ビー・ジーズ1973

「希望の夜明け」(1973.1)

1 「希望の夜明け」(Saw A New Morning, B, R & M Gibb)

 1973年のビー・ジーズは、「希望の夜明け」で始まった。しかし結果として夢も希望もなかった。全米94位、3年前の「イフ・オンリー・アイ・ハッド」と「アイ・オー・アイ・オー」の悪夢が甦る。そしてこの悪夢はさらに続くことになった。

 「希望の夜明け」がビー・ジーズの新しいスタイルを示すレコードだったことは確かだ。クリアなアコースティック・ギターがヴァースのメロディを奏でるとシンフォニックなオーケストラがかぶさるイントロは、いかにもビー・ジーズ的だが、前年の「ラン・トゥ・ミー」などと比べると、ロック志向が強まり、ポップ・ソングというよりフォーク・ロック風である。

 例によってワン・フレーズを曲に仕上げていくシンプルな作りだが、このメロディは癖になる。思わず口ずさんでしまうメロディで、ドラマティックに盛り上がる展開も勢いがあり、評価もそれなりに高かった[i]。しかしこの曲には「ラン・トゥ・ミー」のような必殺のキラー・メロディが欠けている。1970年代のアメリカン・ロックになんとか追いつこうと努力したのだろうが、結局は自分たちに合っていないスタイルを選択してしまった、という印象だけが残った。

 

2 「人生は歌のように」(My Life Has Been A Song, B, R & M Gibb)

 Bサイドの「人生は歌のように」は、ビー・ジーズならではの手慣れたバラード作品だが、これまでのバラードに比べるとAOR的な色味が強くなっている。これもまた、『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』には見られなかった、70年代に相応しいスタイルを模索した結果だったのだろう。

 またこの曲は、同時発売のアルバムに収められたもう一つのバラードと同様に、バリーのバカラック・シリーズの掉尾を飾る(というほどおおげさなことでもないが)作品でもある。ある意味、ビー・ジーズのバラードの集大成ともいえる。ロビンの切々としたヴォーカルもメロディに合っているし、サビのバリーの抑えた歌唱も情感をかき立てる。

 メロディを書かせれば、以前としてビー・ジーズの才能は枯れてはいないことを証明する佳曲である。

 

〔9〕『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』(Life in A Tin Can, 1973.3)

 1972年7月に『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』のレコーディングを終了すると、ギブ兄弟はロサンジェルスに飛び、9月から10月にかけて20曲近くのレコーディングを行い、2枚のアルバムを完成させた。

 今ではよく知られていることだが、当時の日本のファンにはこれは知る由もなかった。『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』が発売されたのは、当然英米より数か月遅れたが、それでも前作から半年ほどの早さで、驚いた記憶がある。ロバート・スティグウッドのRSOレコードの発足に合わせた急ぎの制作だったことは当時も知られていたと思うが、全8曲という少ない曲数もそれで納得がいった。しかし、ほぼ同時進行でもう一枚アルバムが作られていたとは・・・。驚き、桃の木、と思わず昭和に戻ってしまいそうになるが、そのA Kick in the Head Is Worth Eight in the Pantsは、ついに発売されることはなかった。

 『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』を語ろうとすると、どうしてもA Kick in the Headに触れざるを得なくなるが、『缶詰のなかの人生』と『頭への一撃は尻を8回蹴られたのと同じくらいこたえる』が続けて発売されていたら、けっこうな衝撃をファンに与えていただろう。『関係各位』というアルバム・タイトルも相当なものだが、A Kick in the Headはそれ以上だ。この頃のビー・ジーズは確かに迷走していた。突飛なタイトルは、斜に構えるのがクールだと思ったのか。それとも破れかぶれだったのか。

 とはいえ、幻のアルバムは、ピアノを基調としたバラードが中心で、『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』よりもオーソドックス。そして、より優れていた、との評価が多い[ii]。いっそのことダブル・アルバムでリリースしていたらよかったのではないか。暴論ではあるが、どうせ売れそうもなかったのなら・・・。いや、これも暴論か。

 我に返って、『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』に戻ると、本アルバムは、ビー・ジーズアメリカ市場に軸足を置くに至ったことを示すが、内容もそれに合わせて、フォークとカントリーをテーマにロック・アルバムを目指したものと受け取れる。時期的にみて直接の影響はなさそうだが、1972年にデビューしたイーグルズをイメージさせる。ジム・ケルトナーのような一流セッション・ドラマーや、ジョニー・ペイト、トミー・モーガンといったレジェンド級のミュージシャンを起用したのも初めてのことで、意欲は感じられるが、そんな名だたる演奏者を呼んで大丈夫なのか、と彼らに代わって心配になる。曲作りの才能は天才的だが、パフォーマーとしてはねぇ、というのが正直なところなので。

 

A1 「希望の夜明け」

A2 「ドント・ワナ・ビー・ザ・ワン」(I Don’t Wanna Be the One, B Gibb)

 「希望の夜明け」のラストからメドレー形式で「ドント・ワナ・ビー・ザ・ワン」が始まる。シングル・リリースされた「人生は歌のように」と同様、ロビンがヴァースを、バリーがサビのコーラスを歌うバラードだ。という以上に、この2曲はうり二つといってよい。ともにモーリスのピアノをバックに、8小節のヴァースを2回繰り返してから8小節のコーラスに移り、またヴァース、そしてコーラスという構成。そこにオーケストラが加わって、ラストは、この曲は3人のハーモニーで、「人生は歌のように」はハーモニカで終わる。

