J・D・カー『月明かりの闇』

(本書の犯人、トリック等について言及しています。)

 

 2000年に翻訳出版された『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(1967年)[i]は、副題どおり、フェル博士シリーズの最後の長編である。しかし、別に原題に「最後の事件」と謳っているわけではないのだから、副題は余計だったのではないか。『ドルリー・レーン最後の事件』とはわけが違うし、いちいち付記するのも面倒くさい。

 それにしても、原題はThe Dark of the Moonピンク・フロイドみたいですね。でも考えてみると、『狂気(The Dark Side of the Moon)』が発表されたのは1972年だから、本書から五年しかたっていない。ほぼ同時代というのが信じられない(しかもピンク・フロイドは1967年にデビューしている)のは、ディクスン・カーの作品がロック音楽の時代に書かれていたというのが、どうにもピンとこないからか。

 The Dark of the Moonという言葉は、文庫版では300頁に出てきて、「新月」と訳されている[ii]。あるいは満月に近い月の暗い部分で、隠された秘密を暗示している[iii]、ともいう。実際、本書では、冒頭から月が描写されていて、その後も、恒例の雷が鳴るのと並行して、月明かりの情景が繰り返し描かれる。本書の中心の謎を象徴しているのは確かなのだろう。その謎というのは、戦後のカーが執拗に作中で取り上げてきた男女の性愛に関わる秘密で、それがとくに本書では、人倫にもとる不道徳な男女関係であるところが、まさに隠されたほの暗い秘密というわけで、カーにこのようなタイトルを選ばせたのだろう。

 こういうと、何だか、横溝正史みたいだが、あんなえげつない(と言っては失礼だが)ものではなく、年上の男が若い娘に惚れて、法律上は彼女を自分の娘として養育しながら関係を続けている。カーの初期長編にも、実は同じような設定の作品がある[iv]。しかし、後者は、単に意外な犯人と動機が強調されていただけだったが、本書では、この秘密がプロットの中心となっており、(事実はそうではないのだが)暗に近親相姦を連想させるエロティックな側面が強調されているのが、戦前のカーとは異なる点だろう。表題の「月」には、そうしたエロティシズムも含意されているものと思われる。

 舞台は、再びアメリカのサウス・カロライナはチャールストンにあるメイナード邸で始まる。冒頭から、娘のマッジが男の腕に抱かれて、その睦言から、秘密の恋であることがうかがい知れる。そこに、彼女の求婚者の一人であるヤンシー・ビールが現れて声をかけると、正体不明の男は密かに姿を消す。このマッジの隠された恋人が何者かが、本書の謎のひとつになっている。メイナード邸に暮らすのは、当主のヘンリー・メイナードとマッジ、そして使用人たちだが、以上のエピソードがあった数週間後には、メイナードの旧友のロバート・クランドール、彼に恋い焦がれているヴァレリー・ヒューレット、ヤンシーともうひとりの求婚者リップ・ヒルボロ、マッジの友人のカミラ・ブルースといった面々が集まってくる。そこに、メイナードに請われてやってきたフェル博士に同行するのが、主人公格のアラン・グランサムで、彼は長いことカミラに恋心を抱き続けている、という-もはや突っ込む気力も失せたが-判で押したような、お馴染みの設定である。

 メイナード邸では、すでに、案山子が盗まれるという奇妙な盗難事件や、怪しい人影が邸内や、屋敷が見晴らす浜辺で目撃されるなど、気味悪い出来事が頻発している。そして、とうとうある夕暮れ、砕いた牡蠣の貝殻が細かく敷きつめられたテラスの中央で、椅子に腰を下ろしたメイナードが頭部の片側を打ち砕かれた死体となって発見される。周りには被害者の靴跡のみで、凶器も、そして犯人の足跡さえ残ってはいなかった。

 というわけで、『悪魔のひじの家』の密室に続き、カーの十八番の「足跡のない殺人』の謎である。面白いのは-いや、トリックは一向面白くないのだが-、この不可能犯罪が、カーには珍しい機械トリックであることだ。カミラが数学の専門家という設定[v]なので、彼女が謎解きか、あるいは犯罪計画に関わってくるのかと思うと、全然そんなこともなく、一体なんで数学の専門家なのか、よくわからない。これも本書の謎のひとつ(?)で、カーが数学が嫌いだということを言いたかっただけなのか。・・・話を戻すと、この振り子を応用した幾何学トリックは、なんだか日本の作家が使いそうなアイディアで、実際、島田一男の初期作[vi]によく似たトリックが使われている。もちろん、島田のほうが早い。

