J・D・カー『カー短編集3/奇蹟を解く男』

(収録短編について、内容、犯人等を明かしている場合がありますので、ご注意ください。)

 

 ディクスン・カーの第三短編集[i]『奇蹟を解く男(The Man Who Explained Miracles)』は、アメリカで1963年、イギリスで1964年に出版された[ii]。カーの病により、新作発表が見込めないことによる代替案だったようだ。『ストランド・マガジン』に掲載されたマーチ大佐やフェル博士ものの短編で第一、第二短編集に収録漏れだった作品と、その後に書かれた中短編を組み合わせて一冊としたもので、目玉となるのは、やはりヘンリ・メリヴェル卿ものの中編「奇蹟を解く男」ということになるだろうか。

 日本では、オリジナルのままだと、ぱっとしないと判断されたのか、第二短編集[iii]に入っていた「パリから来た紳士」を巻頭に据えて、さらに「ことわざ殺人事件」と「とりちがえた問題」も入れ、「軽率だった夜盗」をはずして、第三短編集としている[iv]。代表作の「パリから来た紳士」と「妖魔の森の家」を別々の短編集に分けて入れて、売り上げ増を図ろうとする魂胆が見え見えで、やり口がせこいなあ、とは思うが、各短編集の間のバランスを取るには、良い選択だったと思われる。

 しかし、本稿では、オリジナルの構成を尊重して見ていくことにしたい。

 

01 「ウィリアム・ウィルソンの職業」(William Wilson’s Racket, 1941.2)

 ミステリの熱心な読者なら、あるいはE・A・ポーの愛読者なら、タイトルを見ただけで内容の見当がつきそうである。

 世間に知られずに、はめをはずしたい著名人のために、そっくりの替え玉を提供するビジネスを営んでいる男とその姪が登場する。マーチ大佐のもとを訪れた高慢ちきなお嬢様の相談事は、「許嫁の様子がおかしいのですわ」(悪役令嬢か)。婚約者が熱心に調べていたという住所を二人が訪ねてみると、奥の部屋で、彼と娘(上記の姪)が抱き合っていた。

 たわいないといえばたわいない、シャーロック・ホームズものにありそうな悲喜劇で、そのつもりで読めば、最後のちょっとしたオチまで楽しく読めるだろう。

 もっとも、ダグラス・グリーンの評価は手厳しく[v]、その気持ちもわかる。まかり間違っても、パズル・ミステリなどと思わないことである。

 

02 「空部屋」(The Empty Flat, 1939,5)

 「ウィリアム・ウィルソンの職業」は、第一短編集刊行後に発表されたものだったが、本作のほうは、すでに雑誌に掲載済みだった。第一集に当然入れてよかったはずなのに、どうやら、『読者よ欺かるるなかれ』(1939年)と同一トリックなので、収録を見合わせたらしい[vi]

 確かに同じアイディアで、しかも同じ1939年発表なので、そうなると、どちらが先だったのか興味がわく。『読者よ・・・』のほうは、同年の一月頃に書かれた[vii]というから、もし、それが正しいなら、長編のほうが先だった可能性が高い。

 とすると、こういうことだろうか。短編の締め切りが迫っているのに、アイディアが浮かばない。ええい、長編のトリックを使いまわしてやれ、と思った、と。本作で、被害者が事件現場のアパートに出かける理由が、なんだか曖昧で、いい加減。かなり雑な書きぶりともいえるので、上記のような疑惑を抱いてしまうわけである。果たして・・・。

 あ!内容について何もコメントしていなかった。

 これも内容とは関わりないが、冒頭の、主人公の歴史学者とヒロインとのやりとりは、『連続殺人事件(連続自殺事件)』(1941年)の原型といえるものだ。無論、短編なので、あんなに長くはない。

 

03 「軽率だった夜盗」(The Incautious Burglar, 1940.10)

 言うまでもなく、『メッキの神像(仮面荘の怪事件)』(1942年)の原型短編。短編小説を長編化するのは、カーには珍しい(「空部屋」は、前記のとおり、逆パターンの可能性がある)。おまけにフェル博士ものをH・Mものに改稿している。やはり、気が引けたのだろうか。

 高額な絵画を保険もかけずに、盗んでくださいといわんばかりに階下の書斎に飾っている富豪の家に強盗が入る。ところが、殺害され、死体となって見つかった、その夜盗らしき人物の正体は、なんと当主その人だった。一体、何が目的で強盗の真似などしたのか。そして、彼を殺害した犯人は一体誰なのか。

 フェル博士は、簡単に事件の謎を解くが、考えると、密かに警察官まで呼び寄せておきながら、いざというときに助けも求めず一人で強盗と対峙しようとするのは、あまりにも不自然である。しかし、アイディア自体は、まあまあ面白い。短編だと、少々せせこましい印象なので、長編化しようと考えたのも納得できる。

