横溝正史『獄門島』

(本書のほかに、アガサ・クリスティの長編小説の犯人やトリックに言及しています。)

 

 『獄門島』(1947-48年)は、日本ミステリ史上、圧倒的な傑作として君臨し続けている。

 知名度なら『犬神家の一族』(1950-51年)か『八つ墓村』(1949-51年)だろうが、1970年代の横溝正史再評価の波の中で、『獄門島』こそ我が国のミステリの最高峰との見方が定着した。

 筆者が、講談社の『横溝正史全集』(1970年)[i]で横溝作品を愛読した頃、もっとも面白いと思った長編小説は『悪魔の手毬唄』(1957-59年)だった。その後、客観的に見て、やはり『獄門島』が最上作と認識するようになったが、考えの変化を促した要因として、都筑道夫の評論の影響がある。

 すでに『獄門島』は、完結当初から、江戸川乱歩高木彬光らによって、日本ミステリの傑作との評価は一定していた[ii]。しかし、初読のとき感じたのは、犯人が複数というのはちょっと、・・・というものだったと記憶している。しかも、単に共犯者がいるという程度のものではなく、三人の犯人がそれぞれ単独で殺人を決行する、という、意外といえば意外な結末だが、これでは、とても真相当てられないだろう、と思った。実は、高木が絶賛しているのがこの複数犯人というアイディアだったのだ[iii]が、犯人を当てさせないからすごい、という高木の評価に、それにしてもルールを少々逸脱しているのではないか、と感じたものだ[iv]。また、乱歩の殺害動機についての指摘、「こういう殺人罪を犯さなくても、もっと穏便な手段がいくらでもあった」[v]という批判ももっともだ、と思った。

 そんなときに読んだ都筑の『獄門島』論は、乱歩の批判を打ち消すだけの力があった。しかも、複数犯人であるからこそ事件が成立した理由も示唆している。

 実は、と言わずとも、読んだ人には説明不要だが、『獄門島』の犯人は三人ではない。真の犯人が背後にいて、実は四人である。四人目の犯人は計画者で、他の三人が実行者であるのだが、計画者は自分は実行しなくとも済むので、どんなに突飛で遊戯的な殺人計画を立てても不思議ではない。しかし、実行者の三人がなぜ、そろいもそろって、そのような計画を遂行してしまったのか。まして、計画者は死亡しているのに。この疑問に対し、都筑の議論は、偶然の力というものを強調する。「この偶然の重なりが、実行者に決意させるのですが、ここらの設定は出色です。・・・この運命の重みが、実行者に考案者の考えた通り、殺人をおこなわせることになるのですから、この偶然は生きています。・・・見立て殺人そのものの必然性は閑却されていても、考案者のおかれた状況と性格、偶然の重なったショックから、実行者がその計画に盲従せざるをえなくなる、という構成によって、必然性が出てくるのです。」[vi]

 この都筑の論は、『獄門島』の欠点と見える部分を実に的確に分析擁護しているといえる。作者の横溝正史でさえ思いつかなかったのではないか、と思えるほど見事な弁論だ。

 都筑の解説を踏まえて、『獄門島』を読みかえすと、実行者達が偶然の積み重ねに怯え、計画の遂行へ向かわざるを得なくなる様子が点々と描写されていて、息詰まるようなスリルを醸成していく。それでいて、読んでいる間は、実行者達の言動が何を意味しているのか、金田一耕助でも読みとることはできない。ミステリは伏線の文学というが、これほど恐るべき伏線の妙はない。『獄門島』の傑作たる所以はこれら一連の描写にある、と断定しよう。

 

  「吊り鐘-?ああ、戦争で供出したあの吊り鐘でござりますな、あの吊り鐘がまだ 

 ありましたか」

  「ふむ鋳つぶされもせずに無事に生き残っていよったよ。」[vii]

 

  「そうそう、復員で思い出しましたが、分家の一さんもちかく復員するそうでござ

 りますな。」

  「分家の一さんが」

  和尚は急に相手の顔を見直した。」[viii]

 

  「・・・これで本家の千万さんが生きていると、いうことはござりませんな。」

  「ふむ、本家が生きていればいうことはない。」

  和尚は眼をつむって、口のなかのものを吐き出すような調子でつぶやいた

 が、・・・[ix]

 

 ・・・やがて和尚が吐き出すような調子でこういった。

  「本家は死んで、分家は助かる、これも是非ないことじゃ」[x]

 

