J・D・カー『震えない男』

(本書の犯人その他を明かしています。)

 

 『震えない男』(1940年)[i]は、なかなかユニークな作品である。無論、ディクスン・カーには型破りの作品が多いが、本書では、二重三重のどんでん返しを試みている。それが最大の特徴である。

 どんでん返しが多いのは、ミステリなら当たり前だが、本作の場合、短編小説のどんでん返しのような印象なのである。あるいは、アンソニー・バークリーのような[ii]、といえば、わかりやすいかな。要するに、全体のオチのようなどんでん返しなのだ。

 フェル博士シリーズの第12作だが、40年代に入って、すでに戦争が作品の背景に現れている。事件の時代設定は1937年だが、最後の解決編が1939年9月で、まさに第二次世界大戦の勃発と重なる。そして小説の(第四の)最後のオチも、戦争に関係している。

 その一方で、前年の二作(『緑のカプセルの謎』、『テニスコートの殺人』)には見られなかった怪奇趣味がまた顔を出している。エセックス州の有名な幽霊屋敷に、主人公の物書きの青年と恋人が招かれる。屋敷では、17年前に、老執事が応接間のシャンデリアの下敷きになって死亡する事件が起きていた。どうやら、彼は、突然揺れ動きだしたシャンデリアに飛びついて、それをブランコのように揺らした挙句に墜落したらしい。さらに、恋人は、玄関に入る時に何かが彼女の足首を掴んだ、と言い張る。こうして、いつもながらのカー調で物語が始まる。

 翌朝、主人公が、やはり客のひとりで友人でもある建築家と話をしていると、突然銃声が聞こえる。現場の書斎に駆けつけると、こちらも主人に招かれてやってきた実業家が、額を撃ち抜かれて死んでいる。側にいた妻によると、壁にかけてあった拳銃が突如空中に浮き上がって、弾丸を発射した、という。

 妻には、秘密の恋人がいるとわかり、明らかに疑わしいが、証人の証言から疑惑は晴れる。かくして、幽霊による殺人という不可能犯罪のお膳立てができあがるわけである。

 『曲がった蝶番』、『緑のカプセルの謎』にも登場したエリオット警部がフェル博士とともに捜査に乗り出すが、本書の事件は、上述の二作より前で、警部が名をあげる以前だとわざわざ断っている。彼が偽の電報で呼び出される、という副次的な謎を入れたいためらしいが、このあたりの細かい細工もカーらしい。

 この後、建築家の青年が、17年前の老執事のようにシャンデリアの下敷きになって瀕死の重傷を負うと、事件は一気に解決に向かう。銃が宙に浮くトリックは、簡単な物理現象で、二階堂黎人が指摘するように[iii]、さしたることもないが、犯人も自然と割れてくる、という印象である。殺人方法が物理的トリックとなれば、当然疑わしいのは屋敷の主人ということになるからである。

 この人物の描写が少々変わっていて、最初登場したときは、「すてきだ、すてきだ、すてきだ」、と連呼する、いささか滑稽な性格に描かれている(訳のせいもあるかもしれないが)。しかし、物語が進むにつれて、徐々に底の知れない薄気味悪さと腹黒さを表してくる。最終局面での、この人物とエリオット警部の対決、というより辛辣なののしり合いはなかなか面白い。その後、フェル博士がトリックを明かすが、突然屋敷に火の手があがって、驚く間もなく焼け落ちてしまう。証拠が消滅して、事件は迷宮入りするところで、一旦小説は終る。読者もあっけにとられる。

 その後が、二年後の謎解きになるが、ここで二重のどんでん返しが来るわけだ。とくに二つ目は、ほとんどギャグに近いが、しかし、本作での犯人は結局、屋敷の主人なのである。彼は、自ら手を下したわけではないが、実行犯を巧みに誘導して犯行に至らしめる。実際に犯行を行ったのは、屋敷の主人もまったく想定していない別人というところが、ある意味皮肉な点であるが、本当の犯人である屋敷の主人は、他人を心理的に操って、自分が殺したいと思った人間を殺させるのである。まるで、エラリイ・クイーンの幾つかの小説に出てくる超人的精神操作能力の持ち主たちのようだ。

 本書には、こうした何人もの犯人が登場するが、実際に殺人を行った人間は、上述のとおり、真の犯人にとっても、思いもよらない人物であったというところが作者の狙いでもあるのだろう。最後に、フェル博士が伝える真犯人(屋敷の主人)の末路-ここで1939年9月という年月が意味をもってくる-は、最後のオチであり、少々わざとらしくもあるが、「皮肉な偶然」という本書のテーマには合致している。

 

[i] 『震えない男』(村崎敏郎訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ525、1959年)。

[ii] 代表例を挙げれば、『ジャンピング・ジェニイ』(1933年)。『毒入りチョコレート事件』(1929年)やアイルズ名義の『殺意』(1931年)なども、そうだろうか。

[iii] 二階堂黎人「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」『名探偵の肖像』(講談社、1996年、文庫版、2002年)、373頁。