Bee Gees 1969(3)

12 「思い出を胸に」(1969.8)

1 「思い出を胸に」(Don‘t Forget to Remember)

 “Forget”と”Remember”という反意語をタイトルに織り込んだのは面白い。「覚えていることを忘れないで」、とは回りくどいが、十代の頃からいやというほど曲を書いてきたせいか、彼らはときどき歌詞やタイトルで遊ぶことがある。愛犬の誕生日の5月1日をタイトルにしたり(“First of May”)、後の「マイ・ワールド」の歌詞など。”World”のB面が”Sir Geoffrey Saved the World”というのも、人を食っている。

 ムーディなイントロから、カントリー・タッチのスロー・バラードが始まる。60年代というより、50年代のポップ・シンガーが歌いそうな曲だ。はっきり言えば、古臭い。前作はこれまでにないロック調の曲だったが、今回はこれまでにないほど地味な曲調だ。

 しかし、アメリカでは案の定惨敗だった(73位)ものの、イギリスではなんと2位まで上昇する大ヒットになった。6月にリリースされたロビンの「救いの鐘」がやはり2位になっているが、相乗効果をもたらしたのだろうか(まさに「救いの鐘」だったのか)。ドイツでも仲良く両曲ともトップ・テンに入っている(「救いの鐘」が5位で「思い出を胸に」が9位)[i]

 今振り返ってみれば、どちらの曲も60年代が終わろうという時代には不似合いなバラードだったが、「救いの鐘」がロビンらしいストイックな孤独感を漂わせていたのに対し、「思い出を胸に」は、バリーらしい甘くノスタルジックな感傷的バラードに仕上がっている。淀みなく流れるメロディ・ラインもそれなりに完成度の高さを感じさせる。

 それにしても、2年後に発表された「傷心の日々」は同じスロー・バラードながら、イギリスではさっぱりだったのに、アメリカではナンバー・ワンになった。この差はどこに原因があったのだろうか(恐らく、後者がバート・バカラック調だったからだろうが)。

 

2 「ザ・ロード」(The Lord)㉑

 スワンプ・ロックというのか、泥臭いカントリー・フォーク調のナンバー。ヴォーカルやベースなどにモーリスの持ち味が出ているが、バリーにも「日曜日のドライブ」のように、「土臭い」カントリーへの嗜好があるので、こういった曲をやるのはそれほど意外ではない。しかし、ここまで田舎臭いカントリーはめずらしく、最初聞いたときには、「こういう曲が聞きたいんじゃないのだがなあ」、と思ったのを覚えている。

 「泥臭い」、「土臭い」、「田舎臭い」と悪口を並べたが、駄作というわけではなく、軽快でノリのよいサウンドは快調である。当時の日本でも、あるレコード評で(B面であるにもかかわらず)案外好意的だったように記憶している。

  

ロビン・ギブ「ミリオン・イヤーズ」(1969.11)

1 「ミリオン・イヤーズ」(One Million Years)

 ロビンの第二弾シングルは「救いの鐘」の続編ともいえるバラードだった。むしろ「救いの鐘」以上にオーソドックスかつ堂々たるバラードとも言えるだろう。

 「救いの鐘」よりもセンチメンタルで、ロビンのヴォーカルも感情を込めた力作感が強い。しかしあまりにもスローすぎて、前作のような緩やかなリズムも感じさせず、あまりヒットは望めそうもないという印象だが、実際、その通りとなった。

 

2 「ウィークエンド」(Weekend)

 こちらもB面はA面と対照的で、親しみやすく、軽いタッチのポップ・バラ―ド。それ以外に、あまり言うことはない。

  

 60年代のビー・ジーズは3年間で10枚のシングル(イギリス、「スピックス・アンド・スペックス」を除く)、4枚のオリジナル・アルバムを発表して、曲数は66曲に及ぶ。このほか、ロビン・ギブが「救いの鐘」、「ミリオン・イヤーズ」をリリースし、またマーブルズの「オンリー・ワン・ウーマン」以下の楽曲提供を行っている。

 1967-1968年の彼らは創作意欲にあふれ、多作だったが、69年は、ヴィンス・メローニィが抜けた後、さらにバリーとロビンの不和とその後のロビンの脱退がグループの存続を危うくし、活動量も低下した。同年後半には、『ベスト・オヴ・ビー・ジーズ(Best of Bee Gees)』が発売され、英米ともセールスは好調で、(英国とヨーロッパだけだが)シングルもロビンとビー・ジーズ双方がヒットを放った。ロビンのソロ活動もビー・ジーズも一見順調なように見えたが、この一連の騒動は徐々にダメージを与えていく。

 そして1969年末には、ついにモーリスとの関係もおかしくなり、バリーがビー・ジーズからの脱退を宣言し、ここにビー・ジーズは完全に消滅することになった。当時のイギリスでは、マザー・グースに引っ掛けて、「五人の小さなビー・ジーズがおりました。でも仰天するようなことがたくさん起こります/ひとりがグループを作ろうと出ていきました。それで四人になりました/四人の小さなビー・ジーズが残りました。でも、仲はよくありません/ひとりがソロになりました。それで三人になりました/三人の小さなビー・ジーズが残りました。どうしたらいいのかわかりません/ドラムはいらないと決めました。それで二人になりました/二人の小さなビー・ジーズは楽しくないと感じました/ひとりは何もかも嫌になりました。それで一人が残りました」、という風刺詩がどこかの音楽誌に載ったという[ii]。あまりに面白いので、全部訳してしまったが、まさかアガサ・クリスティも自分の小説を地で行く現実を予想してはいなかっただろう。後年、ジェネシスが『そして三人が残った(And Then There Were Three…)』(1978年)をリリースしたのは、ビー・ジーズの前例を教訓にしたかったからなのか。いずれにせよ、来るべき70年代の幕開けは、暗黒時代の始まりでもあった。

 

[i] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.705.

[ii] Ibid., p.248.