・アルバムが正真正銘のサウンドトラックだったことからみても、バリーの嗜好が見て取れる。

 

A1 「アイ・アム・ユア・ドライヴァー」(I Am Your Driver, B. Gibb, G. Bitzer and M. Gibb)

 最初のエピソードは、主人公と老人が話をしているプールサイドを、スーツ姿の男性(アジア系、というか日本人っぽい眼鏡男)が通り過ぎていく、という視聴者の意表を突く演出が施されている。男が出口から姿を消すと、その先は未来の空港、いや宇宙ロケットの乗客ロビーになっている。

 ここでの登場人物たちは、奇天烈な衣装を着ていたり、異形の異星人のような扮装をしていて、『スター・ウォーズ』(1977、1980、1983年)のパロディのようだ。ロケットのキャビン・アテンダントが、これまた珍妙なメイキャップをしたバリーで、実は彼はアンドロイドで、途中で壊れてしまう。すると、ロケットも光の乱舞する中を、制御不能のまま突っ込んでいく。このロケットが宇宙空間を疾駆していく映像は、日本の特撮映画以下のチープさで、顎が外れる。

 もっとも、エピソードの最後で、ロケットが進む前方に巨大な手のひらが現れる(孫悟空か!)。その手がロケットを掴んで、水槽から引き上げると、それはおもちゃで、引き上げたのは謎の老人、というオチなので、あえて安っぽく作ったのかもしれない(苦しい擁護だが)。

 肝心の曲はと言えば、宇宙船の離陸を思わせるイントロから、一転してテクノ・ポップ風のリズムになる。レゲエ風でもある。メロディは少々エキゾティックで、この時期のバリーの曲らしい、幾つものパートから構成された複雑なものだが、はっきり言って、『ステイン・アライヴ』からの不調を引きずっているようだ。「チャッ、チャッ」という妙な掛け声だけが耳につく。

 

A2 「ファイン・ライン」(Fine Line, B. Gibb and G. Bitzer)

 2曲目だが、映画では最後から2番目のエピソードで使われている。

 バリーがロック・シンガー(?)に扮し、50年代風のバンドをバックに、ステージで歌う。ジャンパーにリージェントというのは、エルヴィス・プレスリーをイメージしているのだろうか。

 ところで、このエピソードでバリーはひげを落としている。思えば、『キューカンバー・キャッスル』のあたりから、バリーはひげをたくわえ始め、それがトレードマークとなってきた。本人はいやだったらしい[v]が、ひげのないバリーは相変わらずハンサムで、女性に一番人気だったのが改めてよくわかる。少なくとも、ルックスでは、ブライアン・ウィルソンポール・マッカートニーに勝っているだろう(今や、太りすぎて見る影もないが)。

 もうひとつ気になるのは、声の劣化というか、声が出なくなっているように感じることだ。「ファルセットの使い過ぎには気をつけましょう」、という忠告を贈りたい(もう手遅れだが)。

 音楽のほうは、ロックン・ローラーらしく、アップ・テンポのノリノリの曲だが、曲そのものはソウル風。途中、ラップのようなパートが混じる。最後のコーラスでは、オリヴィア・ニュートン・ジョンやハリー・ウェイン・ケーシィのほかに、ザ・フーのロジャ・ダルトリィが参加している。これも意外なゲストだ。

 

A3 「フェイス・トゥ・フェイス」(Face to Face, B. Gibb, M. Gibb and G. Bitzer)

 この曲は、映画には未使用で、いわばボーナス・トラックのような作品。しかし、曲自体の出来は、アルバムでも群を抜いている。これもこの時期の特徴である、うねるようなメロディがドラマティックに展開し、オリヴィア・ニュートン・ジョンとバリーのデュエットも熱い。

 バーブラ・ストライサンドやディオンヌ・ウォーリクへ提供した楽曲の系列に属しており、その決定版ともいえる。シングル・カットするなら、この曲だったろうが、映画では聞かれないということで避けられたのだろうか。

 このアルバムでは、大半がキーボードのジョージ・ビッツァーとの共作となっているが、かつてブルー・ウィーヴァーやアルビィ・ガルテンが担当した作曲のパートナーを、ビッツァーが務めたということなのだろう。なんとも甘美なメロディの傑作バラードだ。

