エラリイ・クイーン『クイーン検察局』

 1950年代のエラリイ・クイーンを読むなら、まず『犯罪カレンダー』(1952年)と『クイーン検察局』(1955年)をお勧めしたい。

 

 以下、収録された各作品の犯人や推理のポイントを明らかにしていますので、ご注意ください。

 

 エラリイ・クイーンの創作方法は、フレデリック・ダネイが原案を作成して、マンフレッド・B・リーが小説化すると明らかになっているが、まだ不確かな点がいくつか残されている。リーがスランプで書けなかった時期に発表された中短編小説の代作者が、例えば、謎のままである[i]

 だが、個人的には、本書『クイーン検察局(Queen‘s Bureau of Investigation)』[ii]の収録作品についても疑問に思うことがあった。ショート・ショートのような掌編小説もリーが執筆したのだろうか、ということである。ショート・ショートのシノプシスって、下手したら完成稿より長かった、などということはなかったのだろうか。それとも、ショート・ショートの場合は推理のポイント、本書収録作品でいえば、英語と米語とか、ボクシングの専門用語とかのメモだけで、具体的な筋書きやキャラクターづくりはリーに任せる、といった方法を取ったのだろうか。いろいろ思い巡らせたが、F・M・ネヴィンズのクイーン評伝を読むと、やっぱりリーが書いていたのだという[iii]。考えるだけ、無駄だった。

 しかし、本当に、本当に、すべてリーの執筆だったのだろうか。ダネイにしても、作家を志した以上、自ら書きたい欲求を持っていたのではないのか。『ゴールデン・サマー』[iv]などをみれば、そうした意欲がなかったとは思えない。ダネイが執筆した小説もあったのでは、との疑問が捨てきれないのだ。けれども、リーの死後、ダネイはショート・ショートさえ発表しなかった[v]。やはり小説執筆は、もっぱらリーだったということなのか。あるいは、ダネイに小説が書けないわけではないが、リーとの間の信義を最後まで守ったということなのだろうか。もし、そうなら、共作におけるダネイのストレスというのも計り知れないものがあったようにも感じられる。

 それでも、しつこいようだが、上記の代筆者不明の中短編について、いまだに不明のままということは、結局ダネイが書いたんじゃないのか、と想像してみたくなるのだが、果たして?それが明らかになる日は来るのだろうか。いつか、すべてが明らかになる。そんな日が来ることを願って、ひとまず筆をおくことにしたい(パソコン入力だけど)。

 

 ・・・ちがった。これで終わりじゃなかった。『クイーン検察局』を読み直すんだった。執筆がダネイかリーかを確かめようとかいうつもりではなく(そんなことは読んでもわからん[vi])、短編集を読み直そうと思い立ったからである。あらさがしをする楽しさを知ってしまったということもある(人が悪い趣味だ)[vii]

 本書のショート・ショート18編の大半は、『ディス・ウィーク(This Week)』という新聞の日曜版と一緒に配達された週刊誌に掲載されたものだという[viii]。なにしろ、ショート・ショートなので、小説のコクとか、人物描写とか、あったものではないが、全体的に『犯罪カレンダー』(1952年)あたりから目立つようになった推理クイズ風のものが多くなっている。「〈小説読み〉にはもの足りないだろう」[ix]という小林信彦の批評はもっともである。しかし、数編、クイーンらしい冴えたロジックが光る傑作が含まれていたと記憶している。そこを確認したい。

 言い忘れたが、タイトルはF・B・I(アメリカ連邦捜査局)をもじったもの。それで、各作品には、犯罪の種別が付記してある。「恐喝」とか、「横領」とか。「魔術」とか、「不可能犯罪」なんてのもあるが、ま、こんなこと、私が説明するまでもなく、皆知っていることだ。ところで、そうなると、『クイーン検察局』という日本語版タイトルは、これでいいのだろうか?

