J・D・カー『剣の八』

(本書の真相に触れています。)

 

 『剣の八』(1934年)は『帽子収集狂事件』に次ぐ、カー名義の第八長編(だから「八」なのか?)である。

 例によって、本作も日本では長い間絶版が続き、幻の長編と化していた。ところが、1993年にハヤカワ・ポケット・ミステリ版が復刊された[i](が、広く読まれたわけではない、と思う、多分)。そして2006年に、新訳でハヤカワ・ミステリ文庫版が刊行された[ii]

 『帽子収集狂事件』以降、バンコラン・シリーズのど派手で煽情的な残虐描写は薄れ始め、代わってユーモアと、いわゆる「チェスタトン風」[iii]とされる、登場人物の奇矯な行動が次第に事件に結びつけられていくプロットが特徴的になってくる。

 『剣の八』もそのとおりで、冒頭、退職を間近に控えたハドリー警部が、お屋敷の階段の手摺を滑り降りる面白主教の話を聞かされる。そこへ珍妙な変装をしたフェル博士が登場し、その主教の息子が船旅の途中で船倉に監禁されたことを伝える、というスラブスティック風の出だしになっている。この辺りは、『帽子収集狂事件』に続いて、ユーモアをより強調した語り口で、次の『盲目の理髪師』でさらにエスカレートしていくことになる。ポルターガイストなどの怪奇趣味的な味つけも加えられているが、ほんの申し訳程度のもので、ストーリーにはほとんど影響しない。

 ミステリとしてみると、これといったトリックは使用されていない(一人二役のトリックが出てくる)。解説で霞 流一が述べているとおり、フーダニットというのが本作の特徴だろう[iv]。ただし、読みどころは、最後の犯人の特定よりも、中盤でフェル博士が語る事件の再構成の推理のほうにあるといえる。

 発端、グロスタシャにある屋敷のゲストハウスの一室で当主の死体が発見される。事件当日、謎の訪問者があったらしい。この単純な状況から、フェル博士は微細な手掛かりをもとに、当日の訪問者と見えたのは被害者本人であったこと、彼は外出先で殺人を犯したと思われること、その間、問題の部屋には別の人物がおり、帰宅した被害者を射殺したことを縷々説明する。半分手の付けられた食事、ショートして消えた明かりなど、何気ない事実から未だ発見されざる殺人の可能性までを指摘する、この飛躍した、しかし(ミステリ・マニアの主教とのディスカッションを通じて)隅々にまで推理の眼がおよぶ推論過程は圧巻で、相手の主教が思わず「今まで犯罪推理の名品をいくつも読んできたけれど、実際に起こったかどうか誰にもわからない殺人事件をもとにここまで推理したあなたの明晰さには賛辞をおくりますよ」[v]、と皮肉交じりの賛辞を口にするほどである。読者もまったく同意するはずで、カーの自画自賛のセリフだろう。これに比べれば、最後の犯人の推理は、意外性はあるが、推理の密度の点ではむしろ物足りない。

 しかも、以上の推理に対し、素人探偵の一人から、共犯者の存在を否定する意見が述べられ、さらに被害者に殺害されたと思われた人物が生きているとわかって、フェル博士の推理が一旦破綻しかけたように見える段取りも上手い。実際は、(当然のことながら)フェル博士の推理どおりなのだが、このプロットのひねりも老獪である。

 従来、カーと言えば不可能トリックと見なされていたため、本作の評価は低かった[vi]。実際、それほどの傑作ともいえないだろう。しかし、本作は、1930年代前半のカーが目指したミステリの方向を考えるうえで、はなはだ興味深い作品である。バンコランのシリーズも、処女作の『夜歩く』を除けば、トリックの創意よりも犯人や犯行過程の推理のほうに力が注がれていた。フェル博士ものの『魔女の隠れ家』と『帽子収集狂事件』はトリッキーな作品だが、その一方で事件や犯行の論理的説明にも重きが置かれている。本作ではさらに進んで、トリックよりも論理的推理にミステリとしての特色を出そうとした、と見られる。その理由として、霞が指摘しているように、同時代作家のエラリイ・クイーンの作風からの刺激が考えられる[vii]。『帽子収集狂事件』を読むと、カーがクイーンの作品を読んでいることは明らかなので[viii]、霞の主張は説得的である。次作の『盲目の理髪師』が安楽椅子探偵ものになっていることからも、この時期のカーがトリックよりも推理に重点を置いていたことがわかる。

 ただし、同じ1934年には、ディクスン名義で『プレーグ・コートの殺人』と『ホワイト・プライオリの殺人』というトリック小説が書かれ、その傾向は翌年にも『レッド・ウィドウの殺人』でも続く。何より、カー名義の1935年作は、カーの代表的な不可能トリック小説の『三つの棺』と同じくトリッキーな『死時計』である。

 1934年の四長編を比較すると、カー名義とディクスン名義で異なるタイプのミステリを書こうという意図が感じられるが、1935年以降は、そのような区別は曖昧になる。

 トリックの考案に熱中するようになった、ともみられるし、カーの才能が一気に開花して、幾つものタイプのミステリを書き分けることが可能になったようにも受け取れる。

 事実、この後のカーは、次々にトリックをメインとした不可能犯罪ミステリを量産する一方で、『アラビアン・ナイトの殺人』のような論理的推理を中心とした作品も書いている。フィクションではないが、同じ1936年に、推理重視の『サー・エドマンド・ゴドフリの殺人』を執筆しているのも象徴的である。

 いずれにしても、『剣の八』は、カーがグロテスクを売り物にしたバンコラン・シリーズから脱却して、新たなスタイルを模索するなかで探り当てた鉱脈のひとつだったことは間違いないだろう。

 

[i] 『剣の八』(妹尾あき夫訳、1958年、1993年)。

[ii] 『剣の八』(加賀山卓朗訳、早川書房、2006年)。

[iii] 芦辺 拓×二階堂黎人「地上最大のカー問答」、二階堂黎人『名探偵の肖像』(講談社文庫、2002年)、310頁。

[iv] 山口雅也「結カー問答」『貴婦人として死す』(創元推理文庫、2016年)、「解説」、308-309頁も参照。

[v] 『剣の八』、130頁。

[vi] 江戸川乱歩「カー問答」では、「カーの作中最もつまらない」6冊のうちのひとつである。江戸川乱歩「カー問答」、ディクスン・カー『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』(創元推理文庫、1983年)、317頁。二階堂黎人によれば、「いまいちの作品」。二階堂前掲書、357頁。

[vii] 『剣の八』、347-48頁。

[viii] 『帽子収集狂事件』(三角和代訳、創元推理文庫、2011年)、186頁。