ビー・ジーズ1963-1964

 ビー・ジーズの3人、バリー・ギブ(1946-)、双子のロビン・ギブ(1949-2012)とモーリス・ギブ(1949-2003)は、イギリスのアイリッシュ海に浮かぶマン島に生まれ、マンチェスターに移り住んだ後、1958年に家族とともにオーストラリアに移住するが、それ以前から既にスリー・パート・ハーモニーのコーラス・グループとして歌い始めていたという。オーストラリアで音楽活動はさらに本格化して、カー・レーシング場でアルバイトをしながら歌っているところを、プロモーターのビル・グッドに紹介される。さらにグッドからディスク・ジョッキーのビル・ゲイツに引き合わされて、音楽業界に関わりをもつようになった。そして1959年3月、ギブ兄弟と両親は、グッドとゲイツの両ビルと5年間のマネージメント契約を結ぶ。これがビー・ジーズのエンターテインメント業界への参入の時期ということになるのだろう[i]。既に作曲を始めていたバリーは、やがて職業的なソング・ライターとして活動を始める。しかし、彼ら自身がコーラス・グループとしてデビューを飾るのは、家族がシドニーに移った1963年まで待たなければならなかった。

 

S01 ビー・ジーズ「ザ・バトル・オヴ・ザ・ブルー・アンド・ザ・グレイ」(1963.3)

A 「ブルー対グレイ」(The Battle of the Blue and the Grey, B. Gibb)

 オーストラリアのフェスティヴァル・レコードから発売されたビー・ジーズの初めてのシングル・レコード。バリーの作曲で、彼がリード・ヴォーカルを取っている。当時、バリーが16歳、モーリスとロビンが13歳。双子はまだ声変わりしていない。

 軽快なテンポのウェスタン調のポップ・ソングで、サビのコーラスで始まるABA型の構成の曲。何というか、どこにでもあるような曲で、批評のしようがない。途中、トーキング・スタイルというのか、今でいうラップ調になったりして、16歳が作った曲にしては、そつがない。メロディも覚えやすく完成されている。ただし、バリー・ギブの個性らしきものは、まだまったく感じられない。

 面白いのは歌詞で、日本人には意味不明なタイトルと思われるが、アメリカの南北戦争がテーマで、青色と灰色は北軍と南軍の軍服の色だという[ii]。オーストラリアに住むイギリス人が作った歌としては少々変わっているが、一体何でまた16歳の少年が、このような題材で曲を書こうと思ったのだろうか。歴史の授業で習った?

 この後、イギリスでのデビュー曲が「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」だったことを考えると、ありふれたラヴ・ソングでないところが共通していて、偶然にしても興味深い。

 

B 「三つのキス」(Three Kisses of Love, B. Gibb)

 ・・・B面は、ありふれたラヴ・ソングだった。A面よりスローだが、こちらも軽やかなテンポに乗って、兄弟の一糸乱れぬコーラスが既にしてビー・ジーズを感じさせる。

 曲はA面に負けず劣らず、古臭い。ビー・ジーズの歌手デビューは、ビートルズから遅れること、わずか5か月だが、そのビートルズはすでにイギリスで「プリーズ・プリーズ・ミー」をリリースしている。ビー・ジーズのほうはといえば、50年代かと見間違うようなオールド・スタイルのコーラス・ナンバーである。

 しかし、曲は、A面と同じようなことをいうが、16歳が書いたにしては随分こなれている。メロディに魅力があり、思わず口ずさみたくなる親しみやすさがある。日本で最初紹介されたときには、こちらがデビュー曲と書かれていた記憶があるが、実際、バリーの証言によると、本作のほうが演奏することが多かったそうだ[iii]

 

S02 ビー・ジーズ「ティンバー」(1963.7)

A 「ティンバー」(Timber!, B. Gibb)

 ビー・ジーズの第二弾シングル。古い。実に古臭い(と、最初に聞いた数十年前に、すでにそう思った)。『1960年代のビー・ジーズ』でも、1950年代後半の曲のようだ、と評されている。しかし、途中入る「イェー、イェー、イェー」の掛け声は「ビートルズ風だ」とも書いていて[iv]、そりゃあ、「シー・ラヴズ・ユー」よりちょっと早いかもしれないが、そんなことを自慢しても仕方がない。

