ニコラス・ブレイク『秘められた傷』

(本書の犯人を明かしてはいませんが、内容や構成には立ち入っていますので、ご注意ください。)

 

 『秘められた傷』[i]は、ニコラス・ブレイクの第二十作目、最後の長編小説である。

 今回ブレイクを順番に読み直そうと思った動機のひとつは、本書を再読したいと考えたからだった。『秘められた傷』だけ読んでもよかったのだが、ついでのこと、手元にある全長編(『くもの巣』を除く)を読み返そうと思い立ったので、本書までたどり着くのに随分時間がかかってしまった。

 ちなみに、『殺しにいたるメモ』(1947年、1998年翻訳刊行)から始まるニコラス・ブレイク落穂拾いプロジェクト[ii]が始まる以前に読んだブレイク作品の個人的ベスト・ファイヴは、①『野獣死すべし』、②『メリー・ウィドウの航海』、③『秘められた傷』、④『呪われた穴』、⑤『雪だるまの殺人』だった(誰も聞いてないか)。

 パズル小説が好きなので、大体好みに沿った選出だが、そのなかで、忘れがたい印象を受けたのが本書だった。あれは、どういう小説だったかな、と、ときどき思い返したのだが、再読する機会がなかった。内容も覚えているような、いないような、今回読み直してみて、ああ、そうそう、こういう話だったと記憶がよみがえった。けれども、どういう小説なのか、理解したのかというと、もちろん、ストーリーはわかりにくくも難しくもないのだが、正直、初読の時の感想を再び抱くことになった。

 形式は、これまでのブレイク作品でも見られた一人称の手記で、ナイジェル・ストレンジウェイズは登場しない。主人公のドミニク・エアは作家で、アイルランド生まれだが、幼いころに家族とともにイングランドに移り住んだ。その彼がまだ新進作家だった30歳の頃、小説の執筆を兼ねてルーツのアイルランド西部を旅行した、そのときの経験を思い出して書いた手記という体裁の長編である。しかも、ときは1939年。第二次世界大戦前夜の緊迫したアイルランド情勢が背景にあり、アイルランド作家であるブレイクにとって本書が持つ意味を暗示している。

 ドミニクは、クレア地方のシャーロッツタウンを訪れるが、そこで、ケヴィン・リースンという町の名士から家を借りることになる。リースンを紹介してくれたのは、彼の兄フラリー・リースンと妻のハリー(ハリエット)で、フラリーは、かつてアイルランド独立の戦いで勇名をはせた伝説的英雄。しかし、今は抜け殻のような釣り好きの老人に過ぎず、年若い妻を持て余し気味である。ハリーは西部イングランド出身だが、太い腕に細い足首というアンバランスな肢体の持ち主なのに、性的魅力にあふれた妖しい美女である。当然のことのように、ドミニクは彼女に魅かれていき、いつしか関係を持つようになる。前作『死の翌朝』にも描かれた性交渉の場面が、より濃厚に描写され、主人公がハリーの肉体に惑溺していく様が物語の不穏な展開を予感させる。

 それと並行して、ドミニクの借りた家が知らぬ間に物色されたり、何者かから警告文が届いたりと不審な出来事が続けて起こる。さらには銃で撃たれて、危うく弾が命中しそうになると、挙句の果てには、家が放火され、命が狙われていることが明白になる。ハリーとの不倫が原因とすれば、犯人はフラリーか、ドミニクの前にハリーの愛人だったケヴィンである可能性が高いが、それとは別に、どうやら北アイルランド六州の動向をめぐる政治紛争との関わりが浮上して、イギリス側のスパイと誤解されたことが度重なる襲撃に繋がったかもしれないとわかってくる。

 帰国の時期が迫っても、ハリーとの関係をどうしても断ち切れなかったドミニクだが、神父のブレスニハンに厳しく諫められたこともあって、川べりでの深夜の密会で、ついに別離を告げる。最後のセックスを求めるハリーの手を振り切って、その場を去ったドミニクだったが、翌日、別れたその場所で、全身をナイフでめった刺しにされた無残なハリーの全裸死体が発見され、事態は殺人事件へと発展することになる。

 この後、警察の捜査が始まるが、後悔に苛まれたドミニクは、ハリーとの関係をフラリーに告白してしまう。ところが、フラリーはドミニクを責めず、かえって住む場所を失ったドミニクを自宅に迎え入れ、奇妙な同居が始まる。ドミニクに対する襲撃や放火は、アイルランドの秘密組織に属していたケヴィンの仕業とわかるが、ハリー殺害の犯人は、ケヴィンとも、彼の妻メアとも、あるいはフラリーともわからぬまま日は過ぎていき、そして、遂に登場人物のひとりが関係者の前で殺人を告白する。手記は、別の人物の手に握られた凶器のナイフが、犯人の頭上に振り下ろされる衝撃的な瞬間を写して終わっている。

