ビー・ジーズ1977(1)

 英米デビューから10年たった1977年、ビー・ジーズ、とりわけバリー・ギブはソング・ライターとしての絶頂期を迎えた。マイダス王のごとく、彼が触れる、いや、書く楽曲は次々にゴールド(・ディスク)に変わった。黄金どころか、プラチナ(・ディスク)に変わるものさえ1枚や2枚ではなかった。(もっともマイダス王同様、その反動(報い?)も来たのだが。)

 現実には1978年がビー・ジーズの音楽活動のピークだったが、それらの楽曲の多くは1977年に書かれ、発表された。ちなみにこの年、バリーが単独で、あるいは兄弟達や他のパートナーと書いた曲、もしくは発表した曲は、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・ビー・ユア・エヴリシング」、「(ラヴ・イズ・)シッカー・ザン・ウォーター」[i]、「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー」、「ナイト・フィーヴァー」、「ウォーム・ライド」、「モア・ザン・ア・ウーマン」、「(アワ・ラヴ・)ドント・スロー・イット・オール・アウェイ」、「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」、「ステイン・アライヴ」、「エモーション」などである。

 これら10曲はすべてシングル発売され、全米トップ40にランクされたが、うち8曲がトップ10に入り[ii]、ミリオン・セラーとなった。さらに3曲がプラチナ・ディスクに認定されている[iii]。トップ10入りの8曲のうち6曲は全米ナンバー・ワンで、トータル22週間トップに立った[iv]

 もちろんヒット曲すなわち名曲ではないが、そもそも「名曲」の定義そのものが曖昧で、数値化しにくい。名曲の認定が個人の主観によるとすると、客観性を保証するには、カヴァー曲の数などで測るしかない。音楽ファンによる投票が一番公正かもしれないが、時間の経過とともに名曲と認められる曲も少なくない。いや、時間を経ても支持される曲が名曲ということになるのだろう。曲が書かれた時期やレコーディングされた時期がヒットした時期と異なる例も多い。結局、売り上げやオン・エア回数がリスナーの支持を計る最もわかりやすい指標ということになる。

 その意味では、1977年から1978年にかけてのバリー・ギブはアメリカの音楽ファンに最も支持されたソング・ライターだった。

 

A1 「恋のときめき」(1977.5)

1 「恋のときめき」(I Just Want to Be Your Everything, B. Gibb)

 「恋のときめき」は、バリーが他のアーティストに書いてナンバー・ワンになった最初の曲となった。いわば彼のソング・ライターとしての地位を確立させた作品である。

 アンディ・ギブの回想によると、バリーはこの曲を20分足らずで書いた(さらにアンディとバリーが共作した「愛の面影」は40~50分でできたらしい)[v]、という。確かに複雑な曲でも、歌詞でもなく、さっと書かれたと聞けば、納得するが、それでナンバー・ワン・ヒットになるのだから、この時期のバリーの創作力が沸点に達していたことは明らかだ。

 そして楽曲自体も、創作力の高さに見合った素晴らしい出来である。1977年は、デイヴィッド・キャシディの弟であるショーン・キャシディが一足早く全米ナンバー・ワンを達成しており[vi]ビー・ジーズの弟であるアンディ・ギブは彼と比較されることも多かったが、キャシディの曲が1963年の「ダ・ドゥー・ロン・ロン」のカヴァーで、彼の声も「王道の」アメリカン・ポップ・シンガーと言えるものだったのに対し、「恋のときめき」は、形容が難しい。ミディアム・テンポのポップ・ソングではあるが、バリーのファルセットがコーラスに加わっているせいもあってか、ディスコ調のソウル・ポップとも取れる。ビー・ジーズ同様、マイアミ録音のためか、カリビアン・ミュージックの雰囲気も感じられる。アンディの声も、ポップ・シンガーにしてはハスキーで、兄弟らしくバリーの声によく似ている。ただし、バリーよりは線が細く、そこは10代らしい。ラストでは、バリーの影響もあるのか、ソウル風にシャウトする箇所もある。

 一言でいえば、70年代らしいティーンズ・ポップといえるのかもしれない。いずれにしても、このいささかも停滞することなく自然に流れていくメロディがもたらす爽快感はなにものにも代えがたい。バリー・ギブの単独作のなかでも最上位に位置するポップ・ソングの傑作に違いない。

 

「愛はきらめきのなかに」(1977.10)

1 「愛はきらめきのなかに」(How Deep Is Your Love, B, R. & M. Gibb)