 まあ、こんな機械的トリックでも、戦後まもなくなら、まだ江戸川乱歩も感心して、「トリック集成」に採用してくれただろうが、1967年では、話題にもならないのも無理はない。本作のテーマである「男女の隠された関係」もゴシック小説めいているが、不可能犯罪のトリックがこうも機械的では興覚めで、何もかもが実に古色蒼然としている。

 ちなみに、この時期に『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』のコラム「地獄の仏」を書いていた石川喬司が、1967年1月号で絶賛しているのがギャビン・ライアルの『もっとも危険なゲーム』(1963年)で、12月号が、アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』(1967年)[vii]。これらもすでに古典だが、これじゃあ、早川書房も、カーなど出版する気にならなかったのは当然ですな。

 おまけに、アランとカミラのタッグが、もうもういいかげんにしてくれ、という鬱陶しい組み合わせで、カミラがアランに向かって、「いつもいつも私を馬鹿にして、鼻で笑ったりして、本当に嫌な人」、と散々なのである。まるで、前作の『仮面劇場の殺人』(1966年)に出て来たフィリップ・ノックスとジュディのペアと生き写しで、めまいを起こしそうになるが、最後には「でも、本当は、好きなの♡」って・・・。ふざけんな、お前ら、月の裏側にでも行っちまえ、というのが全ての読者の心の叫びだろう。

 そこに駄目押しするのがフェル博士で、登場して早々にこんなことをのたまう。

 

  「ミスター・メイナードはほとんど何も教えてくれなかった。はぐらかすことにか 

 けては、彼はまさに比類なき才能の持ち主だ。」[viii]

 

 これを読んだ瞬間、すべてのカー・ファンが、いやいやいや、と突っ込んだことだろう。どの口がこんなことを言ってんのか、と。

 しかも、その後には、こんな発言で怒りの火に油を注ぐ。

 

  「きちんと考えさえすれば、私のことばが謎めいていることなど一度もないことが 

 わかるはずだ」[ix]

 

 ああ、そうですか。私が考えなしなのが悪かったのですね、ああ、そうですか。

 カーも気がさして、この際、フェル博士本人に言い訳させたほうがよさそうだ、と思ったらしい。

 このほかに気になったのは、最初のほうで、メイナードとマッジ、ヤンシーの間の会話に、Q.E.D.という言葉が出て来たことだ[x]。カーもエラリイ・クイーンに毒されたのか。それとも、翌年、クイーンの同タイトルの短編集が出版される[xi]ので、友人のよしみでコマーシャルのつもりなのか。

 ついでに、チャールストンという地名は、チャールズ2世にちなんだものだそうだ[xii]。ダグラス・グリーンによると、カーは1967年春に同地を訪れ、この街を舞台にミステリを書く気になったのだ[xiii]、という。絶対、チャールズ2世に由来する街だから、というのが理由だろ。

 あれこれ文句を連ねたが、二十年ぶりに読みかえして、やっぱり楽しかった(犯人もトリックもすっかり忘れていたのだが、珍しく犯人がわかったので、浮かれているらしい)。なんやかんや言っても、カーは面白い。1930年代のような凄味はないが、ちょうどよいかげんの風呂に入っているような心地よさで、長年付き合ってきた読者のみ味わえる快適さである。

 さて、本書の最後、フェル博士は、まごついたように、ぶつぶつつぶやきながら姿を消す[xiv]。果たして、これがフェル博士のラスト・シーンだと、作者は決めていたのだろうか。実際、フェル博士が読者の前に姿を見せるのはこれが最後となった。長編では、1933年の『魔女の隠れ家』から数えて23作。35年間の実働期間は、ヘンリ・メリヴェル卿の20年(中短編を除く)に遥かに優る。途中、ヘンリ卿のほうが作者の寵愛を受けていたように見えることもあったが、結局最後までカーに付き合ったのはフェル博士だった。華々しいファンファーレはないものの、ごきげんよう、フェル博士、私はあなたが好きでした。

 

[i] 『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(田口俊樹訳、原書房、2000年)、『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(田口俊樹訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2004年)。

[ii] 『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、300頁。

[iii] 『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(原書房)、364頁、小森健太朗による解説。

[iv] 『剣の八』(1934年)。

[v] 『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、126-28頁参照。

[vi] 処女作の『古墳殺人事件』(1948年)。

[vii] 石川喬司『極楽の鬼 マイ・ミステリ採点表(ジャッジ・ペーパー)』(講談社、1981年)、128、162頁。

[viii] 『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、84頁。

[ix] 同、175頁。

[x] 同、20頁。

[xi] エラリイ・クイーン『クイーン犯罪実験室』(Q. E. D.: Queen‘s Experiments in Detection, 1968)(青田 勝訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1979年)。

[xii] 『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、37-38頁。

[xiii] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、465頁。

[xiv] 『月明かりの闇-フェル博士最後の事件-』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、494頁。