ビー・ジーズ2003

 2003年1月にモーリス・ギブが亡くなり、ビー・ジーズは消滅した。

 彼の死後、バリーとロビンは、ビー・ジーズが今後も続くことを宣言し、その後も、幾度となくグループとしての活動再開が期待されたが、結局、2012年5月にロビンも死去し、バリー一人が残されることになった。

 今後、バリーによってグループが結成されることがあったとしても、そしてビー・ジーズと名付けられることがあるとしても、バリー・ロビン・モーリスによるビー・ジーズが蘇ることはない。やはり、ビー・ジーズは、2003年に、モーリスの死とともに存在を止めたということだろう。

 

ロビン・ギブ『マグネット(Magnet)』(2003.2)

 ロビン・ギブによる5枚目のソロ・アルバム。しかし、このCDをロビンのアルバムとすることに抵抗を覚える人も多いことと思われる。全11曲のうち、ロビンが書いた曲は3曲のみ。しかも、うち2曲は旧作、残る1曲は新曲だが、共作曲で、ロビンらしい特徴が出ているとはいいがたい。ロビンが歌っているのだから、彼のアルバムに間違いはないのだが、『ロビンズ・レイン』(1970年)や『ハウ・オールド・アー・ユー』(1983年)と同列に置くことには躊躇いを感じざるを得ない。

 そもそもドイツのSPVというレーベルから発売されたらしく、長年ドイツで人気を博してきたビー・ジーズおよびロビンであるから、そのことは納得だが、アメリカでの発売はなかった模様で、ソロでの活動も、そろそろ限界が来ていたようだ。ドイツ、そしてイギリスでもヒットせず、それでも、マグネット・ツアーと称して、ドイツを中心にコンサート・ツアーを行い、日本でも久々のライヴ・パフォーマンスを披露した。最後の来日となったが、少なくとも、その点では『マグネット』を制作発表した意義はあったというべきだろう。

 ジャケットおよびパンフレットには、モノクロで宙に浮いているかのようなロビンを様々な角度から撮った写真が載せられている。ヨガのような、パントマイムのような変なポーズのものもあり、透明なアクリル板か何かの上に乗ったロビンを下から撮影したのだろうが、ピタッと張り付いているので「マグネット」というわけだろうか。もちろん、聞き手を引きつける魅力あふれるアルバムということであろうが、残念ながら、あまり磁力は強くなかったようだ。

 

01 Please

 1曲目は、プロデューサーのマイクル・グレイヴズと、チャイナ・ブラックというバンドのシンガーであるエロル・リード[i]の共作曲。

 ポップでキャッチーな、なかなかの快作で、シングルに選ばれた(2002年12月発売)のもわかる。とくに「どうか、教えてくれ。どうすれば、君を忘れられるのか」から始まるコーラスはロビンの声にもマッチして、オリジナルと錯覚しそうな、つまりロビンが書きそうなメロディが心地良い。あいにく、「プリーズ」の願いむなしく、まったくヒットしなかったが。

 しかし、このあとのアルバムの内容に、案外期待を持たせる作品であったことは確かだ。確かなのだが・・・。確かなのだが・・・。確かなのだが・・・(段々、声が小さくなる)。

 

02 Don’t Wanna Wait Forever

 グレアム・ディクソンとグラント・ミッチェルが、ポール・ホームズ、ジョン・パーサー、ゲイリー・ミラーとともに書いた作品。全然知らん名前なのだが、最初の二人はチームで、ミッチェルはアレンジと演奏も担当し、ホームズとバッキング・ヴォーカルも受け持っている。

 ロビンによれば、このアルバムのコンセプトは、若いソング・ライターたちの楽曲にスポットを当てたい[ii]、とのことだそうだが、要するに新世紀のダンス・ミュージックに挑戦したということのようだ。

 まるでバリーのような早口言葉のヴァースを頑張って歌っているが、まあ、お世辞にもロビン向きとは思えない。なんか、舌がもつれそうで、ヒヤヒヤするし(CDだから、そんな心配は無用なのだが)。

 

03 Wish You Were Here (Barry, Robin and Maurice Gibb)

 言うまでもなく『ワン』(1989年)に入っていた、アンディを追悼したナンバー。歌詞ばかりか、途中のコーラスの部分を変えてしまったので、バリーはお怒りだったらしい。

 ギターの弾き語りのような軽いタッチの「ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア」で、上記のとおり、一番良いコーラス・パートを短く書き換えてしまったのは感心しないが、サビのさりげない歌唱が、ロビンがこの曲に込めた思いを表現しているようだ。

 プロデュースは、アメリカのソング・ライターであるディーコン・スミス[iii]による。旧作のリメイクとはいえ、ロビンが歌う「ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア」が、こうして聞けるのは、今となっては貴重である。