 本作もブルー・ウィーヴァーの果たした役割が大きかったと伝えられている。ウィーヴァーの回想によれば、ニュー・アルバムの制作(やがて『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』へと変更された)のために北フランスのシャトー・デルーヴィルに滞在していた時、ある日スタジオでバリーがウィーヴァーに「君が知っている一番きれいなコードを弾いてくれ」と頼んだ、という。ウィーヴァーの弾くピアノに合わせてバリーが書いたのがこの曲らしい。作曲者に名前はないが、このエピソードも、この時期バリーの作曲のパートナーがモーリスからウィーヴァーに代わっていたことを物語る。

 そのウィーヴァーのエレクトリック・ピアノのイントロ-この曲の魅力を大いに高めている[vii]-から始まる本作は、しかし、必ずしも飛びぬけて印象的なフレーズがあるわけではない。例えば、ポール・マッカートニーの「イエスタデイ」や「ミッシェル」などとは比べるべくもない。けれど、起伏のあるメロディが緩やかなリズムに乗ってどこまでも続いていく感覚-実際、曲の終わりから、また最初に戻って無限にループする構成なのだが-の心地よさは、まれにしか味わうことのできないものだ。究極のBGM―Bee Gees Music-といえるだろう。

 「ファニー」や「偽りの愛」のようなソウル・バラードから、いわゆる白人シンガーの歌うアメリカン・ポップ・バラードへの転換とも映るが、『メイン・コース』の「ベイビー・アズ・ユー・ターン・アウェイ」以来のこの試みのヒントとなったのは、あるいは、前年に全米1位になったシカゴの「愛ある別れ(If You Leave Me Now)」[viii]あたりだろうか。

 盗作騒動はあったが[ix]、バリーが自作ベストに挙げる曲であり、その評価は大方の認めるところと一致する。まさにビー・ジーズを代表する楽曲である。

 

2 「悲しませることなんてできないよ」(Live Version)

 

『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』(Saturday Night Fever, 1977.10)

A1 「ステイン・アライヴ」(Stayin‘ Alive, B, R. & M. Gibb)

 強烈なベース・リフに乗って始まる本作は、トリプル・ミリオンを達成したビー・ジーズの最大のヒット曲のひとつである。

 言うまでもなく、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」の発展形だが、前者のような抑制されたディスコ・ソングではなく、もはや手慣れたフィールドで勝負しているという自信に満ち溢れている。

 この曲のポイントは、心臓の鼓動と一致するという[x]、こちらに向かって迫ってくるようなビートと、最初から最後までシャウトし続けるバリーのファルセットだろう。本来、ファルセットは、ここぞというときに男性が女性の声でメロディアスに歌うところに妙があるはずだが、この曲では、何かを叩きつけるような破壊力を持って詰め寄ってくる[xi]

 ロビンによれば、本作のテーマはダンスではなく、都会で生き残っていくということ[xii]、らしいが、確かにその通りだとしても、80年代のアンチ・ディスコの反動もあって、ディスコ・ソングとして見られたくないという本音が多分に見て取れる。

 しかし、本作は、都会に生きる若者を描いたという点も含めて、やはりディスコ・ソングであり、だからこそ70年代を象徴する楽曲たり得ていると言える。もちろん、70年代のビー・ジーズの音楽は、多面体である彼らの一つの面に過ぎないことも事実だが。

 

A2 「愛はきらめきのなかに」

A3 「恋のナイト・フィーヴァー」(Night Fever, B, R. & M. Gibb)

 この曲もまた、ブルー・ウィーヴァーがきっかけを作った、とされている。

 ある朝、バリーが部屋に入ってくると、ウィーヴァーがパーシー・フェイス・オーケストラの1960年の大ヒット曲である「夏の日の恋」[xiii]のディスコ・ヴァージョンを弾いていた。それを聞き留めたバリーが曲のアイディアを得たらしい[xiv]。確かに「恋のナイト・フィーヴァー」は、「夏の日の恋」を思わせるような流麗なストリング・シンセサイザーで始まる。

 しかし、そのイントロをかき消すように飛び出すバリーのファルセットは、言葉を吐き出すようにシャウトして、ほとんどメロディになっていない。たとえダンス・ソングでもメロディを重視するビー・ジーズの楽曲としては、相当に意表を突いている。ところが、続く展開部で、一転してソフトなアーバン・ポップに変身し、そのまま”Night fever, night fever”のキャッチーなコーラスへと繋がっていく。その後、8小節の中間部を挟んで、再びコーラスに戻る構成はかなり複雑で、メロディアスなパートとリズム中心のパートが、さほど長くない曲のなかで対比的に描かれている。

