Bee Gees 1969(番外編)

マーブルズ「君を求める淋しき心」(The Marbles, The Walls Fell Down, 1969.3)

1 「君を求める淋しき心」(The Walls Fell Down, B, R. and M. Gibb)

 「オンリー・ワン・ウーマン」の成功に味をしめたのか、マーブルズの第二弾は、明らかに前作の二番煎じだった。三拍子と四拍子を組み合わせていることぐらいが新しい工夫で、ほかに新鮮味はない。ヘヴィーなサウンドは「獄中の手紙」を思わせるが、ボネットのヴォーカルは前作に比べると、やや抑制されて、コーラスが前面に出てきているようだ。

 ボネットに「退屈な曲だ」と言われて、バリーは怒ったようだ[i]。それは怒るだろうが、ボネットの言い分にも一理ある。

 決して駄作ではないが、やはり物足りない。イギリスのチャートでも28位と低調だった[ii]

 

2 「ラヴ・ユー」(Love You, B, R. and M. Gibb)

 こちらも前作の「キャンドルのかげで」同様のブリティッシュ・ポップ。ヴォーカルはトレヴァー・ゴードンが取っているが、むしろビー・ジーズ名義の曲以上に、60年代らしさを感じさせる作品となっている。ホリーズなどを連想させる、センチメンタルなメロディの佳曲だ。

 むしろ楽曲としてはA面より優れている。マーブルズ向き、あるいはグレアム・ボネット向きとはいえないが。

  

マーブルズ「誰も見えない」(The Marbles, I Can’t See Nobody, 1969.5)

1 「誰も見えない」(I Can’t See Nobody, B. and R. Gibb)

 グループ内のごたごたで、もはや他のグループに曲を書いている場合ではなくなったのか、あるいはマーブルズのほうで、もう曲はいらないといったのか、第三弾はビー・ジーズの旧作のカヴァーとなった。確かにマーブルズには合っているだろうが、残念ながら、セールスは伸びなかった。

 原曲よりアップ・テンポで、切迫感を強調したのは面白いアレンジだったが。

 ちなみに、1970年に発売されたアルバム[iii]には、「トゥ・ラヴ・サムバディ」も収録されている。「誰も見えない」とは逆に、極端にテンポを落としたスロー・ヴァージョンで、ボネットの雷鳴のようなヴォーカルが炸裂するソウルフルなカヴァーとなっている。面白いのは、後年ビー・ジーズが発表するライヴ・ヴァージョン[iv]がこれに近いアレンジになっていることだ。

 

2 「リトル・ボーイ」(Little Boy, B. and M. Gibb)

 他のグループに曲を書く余裕はなかったのでは、と記したが、B面はまたバリーがモーリスと書いた曲を収録している。共作といっても、恐らくバリーがギターを弾いているうちに、何となくできた曲なのだろう。弾き語り風のフォーク・バラードだが、焦点が定まっていないような印象の曲で、どういう曲を書くかという目標も決めずに、やはり何となくできた曲のようだ。

 とはいえ、メロディはそれなりに魅力があり、ストリングスも美しい。また、ビー・ジーズの「サン・イン・マイ・モーニング」と曲調や雰囲気が共通していて、そこは興味深い。

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タイガース「スマイル・フォー・ミー」(The Tigers, Smile for Me, 1969.7)

1 「淋しい雨」Rain Falls on the Lonely(R. F. Bond and R. Sebastian)

2 「スマイル・フォー・ミー」Smile for Me (B, R. and M. Gibb)