 

04 「見えぬ手の殺人」(Invisible Hands, 1957.8)

 コーンウォルの海岸にそびえる「アーサー王の椅子」[viii]と呼ばれる岩の下で、女の絞殺死体が発見される。まわりの砂地には足跡がなく、まるで宙を飛ぶ吸血鬼の仕業にみえる(作品では、吸血鬼などとは書いていない。個人的感想である)。

 中島河太郎の解説は、当時未訳だった『月明かりの闇(Dark of the Moon)』(1967年)に言及して、同一状況の不可能殺人(足跡のない殺人)を扱っていると指摘している[ix]。さすが、よく調べているなあ。生憎、トリックのほうは感心するほどの代物ではない。

 それでも、この時期になって、まだ、奇抜な不可能トリックを考案しようとする執念には、頭が下がる。本短編集収録作品のなかでは、もっとも新しく、久々のフェル博士ものでもあった[x]

 

05 「外交官的な、あまりにも外交官的な」(Strictly Diplomatic, 1939.12)

 『ストランド・マガジン』の12月号に掲載された短編で、「銀色のカーテン」に続きフランス、ではなくフランドル地方の保養地が舞台になっている。マーチ大佐シリーズではないのは、クリスマスの時期なので、気分を変えてということだろうか(「銀色のカーテン」はマーチ大佐もの)。

 ホテルの裏手にある並木道はみっしりと絡み合った樹木でトンネル状になっている。途中で抜け出すことはできないうえに、両方の出入り口には、どちらも滞在客がテーブルについていた。人の往来を見落とすはずがないのに、一方の入り口から入っていった女性が途中で姿を消してしまう。人間消失の謎である。

 トリックは独創的というほどではないが、短編としては効果的で、手際よくまとめられている。このあと、ほぼ同じアイディアで長編も書いている(作品名を注で挙げます)[xi]。つまり、そっちの長編はあまり面白くないという文句を言いたいのである。それから、発表年を見れば納得だが、スパイ小説になっているのがカー短編としては珍しい。

 ちなみに、車が走り去る場面が描かれて、排気ガスについて「その一酸化炭素も死を意味していた」[xii]という文章が、なぜか添えられている。どうして、こんな一文を付け加えたのか、よくわからないが、これはあれだろうか。『連続殺人事件(連続自殺事件)』(1941年)の物議をかもした例のトリックと関係しているのだろうか。一酸化炭素が有害なのは知っているというアピールだろうか。

 以上のことは、上記長編を既読の方には説明不要だろうが、未読の方は忘れてください。

 

06 「黒いキャビネット」(The Black Cabinet, 1951)

 「パリから来た紳士」と同じ趣向の歴史ミステリ、と言ったら、種明かしになってしまいそうだ。

 19世紀後半のパリで、皇帝ナポレオン三世の暗殺を企む美女が謎の紳士と出会う。彼女は十年前の1858年にも、母親が属する組織が皇帝暗殺に失敗した現場に居合わせており、母の執念を代わりに果たす覚悟でいる。そして、なぜか、それを阻もうとする紳士は、一体何者なのか?

 あまり評判はよくないようだ[xiii]が、読み返してみると、マーチ大佐のシリーズなどより、むしろ読みごたえがある。カーの長編ミステリは、歴史ものより、フェル博士やH・Mもののほうが上だと個人的には思っているが、短編では、物語性のある歴史もの(もしくは怪談)のほうが楽しく読めるようだ。結局、カーのミステリはトリックだけ取り出しても大して面白くないという事実を証明しているのかもしれない。

 

07 「奇蹟を解く男」(All in A Maze, 1955)

 初出時の題名は、Ministry of Miracles[xiv]で、作中に「奇蹟担当局」[xv]という言葉が出てくる。ヘンリ・メリヴェル卿が登場する最後の小説である。

 セント・ポール大聖堂の入り口から転げ落ちるように飛び出してきた美女を新聞記者の青年が受け止める。例によって例のとおりのフォール・イン・ラヴ展開で、黒髪のジェニファーは、フランス育ちのイギリス娘だが、結婚前に故国を観光に訪れている。新聞記者の青年トムは、実は作家志望で、母親の莫大な遺産を相続している・・・。・・・これ以外の設定は思いつかないのか、と言いたくなるが、ジェニファーには、フランスに婚約者のアルマンという貴族がいて、彼ら三人の間で、またしても恋愛トライアングルが完成する。

 ジェニファーは、伯母たち一家と連れ立って大聖堂見物にやってきたのだが、「ささやきの回廊」で、彼女の死を予告する不気味な声を耳にする。しかし、周囲には誰も怪しい人間はいない。実は、前夜にも、窓まで締め切って鍵もかかった寝室で眠っていると、いつの間にかガス栓が開かれていて、危うく中毒死しそうになったという。もちろん、ジェニファーが自分で開けたわけもなく、しかし、それでは壁を通り抜けることのできる亡霊か怪物の仕業としか思えない。

