ニコラス・ブレイク『死のジョーカー』

(犯人の名前は伏せていますが、ほぼばらしていますので、ご注意ください。)

 

 『死のジョーカー』(1963年)[i]は、ニコラス・ブレイクの第17長編だが、前作『死のとがめ』(1961年)[ii]と同様の犯人当てミステリである。つまり、それ以前の『血ぬられた報酬』[iii]や『くもの巣』[iv]のようなスリラー・サスペンス小説ではないということだが、前作と大きく異なっている点がある。ナイジェル・ストレンジウェイズが登場しないのだ[v]

 犯人当てミステリでナイジェルが不在というのは初めてのことで、しかも全編ジョン・ウォーターソンによる一人称の手記の形式を取っている。

 このウォーターソンという人物、62歳の元視学官で、25歳年下のジェニーという妻をもち、先妻との間に、22歳のサムと16歳のコリンナという二人の子どもがいる。オクスフォードの出身で、そこに住まいがあったが、退職後、ジェニーの健康面もあって、ドーセットシャのネザープラッシュ・キャントーラムという村に転居してきた。

 ・・・という経歴だが、当時ブレイクは59歳(1963年時)、21歳年下のジル・バルコン(女優)と再婚して二人の子どもをもうけた(ダニエル・デイ・ルイスがそのひとりだが、1963年当時は6歳)が、先妻との間にも二人子どもがいた。芸能ニュース並みの詮索で恐縮だが、どうやら自分自身を投影しているとしか思えない。

 あらすじは、ネザープラッシュの村に移ってきたウォーターソンが、ある晩、うるさいカッコーの鳴き声に悩まされる。夜に鳴くカッコーに不審を抱いた彼は、翌朝、声の聞こえた林を探索していると、一人の男と出会う。彼の名はオールウィン・カードで、異母弟のエグバートと二人で近くの屋敷に住んでいる。実はカード家は、近隣一帯の領主の家系なのだが、没落して、実業家のロナルド・パストン[vi]に先祖代々の屋敷を売り払い、現在の家に移り住んだのだった。こうしてブレイク作品では恒例の、地方有力家系の盛衰を背景に、田園風景の穏やかな描写と裏腹の、奇矯な登場人物たちの内心を隠した言葉による乱闘劇が繰り広げられる。

 パストンには、インド生まれの黒い肌をした美貌の妻ヴェーラがおり、乗馬教師で女たらしのエグバートが彼女に言い寄っているとのもっぱらの噂である。しかも、兄のオールウィンもヴェーラを誘って袖にされたともいわれている。エグバートは、ジェニーにも興味を示して、ウォーターソンを不快にさせるが、そればかりか、ジェニーを手に入れるための手管なのか、乗馬を教わることになったコリンナまで誘惑しそうに思え、ウォーターソンの怒りは増すばかり。こうして登場人物の配置が完成すると、村で奇妙ないたずら事件が頻発するようになる。カッコー事件(どうやら機械仕掛けのいたずらだったらしい)の後、パストンがパーティの席でかつがれて恥をかく小事件が起こって、カッコー事件同様、オールウィンの仕業だったとわかる。しかし、それとは別に、ウォーターソンの書斎に奇妙な落書きが見つかり、ジェニー宛てに匿名の手紙が送られてくる。次に、村のパブで皆が飲んでいると、不発の手榴弾が投げ込まれ、パストン家の干し草に火がつけられるなど、次第に悪質なプラクティカル・ジョークがエスカレートしていく。ジェニーの不審な態度に気づいたウォーターソンが、エグバートに呼びだされたのではと疑い、後をつけていくと、森の中で、僧衣と頭巾をまとった巨人が現れる(まるで江戸川乱歩みたい)。その正体は竹馬を使った子供だましに過ぎなかったのだが、一体何が目的なのだろうか。さらには、ウォーターソン家の飼い犬が殺されてシャンデリアから吊るされているのが発見されると、とうとう、パストンが主催する花卉品評会で、壇上に登ったヴェーラが、行事の趣向でオールウィンが吹きかけた香水を吸い込んだ瞬間、意識を失って倒れてしまう。青酸を吸わされたのである。

 ヴェーラが命を失ったことで、事件はついに殺人にまで発展することになるのだが、こうしてみてくると一目瞭然で、本書は過去の幾つかのブレイク作品を下敷きにしている。プラクティカル・ジョークのテーマは『ワンダーランドの悪意』(1940年)[vii]、ポイズンド・レターとくれば、『呪われた穴』(1953年)[viii]である。ただし、本書における「毒の手紙」は、ジョーカーのカードに張り付けられた紙片に書かれたもので、つまりタイトルの「ジョーカー」にかけているのだが、あくまでプラクティカル・ジョークの一部で、作品全体を通じての主題というわけではない。題名の「ジョーカー」は、言うまでもなく「いたずらの犯人」と「トランプのジョーカー」をかけているが、「匿名の手紙」はトランプ・カードを持ち出すためにだけ用いられたらしい。

