ビー・ジーズ1981

「愛はトライアングル」(1981.9)

1 「愛はトライアングル」(He’s A Liar, B, R. & M. Gibb)

 アメリカでは「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」以来のリリースとなった「愛はトライアングル」は、ビー・ジーズの王座からの失墜を証明する作品となってしまった。

 全米30位、全英ではチャート入りせずという記録は、70年代前半だったら、そこそこの成績だが、70年代後半の黄金期と比較すると、再び鉄の時代への突入を実感させるものだった。背景には、言うまでもなくディスコ・ミュージックの戦犯と見なされたことがある。

 もっとも曲自体が弱いのも確かで、ロック色が強まったのは、80年代という時代に対応するための模索の結果だろうが、そもそもビー・ジーズがロックをやろうとしても、(しゃれではないが)ロクな結果になったためしがない。サウンドはタイトで小気味よいが、リズム・セクションがガッチリしている割に迫力に欠け、何か上滑りしているような印象を受ける。大物ドン・フェルダーのギターも、さすがに素晴らしい音だが、肝心のフレーズが変にメロディアスで古臭く聞こえるのはどうしたことか。

 70年代のディスコ・ダンス・ミュージックと異なる曲調には新鮮味があったのは事実で、そこに期待を抱かせたものの、やはりアメリカの音楽マーケットは甘くなかった。この結果も仕方ない、というのが公正な評価だろう。

 

2 「愛はトライアングル」(Instrumental)

 

リヴィング・アイズ』(Living Eyes, 1981.10)

 80年代前半は、ディスコ・ミュージックに対するバックラッシュ、ロバート・スティグウッドとRSOレコードとの間の訴訟、さらには盗作問題と、久々にビー・ジーズにとってネガティヴな話題に事欠かない、散々な時期となった。思えば、何度このような有為転変を経てきたことか。ビー・ジーズのファンでいることは、カリスマ・ロック・バンドのファンでは味わえない、はるかにスリリングな体験を保証してくれる。彼ら自身はロック・バンドではないが、存在自体がロックなのだ。少なくとも、何度となく暗礁に (on the rocks) 乗り上げている。

 この逆風のなかで発売された2年半ぶりのアルバムは、今となってみれば、初めから失敗を運命づけられていたように見える。

 先行シングルの「ヒーズ・ア・ライアー」は、題名自体、スティグウッドとのトラブルをあてこすったものと受け取られたらしいが[i]、間が悪いというのか、すべてが悪いほうへと流れて、セールスも振るわなかった。アルバムも、全米で41位、全英で73位と、前作『スピリッツ』の1位が嘘のような惨憺たる結果に終わった。

 このように、『リヴィング・アイズ』は、ビー・ジーズ神話の終焉を画するアルバムであり、また変化の時代を告げるアルバムでもあった[ii]。ディスコ・ダンス・ミュージックを捨て、ファルセットを封印したのは潔いとも見えるが、もはや音楽界の状況はそれを許さなかったというのが本当だろう。変わらざるを得なかったのだ。しかし、その変わった方向が正しかったかどうかは、判定が難しい。

 変化のひとつは、レコーディング・スタイルに現れている。黄金時代を支えたバック・バンドを解散して、新たに採用されたのは、腕利きのセッション・ミュージシャンを雇ってバック・トラックを製作する手法だった。これは、バリーがアンディ・ギブやバーブラ・ストライサンドをプロデュースするなかで見いだしたものだった[iii]、という。ブルー・ウィーヴァーやデニス・ブライオンと別れ、モーリスさえベースもピアノも弾かず、代わりに、スティーヴ・ガッド(ドラム)やハロルド・カワート(ベース)、ジョージ・ビッツァー(ピアノ)のような一流プレイヤーを起用して、強固なサウンドを作り上げる。ところが、そのような名セッション・プレイヤーを起用しながら、その技術を存分に振るわせるようなやり方ではなかったらしい。セッション・プレイヤーに一人ずつ指示した単純なフレーズやリズムを刻ませて、それをダビングして重ねるという、スタジオの熱気もあらばこそ、極めて機械的なレコーディング作業が進んでいったらしい[iv]