 また、異常にテンポが速くて、ジョセフ・ブレナンは、スピードが間違っているように聞こえる、と言っている[v]。双子のコーラスは、まだ声変わり前で、バリーも含めて実に若々しい。まるで、オズモンド・ブラザーズが歌っているみたいだ。ブラザーズといえば、ビートルズとともに、初期のビー・ジーズに影響を与えたとされるエヴァリィ・ブラザーズとの相似が指摘される曲[vi]でもある。

 ストリングスが入っているのも初めてのことで、しかし、後年のようなオーケストラではなく、実際はヴァイオリン一丁[vii]というショボさであったようだ。

 とはいえ、ドンドコドンのイントロから、ポップでキャッチーなメロディが飛び出す。たわいないといえば、たわいないが、すぐに覚えて、ついつい鼻歌で歌ってしまいそうな中毒症状は、その後のバリーの魔術的旋律を予感させる。

 ちなみに、本作がBEE GEES名義の初のレコードだったそうだ。1枚目は、なぜかBEE=GEESの表記だったとか。

 

B 「あの星をつかもう」(Take Hold of That Star, B. Gibb)

 こちらもレコードをかけた瞬間に、ぼろぼろに崩れるのではないかと思うような古色蒼然としたポピュラー・ミュージック。現代の若い耳からすれば、50年代も60年代も、70年代さえ同じようなものかもしれないが、まるで日活(古いなあ)の青春映画のような邦題からして、なつかしすぎる。

 バリーの声も妙に落ち着き払って、おじさんくさいが、カントリー・タッチのバラードなのに、サビの歌いまわしがソウルっぽいのは、すでにして彼らしい個性が現れている。いや、それとも、むしろリズム・アンド・ブルースのバラードのつもりだったのか。初めてギターを披露したレコード[viii]でもあったようだが、何よりも、バリー・ギブの「最初のバラード」であることが記憶に値する。

 

S03 ビー・ジーズ「ピース・オヴ・マインド」(1964.2)

A 「ピース・オヴ・マインド」(Peace of Mind, B. Gibb)

 最初の2枚と同じく、古くさいことに変わりはないが、3枚目にして、当時の最先端、ビートルズ、すなわちリヴァプールサウンドを取り入れたナンバーが登場する[ix]。先の2枚が嘘のような迫力で、激しいギター・ソロに絶叫(バリー?)入りと、一気にビート・バンドに変身したかのようだ。

 それにしても、ビートルズのブレイクは、イギリスとアメリカでは約一年のタイム・ラグがあるが、オーストラリアではどうだったのだろうか。イギリスでは1963年1月発売の「プリーズ・プリーズ・ミー」で人気に火が付いたが、アメリカでは1963年12月リリースの「抱きしめたい」が翌年1月にチャート1位になって、ようやく空前のビートルズ・ブームが訪れる。「ピース・オヴ・マインド」は2月に発売されているので、アメリカでの人気爆発を受けて、というには早すぎるようだ。イギリスにおけるビートルズ人気は1963年中にオーストラリアに上陸していたのだろう。しかし、「ティンバー」にはビートルズのかけらもないところを見ると、やはりイギリスに比べて半年くらいの遅れはあったのだろうか。

 本作は、ビートルズ以上にシンプルなメロディだが、「ラヴィン・ア・ガール・ライク・ユー」のフレーズは、いかにものリヴァプールサウンド調で、さすがマンチェスター出身のグループ、近いだけに吸収するのも早かったようだ(「マンチェスターリヴァプール」というポップ・ソングもありました)。

 

B 「さよならは言わないで」(Don’t Say Goodbye, B. Gibb)

 A面の激しいビートはどこへやら、B面はのどかなカントリー・タッチのバラード。

 例によって落ち着き払ったバリーのヴォーカルは、むしろ間延びして聞こえるが、「オー・ノー、ドント・ゴー、ドント・メイク・ジス・プア・ボーイ・クライ」の親しみやすいフレーズは結構ツボに入る。

 どんな曲でもこなせる器用さは、確かに彼らの最大の長所のひとつでもある。すでにデビュー当初から、そうした柔軟性は全開で、そのことを実証するような曲だ。

 

S04 ビー・ジーズ「閉所恐怖症」(1964.8)

A 「閉所恐怖症」(Claustrophobia, B. Gibb)

 ビー・ジーズリヴァプールサウンド第二弾。

 シドニーのバンドであるデラウェアズをバックに従えてのビート・ナンバーで、バリーに続き、モーリスもギターで演奏に参加、さらには、ロビンもメロディカという楽器で加わったという[x]。間奏の学芸会のようなハーモニカと思っていたのは、ロビンの演奏だったのか!