 こうして、いたずらから始まった事件が最終的に殺人へと発展していくというのが、本書の趣向のひとつで、従って、殺人事件が起こるのは小説の終わり近くなってからである。作者としては、『ワンダーランド』のように、殺人の起こらないミステリと思わせておいて、裏をかいてやろうという目算だったのだろう。しかし、そうした趣向だけではなく、このプロットは本書の主題と密接に関わっているようだ。

 犯人探しの観点からすると、疑わしいのは最初からオールウィンとエグバートの兄弟である。パストンによる妻殺し(妻の浮気に対する怒りという動機)もありうるが、どうも他のいたずらとパストンのキャラクターが噛み合わない。ウォーターソンの息子のサムが新聞記者で、端役かと思っていると、結構重要な役割を演じるので、ひょっとしてこいつが、と思わせるが、やはりブレイク作品の犯人らしくない(どういう推理だ)。ジェニーも、以前精神を病んで、彼女自身が匿名の手紙を書いたことがある、と明かされるので、可能性があるのだが、これはレッド・へリングだろう。ある意味、一番あやしいのは、手記の作者であるウォーターソンで、てっきり、アクロイド・メソッドかとも疑うのだが、どうやらそうでもないようだ。

 こうなると、結局、犯人は最初のいたずらの犯人であるオールウィンか、そう見せかけておいて、いかにも人間性が腐っていそうなエグバート、ということになるのだが、もちろん、どちらが犯人でも意外性はない。そのあたりも、実は『死のとがめ』に似ていて、説明が難しいが、意外な犯人よりも、ブレイクにとって、もっともプロットに相応しいと思える犯人を設定しているようなのだ。前作も本作の犯人も、動機は曖昧で、財産目当てのような明白な利害得失ではない。ちょっとした憎悪か悪意が、その人物が持っている殺人衝動の資質と結びついて犯行に至る。言ってみれば、20世紀末のサイコ・スリラー的犯罪者である。

 ブレイクは、ミステリはやがて警察官や犯罪者の登場する風俗小説になる、と語ったそうだ[ix]が、そして果たして本書が風俗小説なのかどうかは、わからないが、前作、さらに本書で描かれるのは、パズルというより、殺人者が殺人に至るプロセスそのもの、その正体が次第に露わになっていく過程そのもののようだ。従って、かつての諸作で見られた理詰めの推理は、ほとんど影を潜めている。しかし、それがブレイクの考える現代ミステリだったのだろうか。最後、兄弟のひとりが犯人として捕われ、もう一人は彼に撃たれて死ぬが、タイトルのDeadly Jokerとは、「死をもたらすジョーカー」であるとともに、「死すべき運命のジョーカー」を指しているとも思える(最後に死ぬ兄弟のひとりもジョーカーのような存在である)。

 付け足しになるが、こうしてみると、『死のとがめ』の前の長編『メリー・ウィドウの航海』(1959年)が、この時期のブレイクとしては異色ともいえるパズル・ミステリだったことが興味深い、というか不思議である。戦前から40年代にかけての理詰めの推理に富んだ諸作と比べても、また本書や『死のとがめ』と比較しても、『メリー・ウィドウ』は極端にゲーム性の強い小説だった。この多彩さというか、節操のなさこそが、ブレイクのブレイクたるゆえんかもしれないが、いずれにしても、どこまでも底の知れない作家である。

 

[i] 『死のジョーカー』(小倉多加志訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1964年)。

[ii] 『死のとがめ』(加島祥造訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1963年)。

[iii] 『血塗られた報酬』(小倉多加志訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1983年)。

[iv] 『くもの巣』(加納秀夫訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1958年)。筆者未読。

[v] もっとも、ナイジェル・シリーズに登場するロンドン警視庁のライト警部が、本書でも事件を担当するので、この世界のどこかでナイジェルも生きているらしい。

[vi] オールウィンやエグバートがイギリス(アングロ・サクソン)風の名前だということは、作中でも指摘されているが、パストンという姓も歴史的だ。イギリス中近世の「パストん・レターズ」は有名である。社本時子『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち-同家書簡集から』(創元社、1999年)などを参照。

[vii] 『ワンダーランドの悪意』(白須清美訳、論創社、2011年)。

[viii] 『呪われた穴』(早川節夫訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1955年)。

[ix] 都築道夫「F・L・F・D派の見本」『都筑道夫ポケミス全解説』(小森 収編集、フリースタイル、2009年)、118頁。