  「で、・・・・・・?千万さんは?」

  「死んだそうじゃよ。復員船のなかで・・・・・・・」

  突然、幸庵さんはがっくり肩を落とした。山羊ひげがぶるぶるふるえた。村長はう

 うんとうなると、への字なりに結んだ口が、おそろしくひんまがった。・・・[xi]

 

  「ああ、金田一さん」

 と、和尚が沈んだ声で呼んで、

  「今日、とうとう公報が入ったそうな」

 と、村長のほうへ、あごをしゃくった。そのあとにつづいて、村長の荒木さんがこう

 付け加えた。

  「あんたのおことばを疑うたわけじゃないが、やはり広報が入らんうちは、一縷の

 望みにすがっていたい気持ちでいたが・・・・・・」

  「これで、なにもかもはっきりした。公葬は禁じられているにしても、とにかく一

 日も早く葬式を出したほうがええじゃろうな」

  暗い顔をして、山羊ひけをふるわせたのは幸庵さんだった[xii]

 

  山門のところで和尚に会うと、

  「和尚さん!」

  と、幸庵さんは頬の筋肉をピクピクふるわせたが、それきりあとはことばが出なく

 て、大きなのど仏がぐりぐり動いた。村長の荒木さんはくちびるをかたく結んだま

 ま、ただ、黙って和尚の顔をながめていた。・・・[xiii]

 

 これらの描写は、推理のためのデータという意味での伏線とはいえないかもしれないが、読了後、読みかえすと、隠されていた意味が浮かび上がってきて、その瞬間のショックは比類ない。ことに最後に引用した場面において荒木村長と幸庵医者の抱いた恐怖は読み手をも戦慄させる。『獄門島』は第一級の恐怖小説でもある。これらの伏線のすさまじさに比べれば、「きちがいじゃが仕方がない。-」[xiv]のアイディアなど、こじつけ気味の言葉遊びに過ぎない。

 それにしても、複数犯人というアイディアは、蒸し返すようだが、読者によっては受け付けない人もあるだろう。三人も四人も犯人が出てきては、まるでアガサ・クリスティの某有名長編のようだ。

 そうした観点から見て、興味深い一節が本書のなかにある。作品冒頭にKという人物からの聞き書きとして、島社会の実態、よそ者に対しては、それが警察であっても、住民は一致団結してあたる、それで犯罪がおこっても警察が捜査する前に解決、もしくは犯罪自体がなかったことになってしまう、という話が紹介されている[xv]。これは実際に作者が岡山在住の頃に聞いた事実だったようだ[xvi]が、まるで島民全員が犯人というクリスティ作品顔負けの結末を暗示しているみたいではないか。これは島という閉鎖社会の特質を紹介するページふさぎに過ぎないのかもしれないが、案外、作者は、複数犯人の真相を受け入れやすくしようとして、こうしたエピソードを紹介したのだろうか(本書では、このエピソードに相当するような事態は生じない)。あるいは、クリスティの焼き直しではないか、と読者に予想させておいて、そのヴァリエーションともいえる結末を提示する意図で、この話を予め挿し込んでおいたのか。いずれにしても、本書の複数犯人の着想に、百パーセント喝采というわけにはいかないが、『獄門島』が横溝正史の最高作との評価は揺るがないようだ。

 

[i] 同全集でも第一回配本は第5巻の『八つ墓村』、第二回は第4巻の『犬神家の一族』だった。島崎 博編「横溝正史書誌」『別冊幻影城』、創刊号(1975年9月)、347頁。

[ii] 江戸川乱歩「『俳諧殺人』の創意-『獄門島』を評す」(1949年)中島河太郎編『名探偵読本8 金田一耕助』(パシフィカ、1979年)、144-45頁、高木彬光「『獄門島』について」『別冊幻影城』創刊号、288-89頁。

[iii] 高木「『獄門島』について」、289頁。

[iv] 複数犯人のアイディアが夫人の示唆によることはよく知られている。横溝正史「『獄門島』あとがき」(1948年)『新版横溝正史全集18 探偵小説昔話』(講談社、1975年)、54-56頁。

[v] 江戸川「『俳諧殺人』の創意-『獄門島』を評す」、144頁。

[vi] 都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(晶文社、1975年)、61-62頁。

[vii] 『獄門島』(角川文庫、1971年)、9頁。

[viii] 同、10頁。

[ix] 同、11頁。

[x] 同、13頁。

[xi] 同、25頁。

[xii] 同、52-53頁。

[xiii] 同、96頁。

[xiv] 同、80頁。

[xv] 同、5-6頁。

[xvi] この「K」こと加藤一氏については「獄門島 あとがき」以来、本人や家族による思い出話のなかで、繰り返し触れられている。『探偵小説昔話』、55頁。