 

04 No Doubt

 ここからは、基本的にディーコン・スミスの楽曲が「アース・エンジェル」まで続く。本作は、ケネス・マングラムとの共作。若手のソング・ライターたちをプッシュするという目的には、あまり合致していないようだが、どうでもいいか。

 いかにもソウル・ポップ風のビート・ナンバーで、こういった楽曲に積極的に挑戦するロビンは、えらいと言えばえらいが、ファンがそこまで付き合ってくれるかどうかは疑問だ。

 

05 Special

 スミスと他二人による共作曲。ややスロー・テンポのソウル・ポップ・バラード。コーラスは、なかなか美しい。

 ロビンは、基本的にヴァースを担当して、ソロというより、ソウル・ダンス・グループにゲスト参加しているような雰囲気だ。

 

06 Inseparable (Robin Gibb and Deconzo Smith)

 唯一ロビンがスミスと共作している作品。そう思って聞くせいか、スミスの楽曲のなかでは、ロビンらしいポップなメロディが聞ける。とくに歌い出しの「アイ・セイ」のところが、ロビンっぽい。

 サウンドは他と代り映えしないが、アルバムのなかでは、キャッチーなところに魅力がある。ロビンが作曲に加わっていると知って聞くので、どうしても、そんな風に感じてしまうのだろうか。

 

07 Don’t Rush

 若干スロー・テンポのソウル・ポップ。一応、軽快なビート・ナンバーとバラード・タイプの楽曲を交互に並べているようだ。

 ディーコン・スミスの書く曲は、サビで印象的なフレーズを繰り返す王道的なパターンで、悪くはないが、やはりロビン向きとは言えないように思う。

 

08 Watching You

 この曲も、コーラスのメロディは、結構キャッチーで、後期のビー・ジーズがやっていた、少々エキゾティックなソウル・ポップ風の曲に似ているといえば、似ている。ロビンでいえば、「ギヴィング・アップ・ザ・ゴースト」(1987年)あたりを連想させる。

 

09 Earth Angel

 ここまでの3曲は、いずれもスミスと、バッキング・ヴォーカルを受け持っているエマニュエル・オフィサーとの共作。

 前の2曲とは、いささか異なるブルース調のダークな楽曲。サビのコーラスが特徴的なのは同じ。

 ようやく終わった、といっては失礼だが、ロビン・ギブのアルバムとして聞こうとすると、どうしても不満が残る。このミスマッチが逆に面白いとも言えるのだが、・・・言えるのだが(?)、・・・言えるのか?

 

10 Lonely Night in New York (Robin and Maurice Gbb)

 なぜか「(アナザー・)ロンリー・ナイト・イン・ニュー・ヨーク」のリメイクが登場。

 オリジナルに不満でもあったのか、単に気に入っているので、またやりたくなったのか。テンポが速くなったように感じるほかは、とくに変わった点はないようだが、やっぱりお気に入りということなのだろうか。

 しかし、モーリスが亡くなった、その年に発表されたアルバムに、彼とロビンが作り上げた『ハウ・オールド・アー・ユー』(1983年)の楽曲が再録音されて入るとは、いったい、何たる暗合だろうか。

 

11 Love Hurts

 最後は、これも意外なエヴァリー・ブラザースの楽曲(1960年)のカヴァー。ブードロウ・ブライアント作の超有名曲で、ナザレスが1976年に全米8位のヒットにしている。しかも、ミリオン・セラーだ[iv]

 というわけなので、メロディの魅力はピカイチ(表現が古臭いなあ)で、ロビンのエモーショナルなヴォーカルにも合っている[v]。本アルバムでも一番の出来といえそうだ。

 プロデュースは最初に戻ってマイクル・グレイヴズで、エロル・リードも、妙なラップ調の語りで参加。これは、ないほうがよかったかな[vi]

 

 『マグネット』は、奇妙に死に彩られたアルバムである。アンディの追悼曲のリメイクに、モーリスとともに制作した楽曲の再録音が含まれている。当のロビンも、すでに、いない。その姿の影さえ見えないバリーだけが、ひとり残っている。

 結局、『マグネット』は、(自作曲がわずかなだけに)ロビンの声を味わうアルバムということだろう。彼のヴォーカルを百パーセント活かしたとは言えそうもないが、2000年代のロビン・ギブの歌声が、こうして残ったのは、ファンにとっては幸福なことだった。

 

[i] J. Brennan, Gibb Songs 2002.

[ii] Ibid.

[iii] Ibid.

[iv] The Billboard Book of Top 40 Hits (Third ed., New York, 1987), p.215.

[v] Gibb Songs 2002.

[vi] Ibid.