『失われた愛の世界』(Spirits Having Flown, 1979.2)
1978年の3月から11月まで、ビー・ジーズによるアメリカン・チャートの制圧が続くさなか、ニュー・アルバムのレコーディングが続けられた。具体的な日付けは、未だに不明なままだが、これだけ長期間のレコーディングは、それまでにはなかった。あの悪名のみ高い映画『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド』の撮影もほぼ終了し、アンディ・ギブのセカンド・アルバムや他のアーティストへの楽曲提供などはあったにしても、他に大掛かりなプロジェクトはなかったから、この長期レコーディングは、それだけニュー・アルバムの制作に時間をかけたということだろう。その理由としては、『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』に続くアルバム制作のプレッシャーと、それでもヒットさせなければならないという決意が挙げられる。
実際、とくにバリーは新作の発表に相当な重圧を抱えていたらしいが[i]、それは至極当然のことだった。何しろ、『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の前代未聞ともいえるヒットの後なのだから。しかも次作は高い確率でナンバー・ワンを達成するという期待がかけられていた。
ビー・ジーズはシングル・チャートでは、イギリスで1967年(「マサチューセッツ」)、アメリカで1971年(「傷心の日々」)に1位を獲得し、その後も、イギリスで2曲、アメリカで5曲のナンバー・ワン・シングルを出していた。しかし、オリジナル・アルバムは、イギリスでは『アイディア』の4位、アメリカでは『ファースト』の7位が最高だった。いずれも60年代のアルバムである。『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』は英米双方で1位を記録したが、オリジナルではなかった。恐らく念願だったはずの、オリジナル・アルバムでチャート1位を達成する千載一遇のチャンスだったのだ。音楽マーケットの予想では、ビー・ジーズのニュー・アルバムは当然1位になるものと思われていたが、もちろんそのような保証はない。1976年に『フランプトン・カムズ・アライヴ』で全米1位を10週続け、その後のライヴ・アルバムのブームを巻き起こしたピーター・フランプトンが、満を持して1977年に発売した『アイム・イン・ユー』は2位止まりだった(ビルボード誌)。フランプトンと映画でも共演していたビー・ジーズの面々は、1位を逃した彼の失望を目の当たりにしていたのかもしれない。何が何でも、ナンバー・ワンとなるオリジナル・アルバムを作らなければならない。とくに、バリーはそう決意していた、と想像する。
彼の意気込みは「トゥ・マッチ・ヘヴン」のレコーディング経過からも充分うかがえるし、事実、『スピリッツ・ハヴィング・フロウン』の制作も、バリーが大半を担っていた、とされる。まさに渾身の一作であり、その努力は結果となって報われた。英米ともに1位となり、アメリカでは6週間トップを記録し、1979年の年間チャートでは2位となった(1位はビリー・ジョエルの『ニュー・ヨーク52番街』)。内容も、ある意味で、ビー・ジーズの最高傑作だといえる。これまでのビー・ジーズのアルバムに常に見られた「曲のばらつき」が最小限に抑えられている。「ストップ」と小品の「アンティル」を除けば、いずれもシングル・カットできるようなクォリティを備えている。見事な出来栄えである。
しかし、本作がビー・ジーズのベストかといえば、ファンの間でも意見は割れるだろう。それよりもなによりも、今やファン以外にはまったく聞かれていないのではないか。全米ナンバー・ワン・アルバムが、である。
なぜ、そう危惧するかといえば、もはや時代遅れ、というだけではなく、1970年代を回顧するという歴史的な意味においても、リスナーに聞こうとする欲求を起こさせないのではないか、と想像されるからである。その最大の要因は、恐らく誰もが思っているように、バリーのファルセットにある。バリーが、自身のファルセットの可能性に注目し、それを最大限に試そうとしたのは理解できる。しかし、『スピリッツ』におけるバリーは、明らかにやりすぎだった。この「過剰なファルセット」が、本アルバムを一般のリスナーから遠ざける最大の原因となっている、と考えざるを得ない。ちなみに、全10曲のうち、9曲のリード・ヴォーカルをバリーが取り、そのなかの7曲で全編ファルセットを使用している。これでは、聞き手は辟易してしまうだろう。今、このアルバムを聞くリスナーの多くは、ひょっとしてコミカルなアルバムと勘違いしてしまうのではないか。せっかく良質の楽曲を揃えながら、これが現状だとすれば、はなはだ残念というしかない。