 

01 「金は語る」(1950.4)

 下宿に住む三人の住人のなかから恐喝者を探すという謎で、謎解きのポイントは、イギリス英語とアメリカ英語の違い。重要な単語に、原語がカナでふってあるので、ここがクサいと気づく人も多いだろう。

 だが、普段使わない単語が出てくれば、アメリカ人なら(イギリス人でも)、すぐにわかってしまうのではないのだろうか。それとも、アメリカの読者は、そんなことは気にせずに読んでいるのか?

 

02 「代理人の問題」(1953.8)

 やはり言葉が手がかりで、ボクシングの専門用語が鍵となる。

 素人のエラリイも知っている程度の用語を知らないというのは、よほどのもの知らずとしか思えないけどなあ。それで評論家に成りすまそうとするなら、知ったかぶりせずに、極力しゃべらないようにするんじゃない?

 

03 「三人の寡婦」(1950.1)

 三人の寡婦のうち、ひとりが被害者で、ふたりが容疑者。一種の不可能トリックだが、タイトルで寡婦に注意を向けさせておいて、実際の犯人から疑いをそらすのは、なかなか上手い。

 このトリックは、日本人にはあまりピンとこないだろうか。外国のテレビや小説に普通に出てくるから、そうでもないか。いや、いまどき体に密着させるのは時代遅れか。

 

04 「変り者の学部長」(1953.3)

 本作も、まさに言葉遊びで、スプーナリズムという言い間違いの癖(?)が問題になる。

 謎解きよりギャグを楽しむ作品で、52ページからあたりは、とくに笑わせてくれる。

 

05 「運転席」(1951.3)

 今回も三人の容疑者がいて、うち一人が義姉殺害の犯人という問題で、手がかりは右袖が濡れたレインコート。やはりイギリスとアメリカの、今回は乗用車の仕様の相違が鍵となる。しかし、わざわざ腕を出して合図するとか、これも時代を感じさせる。

 ほぼ毎回容疑者が三人というのは、二人だと、あてずっぽうでも確率50パーセントになってしまうし、四人以上になると設定を考えたり、書き分けるのが面倒くさいからだろうか。

 

06 「角砂糖」(1950.7)

 いよいよ出ました、ダイイング・メッセージ。これがないと、クイーンは始まらないですよね。

 例によって三人の容疑者が拘束されて、死者が残した角砂糖の解釈が焦点となる。といっても、実はダイイング・メッセージの解釈より、第四の人物が犯人とわかる意外な結末で読ませる。ここまでのなかの佳作だろう。

 「運転席」のあとに本作を置いたのも、企んでるなあ。また三人のなかから犯人を見つける話かと思わせて、背負い投げを食わせるところはさすがです。作品の順番を工夫したところが一番のアイディアで、冒頭の一文が読者を欺く伏線になっているところも巧妙だ。

 ただ、容疑者三人が乗馬服姿なのは、騎馬巡査に呼びとめられる設定で仕方ないのだろうが、乗馬の習慣のある無しに関係なく、単に乗馬服をみてダイイング・メッセージを残した可能性を否定できないのではないだろうか。

 

07 「匿された金」(1952.3)

 今度は、強盗が隠した金のありかが問題となる。が、謎の中心は、隠し場所ではなく、元服役囚を殺害した犯人が誰かで、ホテルが現場であることが最重要手がかりである。

 「三人の寡婦」同様、容疑者は二人だが、「三人の寡婦」の意外性はない。エラリイの推理は、ちょっと荒っぽいのではないかな(実際は、犯人がルーム・メイドらしいというところまでしか推理していない)。

 

08 「九官鳥」(1952.12)

 例によって、三人の容疑者のひとりが金持ちの女性を殺害する。目撃したのは、数十羽の九官鳥だけで、彼らの声真似がエラリイに解決のヒントを与える。

 一種のダイイング・メッセージで、九官鳥の声色が何を伝えているのか、という謎だが、鳥の発する言葉の意味そのものより、そこから犯人を特定する推理の組み立て方が一風変わっている。論理よりも、ひらめき一発で、そこが面白い。