 

A4 「シャッタープルーフ」(Shatterproof, B. Gibb)

 この曲が使われたエピソードでは、バリーが若者を連れて、覗き部屋のような場所を案内していく。覗き窓から見えるのは裸の女性ではなく、アクロバットやらポール・ダンス、フリーク・ショーのようなアトラクションで、かなりビザールな映像。バリーと連れの男を描く場面はモノクロだが、覗き部屋のなかはカラーで、いつの間にかバリーだけがその中に導かれて、不気味な仮面をつけた男女に翻弄される。彼らが消えると、主人公はひとり鏡の部屋に取り残されたことに気づくが、鏡は次々に割られていく。驚く主人公が周囲を見回すと、いつの間にか、またプールに戻っていて、老人が彼をぐるぐる回していた、という結末。

 楽曲については、ファンキーなソウル・ロック・ナンバー。画面には合っているが、曲自体はつまらない。

 

A5 「シャイン・シャイン」

 老人が主人公に水槽を指し示し、のぞき込むと、いつの間にか彼は真っ白なスーツを着たまま川の中から姿を現わし、南国のような風景(植民地のイメージか)のなかを屋敷の庭らしき場所に入っていく。そういえば、この映画でバリーはやたらと水に飛び込んだり、川を泳いだりするが、あんたは河童か。

 主人公が入りこんだ屋敷では今しも結婚式が始まろうとしていて、庭ではバンドによる演奏が始まる。その演奏に乗って、「シャイン・シャイン」が歌われるという段取りである。途中で、時間停止のように人々が動きを止めたり、最後に記念写真の撮影で、ちゃっかり主人公も画面に収まるなど、楽しい話になっているが、演者たちは大変そうだ(人間たちが動作を止めても、風船が風に揺れているので、あまり効果的ではない)。

 

B1 「レッスン・イン・ラヴ」(Lesson in Love, B. Gibb, M. Gibb and G. Bitzer)

 売春宿にやってきた一人の若者が、ある娘に眼を奪われる。しかし、彼を誘ったのは別の女で、そこに警察の手入れがあって、大騒動になる。若者は、ようやく外に逃れ、再び最前の娘を見かけるが・・・。最後は、少々苦い結末で、バリーは伊達男の格好で、黒子のような傍観者の役だが、歌うのが「レッスン・イン・ラヴ」ということになる。

 やはりソウル風のポップ・ナンバーで、1930年代風の画面には合わなそうだが、それほど違和感はない。他の曲もそうだが、一応聞かせどころというか、フックはあるが、全体としては大した曲ではない。

 

B2 「ワン・ナイト」(One Night, B. Gibb and G. Bitzer)

 今度の舞台は、海辺のリゾート・ホテルで、呼び出されたボーイに客の一人(ドア越しで姿は見せない)がバラの花束を渡す。ボーイは、バラを一本ずつ、孤独な滞在客の部屋に届けていく。バリーもその一人で、一人ぼっちだった滞在客たちが次第にテラスに集まると、いつしかそれぞれカップルとなって踊りだす。最後に、ボーイは一本だけ余ったバラを最初の客のところに持ち帰るが、「それは君の分だよ」、と言われる、というストーリー。

 その後、最初の客の正体についてオチがあるが、一番よくできたエピソードといえるだろう。画面も落ち着いた色調で、結末も気が利いている。音楽はそこまでの出来ではないが、ボサノヴァ調のバラードで、しっとりとした質感を漂わせて、映像とマッチしている。

 

B3 「ステイ・アローン」(Stay Alone, B. Gibb and G. Bitzer)

 映画では、「アイ・アム・ユア・ドライヴァー」から「シャッタープルーフ」までのどぎつい映像から、このエピソードで、一転して歴史ドラマのような画面になり、雰囲気を変える効果をもたらしている。

 主人公は、今度は帆船の船長となり、貴族の令嬢らしき恋人と別れて航海に旅立つ場面が描かれる。時がたって、戻ってきた彼が街角でたたずんでいると、その脇を令嬢が通り過ぎる、という結末で、どうということもないストーリーだが、ピアノをバックにしたスロー・バラードの本曲とうまく呼応している。曲自体は、これも平凡といえば平凡だが、画面と一緒に聞くと、バリーはやはり映像を前提として曲を書いているらしいことが実感できる。