内容に戻ると、アルバムの全体の印象は、ソウル・ポップ・アルバムといったところだろうか。『メイン・コース』のようなポップ・アルバムではないが、『チルドレン・オヴ・ザ・ワールド』ほど、ソウル・ディスコに寄せてもいない。明白なのは、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」のようなリズム重視のディスコ・ダンス・ナンバーがないことで、全体としてメロディを聞かせる従来のスタイルに戻っている。当時の日本におけるレコード評で「重い」という評価があったように覚えているが、それはアルバム全体が楽曲中心で、ディスコ・ソングのような軽いタッチの曲がなくなったせいもある。もう一つの理由は、シンセサイザーを中心としたアレンジにありそうだ。きらびやかで華麗なサウンドが大半を占めるが、これも重さの原因になっている。しかし、バリーの狙いは、そうした「装飾過多」とも取れる派手めかしたサウンドでアルバムを覆いつくすことだったのではないか。ファルセットも含めて、とにかく目立つアルバムをつくること、それがチャート1位を達成するための、この時点でもっとも有効な方法だと考えたのだろう。そういう意味で、バリーの眼は上質のアルバムをつくることよりも、ナンバー・ワン・アルバムを制作することに向けられていたのだろう。その意欲は十分に伝わってくる。
A1 「哀愁のトラジディ」(Tragedy)
スケール豊かなイントロから、バリーのファルセットが疾走する。ヴァースでは低い音がやや苦しいが、コーラスでは迫力のあるファルセットが炸裂する。曲は、同時期にシングル・チャート1位を争ったグロリア・ゲイナーの「アイ・ウィル・サバイヴ」に似た、哀愁を帯びたブリティッシュ・ポップで、後のユーロ・ビートを連想させる。
ビー・ジーズの楽曲としては、70年代前半の「ラン・トゥ・ミー」のような、わかりやすく印象的なメロディのポップ・ソングへ回帰したかたちだが、アップ・テンポでファルセットを強調した分、ディスコ・ソングにも近くなっている。
シンフォニックな間奏や、終盤の雷鳴のような効果音(バリーが口を覆って叫ぶ、というアナログな方法でつくったらしい)など、様々な工夫で練り上げ、アルバムの1曲目に相応しいナンバーに仕上げた。エンディングで聞かれるアラン・ケンドールのギター・リフもメロディアスでよい。
全米ビルボードのチャートでは2週間1位を続け、前作に続きプラチナ・ディスクとなった。「ステイン・アライヴ」以来、4曲連続での達成だった。
A2 「失われた愛の世界」(Too Much Heaven)
A3 「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」(Love You Inside Out)
『スピリッツ』は、アップ・テンポの「トラジディ」とスロー・バラードの「トゥ・マッチ・ヘヴン」という、アルバムを代表する対照的な2曲で始まる。確かに最強のオープニングだといえる。
続く3曲目は、その中間のミディアム・テンポのポップ・ナンバーで3枚目のシングルとしてリリースされた。「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」に始まった連続1位の記録を6曲まで伸ばし、ミリオン・セラーとなったが、さすがに、この曲あたりになると、もうバリーのファルセットはたくさん、と思ったファンも多かったようだ[ii]。
『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』も、シングル・カットは、A2の「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」から始まり、A1の「ステイン・アライヴ」、そしてA3の「ナイト・フィーヴァー」の順だったが、「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」はちょうど『フィーヴァー』における「ナイト・フィーヴァー」に相当する。テクノ風のガチャガチャとしたイントロから、出だしのバリーのファルセットは、「ナイト・フィーヴァー」同様、機械的にリズムに合わせて音を当てはめたようで、メロディの体をなしていない。しかし、続く展開部になると、急にメロディアスなアーバン・ポップに変わり、サビではハイ・トーンのコーラスに、上昇するシンセサイザーと下降するギターが絡み、素晴らしい効果をあげている。