 どうやらバリーは、プレイヤーを手駒のように操って、望む音を自分の才覚ひとつで組み立てていく快感にはまってしまったようだ。

 その結果、全体のサウンドに生気が感じられない、といった不評を招いてしまったのかもしれない。せっかくのドン・フェルダーの起用も、さして効果をあげることができなかった。

 また、ようやく調子を取り戻したモーリスがやけに活動的になり、ガルテンと衝突することもあったらしい。船頭多くして船山に上る、の典型のような状態になった、との指摘もある[v]

 こう見てくると、『リヴィング・アイズ』の制作がいかに負の連鎖のなかで進んだかがわかる。バリー自身、後になって「あれは、あの時点で僕らが制作すべき類のアルバムじゃなかった」、と述べたという(ただし、発表直後は「最高のアルバムだ」などと言ったらしい)[vi]

 だが、しかし、ファンの視点から見れば、『リヴィング・アイズ』は決して悪いアルバムではない。いや、数十年の時間を経た今、バリーが述べたように「最高のアルバム」だと断言してしまおう。

 上記で触れた変化のひとつとして、本アルバムが目指した方向は、ブリティッシュ・ポップへの回帰だった。それが1980年当時に取るべき最善の方向だったかと言われれば、そうではなかった、ということになるのだろう。少なくとも、状況を打開するためには、もっと果敢な挑戦が必要だったかもしれない。しかし、『リヴィング・アイズ』のようなアルバムこそが、ビー・ジーズがかつて目指してきたアルバムであって、そこにこそ彼らの魅力が十全に発揮されていたことも真実である。このアルバムを最初に聞いたとき、「待ってました」、と思ったことを覚えているが、その印象は今も変わらない。『フィーヴァー』や『スピリッツ』が悪いわけではないが、ブリティッシュポップ・グループとしてのビー・ジーズが聞きたい、というのも一ファンとしての偽らざる心境である。

 『リヴィング・アイズ』は最高だ。

 

A1 「リヴィング・アイズ」(Living Eyes, B, R. & M. Gibb)

 『リヴィング・アイズ』は最高だ、と思わず取り乱してしまったが、「リヴィング・アイズ」は最高ではない。

 「ヒーズ・ア・ライアー」が失敗に終わったことについて、バリーは、もともと「リヴィング・アイズ」をシングルにすべきだと思っていた、と言ったらしいが[vii]、結果は同じか、もっと悪かっただろう。実際、セカンド・シングルとしてリリースされ、全米45位に終わったから言うのではないが、この、もろイギリス風の陰気なバラードがアメリカでヒットするとは思えない。

 マイナー・キーのメロディは悪くはないし、ヴィブラートを効かせたコーラスはビー・ジーズらしい厚みがある。アルバムのなかの曲としては、欠点はないが、シングル・ヒットするにはインパクトに欠ける、と言わざるをえない。

 そしてシングルとしては、という以前に、もうひとつ物足りなさを感じるのは、彼ららしい必殺のメロディが見当たらないからだ。

 

A2 「愛はトライアングル」

A3 「パラダイス」(Paradise, B, R. & M. Gibb)

 『リヴィング・アイズ』からシングル・カットされた1、2曲目が、アルバムのなかで、(個人的意見として)もっとも物足りない2曲であるのは皮肉だ。

 3曲目の本作も、ムニャムニャと呪文のようなスキャットで始まり、一向、期待を持たせないが、次の瞬間、”Lonely people gathering there to be one.”と素晴らしいコーラスが舞い降りてくる。