 

B4 「テンプテーション」(Temptation, B. Gibb, G. Bitzer and M. Gibb)

 映画では、2番目のエピソードで、主人公は車いすに拘束されて、次々にスクリーンに映る浮気の現場映像を見せられる、という恐ろしい内容。まさか実体験ではないよな、といった話。

 妻と愛人が鉢合わせするなど、「テンプテーション」のタイトルが、なるほど、と思わせる。曲は、「シャッタープルーフ」や「レッスン・イン・ラヴ」などと似たり寄ったりの出来。

 

B5 「シー・セッズ」

B6 「ザ・ハンター」(The Hunter, B. Gibb, M. Gibb, G. Bitzer and R. Gibb)

 映画でも最後のエピソードだが、9つのなかで、もっともシリアスな内容。

 ヴェトナム戦争をモチーフにしているのか、特派員かなにからしい主人公が、安ホテル(?)の一室で、戦争に怯える現地の親子や少女の幻影を見る。そこに、白人の特務課か大使館員のような連中が飛び込んできて、主人公を捕えようとする、というスパイ映画もどきの展開となる。バリーは、ジェイムズ・ボンドよろしく大立ち回りを見せるが、窓から脱出しようとして、ついに捕まってしまう。車に押し込まれた彼は、格闘で受けた傷の痛みに次第に気が遠くなっていく・・・。

 このエピソードで使われる「ザ・ハンター」は、9曲のなかで唯一傑作と言える作品だろう。バリーにしては珍しく、政治的な主張を込めたような歌詞だが、曲自体が素晴らしい。急き立てられるような切迫したリズムに乗って、ドラマティックだがハードなヴォーカルを聞かせる。メロディアスというわけではないが、スケールの大きな印象的な旋律で、最後の”when the hunter comes.”で曲が断ち切られるラストはスリリングだ。

 

 「ザ・ハンター」のラストで意識を失った主人公がわれに返ると、彼はまだ車を運転していることに気づく。車を止めて、自分を落ち着かせようと、あたりを見回す主人公の耳に聞こえてきたのは・・・、ということで、映画の結末のオチに続く。主人公がやたらと水に飛び込むのは、この結末の伏線になっていたからだった、とわかる。

 レコードを聴いてから映像を見ると、改めて、眼と耳と両方で楽しむのが正解である、との結論に至る。それはバリーの計算通りであるとも取れるし、音楽が弱いからとも思える。

 ヴィデオ・クリップ集というのは、わかりやすい説明ではあるが、一つ異なるのは、音楽ではなく、映像が先にあって、そこに音楽が付け加えられた、ということである(それとも、逆だろうか)。バリー・ギブのソロ・アルバムとしては物足りないのは事実であるが、このアルバムの性質を考えると仕方がないのかもしれない。

 

モーリス・ギブ「ホールド・ハー・イン・ユア・ハンド」(1984.9)

1 「ホールド・ハー・イン・ユア・ハンド」(Hold Her in Your Hand, B. and M. Gibb)

 バリー同様、モーリスのセカンド・シングルは、1970年以来、14年ぶりのリリースとなった。

 映画A Breed Apartのために、1981年に書かれたというが、ファースト・シングルの「レイルロード」と同じカントリー・ソング、しかも負けず劣らず地味な作品だ。三拍子のスローなバラードだが、前作と違うのは、いつもの軽いタッチのヴォーカルではなく、彼には珍しいくらい力強い歌唱を聞かせるところか。

 しかし、せっかくバリーと共作した割には、印象的なフックのない平凡な出来に終わった。

 

2 「ホールド・ハー・イン・ユア・ハンド」(Instrumental)

 

[i] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, pp.556-57.

[ii] Ibid., p.554.

[iii] DVDは、Barry Gibb, Now Voyager (Universal Music Group International, 2005)。

[iv] 撮影は、フロリダ、ロンドン等で行われたらしいが、最初のシーンはイングランド東部のノーフォクで撮られたようだ。The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.556.

[v] Ibid.