 

09 「名誉の問題」(1953.9)

 本作は、本書に収録の『ディス・ウィーク』掲載作品のなかで、最後に書かれたもののようだ。そのせいか、ミステリの定型を、わざとはずしているところがある。

 またまた三人の容疑者が出てきて、自殺と見せかけた殺人事件が起こる。被害者が残した遺書が偽物であることを証明するパズルで、またまたアメリカ英語とイギリス英語の相違がキーとなる(日本人も教わることなので、こっちのほうがやさしいか)。三人にはいずれもアリバイがあるのだが、ところが、最後まで読むとキョトンとする。なんとアリバイ・トリックも解明されないし、誰が犯人かも不明のまま終わる。どういうこと?あとは自分で考えろ、ってこと?

 ニュー・スコットランド・ヤードシェイクスピア好きの警部が登場して、事件が高貴な婦人の恋文の盗難をめぐるものなので、なんだかホームズ短編のパロディのようだ。

 

10 「ライツヴィルの盗賊」(Today‘s Family, 1953.2)

 本ショート・ショート集で、唯一短編と言える作品。掲載誌も異なる。しかもライツヴィルもので、ちょうど折り返しの十番目に置いたということは、ここらで小説らしい小説を一本、ということだろうか。

 強盗事件で、義父とも折り合いの悪い、町の嫌われ者の青年が疑惑の対象となる。母親から頼まれたエラリイが捜査に乗り出すが、盗まれた金を発見したことで、一気に事件解決へと繋がる。意外な推理で犯人を特定するシャープな短編ミステリで、本集の最高作と思う。

 他の作品にも登場している人物が犯人なのだが、これもライツヴィルもののようなシリーズならではのアイディアで、いつか、やってやろうと思っていたのだろうか。なつかしや、ウルファート・ヴァン・ホーンも出てきて、相変わらず不愉快で胡散臭いが、さすがに、そろってというのはねえ(おっと!)。

 いくらか枚数にゆとりもあるので、人物設定など細かいが、一方で、余分な説明や描写を省いて、登場人物が無駄なく簡潔に描かれているので、正直、同じライツヴィルものの長編より、むしろ良く書けているのではないだろうか。

 ただし、エラリイの推理は、登場人物に限れば、という条件つきの解答で、つまり、この犯人と同じ状態に置かれている人間が他にもいる可能性を否定できていない。関係者が第三者に金の移送時間をしゃべった可能性を、エラリイ自身が指摘しているので[x]、なおさら推理が徹底していないように見えてしまう。それに、なぜエラリイが盗まれた金の捜索にこだわったのか、そこも疑問だ(発見されないと、推理できないのではあるが)。

 

11 「あなたのお金を倍に」(1951.9)

 一種の密室の謎で、エラリイとクイーン警視の目の前で部屋に入った男が、15分後には消え失せている。他に唯一の出入り口である窓には鍵がかかっているという不可能トリック。エドワード・D・ホックみたいで、シンプルですっきりしたパズルだが、無理な一人二役トリックが使われているのは、そんな必要あったのかな。

 犯人が、電話で部下を呼び寄せて、部屋に入らせて鍵をかけさせたとしても、結果は同じだろう。窓の外側を伝ったりしていたら、通行人に見られるかもしれないし(窓が路地裏に面しているとかは、書かれていないようだ)。もちろん、一人二役のほうが不可能犯罪ものとしては面白いのだが。

 

12 「守銭奴の黄金」(1950.6)

 隠し場所の謎というか、金持ちの金貸しが隠した札束がどこにあるのかを探すミステリ。

 O・ヘンリーの短編集が手がかりになるところは、ビブリオマニアのダネイらしいというか、メタ・ミステリっぽくなりそうな一編。むしろ『クイーン検察局』を手がかりにしていたら、もっとメタっぽくなったんじゃなかろうか(本作のタイトルを「守銭奴の黄金」ではなく、「ビトウィーン・ザ・ラウンズ」にしておいたら面白かったと思うが、どう?)。