 まさに60年代のビー・ジーズ、それも英米デビューする前の「チェリィ・レッド(Cherry Red)」あたりを彷彿とさせるノスタルジックなメロディがあたり一面を包み込むように広がる。古くからのファンなら、感涙にむせぶところだろう。間違いなく、本アルバムのベストの作品のひとつで、仮に先行シングルがヒットしていたならば、サード・シングルとしてリリースされていただろうか。恐らくアメリカでは受けなかっただろうが、そのように想像したくなるほど、彼ら本来の魅力にあふれている。

 最初聞いた時には、あまりにシャープな演奏とやたらとシャキシャキした歯切れのよいコーラスが、この60年代風のポップ・バラードに合っていないように感じたが、今となってみれば、このタイトなサウンドも悪くはない。クリアーな透明感あふれるコーラスは今後も色褪せることはないだろう。

 

A4 「ドント・フォール・イン・ラヴ・ウィズ・ミー」(Don’t Fall in Love with Me, B, R. & M. Gibb)

 久々に、ロビンのあのヴォーカルが聞かれる。ブリティッシュというより、アメリカン・ポップに近く、ロビンのヴォーカルも若干ソウル・ミュージックを意識したものになっている。

 しかし、この曲でも素晴らしいのはコーラスで、”Nothing but the lonely night.  Gonna be a lonely night.  You gonna be blue.”と執拗に繰り返されるフレーズとそれを締める「ブル~」のコーラスは、何の変哲もない、ごく普通の三声のハーモニーだが、メロディと相まって、比類ない美しさを湛えている。「パラダイス」から本作へと続く流れは、彼らのコーラスを堪能できる最高の組み合わせだ。

 

A5 「ソルジャーズ」(Soldiers, B, R. & M. Gibb)

 アルバム中、唯一、バリーのファルセット・ヴォーカルが聞かれる。

 やはり、1曲ぐらいはやりたかったのだろう。遊んでいいよ、といわれた子どものように、はつらつとして歌っているのが微笑ましい。

 アコースティック・ギターのイントロで始まるフォーク・ロック風の楽曲で、トラディショナル・フォークを思わせるようなメロディでもある。「トラジディ」をソフトにしたような印象もある。やはり、どこか懐かしさを感じさせる一曲。

 

B1 「アイ・スティル・ラヴ・ユー」(I Still Love You, B, R. & M. Gibb)

 B4と同じく、アメリカン・ポップ調の作品。

 ロビンの落ち着いたヴォーカルもよいが、コーラスはさらに素晴らしい。B4よりも、よりロマンティックでドリーミィなハーモニーをクリアーなサウンドで包んだ、申し分ない仕上がりである。目新しさは何もないが、ポップ・ソングとしては完璧だろう。

 

B2 「ワイルドフラワー」(Wildflower, B, R. & M. Gibb)

 これまた、1972年の『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』以来、久しぶりのモーリスのリード・ヴォーカルが登場する。

 いかにも彼が書きそうなカントリー・ポップだが、カントリー色よりも親しみやすいメロディが目立ち、サビのコーラスも切ない。この曲も、何ということもないポップ・ソングだが、思わずほっとするナンバーである。

 

B3 「ナッシング・クッド・ビー・グッド」(Nothing Could Be Good, B, R, M and A. Galuten)

 本アルバムで、唯一アルビィ・ガルテンが作曲に加わっている。そのせいか、しゃれたコードの都会的ナンバーになった。ブルー・ウィーヴァーとの共作曲とも似た味わいの曲で、バリーも、歌いにくそうなメロディを、うまく抑揚をつけて歌いこなしている。

 A3、A4とともにアルバムを代表する作品と思う。

 

B4 「クライン・エヴリ・デイ」(Cryin’ Every Day, B, R. & M. Gibb)

 いかにもビー・ジーズらしい、ロビンらしい作品。「紙のチサとキャベツと王様」を連想させるブリティッシュ・ポップ・ソング。

 ドラムとシンセサイザーのみをバックに、ロビンが彼そのものといったヴォーカルを聞かせる。曲自体は、たわいないとも、稚拙とも映りかねないが、哀調を帯びたメロディは、やはりこれもビー・ジーズだ、と実感させる。

