J・D・カー『連続殺人事件』

(犯人等に言及しています。)

 

 『連続殺人事件』(1941年)は、カーの自選代表作だという。創元推理文庫版の解説で、お馴染み中島河太郎が、そう書いている[i]。本当なのか、と思っていた。面白いことは面白いが、カーの作品のなかで格別優秀とは考えられなかったからだ。

 しかし、二階堂黎人も、「不可能性、ロマンチシズム、ユーモア、謎が渾然一体となった傑作である」、と絶賛している[ii]。ダグラス・G・グリーンも「1940年から1943年のあいだに出版された三篇のフェル物のうち、一つ(『連続殺人事件』)はカーの最高傑作に匹敵」[iii]する、と太鼓判を押している。は~、そんなもんですか、と思うが、確かに、カーの十八番の密室殺人が二つも入っていて、どちらも中編ネタだと思うが、わかりやすいトリック[iv]でカー初心者にはとっつきやすい。考えてみれば、密室殺人が二つというのは、カーの長編にも、これまでなかったような気がする。タイトル(The Case of the Constant Suicides)どおり、自殺と見紛う不審な死亡事件が連続して、自殺か他殺かで捜査が右往左往する。答えは、自殺に見せかけた殺人と思われた最初の事件が自殺(えーと、何言ってんだ)、犯人の自殺と思われた第二の死が殺人、という、相変わらず巧みな(ややこしい)プロットで読ませる。そつなく書かれているという意味では評価できるし、全編お得意のドタバタ劇が演じられて、実に楽しいミステリに仕上がっている。しかし、1940年代前半の諸作(『殺人者と恐喝者』、『嘲るものの座』、『貴婦人として死す』など)に比べると、もうひとつ、あっと唸らせる、シャープさが足りない気がする。

 そうは言うものの、カーが本書に特別の思い入れを持っていたらしいことは、十分に理解ができる。カーのルーツであるスコットランドを舞台にしているからである。

 事件が起こるのは1940年9月で、実際その頃にカーが妻のクラリススコットランドで休暇を過ごした体験がそのまま活かされているようだ[v]。冒頭、この時期の長編に共通する戦争への言及がある(ロンドン大空襲が始まる前で「当時はわたしたちイギリス人もまだうぶだった」[vi]、という一文に思い入れを感じる)が、例によって、いがみ合う主人公とヒロインがスコットランド行きの夜行列車に乗り込むところから始まり(そういえば、私も、昔、一度だけ、ロンドンからスコットランド行きの夜行列車に乗ったことがあったなあ)、小説の大半は戦争の影が薄いスコットランドのハイランズの古城で進行する。ちなみに、ハイランズ(高地地方)とロウランズ(低地地方)の境界はグラスゴーの北方から北東に向かう「ハイランド・ライン」によって区切られるそうだ[vii]。本書の舞台の城(というか、屋敷)は、グラスゴーの北西のアーガイルにあるインヴェラリィ(Inveraray)近辺となっている[viii]ので、ハイランズということになる。主人公が、目的地はハイランズなのか、ロウランズなのか、とヒロインに尋ねる場面[ix]は、イギリスでも、イングランド人はスコットランドのことを良く知らない、ということを表現しているらしい。

 主人公とヒロインはともにキャンベル姓で、このことが早速最初の喜劇的シーンに活かされるが、彼等はチャールズ2世(またしても!)時代の歴史研究者である。ヒロインの著書をめぐって論争になり、互いに相手をやり込めようと、激烈なののしり合いに発展する。アカデミックな世界の住人達なので、学術研究者の威厳と裏腹のギャグやロマンスがギャップを生んで、ユーモア・ミステリとして成功している。主人公は「スコットランドには一度も行ったことのないスコットランド人」[x]という設定で、上記のような質問もするわけだが、カー自身が投影されているのだろう。スコットランドでは「弁護士」とは言わない、「法律屋」という、などの豆知識も披露される[xi]が、これもカーの実体験によるものか。