 実態はどうであれ、これは史上初のビー・ジーズ・バンドによるレコードといってよいのではないか。

 それにしても、どういうタイトルだ、これ。「ぼくは閉所恐怖症になっちまう。だって、こんなに大勢の男たちが君の心のなかにいたなんて」。うーん。うまいこと言うなあ?なんだか大喜利みたいだが・・・、座布団一枚!って、いってる場合か!

 しかし、この「アイ・ゲット・クローストロフォビア~」のメロディはなかなかどうしてキャッチーだ。

 

B 「クッド・イット・ビー」(Could It Be, B. Gibb)

 こちらもデラウェアズとの共演曲。

 A面ほどメロディアスではなく、従って、よりロック的というか、よりビートが強調されたアップ・テンポのナンバー[xi]

 サビのコーラスなども、実に上手にイギリスのビート・バンドを真似ている(皮肉ではない)。4枚目シングルは、AB面ともリヴァプールサウンド、ということで、この路線で両面ヒットを狙ったのだろうが、結果は残念ながら、というか、案の定失敗に終わった。

 

S05 ビー・ジーズ「ふりかえった恋」(1964.10)

A 「ふりかえった恋」(Turn Around, Look at Me, J. Capehart)

 あまりにもヒットが出ないので見限られたか、ついに他人が書いた曲を歌うよう指示された5枚目のシングル。その後の活躍を考えると、信じられないというべきか、それとも、未来を予見していたと見るべきか、いずれにせよ、バリー・ギブほどの才能でもこうなのだから、世の中甘くない。

 「ふりかえった恋」(妙な邦題だが、恋がふりかえるのか?それとも、恋をふりかえる?どっちにしろ、原題は、まだ振り返ってはいないのだが)は、もともとグレン・キャンベルが1961年に発表した曲で、ライターは、エディ・コクランの「サマータイム・ブルース」の共作者で、コクランのマネージャーでもあったという[xii]。生憎、そうした話題はこのビー・ジーズ・ヴァージョンのヒットには何の助けにもならなかった。

 いかにもソロ・シンガー向きと思えるオーソドックスなバラードで、バリーの歌い方も先輩アーティストを見習ったかのようなお行後のよさ。バックにはオーケストラがついて、結構ドラマティック。もっとも、このオーケストラは、すでにレコード会社がストックしていたカラオケだったかもしれないそうだ[xiii]。トホホ。

 そうはいっても、曲自体はよいので、ビー・ジーズの歌とコーラスが可もなく不可もないとしても、それなりに魅力がある。実は、このカプリングは、日本でも発売されているのだ。1968年3月に、「マサチューセッツ」のヒットにあやかろうとしてか、キング・レコードからリリースされている[xiv]オリコンのチャートにもランクされていて、最高72位、売り上げ1.3万枚である[xv]。ひょっとして、世界で一番ヒットしたのが日本じゃないの(そもそもオーストラリア以外で発売されたのは日本だけか)?レコードの解説では、ビー・ジーズの出身からオーストラリアでのデビュー、その後の活動まで詳しく書かれていて、よく調べているなあ、と感心したが、書いているのは、あの朝妻一郎氏。さすがですね(『ビー・ジーズ・ファースト』の解説も朝妻氏)。

 ところで、「ふりかえった恋」は、同じ1968年にヴォーグスが全米でヒットさせていて(ビルボード誌7位)、ミリオン・セラーにもなっている。ヴォーグス・ファンにとっては、ビー・ジーズの古くさいヴァージョンが日本で一足早く小ヒットになったのは、実に邪魔だったんじゃなかろうか。

 

B 「ジェイミー・マックフィーターズ」(Theme from Jaimie McPheeters, J. Winn and L. Harline)

 B面は、デビュー曲の「ブルー対グレイ」のようなカントリー・アンド・ウェスタン。サビのメロディはなかなか良いのだが、全体としては、なんで、わざわざビー・ジーズがレコーディングしたのか-いや、それはレコードにはB面が必要だからなのだが-と思う作品。

 もともと、アメリカで1963年に放映されたTVドラマ「ジェイミー・マックフィーターズの旅」の主題歌で、原作はロバート・ルイス・テイラーの小説。作者の二人もよく知られたライターだそうで、とくにハーラインは、ディズニー映画の音楽を担当し、あの「星に願いを」の作者だという[xvi]。びっくりしたな、もう。

 しかし、同ドラマは、オーストラリアでは限定的にしか放映されていなかったそうで、やっぱり、この曲の選択は謎だそうだ[xvii]

