カーター・ディクスン『メッキの神像(仮面荘の怪事件)』

(犯人やトリックに触れています。)

 

 1933年から1941年までの9年間の間、1936年を除き、カーは毎年3作品以上の長編ミステリを発表し続けてきた。パズル・ミステリ作家としては驚くべきペースといってよい。しかし、1942年は、1932年以来十年ぶりに、長編2冊にとどまった。翌年はさらに1冊に減り、カー名義の本は出版されなかった。以後、カーが年間2冊を越える長編小説を執筆することはなくなる。江戸川乱歩が驚嘆したカーの黄金の1930年代は終り、それとともに古典的な長編ミステリの時代も過ぎ去って、第二次大戦後の新しい時代が訪れようとしていた。

 戦後、乱歩の音頭とりによって、カーが日本でもてはやされた一時期、すでにカーの全盛期は過ぎていた。結局、日本の読者は、1930年代のカーの黄金時代を同時体験することなく、1940年代後半以後になって、ようやくカーを追いかけ始めたことになる。つくづく、日本におけるディクスン・カーという存在は不思議だ。

 1940年代前半は、しかし、作品数は減少したとはいえ、一つひとつの作品の質は、極めて高く維持されていた。少なくとも、1940年から1944年にかけて書かれた11の長編は、ほとんどが秀作の域に達している。

 そのなかで、本書[i]は残念ながら、あまり好評価は得られていない。

 個人的には好きな作品なのだが、なぜだろう。メロドラマ的過ぎるのだろうか。だから好きなのかもしれない。『九人と死で十人だ』や『殺人者と恐喝者』のような緊張感や鬱屈したムードはあまり感じられず、雪のイメージが強いので、クリスマス、あるいは実際にクライマックスで描かれる新年のパーティのような明朗さが漂っている。カーには、クリスマス向きの短編怪談はいくらもある[ii]が、長編ミステリはなかった。ここで、ひとつクリスマス・ミステリを書いてやろうと思ったのか。犯罪自体には陰惨な部分があるが、プロットと並行して二組のロマンスが描かれるなど、登場人物もコメディ色が強い。

 主人公は、カー作品にはありがちな正体を隠した警察官で、仕事そっちのけ(とまでは言わないが)で、ヒロインに恋をする。その姉は、海軍中佐と主人公の友人との間で揺れ動き、最終的に海の男に持っていかれる。そして、一人あぶれた友人、例によって、高慢でプライドの高い有閑青年が犯人である(あ、言っちゃった。大丈夫だよね、最初に断ってるから)。

 事件は、秘蔵の絵画が盗賊に狙われている、と警察に相談にきた、姉妹の父親である富豪の屋敷に主人公が派遣されるところから始まる。といっても、小説の冒頭、ヒロインが主人公を案内して小劇場の明かりをつける場面は、なんだか途中から始まったような、本が落丁しているのではないか、と思わせる。これも、カーがよくやると言えばやる、お得意の語りのテクニックである。さて、相談を受けた警察は、富豪が盗難事件をでっちあげて保険金を詐取しようとしているのではないか、と疑う。主人公は、それを監視するのが、むしろ本務である。そして事件当日の深夜、突然大きな物音が響き、駆けつけた主人公は、盗賊と思しき覆面の男が、刺されて瀕死の状態で倒れているのを発見する。覆面を取ると、それは屋敷の当主で、ある意味予想どおりである。ところが、捜査が進むと、富豪は、絵画に保険をかけていなかったことが明らかとなる。また、彼は、前夜に、古い友人に向かって、「わたしが狙っている『メッキの男』はひとりだ」、と話している。一体、彼はなんのために盗賊に扮して、自宅に侵入したようにみせかけたのか。「メッキの男」とは何を意味しているのか。そして、何よりも、富豪を刺した犯人は誰で、なぜ名乗り出ないのか。

 このように、保険金詐欺、あるいは被害者(この場合は、盗難の被害者)が犯人、という、ミステリにはありきたりのテーマを、カー流に料理するとどうなるか、というのが本書の狙いである。40年代前半の諸作に共通するアプローチで、『かくして殺人へ』における「間違い殺人」や、『九人と死で十人だ』の指紋の偽造などと同様の、常套的なテーマをひっくり返す、あるいは一ひねりする手法である。この時期のカーは、ミステリの様々なテーマを吟味し直しているようなところがある。

 見方を変えると、これも同時期の長編に共通する、逆転ないし反転のアイディアである。換言すれば、役割の交換で、前作の『殺人者と恐喝者』が典型だったが、本書では、物理的な衣服の交換によって、盗賊とそれを捕らえようとする側との立場が反転するわけである。

 40年代前半の長編に特有の小味なトリックで、読者が思わず本を取り落とすほどの驚くべきトリック、とまではいかないのはやむを得ない。

 1940年に短編として書かれた「ハント荘の客(軽率だった夜盗)」[iii]を長編に引き伸ばした、というのも印象を悪くしているのかもしれない。「軽率だった夜盗」は、『カー短編集2』(1970年)に収められていたので、創元推理文庫版で本書を読んだという読者には、とうに短編を読んでいて、同じ内容で失望した、という人も多かったのかもしれない。

 エル・グレコの本名だとか、皿に水を一杯に浸して胸に乗せる医学的知識だとか、小ネタも満載だが、それらも感心させるというより、さしたることもない蘊蓄と受け取られたのだろう。

 ネガティヴな点ばかり述べてきたようだが、細かな伏線や手がかりは、いつものカーである。コンパクトにまとまった、手堅いパズル・ミステリであることは間違いない。カー中期の佳作として、楽しく読めるはずである。

 

[i] 『メッキの神像』(村崎敏郎訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1959年)、『仮面荘の怪事件』(厚木 淳訳、創元推理文庫、1981年)。

[ii] 「めくら頭巾」、「目に見えぬ凶器」、「二つの死」『カー短編全集1/不可能犯罪捜査課』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1970年)所収。

[iii] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、277頁。