 構成が複雑であるがゆえに、「ステイン・アライヴ」ほど完璧ではないし、ダンス・ナンバーにしては強弱の変化をつけすぎているとも思えるが、第3弾シングルのこの曲が、まさに映画を象徴する楽曲となり、先行するシングル2枚を上回り、8週間にわたって全米チャートのトップを走った。当然のようにプラチナ・シングルとなるが、2枚連続は、史上初の快挙だった(もっとも、プラチナ・シングルの認定は1976年で、例えばビートルズのレコードはこの時点では対象になっていない)。ともあれ、『フィーヴァー』の3枚のシングルは、ビー・ジーズの代表作であり、彼らの膨大な作品群のなかから、あえてベスト・ファイブを選ぶとすれば、「トゥ・ラヴ・サムバディ」、「ワーズ」、「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」、「ステイン・アライヴ」、「ナイト・フィーヴァー」というところに落ち着くだろう。

 

A4 「モア・ザン・ア・ウーマン」(More Than A Woman, B, R. & M. Gibb)

B2 「モア・ザン・ア・ウーマン」(タヴァレス)

 ややアップ・テンポだが、曲調は「ラヴ・ソー・ライト」などと同様のメロディアスなソウル・バラードである。タヴァレスのヴァージョンは黒人グループらしくファンキーなノリを感じさせるパワフルなアレンジだが、ビー・ジーズのヴァージョンは、よりバラードらしく、こちらが、彼らが思い描いていたスタイルなのだろう。

 それにしても、タヴァレスのヴァージョンが収録されているのに、なぜビー・ジーズのヴァージョンもサウンドトラック盤に入れたのだろう。曲が足りなかったのか。それなら、なぜ「アイ・キャント・ハヴ・ユー」のビー・ジーズ・ヴァージョンは入っていないのだろうか。まあ、デモに毛の生えた程度の「アイ・キャント・ハヴ・ユー」を収録しなかった理由は何となくわかる。それに比べれば、「モア・ザン・ア・ウーマン」の出来は満足のいくレヴェルだった、ということだろうか。

 そういった詮索はさておいて、「モア・ザン・ア・ウーマン」はほぼ完璧な曲だ。イントロからエンディングまでキャッチーなメロディが隙間なく詰め込まれている。スタイリスティックスあたりを連想させるが、もはや彼ら自身の自家薬籠中のものになっている。バリーのファルセットで通すのは、やや苦しかったか。

 

A5 「アイ・キャント・ハヴ・ユー」(If I Can’t Have You, B, R. & M. Gibb)(イヴォンヌ・エリマン)

 「もともとアバのために書いた」、というモーリスのコメントが残っている[xv]。確 かに、哀調を帯びたメロディは、ブリティッシュ、というよりヨーロピアン・ポップの風情がある。もちろん、アバが、他人が書いた曲を必要とするはずもなく、アバをイメージして書いたという意味だろう。もっとも、モーリスは続けて「ディスコっていうのは、K. C. (アンド・ザ・サンシャインバンド)やドナ(・サマー)のことだよ」、と付け加えているので、上記の発言も、『フィーヴァー』に書いた曲はディスコ・ソングではないということを強調したかったらしい。

 ディスコであろうとなかろうと、この曲もビー・ジーズのメロディ・メイカーぶりを堪能できる作品だ。ヴァースは通常の4小節単位ではなく、2番でフレーズを増やすなど、かなり自由な作りで、コーラスの” If I Can’t Have You”のタイトル・フレーズが最初は前の小節で歌われるなど、細かい細工が見られるが、ヴァースからコーラスまでまったく無駄なメロディがない。ヴァースのメロディが、とか、コーラスがちょっと、とか感じさせない、完全無欠のポップ・ソングである。ビー・ジーズのメロディを生み出す才能は、「ステイン・アライヴ」や「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」以上に、「モア・ザン・ア・ウーマン」やこの曲のほうに、端的に表れている。

 イヴォンヌ・エリマンのヴァージョンは、演奏がややラフだが、彼女の声はこの曲を100パーセント活かしている。わずか3分足らずの曲だが、言うことのない完成品だ。

 

アンディ・ギブ「愛の面影」(1977.9)

1 「愛の面影」(Love Is Thicker Than Water, B. and A. Gibb)

 初のバリーとアンディの共作だが、無論、中心となったのはバリーのようだ[xvi]

 タイプは異なるが、この曲も「恋のときめき」同様、素晴らしく魅力的なメロディからできている。むしろメロディの美しさでは、前作に優っているといってよいだろう。いわゆる日本人好みのメロディともいえる(ヒットはしなかったが)。また、前作以上にラテン風味が感じられる。