 

ビー・ジーズブリリアント・フロム・バース』(Brilliant From Birth, 1998)

 『ブリリアント・フロム・バース』[xviii]は、ファンなら先刻ご承知のオーストラリア時代のビー・ジーズ作品を集大成したCDである。

 そのなかに、3枚のオリジナル・アルバムにも、1970年発売の『ノスタルジア(Inception/Nostalgia)』にも収録されていなかった未発表曲が4曲収められている。以下の楽曲がそれに当たる。いずれも、1964年に、TVショウ用に録音された、当時のヒット曲のカヴァーである[xix]

Ⅰ-31 Can’t You See That She‘s Mine, D. Clark & M. Smith

 ビートルズと並ぶブリティッシュ・インヴェイジョンの立役者デイヴ・クラーク・ファイヴのオリジナル・ヒット。1964年にイギリスで10位、オーストラリアで13位になったという[xx]

 ビー・ジーズのヴァージョンは、原曲のノリのよさをそのままに、軽快に歌いこなしている。

Ⅰ-32 From Me to You, J. Lennon & P. McCartney

 いうまでもない、ビートルズの初の全英1位のビッグ・ヒット。しかし、全米では、ほぼ不発という、ビートルズ史上まれな作品。大ヒットにならなかったのはタイミングの問題もあろうが、確かに、「抱きしめたい」などに比べて、あまりにも屈託がなさ過ぎたのかもしれない。

 その屈託のない明朗なコーラスを、ビー・ジーズがはつらつと再現した好カヴァー。この後も出てくるビートルズのカヴァーのうちでも、一番彼らに合った楽曲だったかもしれない。オーストラリアでは、この曲が9位になったというから、1963年夏頃に、ビートルズ人気が海を越えて到達したようだ。

Ⅱ-27 Yesterday‘s Gone, C. Stuart & W, Kidd

 チャド・アンド・ジェレミーというイギリス出身のデュオによる1963年のヒット。1964年にアメリカでも21位まで上昇し、同デュオは、母国より同地で人気を博したらしい。オーストラリアでは、この曲はフェスティヴァル・レコードから発売されて、64年夏に26位になった[xxi]

 ビートルズやDC5に比すると、古いタイプのポップ・ソングに聞こえるが、ビー・ジーズのヴァージョンは、古風な味を残しながら、弾むようなテンポで若さを押し出して、うまくまとめているようだ。

Ⅱ-30 Just One Look, D. Payne & G. Carroll

 ホリーズによる全英2位の大ヒット。原曲は、アメリカのリズム・アンド・ブルース・シンガーのドリス・ペインが1963年に発表した自作曲。翌年、ホリーズのヴァージョンがイギリスでヒットし、オーストラリアでも29位にランクしたとのこと[xxii]

 ホリーズのあのハイ・トーン・コーラスにはまだ及ばないものの、ビー・ジーズらしいコーラスで軽々とカヴァーしている。

 

[i] A. M. Hughes, G. Walters & M. Crohan, Decades: The Bee Gees in the 1960s (Sonicbond, UK, 2021), pp.18-28.

[ii] Ibid., p.48.

[iii] Ibid.

[iv] Ibid., pp.52-53.

[v] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1963.

[vi] ザ・ビー・ジーズ『オーストラリアの想い出』(ポリドール・レコード)、うちがいと・よしこ氏による解説。

[vii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.52; Gibb Songs: 1963.

[viii] Gibb Songs: 1963.

[ix] Gibb Songs: 1964; Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.58.

[x] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.65; Gibb Songs: 1964.

[xi] Decades: The Bee Gees in the 1960s, pp.65-66.

[xii] Ibid., p.67.

[xiii] Ibid.

[xiv] ザ・ビー・ジーズ「ふりかえった恋/ジェイミー・マックヒーターズ」(キング・レコード)。

[xv] 『1968-1997 オリコン チャート・ブック アーティスト編全シングル作品』(オリコン、1997年)、276頁。

[xvi] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.68.

[xvii] Ibid.

[xviii] The Bee Gees, Brilliant from Birth (Festival Records, 1998).

[xix] Decades: The Bee Gees in the 1960s, pp.70-71.

[xx] Ibid., p.72.

[xxi] Ibid. アメリカではトップ・テン・ヒットも出したようだ。Joel Whitburn, The Billboard Book of Top 40 Hits (Billboard, 1987), p.60.

[xxii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.73.