 

13 「七月の雪つぶて」(1952.8)

 また不可能犯罪もので、列車が消失するというスケールの大きな謎に、エラリイが挑戦する。

 答えが嘘というのは面白いのか、というイチャモンを別稿[xi]で書いたが、やっぱり、なんか拍子抜けするなあ。

 少なくとも、証言の嘘を証明するエラリイの推理があればと思うが、残る可能性は駅長の嘘しかない、という説明だけでは、つまらない。ショート・ショートだから、大真面目にトリックを考えることもないと思ったのか。つまりは、作者が最後に舌を出して、読者は苦笑いしながら面白がる冗談小説ということだろうか。

 そう考えると、突っ込むこともないのだが、実在する路線なのかどうかも知らないけど、襲撃の目撃者通報も入らないくらいだから、だだっ広い平原を走る鉄道なのだろう。だったら、遠くからでも銃撃の音とか聞こえるんじゃない?買収されたとかいう駅長も、いつまでも駅に残っているわけもなく、さっさとトンずらしているはずだろうし。

 

14 「タイムズ・スクエアの魔女」(1950.11)

 またしても守銭奴の女性が長年音信不通だった甥に財産を遺そうとしたら、なんと二人も現れたというお話。

 大岡政談みたいな結末になるのかと思ったら、ある意味そのとおりで、論理ではなく頓智でエラリイが事件を解決する。いかにもショート・ショートらしい、軽いけれど気の利いた作品。「読者への挑戦」がついているのも笑わせてくれる[xii]。結末も楽しい[xiii]

 

15 「賭博クラブ」(1951.1)

 今度は、ガチガチのパズル。例によって、三人の容疑者から犯人を探す。

 仲間をカモにしようとする詐欺漢は誰か、郵送されてきた手紙とその封筒から、エラリイが意表を突く見事な推理を組み立てる。収録作品中でも群を抜く鮮やかな論理で、これはもう、「ライツヴィルの盗賊」とともに、1950年代のエラリイ・クイーンを代表する傑作と言ってよいのではないだろうか(はっきり言って、『帝王死す』とか『緋文字』より上だと思います)。

 もっとも、月に数通しか封書を受け取らない私からすると、こんなに都合よくピッタリの封筒があったなんて信じがたくはある。仮に適当な封筒が見つからなかったとしたら、「捨ててしまった」と言い訳するしかなかっただろう。その場合でも、推理の結論は変わらないから、ま、いいか。

 

16 「GI物語」(EQMM, 1954.8)

 再びダイイング・メッセージもの。『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』掲載なので、パズル興味強めで、若干ページ数が多い。

 やっぱり三人の容疑者を登場させて、誰が犯人かを当てさせるのだが、肝心の「死に際の知らせ」が『緋文字』(1953年)の二番煎じなのだ。そこから先はクイーンの好きなアメリカの歴史クイズ(歴代大統領の名前関連)で、わざわざライツヴィル・シリーズにすることもなかったんじゃなかろうか(読者サーヴィスか)。

 

17 「黒い台帳」(1952.1)

 こちらも隠し場所トリックで、ただし、隠すのはエラリイというのが、いつもと違うところ。

 麻薬王の罪を暴く証拠文書をワシントンまで運ぶ任務を引き受けたエラリイが、敵に捕まって、身ぐるみはがされて隅々まで調べられる(エラリイのファンは興奮するのだろうか)。

 こういう謎は、結局、ああ、なるほど、の感想で終わることが多いが、本作も、そんなところか。

 でも、マイクロ・フィルムでいいのなら、100くらいコピーをつくって100人の捜査官に一斉にワシントンに向かわせたほうが確実じゃないのかな?それ以前に、電話じゃ駄目なの?