 シングル・レコードとしては、しかし、かなり地味だし、アレンジも必要以上に凝っている。当時クライテリアでレコーディングしていたイーグルズのジョー・ウォルシュがゲスト参加し、まさにイーグルズらしい印象的なギターを弾いて、地味なアレンジにアクセントをつけているが、エンディングでは、そのウォルシュのギター・ソロを受けて、長いスキャット・コーラスが続く。随分と物静かなコーラスで、そのままフェイド・アウトとなる。シングル・ヴァージョンでは途中がかなりカットされているが、それにしてもシングルらしからぬ不思議なアレンジだ。

 それでも全米チャートではじわじわと上昇を続けて、1978年2月にトップにたどり着いた。デビューから2曲続けての快挙で、ビルボード誌の1978年年間チャートでも9位と、新人としては驚異的な成功を収めた。

 

サマンサ・サング(Samantha Sang)「エモーション」(1977.11)

1 「エモーション」(Emotion, B. and R. Gibb)

 1977年のいわゆるサタデイ・ナイト・フィーヴァー・セッションで書かれた曲のひとつで、「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」と同じアメリカン・ポップ・バラード作品。ただ、バリーがファルセットでバック・コーラスを務めていることも影響して、コーラスはソウル・バラード風に聞こえる。

 バリーが提示した「(アワ・ラヴ・)ドント・スロー・イット・オール・アウェイ」とこの曲のうちから、サマンサ・サングがこちらを選んだ、といわれているが、どちらもミリオン・セラーを記録した。さらに本作は全米チャートで最高3位ながら、プラチナ・ディスクを獲得するメガ・ヒットとなった。同じバラードでも、「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」より売れたわけだ。

 曲としては、その「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」以上にスローで、まるで子守唄のようだ。但し、子どもを寝かしつける子守唄ではなく、恋人にささやきかけるムーディなピロー・ソングである。サングの声はバリー同様にハスキーで、コーラスはバリーの声と見分け、いや聞き分けがつかない。実質、デュエットといえよう(これはアンディ・ギブのレコードにも言えるが)。(「悲しませることなんてできないよ」でも使われた)曲の終わりの輪唱のようなコーラスも美しい。まさに、この時期のバリーは打ち出の小鎚状態だった。

 

「ステイン・アライヴ」 (1977.12)

1 「ステイン・アライヴ」

2 「アイ・キャント・ハヴ・ユー」(If I Can’t Have You)

 ビー・ジーズのこの曲のヴァージョンは、前項で触れたようにデモ・ヴァージョンとしか聞こえない、水準以下の出来だ。全体的に弛緩していて、エリマンのヴァージョンのようなメリハリがまったく感じられない。ただ、ソフトなアレンジは「ラヴ・ソー・ライト」などのようなソウル・バラードに近く、ビー・ジーズ、とくにバリーがイメージした出来上がりが想像できる点が興味深いといえる。曲調は、次回作の「トラジディ」につながるものだが、「トラジディ」がアップ・テンポのアレンジになったのは、エリマンの「アイ・キャント・ハヴ・ユー」のアレンジがヒントになったのだろうか。

 

[i] 最初の2曲は、1976年10月頃にレコーディングされたという。Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1976.

[ii] “More Than A Woman”(タヴァレス、32位)、”Warm Ride”(レア・アース、39位)を除く8曲。

[iii] “Stayn’ Alive”、”Night Fever”、”Emotion”(サマンサ・サング、3位)の3曲。

[iv] “I Just Want to Be Your Everything”(アンディ・ギブ、4週)、”How Deep Is Your Love”(3週)、”Stayn’ Alive”(4周)、”(Love Is)Thicker Than Water”(アンディ・ギブ、2週)、”Night Fever”(8週)、”If I Can’t Have You)”(イヴォンヌ・エリマン、1週)。

[v] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, pp.424-25.

[vi] 1977年7月16日付で1位。フレッド・ブロンソン(かまち潤監修)『ビルボード・ナンバー1・ヒット 下』(音楽之友社、1988年)、470。

[vii] 会田裕之「ビー・ジーズ再び 今、きらめきの中に!」『ミュージック・ライフ』(1978年5月号)、149頁、小貫信昭『小田和正インタビュー たしかなこと』(ソニーマガジンズ、2005年)、41頁。

[viii] 1976年10月23-30日。

[ix] 彼らに代わって弁明しておけば、ビー・ジーズがパクるのはヒット曲に限られる。

[x] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, pp.415-16.

[xi] Ibid., p.416.

[xii] Ibid.

[xiii] 「夏の日の恋(The Theme from “A Summer Place”)」は、1960年2月22日から9週間連続でビルボードの1位となった。

[xiv] Ibid., p.414.

[xv] Tales from the Brothers Gibb: A History in Song 1967-1990 (1990).

[xvi] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.426.