 原書を引っ張り出して見ると、「弁護士」はsolicitorだが、スコットランドではこれをlaw agent[xii]と言うらしい(少なくとも当時は)。しかし、それよりも、主人公とヒロインがダヌーン(Dunoon)という町で土産物屋に入ると、この後同行することになる新聞記者が(スコットランドだけに)格子縞のネクタイを買っている。そこの女店員が、“There isna any Clan MacHolster.”(訳は「マクホルスター家なんてねえすよ」)などとしゃべるのである[xiii]。それどころか、主人公達が古城に到着すると、死んだ当主の弟の医師とともに、亡き当主の愛人だった女傑に迎えられる。この女主人がまた、“Him that’s gone, caud tell a Cambell, our Cambells, i‘ ten thousand. Aye, if he blacked his face and spoke wi’ a strange tongue, Angus wad speir him.”(訳は、「亡くなったこの人はねえ-、キャンベルの血筋のものなら、一万人のなかからでも見つけ出せるといってたもんだ。そうだとも、顔を黒く塗って、変な言葉でしゃぺったって、アンガスの目はごま化せなかったもんだ」)のように話す[xiv]。はあ~、これがスコットランド方言というものか。(もともと英語はスコットランドの言語ではないのだから、イングランド人の英語と少々異なるのは当然なのだろうが。)

 江戸川乱歩がマイクル・イネスの『ある詩人への挽歌』[xv]を紹介したときに、前半が古いスコットランド方言で書かれているので、ほとんど理解できなかった、と記している[xvi]。(『ある詩人への挽歌』の原書を持っていないので断言はできないが)そこまではいかないにしても、イネスの影響なのか[xvii]スコットランド方言を交えて書くことが、本書の狙いのひとつだったようだ。同じスコットランド人でも、医師のほうは普通の英語を話す。どうやら、上記のエルスパット伯母さんが、本書のスコットランドを象徴するキャラクターのようだ。

 訳者の井上一夫は、エド・マクベインの87分署シリーズのイメージが強いが、いかにもイギリス風(イングランドではないけど)の本書もお手のもののようだ。やはり、ヴェテランの翻訳家の方々はすごい。

 肝心のミステリの部分について、あまり言うべきことがないが、以上のことを合わせ見ると、カーが本書を代表作に挙げたのが納得できる。第二次大戦で幾度となく空襲を受け、命からがらの目に何度もあって、そんなときに、つかの間訪れたスコットランドは、カーの祖先の土地であり、戦争の脅威を忘れさせてくれる[xviii]桃源郷のようなものだったのだろう。ミステリは逃避の文学だというが、作者であるカーにとっても本書はまさにそうで、苦しかった時代の数少ない幸福な時間を思い出させてくれる記念碑のようなものだったに違いない。

 

[i] 『連続殺人事件』(井上一夫訳、創元推理文庫1961年)、291頁。

[ii] 二階堂黎人「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」『名探偵の肖像』(講談社、1996年、文庫版、2002年)、374頁。

[iii] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、282頁。

[iv] 第一の殺人のトリックが、理系オンチのカーのポカだったというのは、ここに記すまでもない有名な話だが、前記の二階堂前掲書も参照。

[v] グリーン前掲書、283頁。

[vi] 『連続殺人事件』、6頁。カー一家が何度となく空襲の被害を受けたことは、江戸川乱歩の紹介によっても、よく知られていた。江戸川乱歩「J・D・カー問答」『続・幻影城』(光文社文庫、2004年)、331頁。グリーンはさらに詳しく経緯を述べているが、乱歩の紹介が正確なのは、さすがである。グリーン前掲書、263-64頁。

[vii] 青山吉信編『世界歴史体系 イギリス史1 先史▶中世』(山川出版社、1991年)、122頁。

[viii] 『連続殺人事件』、26-27頁。

[ix] 同、26頁。

[x] 同、8頁。

[xi] 同、56頁。「事後従犯」もスコットランド法にはない(同、220頁)、というが(本当なの?)、このことは最後のオチに生きている。

[xii] John Dickson Carr, The Case of the Constant Suicides (Collier Books, New York, 1985), p.39.

[xiii] The Case of the Constant Suicides, p.27. 『連続殺人事件』、37頁。

[xiv] The Case of the Constant Suicides, p.50. 『連続殺人事件』、75頁。(一部改変)。

[xv] マイクル・イネスもスコットランド出身という。森 英俊編著『世界ミステリ作家事典[本格篇](国書刊行会、1998年)、42頁。

[xvi] 江戸川乱歩「イギリス新本格派の諸作」『幻影城』(光文社文庫、1987年)、125頁。

[xvii] 『ある詩人への挽歌(Lament for A Maker)』は1938年作。

[xviii] それでも防空暗幕などが出てきて、事件でも重要な役割を果たす。