このアルバムのレコーディングの時期に、同じクライテリアのスタジオで、シカゴが『ホット・ストリーツ』(1978年)を録音しており、ビー・ジーズがコーラスに参加したり、ブルー・ウィーヴァーがシンセサイザーを演奏する代わりに、シカゴのホーン・プレイヤーたちが何曲か演奏しているが、この曲もどことなくシカゴのサウンドの香りがする。
ビー・ジーズのナンバー・ワン・ソングのなかでは、今や、もっとも印象に薄い作品だが、個人的には、この曲がアルバムのベストだと思う。
A4 「リーチング・アウト」(Reaching Out)
「トラジディ」から、この「リーチング・アウト」までが、本アルバムの白眉だろう。1曲目から3曲目まで、すべてナンバー・ワン・シングルだが、この曲もシングル・カットすれば、5位ぐらいまでは上がったはずだ。しかし、シングル・カットは「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」までで、確かにアルバムからのシングルは3曲までというのが、この時期の標準だった(イーグルズの『ロング・ラン』でも、「ハーテイク・トゥナイト」、「ロング・ラン」、「アイ・キャント・テル・ユー・ホワイ」の3曲)。ロバート・スティグウッドが、1位を逃すくらいならシングル・カットしない、という意向だったともいうが、今となっては、惜しい気もする。マイクル・ジャクソンの『スリラー』のように、もっとじゃんじゃんシングル・カットしてもよかったのではないか。それだけの楽曲を揃えていたように思う。
ともあれ、この曲もスロー・バラードながら、ヒットを予想させるのは、ヴァースもコーラスもキャッチーで魅力的なメロディが満載だからだ。バリーのファルセットが、ややうるさいが、コーラスではメランコリックなメロディを存分に引き立てている。曲調は、哀愁漂うヨーロピアン・ポップで、ウィーヴァーのキーボードのアレンジも相変わらず冴えている。
A5 「愛のパラダイス」(Spirits Having Flown)
アルバム・タイトルでもあり、バリーのお気に入りの曲でもあるらしい。自選のボックス・セット『ミソロジー』でもトップを飾っている。
5曲目にして、ようやくバリーがノーマル・ヴォイスで歌っている。コーラスはファルセットを使っているが、このくらいがちょうどよかったのではないか。「トラジディ」も「トゥ・マッチ・ヘヴン」も、コーラスはファルセットでよいとして、ヴァースの部分は、ノーマル・ヴォイスをもっと活用すべきだっただろう。
それはともかく、この曲はスタイルとしてはボサノヴァ風のフォーク・ロックで、ラテン風味も感じられる。ハービー・マンによるフルートがやはり効いている。とくにエンディングでは、いつの間にかコーラスがストリングスにすり替わると、フルートがそこにアクセントをつける。このラストの美しさは格別で、『スピリッツ』アルバムのA面は、申し分のない粒よりの楽曲が並んだ。
B1 「愛の祈り」(Search, Find)
『スピリッツ』は、B面に入るとソウル=ファンク色が強まってくる。
「愛の祈り」(安い邦題だ)がその典型だが、ホーン・セクションなどシカゴっぽいところもある。実際に、シカゴのメンバーが演奏しているのは、「トゥ・マッチ・ヘヴン」(リー・ローナンとウォルター・パラザイダー)と「ストップ」らしいが。ちなみに、『ホット・ストリーツ』で、ギブ兄弟がコーラスに参加しているのが「リトル・ミス・ラヴィン」で、ピーター・セテラの作品だが、この起用もよくわかる。シカゴでもっともポップ寄りの曲を作るのがセテラだからで、もう一曲「ゴーン・ロング・ゴーン」では、ビー・ジーズを意識したかのようなコーラスを聞かせている。
話を戻すと、この曲は、前半のヴァースではメロディアスな展開を見せるが、コーラスはファンキーなダンス・ビート・ナンバーに変化する。「シャドー・ダンシング」などと似たような構成のわけだ。こちらもシングル向きだが、前述のように4枚目のシングル・カットはなかった[iii]。
