J・D・カー『弓弦城の殺人』

 『弓弦城殺人事件』(1933年)はカーター・ディクスン(正確にはカー・ディクスン)名義の最初の長編で、この一作のみの探偵ジョン・ゴーントが登場する。

 例によって、本作も日本では長い間絶版が続き、幻の長編と化していた。ところが、1976年にハヤカワ・ミステリ文庫が創刊されると本作も収録され[i]、広く(?)読まれるようになった。

 ジョン・ゴーントという名は、よく知られているとおり、イングランドエドワード3世(在位1327-77年)の三男で、リチャード2世(在位1377-99年)を廃位してランカスター朝を開いたヘンリ4世(在位1399-1413年)の父親ジョン・オヴ・ゴーント(John of Gaunt, 1340-99年)から取られている。ランカスター朝といえば、バラ戦争で有名である。カーの歴史趣味がよく発揮された名前といえる。もっとも、一作きりの探偵ということもあり、名前以外は、酒ばかり飲んでいるアル中探偵のイメージしかない。アンリ・バンコランをアルコール、いや水で薄めたような(というのは言い過ぎか)キャラクターである。

 また、本作は同年のカー名義の長編『魔女の隠れ家』と同じく、イギリスを舞台にしている。東部海沿いのサフォーク州のオールドブリッジ(実在の地名かどうかは知らない)で、『魔女の隠れ家』の舞台リンカンシャも近い。カーがイギリスに旅行した際、訪れた場所だったのだろう。

 ダグラス・G・グリーンによれば、別名義による執筆は、カーがイギリス人女性クラリス・クリーヴズと結婚した後、イギリスに移住して生活するための資金稼ぎが直接の動機だった、という。このために速攻で書かれたのが本作だった[ii]

 となれば、杜撰なやっつけ仕事という印象を受けそうだが、実際グリーンの評価はそのようなものである[iii]。カー自身も同じように考えていたらしい(ただし、よく売れたともいう)[iv]。物語は、終始タイトルにあるボウストリングという古城で展開し、『魔女の隠れ家』におけるようなイングランドの田園風景の描写は見られない。しかし、別名義でもイギリスを舞台に選んだのは、『魔女の隠れ家』と同じ気分のまま書けるということもあったのだろうか。

 日本での評価はと言えば、江戸川乱歩の「カー問答」では第三位の十作のひとつ[v]で、密室トリックに関して、やや詳しく解説しているので、そこはかなり感心したもののようだ[vi]松田道弘の「新カー問答」では、「密室テーマ」のうちの一冊として挙げられているだけで[vii]、評論の対象とされていない。二階堂黎人は、探偵がヘンリ・メリヴェル卿だったら「佳作へと昇華する素質を持っていた」、とし、「古城の描写」や「手がかり兼ミスディレクション」は「冴えている」、と結論している[viii]。ジョン・ゴーントにとってはお生憎さまというところか。

 確かに、続くヘンリ・メリヴェル卿の『プレーグ・コートの殺人』や『ホワイト・プライオリの殺人』に比べると、だいぶ見劣りすると言わざるを得ない。

 そうはいっても、カーの他の長編に比べて、著しく劣っているというようなことはなく、古城を舞台とした密室殺人の謎は頁を繰る手を休ませないし、パズル・ミステリとしても充分面白い。

 ただし、肝心の密室トリックは、グリーンが指摘しているとおり[ix]、『夜歩く』の焼き直しで、ありあわせのものをアレンジして出したという感は否めない。ただ興味深いのは、『魔女の隠れ家』もそうだが、この時期のカーは、基本的に一人二役をもとにトリックを案出していることで、後年の多彩なトリックの引き出しがまだ作られていない。ある意味、非常に幅が狭い。

 また、被害者は最後に目撃されてから数分後に死体で発見されるが、足を折り曲げたような不自然な姿勢で倒れている、と描かれる。わずか数分で死後硬直が起こったかのような描写なのだが、実際このようなことがあるのだろうか。それについて何の説明もないまま、捜査は進展し、そもそも死亡推定時刻も明確にされない。これも充分推敲されずに出版社に渡してしまったのでは、と勘繰りたくなるところか。

 他に興味深い点は、ゴーントが解説で強調しているように、本作では「死体の落下」がテーマになっていて、乱歩が説明している「密室に死体を投げ込む」トリックのほか、第二の殺人でも死体の落下によって捜査陣(と読者)を錯覚させるトリックが用いられている[x]。このあたりはなかなか面白い。ただし、城内の見取り図がないので、少々わかりづらい。

 というわけで、短期間で書かれたという先入観のせいか、色々と練られていない部分や考え抜かれていない点が目立つが、全体としては一定のレヴェルを上回っていると言ってよいだろう。

 最後に探偵の交代について触れると、ジョン・ゴーントが印象の薄い探偵であるのは確かだが、そういう探偵ならば、カー以外の作家にもいくらでもいる。何も戯画化した探偵を必ず登場させなければならないわけでもない。その後の長編で、ゴーントをそのまま起用することも可能だったはずだが、次作からはヘンリ・メリヴェル卿に主役の座を譲ることになる。確かに、H・Mの毒舌で天衣無縫のキャラクターは、その後イギリスのパズル・ミステリでいわばひとつの定番となるタイプ(レジナルド・ヒルのダルジール警視など)でもあるが、今度はフェル博士と区別がつかない、という(主に日本での?)弊害をもたらした。カーがそれまでのバンコランのような痩身でミステリアスな探偵から巨漢で饒舌な探偵に180度転換したのは、カーがこうしたキャラクターを好んだのだ、と推測できるだろう。前者に欠けていて、後者に特徴的なのは父性の有無だろう。別名義のペンネームが必要になった際、まずニコラス・ウッドという父親の名前をもじったものを考えた[xi]、という挿話も示唆的である。

 別稿でも書いたが、カーが作品中に自身を投影したアメリカ人青年は、フェル博士やヘンリ・メリヴェル卿に父親に対するような感情を抱いているように見える。その行動に飽きれ、からかい、文句を言いつつも、無限の信頼と敬意を寄せている。それがカーの抱く理想の強く賢い父親像だったのだろう。

 

[i] 『弓弦城殺人事件』(加島詳造訳、早川書房、1976年)。

[ii] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、109-110頁。

[iii] 同、137頁。

[iv] 同、138頁。

[v] 江戸川乱歩「カー問答」、ディクスン・カー『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』(創元推理文庫、1983年)、315頁。

[vi][vi] 同、326頁。

[vii] 松田道弘「新カー問答」『トリックものがたり』(筑摩書房、1986年、原題『とりっくものがたり』、1979年)、214頁。

[viii] 二階堂黎人「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」『名探偵の肖像』(講談社、1996年、文庫版、2002年)、348頁。

[ix] グリーン前掲書、137頁。

[x] 『弓弦城殺人事件』、262頁。

[xi] グリーン前掲書、110頁。