 

B5 「ビー・フー・ユー・アー」(Be Who You Are, B. Gibb)

 最後は、バリー単独による大作で締めくくられる。

 荘重なオーケストラにマーチング・ドラムが絡むイントロが1分以上続くという異色の展開。やがて重いリズムに乗って、バリーのヴォーカルが、ときにファルセットを交えて、情感豊かに歌い上げていく。ただ、バリーのヴォーカルはこの曲には軽すぎるかもしれない。

 A5のようなブリティッシュ・フォークとも、アメリカ西部をイメージさせるようなカントリーとも受け取れるが、いささかものものしすぎるだろうか。

 しかし、地味ではあるが、原点回帰的なこのアルバムのラストは、この曲でよかったのだろう。

 

 

Elaine Paige, Album, 1981.10)

1 「シークレッツ」(Secrets, B. and R. Gibb)

 バーブラ・ストライサンドのために書かれた曲のひとつ[viii]、という。レコーディングはされたものの[ix]、『ギルティ』には収録されなかった。しかし、そのために『ギルティ』の曲ほど聞かれないとすれば、残念なことだ。旋律の美しさは、『ギルティ』のすべての楽曲に優っていると思う。

 初めてこの曲を聴いたのは、ビー・ジーズが他のアーティストに書いた曲を集めたコンピレーション・アルバムにおいてだった[x]が、聞き終えたとたんに、「まだこんな曲を隠し持っていたのか」、と叫びそうになった。『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』のようなディスコ・ヒットのあとでも、まだ、こうした郷愁に満ちた懐かしいような楽曲を書けるとは、つくづく底の知れない才能の持ち主達だ。

 『ギルティ』から外された理由はわからないでもない[xi]。華麗で都会的な『ギルティ』には似合わないブリティッシュ・フォーク調のナンバーだからだ。この孤独感を漂わせた素朴なメロディは、ペイジの無垢な歌声によくマッチしている。

 

 

Olivia Newton-John, Physical (1981.10)

1 「キャリィド・アウェイ」(Carried Away, Barry Gibb and Alby Galuten)

 「シークレッツ」同様、『ギルティ』のアウト・テイクの2曲のうちのひとつ。レコーディングされた後に落とされた[xii]、らしい。

 ガルテンとの共作曲に顕著な、しゃれた、しかしやや複雑な展開とメロディの作品で、ストライサンドのイメージには合っているように思えるが、どうしてドロップされたのだろうか。ストライサンドに歌えないなどということはありえないから、ドラマティックな盛り上がりには、やや欠けていることと、複雑な展開はリスナーにとって聞きづらいと判断したのだろうか。

 いずれにしろ、大ヒット・アルバム『フィジカル』に収録されたのだから、この曲にとってはラッキーだっただろう。ニュートン・ジョンも軽やかに歌いこなしている。

 

[i] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.518.

[ii] Ibid., p.519.

[iii] Ibid., p.519-20.

[iv] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1981.

[v] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.519.

[vi] Ibid., p.520.

[vii] Ibid., p.518.

[viii] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1979, 1980.

[ix] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.506.

[x] Bee Gees Songbook: The Gibb Brothers by Others (Connoisseur Collection, 1993). 次の『ギルティ』のデモ・ヴァージョン集にも、The Wishes We Shareのタイトルで収録されている。ヴォーカルはもちろんバリー。The Bee Gees Featuring Barry Gibb: Guilty Demos (Yellow Cat, 1993).

[xi] ブレナンは、『ギルティ』の他の楽曲と似ていたから、と書いているが、これは説明にならないだろう。似ている曲のなかから、この曲だけ落とされた理由は、依然不明だからだ。Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1979. 『評伝』では、「ウーマン・イン・ラヴ」に似すぎていたから、というが、あえて似ているというなら、「ラン・ワイルド」のほうでは。The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.506.

[xii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.506.