B2 「ストップ」(Stop (Think Again))
『スピリッツ』のなかで、一番困った曲がこれだ。
6分を越える堂々たるバラードで、バリーが最初から最後までファルセットで切々としたヴォーカルを披露する。
アルバムの芯となる「聞かせる曲」を、ということでこの曲が書かれたのだろうが、ファルセットの陥穽にはまったとしか思えない。サイレンのようなけたたましい声では、この黄昏どきをイメージしたブルーな失恋歌にまったく合っていない。コーラスの変にヴィブラートを効かせた唱法も気持ち悪い。もともと曲自体、ビー・ジーズとしては中位の出来で、それを6分も聞かせられるのは、ただただ苦痛でしかない。
一番印象に残るのが、前奏やエンディングに出てくるインストルメンタル・パートのメロディというのも皮肉で、うねるようなベースやドラムに合わせて、フェイド・アウトしていくラストは余韻を残して素晴らしい(終わるのがうれしいという意味ではない)。
せめて4分ほどでまとめておけば、というのが正直な感想だ。
B3 「リヴィング・トゥゲザー」(Living Together)
再び、ミディアム・テンポのファンキーなナンバーが登場する。
メロディもキャッチーで、これもシングルで出せそうな曲だが、一番の聞きどころは、リード・ヴォーカルを取っているロビンのファルセットだろう。
この後も、ソロの「ジュリエット」などで、ファルセット気味のヴォーカルを聞かせているが、ビー・ジーズとしては、唯一、ロビンのファルセットが聞ける曲がこれだ。
ロビンのファルセットは、バリーよりも艶があり、より女声に近い。正直、何曲かは、彼のファルセットを起用したほうがよかったのではないか、と思える。とくに「トラジディ」や「トゥ・マッチ・ヘヴン」のようなシングル曲で、ロビンにもリードを取らせれば、また違った味が出たのではないか。この時期、その人気からバリーのヴォーカルが優先されたのももっともだし、ロビンはロビンで、あまりファルセットに意欲的ではなかったのかもしれないが、「リヴィング・トゥゲザー」を聞くと、もっとロビンのファルセットを聞いてみたいという気にさせて、少々残念に感じる。
B4 「アイム・サティスファイド」(I’m Satisfied)
『スピリッツ』は、ビー・ジーズのアルバムの中でも、もっとも工夫のないタイトルが並んでいる。「トラジディ」や「トゥ・マッチ・ヘヴン」はよいとして、B面に入ると、「ストップ」から「リヴィング・トゥゲザー」と来て、挙句の果てが「アイム・サティスファイド」だ。それは、書いた曲が端からヒットして、バリーは「満足」だろうが、タイトルにまですることはないだろう。「愛のパラダイス」とか「愛の祈り」とか、邦題もひどいが、原題も頭が悪そうなタイトルが続く。
曲名はさておき、曲自体は親しみやすいポップ・ナンバー。軽快なビートは、基本ダンス・ミュージックだが、例によってラテン風の味つけもあり、また最後の掛け合いコーラスのパートは東洋っぽさも感じられる。
それほど強力なメロディではないし、アルバムもこのあたりになると、バリーのファルセットにも飽きて、あまり気を入れて聞けなくなるが、曲の構成はなかなか凝っている。中間部の陽気な合いの手や、前述の最後のコーラスなど盛りだくさんで、いささかおなか一杯になるが、最後まで楽しませようとする工夫はさすがだ。
B5 「アンティル」(Until)
最後はバラードでお別れ、ということで、バリーがノーマル・ヴォイスで語りかけるように歌う。
まるで即興でつくったかのような短いナンバーで、作りかけのようなところもあるが、単純なアレンジながら、すっと入ってくるストリングスや、ギターの音色などにも繊細さが感じられる。バリーのヴォーカルも抑え気味だが、それでも、ソウル・シンガーの唱法を意識したせいか、ややわざとらしく感じられるところが少々気になる。
『スピリッツ』は、バリーのワン・マン・ショー的なアルバムだったが、幕が下りた後の主演俳優によるアンコールの挨拶というわけだろうか。お疲れ様、と思わず言いたくなる。
[i] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1978, 1979.
[ii] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1979.
[iii] ただし、イギリスでは、後に「スピリッツ・ハヴィング・フロウン」がシングル・リリースされている。