江戸川乱歩『孤島の鬼』

(本書との比較で、エラリイ・クイーンの代表作に言及しています。犯人は明かしていませんが、ご注意ください。)

 

 大学に入学した年だったと思うが、図書館に行くと講談社版の江戸川乱歩全集[i]を見つけた。「少年探偵団」のシリーズは、全部ではないが[ii]、もちろん愛読したし、高校までで主要な短編小説は読破していた。しかし、長編小説は未読のものが多かったので、喜んで手に取ると、暇を見つけては閲覧室で読みふけることになった。今思えば、あまりに侘しい話だが、乱歩が侘しかったわけではない。

 『蜘蛛男』(1929-30年)とか『魔術師』(1930-31年)なども、この頃初めて読んだのだと思うが、もっとも引き込まれたのが『孤島の鬼』(1929-30年)[iii]だった。ことにも-そういう人は少なくなかっただろうが-、「人外境便り」にはやられた。さすがに今読み返しても、あのときの衝撃が甦ることはないが、最初の一節などは、いまだに忘れがたい。

 

  不幸(これは近ごろ覚えた字です)ということが、わたしにもよくよくわかってき

 ました。ほんとうに不幸という字が使えるのは、わたしだけだとおもいます。遠くの

 ほうに世界とか日本とかいうものがあって、だれでもその中に住んでいるそうです

 が、わたしは生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません[iv]

 

 まるで幼女が書いた、たどたどしい文章と、それを綴る異相の少女のイメージは、十代の男子には強烈すぎた。始業の鐘が鳴っても、とうていページを繰る手を止めて席を立つことができない。そのまま時がたつのを忘れて読みふけった。というのは嘘で、精神バランスの取れた私は、そういう不合理な行動はとらない。ちゃんと読書を中断して教室に向かった。

 がっかりだよ?

 いや、授業はきちんと受けなくてはいけない(授業料払ってんだから)。終業後、また図書館に戻ると続きを読了したのだが、とにかく『孤島の鬼』の前半にはまいった。主人公蓑浦金之助とヒロイン木崎初代の恋と突然の初代の死、相次いで起こる不可能殺人の謎から「人外境便り」の発見まで、驚愕の事態の連続にすっかり魅せられて、まさに読み始めたら、やめられない(実際は、やめたけど)。あの乱歩独特の言い回しや言葉使い、例えば「読者よ、どうか私の愚痴を許してください」[v]、「小さいお客さま」[vi]などが何とも言えない味で、ときに文章がぎこちないほど理詰めになるかと思えば、擬音や形容詞が不安と困惑を掻き立てる。「人外境便り」も、そうした乱歩の文体によって成り立っている。もちろん文体の個性あっての作家だろうが、乱歩でしか味わえない語りの魅力があるというのは確かである。

 ただ、後半、「牛が寝そべっているかたち」の岬を望む孤島へ舞台が移ると、前半のおぼろおぼろとした感覚は失せて、やや興奮が醒めてくる。地下迷路の冒険にも、それほど引きつけられなかった。私にとって、前半が名作という作品なのかもしれない。

 とはいえ、この二部構成が『孤島の鬼』の特徴で、「人外境便り」を境に、前半が謎解きミステリ、後半が冒険スリラーとなるのは、コナン・ドイルの『緋色の研究』(1887年)や『恐怖の谷』(1914年)に倣ったものだろうか。

 ミステリの趣向としては、内部から戸締りされた日本家屋内で刺殺死体がみつかる密室と、そのあと、今度は鎌倉の海岸で、白昼、砂に埋もれて寝そべっていた男がいつのまにかナイフで胸を刺されて死んでいる。二つの不可能犯罪がメインとなるが、そのトリックはといえば、どちらも多分現代の読者なら失笑するような素朴極まるものである。だが、二番目の海水浴場の殺人などは、上記のごとき乱歩独特の凄味があるような、それでいて、どこかとぼけた語り口と奇妙に明るい海水浴場の情景描写が相まって、たわいない謎解きであっても記憶に鮮やかである。最初の密室でも、「D坂の殺人」(1925年)もそうだったが、狭い居住空間が薄い壁や障子を隔てて密接する日本住居のなかに、突如ぽっかり次元の穴があいたかのような、堅牢な西欧型密室では味わえない、ある種幻想的な謎の妙味を感じさせる。

 興味深いのは、この二重殺人の犯人の類型で、エラリイ・クイーンの代表作と同じなのだが、似ているのは犯人ばかりでなく、ミステリとしての組み立ても一緒なのである。つまり「指示・指令による殺人」で、現場からチョコレートの罐が盗まれていたという奇妙な謎が犯人を指し示すのも、クイーン長編の(超有名な)謎と発想は共通している。謎と推理の構造が意外なほど似かよっているのである。乱歩は、このクイーン作品に大変感銘を受けて、「アア、探偵小説の種は尽きないものだなあ。まだこんなすばらしいのが残っていたじゃないか」[vii](注を見ると作品名がわかってしまうので、未読の方は、といっても、わからないか。とにかく、ご注意願います)と感嘆したのだが、乱歩自身も同じ発想の小説を(しかも先に)書いていたのである。もっとも、もしも乱歩に向かって、いや、クイーンの『〇の〇〇』は『孤島の鬼』のパクリですよ、などと言ったとしても、かえって赤面したことだろうが、どうやら、このタイプの犯人を扱うミステリは、自然とこういう構成や手がかりを考えてみたくなるものらしい。