 これで小説も終わりかと思うと、そうではなく、この後に、ハーマン・トゥーリーなる人物によるエピローグの文章が付されている。トゥーリーは、大戦勃発後にドミニクと軍隊で知り合い、その後は友人として付き合ってきたが、ドミニクが死去したため、彼の遺言執行人として、遺作の出版の世話をすることになった、と説明する。つまり、ここまで読者が読んできた手記は、ドミニクの遺稿だったとわかる。もっとも、このことは書き出しの文章から想像できることで、こうしたメタ・フィクション的な構成自体、珍しいものではない。技巧的であるとは言えるが、意外な結末というほどのものではなく、作者もそこを狙っていたわけではないだろう。

 本書は、これまでのブレイクのミステリと比べると、明らかにスタイルも異なっている。殺人は描かれるが、ブレイクのミステリらしい、登場人物の軽妙でいながら辛らつな会話のぶつけ合いはあまり見られず、そこが特徴のひとつでもあったしつこいほどの推論やディスカッションも出てこない。文学的ミステリに括ることもできるが、むしろ、ミステリの味つけをした普通小説といったほうがいいだろう。

 しかし、それでいて、不思議な後味のミステリを読んだという感想が残る。エピローグで、トゥーリーは、実際にはドミニクが手記に書いた殺人事件は当時起きていない、しかし、原稿に描かれた出来事は実際に体験した事実に基づいているようだ、と打ち明ける。しかし、断言するわけでもなく、どこまでが真実で、どこからがフィクションなのかは、曖昧なまま終わる。無論、小説としては当然そうあるべきで、結末をはっきりさせたら、それこそ台無しであって、この終わり方に対し、どっちかはっきりしろ、などと不平をいう読者はいないだろう。

 だが、この霧のかかったような終わり方は、不満は感じないが、不思議な感じはする。作中作が小説なのか、実話なのか、あるいは、どこまでが小説で、どこからが実話なのか、わからないという構成は、小説的技巧というより、『秘められた傷』という作品そのものを表わしているようにも見える。捉えどころのない困惑を催させる小説である。

 もっとも、作者にすれば、ごくわかりやすい小説のつもりなのかもしれない。エピローグの最後、トゥーリーが、ドミニクの部屋のクローゼットから、彼がハリーに最初に出会ったときに彼女が被っていた騎手を思わせるピンクの帽子を見つけた、と語るのは、手記が事実そのままでないにせよ、現実の体験に基づいていたことを暗示しているわけで、思わせぶりな書き方は、メタ・フィクションといっても難しいところは何もない。犯人の設定(職業)にも、作者としては何かしら言わんとするところがあるのかもしれないが、だとすれば、手記のラスト・シーンは、あざといともいえる。アイルランド政治を絡めるのも、ある意味ブレイクの悪癖であって、そうした点を合算していけば謎めいたところはないのだが、それでも「謎」を探そうとしてしまうのは、本書がブレイクの「私小説に近い」[iii]という情報のせいか。作者自身の人生を重ねて、過剰に何かを読みとろうとしてしまっているのかもしれない。

 ニコラス・ブレイクの小説は、どうしても文学者の余技という印象があるが、それにしては、まれなほどのパズル好きだったと思う。その推理愛好癖は、例えば、初期の『死の殻』(1936年)と後期の『死の翌朝』(1966年)を比べても、ほとんど差がない。『死の翌朝』の次作である本書は、しかし、そうしたパズル・ミステリの要素は薄く、ついにブレイクも普通小説風のミステリに逃げたか、とも思わせるが、視点を変えれば、小説自体が謎(パズル)になっているミステリともいえる。それが、彼が最後に到達した境地だったのだろうか。

 いずれにしても、また数年後に本書のことを思い出すとしたら、やはり、あれはどういう小説だったのだろう、とふりかえることになりそうである。

 

(追記)

 ブレイクの長編小説(くどいようだが『くもの巣』を除く)19冊を読み直して、ベスト・ファイヴを選ぶと、現時点ではこうなる。①『野獣死すべし』または『秘められた傷』、③『ワンダーランドの悪意』、④『死の翌朝』、⑤『殺しにいたるメモ』。

 

[i] 『秘められた傷』(小倉多加志訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1971年)。

[ii] 『殺しにいたるメモ』(森 英俊訳、原書房、1998年)。無論、そんなプロジェクトがあったわけではない(ですよね?)。以下、『死の殻』(新訳。大山誠一郎訳、創元推理文庫、2001年)、『ワンダーランドの悪意』(白須清美訳、論創社、2011年)、『短刀を忍ばせ微笑む者』(井伊順彦訳、論創社、2013年)、『死の翌朝』(熊木信太郎訳、論創社、2014年)。

[iii] 森 英俊編著『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』(国書刊行会、1998年)、605頁。