 日本では、1969年7月25日にリリースされたタイガースのシングル・レコード。

 というか、イギリスでも発売されていたとは知らなかった[xi]。しかもB面だったとは。

 タイガースがビー・ジーズの楽曲をレパートリーとしていたこと、とくに加橋かつみが「ホリデイ」を歌っていたことは、当時よく知られていた[xii]が、同じポリドール・レコードから発売されていたこともあって、1968年には、電話による対談も実現していた[xiii]。そうした縁があって、タイガースの海外映画ロケ先のロンドンで、バリーとの対面の様子が撮影され、日本盤のシングル・ジャケットには、コラージュされた写真のなかに、タイガースの4人と並んでいるショットや沢田研二とのツー・ショットが含まれている(バリーはなぜかゴーカートに乗っている)。

 曲は、あまり個性のないバラードだが、口当たりのよい甘いメロディがバリーらしいといえるだろう[xiv]。「フォー・ミ~」のリフレインでフェイド・アウトしていくラストは、いかにもビー・ジーズっぽくて、微笑ましくもある。初来日のときのインタヴュー(1972年)によると、本作は、最初マット・モンロー[xv]のために書いた、と(バリー?が)答えている[xvi]。意外な人選だが、このことはバイオグラフィにも載っていないので、貴重な情報といえる。

 「スマイル・フォー・ミー」は、日本では『オリコン』で3位となり、30万枚近くを売り上げた。ビー・ジーズにとって、「オンリー・ワン・ウーマン」に次ぐ、ソング・ライターとしての成功作だった[xvii]。しかし、このセールスには、日本ではB面扱いだったが、キャッチーなメロディの「淋しい雨」の人気も大きく貢献している(それで、イギリスではこちらがA面になったのだろう)。いわば、両面ヒットだったといえよう[xviii]

 

[i] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1969.

[ii] しかし、オランダでは、何と2位だったらしい。C. Halstead, Bee Gees: All the Top 40 Hits (2021), p.49.

[iii] Marbles (Polydor, 1970, 2003). 全12曲で、ギブ兄弟の楽曲は、「誰も見えない」(A1)、「キャンドルのかげで」(A5)、「オンリー・ワン・ウーマン」(B1)、「トゥ・ラヴ・サムバディ」(B2)、「君を求める淋しき心」(B6)が収録されている。ボネットとゴードンのオリジナルも3曲収めている。

[iv] Here At Last … Bee Gees … Live (1977).

 

[xi] しかし、レコードを引っ張り出して確認すると、解説に「イギリスでも発売されます」と書いてあった!

[xii] 楽曲提供の時点で、両グループを繋ぐ存在であった加橋もロビンもすでにグループを脱退していたのは皮肉だ。加橋がまだメンバーだったら、彼がリード・ヴォーカルを取っていたのだろうか。

[xiii] 『ヤング・ミュージック』1968年4月号、70‐74頁。「スマイル・フォー・ミー」の解説によると、国際電話による会談は、1968年2月19日と6月22日の二度行われたらしい。とすると、『ヤング・ミュージック』に掲載されたのは、2月のほうのみだったようだ。

 このなかで、ビー・ジーズがスタジオで曲作りをしていた、という、今ではよく知られた事実を、ヴィンス・メローニィ(ということになっているが、ひょっとするとギブ兄弟の誰かのまちがいだろうか)が加橋かつみに語っている。加橋が納得せずに、何度も聞き返しているのが面白い。

[xiv] 作曲はギブ三兄弟だが、バリーとモーリスのみかもしれない。The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.695.

[xv] 007映画の『ロシアより愛をこめて』の主題歌などで知られる。

[xvi] 『ミュージック・ライフ』1972年5月号、102頁。

[xvii] しかし、Bee Gees: All the Top 40 Hitsに掲載されていないのはなぜだろうか。「メロディ・フェア」は載っているのに。

[xviii] ちなみに、「スマイル・フォー・ミー」の前のタイガースのシングル「嘆き」のB面に収められている「はだしで」という曲は、リズム・アンド・ブルース色の強い、彼らにとっては異色の作品だが、イントロが「トゥ・ラヴ・サムバディ」にそっくりなのは、次にビー・ジーズの楽曲をレコーディングすることの伏線だったのだろうか。