 「ドント・ワナ・ビー・ザ・ワン」はバリーの単独作で、「人生は歌のように」は3人の共作。どちらが先かはわからないが、一方が他方に触発されてできたのは間違いないだろう。これだけよく似た曲を、よく一枚のアルバムに入れたものだと思うが、その気持ちはわからないでもない。どちらも甲乙つけがたいメロディで、どちらも捨てられなかったのだろう。「人生は歌のように」はシングルに収録したので、アルバムから落としてもよかったのかもしれないが、それではアルバムが弱くなると思ったのか。いずれにしても、保守的といわれようとも、『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』はこの2曲のバラードに尽きる、というのが、このアルバムを初めて聞いて以来の偽らざる見解である。

 

A3 「サウス・ダコタの朝」(South Dakota Morning, B Gibb)

 バリー単独のフォーク・アンド・カントリーのバラード。例によって、彼らしいさりげない小品だが、あまり新鮮味は感じられない。『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』は半数がバリーの単独曲で、半数が3人の共作。バリー主導の傾向が強まっているのも特徴だが、単独作の場合、どうしても、もうひとつ練られていない印象を受ける。やはり3人の才能の結集を期待してしまうファン心理だろうか。

 

A4 「リヴィング・イン・シカゴ」(Living in Chicago, B, R & M Gibb)

 サウス・ダコタに続いてシカゴ。とりあえずアメリカの地名を入れておけばアメリカっぽくなるだろう、という、まさかそれほど安易でもないだろうが、そう思わせかねないのもビー・ジーズらしいところだ。

 バリーのアコースティック・ギターとモーリスのメロトロンを主体としたフォーク・バラードだが、意外な盛り上がりを見せて、大作風に展開する。1曲目の「希望の夜明け」とともに、アルバムの核となることを企図したかのようだが、コーラスのメロディなどを聞くと、どうやらサイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」の線を狙ったように思える。

 

B1 「ホワイル・アイ・プレイ」(While I Play, B Gibb)

 バリー単独による、ブルース風のカントリー・ロック。彼らしいメロディもなく、冗長で退屈な曲と感じていたが、長年聞いてくると、段々悪くないと思うようになった。

 しかし「サウス・ダコタの朝」もそうだったが、作りっぱなしで放り出したような印象がぬぐえないのは、単独作という先入観からだろうか。バリーのソロ・ヴォーカルも気持ちよさげにも、惰性で歌っているようにも聞こえる。

 

B2 「人生は歌のように」

B3 「カム・ホーム・ジョニ・ブライディ」(Come Home Johnny Bride, B Gibb)

 バリーの単独作の最後は、もろカントリーといったナンバー。こういった曲でもキャッチ―なメロディになってしまう、あるいは、そうできるのが彼の才能だが、歌詞の内容は意外にシリアスで、改めてアルバム全体を見ると、「希望の夜明け」から「サウス・ダコタの朝」、「リヴィング・イン・シカゴ」、そして「ホワイル・アイ・プレイ」と、組曲を意図しているように見えなくもない。少なくとも「サウス・ダコタの朝」や「カム・ホーム・ジョニ・ブライディ」は一連の作品としてバリーは書いているようだ。まさに『缶詰のなかの人生』というわけだろうか。

 

B4 「メソッド・トゥ・マイ・マッドネス」(Method to My Madness, B, R & M Gibb)

 アルバム最後は、ビー・ジーズらしい印象的なメロディの佳品。ラストの曲に相応しい荘重な雰囲気も醸し出している。ただ、中間部のロビンのヴォーカルはここ最近のアルバムで続いているスクリーミングというか、絶叫シャウトでいささかたじろぐ。もうちょっと落ち着いて歌ってほしい、と思うのは筆者だけか。

 

22 「ひとりぼっちの夏」(1973.6)

1 「ひとりぼっちの夏」(Wouldn’t I Be Someone, B, R & M Gibb)

 まるでブリティッシュ・ポップに戻ったかのような作品で、最初聞いた時には、『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』同様のロサンジェルス録音だとは思いもしなかった。

 毎度おなじみの曲調で、メリハリもなく、曲も完璧とはいえない。それ以前に、どう考えてもヒットはしないだろうな、とあきらめが先に来るような作品だ。

 しかしそれでもやはり、これこそがビー・ジーズなのだ。彼らのファンなら感動にむせび泣くようなメロディとハーモニーの魅力で、もはやロックでも、ポップでも、どうでもよい。

 とくにオリジナル・バージョンはインストルメンタル・パートが増えて、エンディングで長々とアラン・ケンドールの感傷的なギター・ソロが聞ける。そこに3人のコーラスがかぶさるエンディングは、原題は夏とは無関係とはいえ、まさに邦題通りの甘い喪失感を漂わせる幕切れとなっている。

 

2 「エリーサ」(Elisa, B, R & M Gibb)

 このカプリングは、A Kick in the Headからのカットだが、本作は3人が一番ずつリード・ヴォーカルを取る珍しい曲。つまりモーリスがバリーとロビンのヴォーカルに加わっているという点で貴重なナンバー。短いが、はかなげなメロディの美しいバラードだ。

 

[i] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.324; Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1972.

[ii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.334; Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1972.