 松田道弘は、ジョン・ディクスン・カーの作品に対する乱歩の好みを分析して、「自分が作家としてやろうと思いながら果たせなかったトリック、あるいは自分がひっかかったトリックにきわめて点があまく、過大評価気味だったフシが多分にある」[viii]と述べているが、上記のクイーン作品に対する評価をみると、なるほど肯綮に当たっていると思わせる。必ずしも「やろうと思いながら果たせなかった」わけではないし、無論クイーン長編のほうが、はるかに巧妙に考え抜かれているのだが、本書や別長編[ix]で、いってみれば先鞭をつけているのをみると、この犯人がもつ意外性や恐ろしさに、乱歩自身、意識的にせよ無意識にせよ強く惹かれていたのだろう。

 欧米のミステリとの類似といえば、『孤島の鬼』では、最初、蓑浦の友人深山木幸吉が探偵役を務めるが、彼があっさり殺されてしまうと、もうひとりの友人で、蓑浦に好意を抱く諸戸道雄が再び現れて、彼のほうが真の探偵役であることが明らかになる。つまり、こちらも乱歩の大のお気に入りだった『赤毛のレドメイン家』(1922年)と同じ趣向である[x]。もっとも、乱歩が『レドメイン家』を読んだのは『孤島の鬼』完結の五、六年あとらしいので[xi]、この類似も偶然だったようだ。

 内容に戻ると、諸戸の推理によって殺人の謎が解けて、次いで、上記の「人外境便り」がくるのだが、そこで題名の「孤島」の存在が明らかになる。和歌山県沖の小島という設定で、ポツンと佇む屋敷の蔵の中で外界と接することなく育てられたシャム双子の造形は、かの有名なカスパール・ハウザー[xii]のようだ。シャム双子が実は人為的に造られた実験体で、屋敷の主人が企む奇怪な「人間社会への復讐計画」は、今では人権的に問題がありすぎるが、SF並みにぶっ飛んだアイディアで、むしろ、乱歩らしい覗き趣味の見世物小屋的発想である。クライマックスは地下迷宮における探検と宝捜しの冒険で、森鴎外の『即興詩人』をヒントにしているという[xiii]が、現代の読者は、横溝正史の『八つ墓村』の鍾乳洞のほうを連想するだろう。

 こうしてみると、実に様々なミステリや文学との関連もしくは影響がうかがえる小説で、多彩というか、ごった煮的特徴を有する長編ミステリといえる。

 もうひとつ本書の重要な特色として、主人公の蓑浦と諸戸の間の同性愛関係(厳密には、諸戸の一方的な恋愛)が挙げられるが、この設定が本書の構想に必要だったのかは、何とも言い難い。作者自身、邪魔だと思っていたらしいし[xiv]、確かになくとも作品は成立する。というのも、蓑浦のほうが異性愛者で、諸戸の求愛に消極的、あるいはむしろ最後まで抵抗を感じているからである。関係の深まりようがなく、従って、主人公側の葛藤もないので、あまり効果的とはいえない。やはり本書に不可欠な要素とは言えないようだ。しかし、諸戸の死の知らせで幕を下ろす本書のラスト一行には、上記の自己評価とは裏腹の、乱歩の強い思い入れが感じられる。この主題を取り入れたことに後悔はなかったのだろう。

 『孤島の鬼』は、様々な要素を盛り込んだ面白い小説であるが、個人的には、前半の印象が鮮烈すぎて、「人外境便り」までがピークで、孤島に渡ってからは前半で感じたテンションが少々下がってしまった。しかし、作者が自負するとおり、乱歩長編の頂点に位置することに間違いはないだろう。中井英夫が、本書を日本最高(というか、世界最高)のミステリと考え、そう公言していたことは有名である[xv]が、さすがにそこまでとは思えない。だが、客観的評価を越えた魔術的魅力を持った作品であることは確かで、個人的には、かつての大学図書館での読書体験が、それを証明している。

 

[i]江戸川乱歩全集』(全15巻、講談社、1969-70年)。

[ii] その後、文庫版で全巻読破した。すでに中年になっていたが。

[iii] 『孤島の鬼』(創元推理文庫、1987年)。

[iv] 同、172頁。

[v] 同、49頁。

[vi] 同、146頁。

[vii] 江戸川乱歩「Yの悲劇」『随筆探偵小説』(1947年)所収、『江戸川乱歩全集第25巻 鬼の言葉』(光文社文庫、2005年)、439頁。

[viii] 松田道弘『トリックものがたり』(筑摩書房、1986年)、205頁。

[ix] 『魔術師』(1930-31年)でも、同じアイディアで密室殺人を描いている。

[x] イーデン・フィルポッツ赤毛のレドメイン家』。同作品の初訳は1935年だそうだ。森英俊編著『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』(国書刊行会、1998年)、536頁、江戸川乱歩『探偵小説四十年(上)』(光文社、2006年)、635-40頁も参照。

[xi] 江戸川乱歩「フィルポッツ」『海外探偵小説作家と作品2』(講談社、1989年)、199-214頁。

[xii] 種村季弘『謎のカスパール・ハウザー』(河出書房新社、1983年)を参照。

[xiii] 『孤島の鬼』、323-24頁。

[xiv] 江戸川乱歩『探偵小説四十年』(光文社、2006年)、385頁。

[xv] 中井英夫「『孤島の鬼』を読む」(1986年)『磨かれた時間』(河出書房新社、1994年)、51頁。