エラリイ・クイーン『ニッポン樫鳥の謎(日本庭園の秘密)』

(犯人を明かしていませんが、トリック等に触れているので、未読の方はご注意ください。また、アーサー・モリスンの短編小説のトリックについても触れています。)

 

 『ニッポン樫鳥の謎(日本庭園の秘密)』[i](1937)は、日本の読者にとって、ひときわ思い入れのある作品だろう。原題はThe Door Betweenで日本と縁もゆかりもないタイトルだが、もともとはJapanese Fan Mysteryという題名だった、と言われてきた[ii]。それはどうやらデマだったらしい[iii]、とわかったあとになっても、依然として「ニッポン樫鳥」だの「日本庭園」だの、邦訳は「日本」、「日本」とかまびすしい。

 しかし、それもわからなくもない。そもそも国名シリーズ作品自体、ローマとも、フランス、オランダとも、全く、全然、一切関係ない。かろうじて『アメリカ銃の謎』がアメリカを舞台としている(クイーンがアメリカ作家だから当たり前だが)。それに比べれば、本書では、日本文化に関する蘊蓄がそこここに盛り込まれ、「ニッポン」と題するに相応しい作品となっている。

 だが、中身を見ると、「読者への挑戦」はないし、作風もがらりと変わって、エラリイは後方に退き、私立探偵小説かサスペンス・ミステリ風の語り口。推理も、クイーンらしい論理的推理ではなく、むしろトリック小説で、エラリイが出てくる必要はないんじゃないか、と思わざるを得ない。エラリイ・クイーン名義の作品だから、そういうわけにもいかなかったのだろう。作家と主人公が同じ名前というアイディアも、名案のように見えて、意外と不自由そうでもある。段々と足枷になって、書き辛くなってきた様子が見られぬでもない。実際に、探偵が交代するのは『ガラスの村』(1954年)になってからだが、それまでにも、エラリイを引っ込めて、別の探偵にしようという考えが、ダネイにも、リーの頭にも浮かんだことがあったのではないだろうか。

 密室の謎と殺人方法のトリックのふたつが、本作の目玉で、密室の謎が解けて、自殺だったとわかるが、さらにその奥に、意外な殺人手段と犯人が潜んでいたことが明かされる。二重底の構成が特徴であるが、どちらのトリックの扱いかたも従来のクイーンらしくはない。

 密室トリックのほうは、アーサー・モリスンの有名な短編小説[iv]のトリックを密室殺人に応用したもので、そのこと自体は問題ないが、エラリイの推理は筋道は立っているものの、論理的かと言われると躊躇する。鳥が事件のあった部屋の窓にとまっていたという事実を、凶器をくわえて密室から飛び去ったという仮説に結び付けられるのは、論理ではなくて想像力だろう。もしくは、モリスンの短編を読んだことがあったのか、どちらかだ(勉強熱心なエラリイのことだから、当然読んでいたでしょうね)。登場人物のひとりが「賭け」といっている[v]ように、蓋然性はあるが論理的とは言い難い。作者も、実際に凶器がエラリイの推理どおりの場所で見つかるという段取りにすることで、読者を納得させるしかなかったのだろう。論理的帰結というより、小説だから予想通りの成り行き、としかみえない。もっとも、エラリイ・クイーンのミステリとして読むから不満にも感じるので、通常のパズル・ミステリなら、このくらいの推理で充分ではある。

 もうひとつの殺人方法のトリックは、いわゆる心理的殺人とでもいいうるもので、「奇妙な味」の短編ミステリにでもなりそうなアイディアであるが、こちらもクイーンのロジカルな推理とは水と油のような感じがする。殺したい相手を心理的に追い詰めて自殺に追い込む、というのは、プロバビリティの犯罪[vi]というか、成功すれば完全犯罪としかみえない犯行で、ということは推理では証明も立証も不可能である。ブラウン神父のように、殺人者の精神に同調でもするのでなければ[vii]、突き止めることはできないだろう。ということは、実はエラリイはブラウン神父のような直感型の名探偵だった?

 実際、犯人があくまでしらを切るので、エラリイは被害者の手紙を持ち出す。そこには、被害者が犯人の嘘を信じてしまったこと、そしてその結果、自ら命を絶つ決心をするに至った、ことの次第が、すべて明らかにされていた。これを読まされた犯人は、ついに降参するが、エラリイが推理だけで真相に到達したのではなかったと知って、「頭の働きだけでは、少々、手に負えまいと思っていた」[viii]、とつぶやく[ix]。これは、エラリイのことをよく理解した発言で、犯人はクイーンの愛読者なのではないか、と思うくらいだ。ところが、実は、その手紙はエラリイの創作だった。これでは、まったくエラリイ・クイーンらしくない。手紙を捏造したことではなく(彼はそのくらいのことは平気でやる)、彼独特の推理方式でこの結論に達したらしいことが、だ。エラリイの石橋を叩いてモルタルで固めるような論理的推理では、このような飛躍した真相に到達するとは到底思えないのである。エラリイが突然メグレ警視と脳みそを交換したかのようだ。

 とはいっても、パズル・ミステリとしての出来は別で、これはこれで充分面白い。密室殺人と心理的殺人トリックの組み合わせが卓抜で、読後の印象は、さすがはクイーン。こうしたトリックの組み合わせで新味を出すという方向でプロットをつくれるのも、ミステリ作家としての幅の広さをうかがわせる。彼(ら)なら、どんなスタイルのミステリでも書けるのではないか、と思わせるが、でも、やっぱり、探偵役はエラリイじゃないほうがよかったんじゃないのかなあ・・・。



[i] 『ニッポン樫鳥の謎』(井上 勇訳、創元推理文庫1961年)、『日本庭園の秘密』(大庭忠男訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2003年)。

[ii] 『ニッポン樫鳥の謎』、中島河太郎による解説、379頁、『日本庭園の秘密』、霞 流一による解説、417-18頁。

[iii] 飯城勇三エラリー・クイーン・パーフェクトガイド』(ぶんか社文庫2005年)、99頁、同『エラリー・クイーン完全ガイド』(星海社親書、2021年)、85頁。

[iv] アーサー・モリスン「レントン館盗難事件」『(江戸川乱歩編)世界短編傑作集1』(創元推理文庫1960年)、95-128頁。

[v] 『ニッポン樫鳥の謎』、343頁。

[vi] 江戸川乱歩『続・幻影城』(光文社文庫2004年)、209頁参照。

[vii] GKチェスタトン『ブラウン神父の秘密』(中村保男訳、創元推理文庫1982年)、15-17頁。

[viii] 『ニッポン樫鳥の謎』、376頁。

[ix] 被害者がこうした手紙を書き残すという危険性は決して低くないので、それに対して、犯人が何の手も打たずにトンずらしたのは、あまりにもノンキすぎるのではないか。それほどの、自身の名声を犠牲にしても悔いないほどの激しい憎悪を抱いていたのだ、と言われるかもしれないが、そうだとすれば、今度は、殺人計画が随分と悠長で、生ぬるい気がする。