ビー・ジーズ1977(2)

『グレイテスト・ライヴ』(Here At Last … Bee Gees … Live, 1977.5)

 ビー・ジーズ初の公式ライヴ・アルバムは、ようやく1977年になって登場した。

 本来、ビー・ジーズのようなポップ・バラードを得意とするグループはライヴに不向きだと思われているし、実際1972‐74年の来日公演は可もなく不可もなくの出来で、イメージを裏付けるものだった。そもそも演奏テクニックで聞かせるグループではないので、ライヴ・アルバムではもたない。しかも彼らの楽曲でライヴ向きのものは限られており、ヒット曲ではゼロに近い。こういったことも、ライヴ・アルバム制作を阻む要因になってきた、と考えられる。

 しかし、1976年の『フランプトン・カムズ・アライヴ』の大ヒット以来、ライヴ・アルバムが結構なブームとなり、ウィングズの『ウィングズ・オウヴァ・アメリカ』やバリー・マニロウドナ・サマーのライヴ・アルバムが次々にナンバー・ワンになった。それまでライヴ・アルバムを出していなかったビー・ジーズも、ついに(Here at last)リリースを決断したというわけだ。しかも二枚組である。もちろん、この決断の決め手となったのは、「ジャイヴ・トーキン」、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」と、とうとうビー・ジーズもライヴで映えるアップ・テンポのヒット曲を手に入れたことである。まさにHere at lastだったわけだ。

 ジャケットには、ひとつのマイクに集まって歌う3人の写真が使われている。例の手のひらを耳にかぶせて音を取るロビンと、ギターを手に目じりを下げて、まるでお爺ちゃんのような表情のバリー、控えめにマイクに向かって身をかがめるモーリスと、三者三葉、彼らが経験してきた紆余曲折の音楽人生をうかがわせる。よくぞここまで、としみじみ感慨にふけりたくなるようなジャケットだ。1967年の英米デビューから10年目の記念アルバムの意味もあったのだろう。録音は、1976年12月20日アメリカ、ロスアンジェルス

 

A1 「獄中の手紙」

A2 「偽りの愛」

A3 「宇宙の片隅」

A4 「カム・オン・オーヴァー」

A5 「悲しませることなんてできないよ」

 ライヴは「獄中の手紙」からスタートする。かつてはコンサートの終盤に演奏される目玉の曲だったが[i]、1976年ともなると、1曲目から比較的ライヴ向きのこの曲が登場する。それだけライヴ用の曲も揃ったということだろう。

 実際のライヴを忠実に再現しているのだとすれば、2曲目で早くも最新ヒットの「ラヴ・ソー・ライト」が始まる。ライヴではどうかと思える曲だが、なかなか再現度は高い。バリーのファルセットもレコードの雰囲気を保っている。

 「宇宙の片隅」からの3曲も『メイン・コース』、『チルドレン・オヴ・ザ・ワールド』収録の最新曲。このうち「宇宙の片隅」がシングル・カットされたが、この選曲には少々首を傾げる。悪いというわけではないが、一連のヒット曲を考えると、ディスコ風の「悲しませることなんてできないよ」のほうがよかったのではないか。あるいはDサイドの「ウィンド・オヴ・チェンジ」などでもよい。

 

B1 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」

B2 「ラン・トゥ・ミー~ワールド」

B3 「ホリデイ~誰も見えない~ジョーク~マサチューセッツ

B4 「傷心の日々」

B5 「ラヴ・サムバディ」

 Bサイドは、過去のヒット曲が集められている。もちろん初めからそのようにライヴでも構成されているのだが、このパートは、ジャケットにある通りにひとつのマイクの前に集まって、バリーのギターを中心に歌う、恒例の、いわばアコースティック・セットの位置づけのコーナーだ。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」から、手慣れた調子で進行する。このスタイルがいつから始まったのかはわからないが、初来日のときにも「ジングル・ジャングル」と「イン・ザ・モーニング」がメドレーで歌われたらしいので、この頃からスタートして、次第にメドレーの楽曲数を増やしていったのかもしれない[ii]