 ま、野暮な突っ込みはやめておこう。

 

18 「消えた子供」(1951.7)

 夫の浮気で離婚話がもちあがった夫婦の一人息子がいなくなる。誘拐犯の手紙が届くが、そこに書かれていたのは、・・・というあらすじで、意外な真相が明らかになる。

 最後は心温まるお話で、ショート・ショート集らしく軽いが後味の良い締めくくりになっている。

 でも、自分の息子の筆跡なのに、まったく見当もつかないってのは、どうなんだろうか。おや、とも思わないのか。大文字のブロック体とはいえ、子どもの手だし。識別は難しいのか?それに指紋もついているだろうから(手袋をしていたとしたら、とんでもないガキだ)、指紋で大人と子どもの違いって、わからないのかね?

 ま、野暮な突っ込みはやめておこう。

 

 全18編からパズルとしてベストを選ぶなら、「ライツヴィルの盗賊」、「賭博クラブ」、それに「角砂糖」を、ショート・ショートとして楽しいのは「タイムズ・スクエアの魔女」、「変り者の学部長」、あとは「名誉の問題」、「九官鳥」あたりか。

 単なるクイズもあるが、ショート・ショートと思えば腹も立たない。1950年代のいろいろ不満の多い変てこな長編を読むくらいなら、『犯罪カレンダー』や『クイーン検察局』を読むことをお勧めする。

 ああ、このことは最初に書いておこう。

 

[i] フランシス・M・ネヴィンズ『エラリー・クイーン 推理の芸術』(飯城勇三訳、国書刊行会、2016年)、327-29、365-69頁参照。

[ii] 『クイーン検察局』(青田 勝訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)1976年)。

[iii]エラリー・クイーン 推理の芸術』、291頁。

[iv] ダニエル・ネイサン『ゴールデン・サマー』(谷口年史訳、東京創元社、2004年)。

[v] エラリイ・クイーン名義で発表された「トナカイの手がかり」がエドワード・D・ホックの代筆だったことは有名。『エラリー・クイーン 推理の芸術』、401-402頁。

[vi] 都筑道夫は、『ミステリ・マガジン』編集長時代の逸話として、ダネイとリーの寄こした書簡を見比べたら、どちらが小説を執筆しているのか、すぐにわかった、と豪語していたくらいなので、都筑先生にクイーンの原書すべてを読んでもらって(どんな苦行だ)、判定しておいてもらえばよかったですね。都筑道夫・二木悦子・中島河太郎・青田 勝「回顧座談会 クイーンの遺産」『ミステリマガジン』No.320(エラリイ・クイーン追悼特集、1982年)、132頁。ちなみに、中島河太郎は、国名シリーズとレーン四部作は、リーとダネイが分担して書いたと考えていたらしい。『Yの悲劇』(創元推理文庫、1959年)、「解説」(中島河太郎)、428頁も参照。

[vii] 江戸川乱歩小林秀雄の有名な対談記事を読むと、小林もミステリのあら捜しが大好きだったらしいことがわかる。だから、わたしも、というわけではないが。「ヴァン・ダインは一流か五流か(対小林秀雄)」江戸川乱歩『書簡 対談 座談』(講談社、1989年)、218-49頁。

[viii] 飯城勇三エラリー・クイーン完全ガイド』(星海社、2021年)、156頁。

[ix] 小林信彦『地獄の読書録』(筑摩書房、1989年)、115頁。

[x] 『クイーン検察局』、148頁。

[xi] 『帝王死す』に関する拙文を参照。

[xii] と思ったら、どうも原書の単行本には「読者への挑戦」はないらしい。なんで?本編には、絶対必要でしょ?訳者の青田氏もそう思ったから、残したんじゃないの。飯城勇三エラリー・クイーン完全ガイド』(星海社、2021年)、159頁。

[xiii] 最後のエラリイのセリフの「手数料」って、原文は何だろう。hand money(辞書では手付金とあるが)?