 相談を受けたトムは、H・Mのところへ行くよう、ジェニファーを説得するのだった。

 以下、相変わらずのヘンリ卿のギャグとドタバタでストーリーが進んでいくと、クライマックスは、ハンプトン・コートの迷路の中なので、まるでロンドン観光案内のようだ。

 トムに襲い掛かる犯人との格闘シーンは、『時計の中の骸骨』(1948年)の鏡の迷路のシーンを思わせる。トムとジェニーのラヴ・コメも含めて、あの懐かしいカー(ディクスン)・ミステリの十八番がこれでもか、とばかりに繰り出される。

 肝心のミステリのほうも、犯人の設定などは『囁く影』(1946年)を連想させる。つまり、そこにいないはずの○○〇が・・・、という着想である。

 「ささやきの回廊」の声の謎は、明かされてみれば、なあんだ、という、ありふれた手品で、いつの間にかガス栓が開かれている密室の謎も、盲点を突いてはいるが、やっぱり、なあんだ、という程度の出来。

 とはいえ、H・Mの引退興行と思えば、腹も立てまい。気楽に読めて楽しい中編ミステリである。

 最後、ヘンリ卿は、トムとジェニファーがいちゃいちゃするのを寛大にも黙認し、役所の窓から、黙ってテムズ川とロンドンの街並みを眺めている。このラスト・シーンは、『読者よ欺かるるなかれ』[xvi]のそれに似ている。作品全体が、旧作のつぎはぎのようではあるが、それもまた承知の上での意図的演出だったのだろう。いずれにせよ、これが卿の最後の雄姿かと思えば、感慨もひとしおで、ヘンリ卿よさらば、ひょっとして、カーも、そんな思いだったのかもしれない。

 

 久しぶりにカーの短編集三冊を読み返して思ったのは、やはりカーは怪奇の味付けがないと、つまらない。近年のカー評価では、小屋掛け芝居風の怪奇的演出は、カーの本質のごく一部で、彼はもっと幅の広いエンターテインメント小説の書き手なのだ、という称賛あるいは擁護の声が目立つようだが、短編集を再読して感じたのは、マーチ大佐のシリーズが思いのほか面白くないということである。マーチ大佐というキャラクターがつまらないというのではなく(それもなくはない)、全体として、日常的な雰囲気のなかでの不可能トリック小説で、そのせいでか、白々としているというか、変に白茶けているというか、白けた気分になるのだ。やっぱり、カーは、吸血鬼がマントを翻してワハハと笑い、狼男がガオーッと出てこないとね(そんな子供だましじゃないか)。

 「元々論理の遊戯と怪奇の興味から出発した探偵小説」[xvii]とは、江戸川乱歩の言葉だが、不可解で不可思議な謎がじりじりとした焦燥感を掻き立て、怪奇の意匠が謎をくるんで解決に至るまでの緊張感を持続させるのがカーの技巧あるいは常套手段である。『カー短編集1』の感想でも書いたが、やはり怪奇はカー・ミステリの不可欠の要素で、あれがないとカーではない。短編集を読むと、つくづく実感する。

 

[i] エラリイ・クイーン編のDr. Fell, Detective, and Other Stories (1947)を除く。

[ii] 『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』(宇野利泰・永井淳訳、創元推理文庫、1983年)、261頁。

[iii] The Third Bullet and Other Stories (1954).

[iv] 『カー短編全集3/パリから来た紳士』(宇野利泰訳、創元推理文庫、1974年)。

[v] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、241-42頁。しかし、日本語版短編集の解説を担当した中島河太郎は、「秀逸」と評価している。『カー短編全集3/パリから来た紳士』、382頁。

[vi] 『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、241頁。

[vii] 同、247頁。

[viii] 初出のタイトルがKing Arthur’s Chair。

[ix] 『カー短編全集3/パリから来た紳士』、380頁。

[x] フェル博士は、『疑惑の影』(1949年)以来、音沙汰なしだった。

[xi] 『青銅ランプの呪』(1946年)。

[xii] 『カー短編全集3/パリから来た紳士』、184頁。

[xiii] 『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、388頁。

[xiv] 『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』、282頁。

[xv] 『カー短編全集3/パリから来た紳士』、319頁。

[xvi] 『読者よ欺かるるなかれ』(宇野利泰訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2002年)、399頁。

[xvii] 江戸川乱歩「鬼の言葉前後・その一(探偵小説十五年)」(新保博久・山前 譲編)『江戸川乱歩コレクション・Ⅵ 謎と魔法の物語 自作に関する解説』(河出書房新社、1995年)、188頁。