 とくに「ホリデイ」から「マサチューセッツ」のメドレーは、ロビンのヴォーカル曲で、このようにメドレーで一か所にまとめられてしまうのは、彼にとっては不本意だっただろうが、当時のバリーのヴォーカルによるディスコ・ダンス・ソングを中心に据えた構成上、仕方がなかったのだろう。

 アメリカでの大ヒットの「傷心の日々」を挟んで、「トゥ・ラヴ・サムバディ」は、原曲を相当大胆にアレンジして、テンポを落とし、リズム・アンド・ブルース色を強調している。バリーの歌い方も、かなり自由にメロディを変えて、ソウル色がさらに強まっている。これもこの時期に合わせた変更なのだろう。

 

C1 「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」

C2 「ブギー・チャイルド」

C3 「ダウン・ザ・ロード

C4 「ワーズ」

 サイドCは、このライヴ・アルバムのクライマックスといえる。何といっても聞きものは8分におよぶ「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」だろう。前半はほぼレコードどおりだが、後半はライヴらしいインストルメンタル・パートが延々続くというビー・ジーズらしからぬ、しかしロック・バンドらしい展開となる。そう、『ヒア・アット・ラスト』は、この後何枚かリリースされるビー・ジーズのライヴ・アルバムと比べても、もっともロックらしいアルバムなのだ。「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」も、続く「ブギー・チャイルド」もディスコ・ヒットなのだが、ライヴのノリはむしろロックで、3曲目の「ダウン・ザ・ロード」がビー・ジーズのレパートリーで最もロックっぽい曲であることからもそのことは頷ける。「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」の後半のインストルメンタル・パートで、モーリスのベースが段々とフレーズを足していくと、他の楽器も加わり、最後はデニス・ブライオンのドラム・ソロで締めくくるのも、いかにもといった趣向になっている。

 最後の「ワーズ」は、わざわざモーリスによる「皆さん、バリー・ギブです」の紹介があって、バリーがソロで歌う。当時のバリーの人気を如実に示す歓声が目立つ。”There’ll be no other time.”のところで、観客の男性が”Don’t worry.”と叫ぶのがおかしい。

 

D1 「ウィンド・オヴ・チェンジ」

D2 「ブロードウェイの夜」

D3 「ジャイヴ・トーキン」

D4 「ロンリー・デイ」

 最後のDサイドは、このアルバムでも白眉のパートだ。「ウィンド・オヴ・チェンジ」から「ブロードウェイの夜」と、『メイン・コース』のハイライトの楽曲で大いに盛り上がる。演奏もタイトだ。この2曲から、ライヴ・アルバムの発売に踏み切った理由がわかる。この出来なら、ロックのライヴ・アルバムとしても及第点だろう。最後はナンバー・ワン・ヒットの「ジャイヴ・トーキン」と、アンコールは「ロンリー・デイ」。初来日コンサートでは、ラストがこの曲で、アンコールが「スピックス・アンド・スペックス」だったことを思うと、実際は4年しかたっていないのが信じられないほどだ。アメリカで初のミリオン・セラーとなった、とっておきの曲も、アンコールに回せるようになったわけだ。

 ビー・ジーズのライヴ・アルバムとしては、『フィーヴァー』の曲が入っていないことは-時期的に仕方ないとはいえ-大きなマイナスではあるが、その熱気と躍動感から見れば、『ヒア・アット・ラスト』は彼らのライヴ・アルバムのベストといってよいだろう。もっとも脂ののった時期のパフォーマンスが、ここには収められている。

 

[i] 1972年の初来日のコンサート(3月23日、渋谷公会堂)でも、最後から5番目のクライマックスで演奏されていたようだ。『ミュージック・ライフ』(1972年5月号)、102頁。

[ii] 同。